る大岩


 窓の外には、静かに雲が流れている。

 真夜中に現れた巨人たちは跡形もなく消えうせ、跡に残されたのは砕け散った湖の大岩と、破壊された桟橋。”逆さ大樹の谷”の時と違い、今回は町中での事件だ。武装した謎の集団が関与しているという情報が駆け巡り、近隣から駆けつけた警官隊が現場を封鎖する騒ぎになった。一晩経ったあとも、町は落ち着かない雰囲気の中にある。
 幸いにして、ルークたち四人が関わっていることは町の人々には気づかれていない。
 だが、本部には連絡を上げないわけにはいかず、カーリーは通信機を手に朝から部屋に引きこもっている。ルークは宿に横になっていた。何度か浅い眠りが襲ってきたが、意識は完全には沈んで行かない。体の奥が熱く、どこか、興奮状態にある。
 ドアの音がした。首を巡らせると、ナユタが入ってくるところだった。
 「体は、大丈夫なのか? 眠っていてもいいぞ」
 「…目が冴えてしまって」
 「そうか」
ナユタが妙に優しいのがかえって気がかりだった。昨夜、巨人に吹き飛ばされてからの記憶は途切れ途切れだ。アストラル体の姿で抜けだして、それから…。
 きらきらと輝く、青い石を見た記憶がある。多分、あれが、大岩のコアだ。
 「大岩の、コアは?」
 「…たぶん、湖にそのまま沈んだ」
 「ロアラは」
ナユタは、黙って首を振った。跡形もなく砕かれた大岩は、岩の固まりの山となって湖に沈んでしまった。洞窟も吹き飛ばされ、中にいたはずの彼女がどうなったのかは、誰も知らない。
 「人の心配より、今は自分の体の心配をしてろ。」
 「……。」
ルークは、自分の鼓動を感じながら目を閉じる。前回に比べれば、疲労感は少ない。だが、何だろう。頭の奥で、何かがぐるぐると渦を巻いている。何かを思い出したいのに、思い出せないもどかしい感覚。確かに知っていたはずなのに、今は届かない…。


 最後の言葉を叩きつけるようにして通信を終えると、カーリーは、大きなため息をついて通信機の蓋を閉じた。
 朝から何度同じ話を繰り返したか分からない。巨人の信奉者を名乗る武装した連中が、「喋る大岩」を破壊したこと。彼らが湖の水位を下げるために運び込んだ土砂の一部が線路を塞ぎ、途中下車したため、たまたま現場に居合わせたこと。特に狙ったわけでもない。運の巡りあわせというほかない。
 それより、とカーリーは食って掛かったのだった。
 連中はカーリーたちのことを知っていた。どこかから情報を漏らさなければ、未開地学者の詳細な情報がそう簡単に手に入るわけがない。
 だが本部も、立て続けに起きる事件に混乱しているようだった。その件については内部で調査すると何度も繰り返し、そのたびに、カーリーたちこそ何か隠しているのではないかと逆に疑う始末。
 隠していることなら、たくさんある。ロアラのこともそうだし、ルークの体のことも。ロカッティオの協力者の名前、つまりドン・コローネのことも話してはいない。
 互いに疑心暗鬼になるのが良くない状態なのは解っているが、納得の出来ないことは多々あった。本部の職員たちですら、実は多くの情報が知らされていないのではないか、という予感がある。大きな発見があった際など、状況が確定するまで情報統制が成されることはいままでにもあったが、今回は、隠しているというより「分からない」という雰囲気だ。あまりに腑に落ちない点が多すぎる。
 さっきナユタが様子を見に行ってから、ずいぶん時間が経つ。隣の部屋は、静かだ。
 「ナユタ君」
ドアの前で呼ぶと、中からナユタが顔を出す。ルークは眠っているようだ。
 「ちょっと表、いってくるから。留守番頼むわ」
 「ああ」
明日、予定通りこの町を発てるかどうかを確認しがてら、ミズハを探しに行くつもりだった。ミズハは朝、カーリーが通信をはじめる時に部屋を出ていったきり、戻ってきていない。目立つようなことはしない、と言っていたが。

 昨夜、巨人が投げつけたボートでえぐれた道のあたりには、綱が張られ、通行禁止になっていた。桟橋にもロープが渡され、警官がうろうろしている。ミズハはどこだろう。てっきり湖の見える場所にいると思っていたカーリーは、少しアテが外れた。
 仕方なく宿に戻ろうと思ったとき、思いがけないものが目に入った。宿の屋根の上、カーリーたちの泊まっている部屋の、張り出した出窓の上に膝を抱えて座る少女の姿がある。
 思わず、口元に笑みが溢れる。
 灯台下暗し、というやつだ。
 部屋に戻って窓を開けると、ちょうどそこに、ミズハの足が見えていた。
 「何してるの」
 「湖、見てた」
窓枠に腰掛けながら、カーリーも湖のほうに目をやる。そこからは、建物と建物の間に辛うじて、中央の岩の残骸が見えていた。”喋る大岩”のあったあたりは黒っぽく水がよどみ、今は警官の船が何隻か調査のために漕ぎだしている。水面に出ている部分はすべて失われ、今は岩のあった場所はただの浅瀬になってしまっている。
 「ロアラは…、逃げられたかなあ」
ミズハは、ぽつりと呟いた。そうは信じていないという表情だった。父親を守ることを自分の使命と考えていたロアラが、父親を見捨てて逃げたとは思えない。砕け散った大岩の残骸、それが結果を示している。
 「また、守れなかった」
 「…そうね。でも、私たちは万能じゃない」
窓枠から少し身を乗り出し、カーリーは、少女の表情を伺った。
 「ねえ、教えて欲しいの。彼、ルーク君のこと。彼は…一体」
 「分かんない」
 「でも、知っていたんでしょ。彼の、あの力」
ミズハは、視線を湖に向けたまま。
 「彼は人間…よね?」
少女は、カーリーの問いに否とも応とも答えなかった。
 「ルー君は、むかし別のものだったことがあるの」
風が吹いて、後ろで一つにまとめた髪を散らして首に張り付かせる。彼女はそれを、片手でゆるりと払った。
 「今のルー君は、昔のルー君とは違うものなの。何かを無くしてしまって、そのせいで、昔のことを忘れてしまっているの。…ジャスパーが言ってた」
 「ジャスパー?」
 「ルー君の船を引っ張ってる海竜だよ。ルー君のお祖母さんが卵から育てたって」
そう言って、ミズハは足の下の窓かに顔を出すカーリーのほうを見下ろした。
 「あたしは、自分のことを知ってる。でもルー君は、自分が何なのか知らない。ジャスパーも知らない。前のルー君はそれを知ってたけど、言いたくなくて、誰にも教えなかったんだって。きっと、それはとても辛いことか、悲しいことなんだと思う。だからね、聞いちゃダメなんだと思う。思い出しても、もしかしたら教えてくれないかもしれないけど。」
 「…ミズハちゃん、あなた」
 「ルー君は悪いものじゃないよ。そうでしょう?」
少女の眼差しは、全てを薄っすらと察しながら、それでも肯定しようとする輝きを宿している。
 ミズハは、言葉として分かろうとするのではなく、感じることで理解するのだ。「何者か」という名称は、意味を成さない。名付けられた言葉以上に、存在に最も近い答えを、彼女は探している。
 緑の瞳の奥にあるものは、母なる海の広い胸と、父親譲りの芯の強さ。
 カーリーは、ふっと笑みを浮かべた。
 「分かった。ミズハちゃんがそう言うなら、私はこの件にはもう何も言わない。でも、もし頼りたくなったら、いつでも頼って?」
 「うん」
少女は大きく頷く。
 だが、頼られることはないのだろうな、とカーリーは思った。
 海は大地の全てを飲み込んでなお深い。外見や普段の言動とは裏腹に、ミズハには、同じ年頃の少女たちにはないもうひとつの計り知れない精神が重なって存在していた。


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