る大岩


 ボートを返し、町で夕食をとってから宿に戻ってきた頃には、もう夕焼けの名残はすっかり消え失せていた。夜の早いこの町では、広場の繁華街から一本通りを入ったところで、もう既に、夜の静寂が降り始めていた。
 「はあー、なんか色々あったわ」
宿の部屋で上着を脱ぎ捨てながら、カーリーはぼやいた。男性陣は別の部屋なので、お構いなしだ。
 「あの子、どうして隠れてるんだろう」
ミズハが呟く。
 「ん? そりゃ… 見た目が人間と違うから」
 「あたしもそうだよ」
ベルトやブーツなど片っ端から脱ぎ捨てていたカーリーは、動きを止め、ミズハのほうを振り返る。
 「あたしも町中ではあんまり飛んだりしないけど、下着見えるのダメだから、ってルー君が…。あと町だと出っ張りとかあって、狭くて、頭ぶつけそうになるし」
 「そりゃあ、ミズハちゃんは見た目が人間でしょ。人間のお父さん似。あの子は人間じゃない方の親に似ちゃったからじゃないかしら」
 「そんなの、おかしいと思う。」
少女はベッドの端に腰を下ろしたまま、納得いかないという顔で首を振る。男性陣が居ないのをいいことに、カーリーも下着一丁で向かいのベッドに腰を下ろす。
 「あんなとこで一人でいたら、ぜったい寂しいよ。ウロコだってキレイなのに。」
 「うーん…まあ、そうね。」
 「町の人と仲良くなれればいいのにな…」
カーリーはあぐらを組んで考え込んだ。到底人様には見せられない格好だ。
 「うーん。私たち普通の人間ってねえ、けっこう臆病で、自分たちと違うものは恐れる傾向にあるのよ。ナユタたち獣人ですら、最初はものすごく警戒されてたのよー。」
 「えー、どうして」
 「夜、眼が光るでしょ。あと耳とか尻尾とか牙とかあるし、力は強いし。まあ、そんだけなんだけど、大して人間と変わりゃしないのに、恐れてる人はいたのよね」
 「……。」
 「わかんない、か。そうねー、あと人間って見た目にけっこう惑わされやすくってね。」
ずい、とミズハのほうに身を乗り出す。
 「男より女、成人より子供。女の子ってお得よ? 多少人と違ったところがあっても、女の子だけは特別に怖くないって思ってくれたりする」
 「あたし、怖くないよ。」
 「あはは、そうね。ミズハちゃんが男の子でも、わたしは怖くない。でもねえー」
ふっ、とカーリーの表情が暗くなる。「きっと、それは普通のことじゃないんだわ。」
 ミズハは、困った顔で俯いている。
 「ま、悩むことないわ。もしかしたら、この先、あなたを怖がる人が出てくるかもしれないけど。私もナユタも、ほら、ルーク君だって、あなたを怖がらない。一人ぼっちにはならないわ」
 「うん…。」
こくり、と頷いた少女の姿を見ていたカーリーの顔に、次第に笑みが広がっていく。
 「ああん、もう! 可愛いなあっミズハちゃんはー」
 「もぎゅ?!」
飛びついて抱きすくめられ、ミズハはベッドの上に倒される。
 「おい、隣で何を騒いでるんだ、うるさ…」
ドアを開けたナユタは、下着姿のカーリーに一瞬凍りつき、何事も無かったかのように静かにドアを締め直す。
 「どうしたんだ?」 
 「…何でもない」
ルークとナユタの話し声が廊下のほうから聞こえてくる。結局のところ、真面目な話はそう長くは続かないのだった。


 月が静かに傾いてゆく。
 夜更け頃、宿を抜けだして湖に向かう姿があった。ミズハだ。誰も居ないのを確かめ、そっと翼を広げ飛び立とうとしたとき、
 「何してる」
びくっ、として振り返ったミズハは、物陰から姿を現すルークを見つけた。銀灰色の髪が月明かりに白っぽく浮かび上がって見える。
 「ルー君、…」
 「どうせ、こんなことだろうと思って。」
ルークは笑って肩をすくめる。短い間とはいえ、同じ家で暮らしてきた。行動パターンはお見通しだ。
 「それに、…おれにも、聞こえる気がするんだ」
月明かりに照らされた湖のほうに視線をやる。
 「あの、歌声」
 それは、ミズハの鳥たちと同じように、聞こえない声、耳には届かない歌だった。耳ではなくどこで聞いているのか、と言われても何処かはわからない。ただ、体に、意識に響きかけてくるのを感じる。
 「ロアラとお話したいの」
 「分かってる。おれも連れてってくれるか」
 「いいよ。」
ミズハは浮かびながらルークの手を取る。
 「最初はルー君、重いかなって思ったけど、そうでもないね。」
 「途中で落とさないでくれよ。」
二人の姿は、滑るように湖面すれすれを飛んで岩の上に降り立つ。寝静まった夜更け、誰も彼らの姿には気づいていない。
 気配に気づいたのか、歌声がぴたりとやんだ。
 「ロアラー?」
洞窟のふちから、ミズハがそっと呼びかける。水面がゆらぎ、すぐそこにロアラの姿が浮かび上がる。昼間は決して洞窟の入口に近づこうとはしなかったのだが、夜は何とかここまで出てこられるらしい。
 「…あの」
異形の女性は、戸惑うように視線を彷徨わせながら、肩から上だけを水面に出していた。
 「遊びに来たの。ね、いま歌ってた?」
 「……。」
恥ずかしそうに目を伏せる。
 「ね、ロアラは、どうして町の人から隠れるの? 皆が怖がるからなの?」
 「それも、あり…ますが」
波一つない湖面は鏡のようで、月の形をくっきりと輝かせている。
 「わたしは… 人が、苦手、なのです」
 「どうして?」
すっ、と真っ直ぐに顔を上げた。
 「人は、わたしたちを殺すもの…だからです」
静かな声が響いていく。
 「人が川の流れを変えて、湖は、昔より小さくなりました…。町が大きくなり、水は、昔ほどは綺麗ではなくなりました…。今も、水は減りつつあります。わたしの手は、もう… 奥の祠にも届かない…。」
水面に広がり揺らめく髪。ゆっくりと視線を伏せ、彼女は、ため息をつくように呟いた。
 「わたしは、人とは違う生き物です。水がなければ、生きられない…。湖が干上がれば、わたしは死にます。あと百年もしないうちに」
 「……。」
返す言葉もなかった。たとえそれが、人の寿命からすれば長い時間だったとしても。
 「寂しくないかな、って思ってたんだ。」
ミズハが、ぽつりと言う。
 「町の人たちと仲良く出来たほうがいいんじゃないかって」
ロアラは首を振る。
 「わたしは、…今のままで十分です。やさしい人も過去には居ました。でも、全てがそうでないことも、十分すぎるほど知っていますから…」
沈黙が落ちた。
 半分が魚の姿をした女性は、ゆるやかに髪を水に広げたまま、尽きを見上げる。
 と、その時、彼女ははっと表情をこわばらせた。
 「二人とも、隠れてください」
 「え?」
 「こちらです、急いで」
ロアラは素早く身を翻し、洞窟の奥の方へ二人を手招きする。ただならぬ雰囲気だ。

 暗い洞窟の内部はひんやりして、水の気配に満ちている。入り口を入ったすぐの場所のくぼみにぴったりと身を寄せて隠れると同時に、岩の外側で気配がした。
 「だいぶ、水が引いたな」
 「ああ」
話し声。ボートなどは見えなかった。別の方法でここまで来たのだ。
 隠れている場所からそっと伺い見ると、二つの人影があった。ぴったりとした真っ黒い服を着て、体から水滴が滴り落ちている。水中から泳いできたのか。
 「弱ってきた頃だな。そろそろ大丈夫だろう」
洞窟の入り口のほうへ近づいてくる。ルークが見ると、ロアラは、反対側の岩陰でしっかりと両手を握りしめ、固く目を閉じている。そのロアラの体の輪郭が、青白く輝きを放ち始めた。
 ばちっ、と激しい音。
 「ぎゃっ!」
入り口に踏み込もうとしていた声が、悲鳴を上げる。月の作る影が、片手を抑えてあとすさる姿を映しだしている。
 「…ちっ、やっぱりそう簡単にはくたばっちゃくれないな。おい!」
声が遠ざかっていく。ほっとした表情で、ロアラは肩の力を抜く。
 「今のは何…?」
 「結界…です」
心なしか、ロアラの表情に少し疲れが見える。
 「昔はもっと広い範囲を… 守れていたのですが、今は洞窟の入り口を守るしか。範囲が狭いから… ここを離れられない」
 「結界って」
”逆さ大樹の谷”でも、そんな言葉を聞いた。ただし、あれは石や木が形作るものだったはずだず。
 「わたしは、父の…眷属ですので」
ロアラは”逆さ大樹の谷”の聖石や聖木と同じ役目を果たして、力を失ったこの大岩を守っているのだ。ただし、彼女の場合は、物言わぬ無生物とは違い、自らの意思で力を使うことができる。そして、形あるもの、人間であっても拒絶することが出来る。ただし、それは彼女自身の体力を消耗するものらしい。
 「さっきの連中は?」
 「…このところ、頻繁にやってきます。水位が下がり始めてから。お父様を…壊そうと」
 「えー、そんな! 酷い」
ミズハの声は、思いのほか洞窟内部に反響する。ルークは、慌てて少女の口を塞いだ。
 「あいつら、まだ、外にいるよ。」
 「なら、懲らしめなきゃ!」
 「懲らしめるって。相手があの二人だけだとは思えないよ。それに、水位って…」
ルークは、ここに来るまでに見た土砂の山を思い出していた。
 川に沿って点々と続く土砂の山。何者かが、めくらっぽうに泥を投げ捨てたような乱雑な跡。道もない線路を塞いでいた土の山もそうだ。まるで、土自身がそこまで歩いてきて力尽きたようだった。川をせき止めたことで湖の水位が下がっているのだとしても、地元の人々がそれを狙ってやったとは思えない。あれは、川を埋め立てるために意図して成されたものだったのでは――
 「岩を壊して…、それで…。あいつらは、何を…」
呟いた時、背筋にぞくりとする感覚を覚えた。洞窟の外で、ズズンと鈍い音がする。
 「何だ…?」
 「あ…」
ロアラが小さく悲鳴を上げ、両手で頬を覆う。あとすさりながら、目を大きく見開く。

 影が、洞窟の入り口を塞いだ。
 「おーし、いいぞー。思いっきりやってくれ」
場違いな脳天気な声とともに、重い衝撃が岩の上に振り下ろされた。


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