る大岩


 川は湖へと続き、そのほとりに町があった。白い尖塔を持つ教会が一際高く、家々の上にそびえ立っている。町の湖と反対側は、果樹園になっている。
 「着いた着いた。ここがロマナの町よ。とりあえず、宿探さなきゃね」
そう言って、カーリーはずんずん町の中へ進んでゆく。
 「意外と大きな町だな」
 「ねえ、あれが喋る岩なの?」
町ばかり見ているルークのうでをひっぱり、ミズハは湖の方を指す。きらめく水面の真ん中に、小さな岩礁のようなものが見えている。 
 「さあ。多分、そうじゃないのかな。あとで町の人に聞いてみよう」
 「おーい、ルーク君たち。早くーこっちよー!」
遠くからカーリーの呼ぶ声に、通りをゆく人が振り返る。旅行者はおろか人通り自体があまりなく、街は静かだ。辛うじて、広場の周囲にある市場と乗合い馬車の停車場の周囲だけは、人で賑わっている。
 「あーん、次の馬車は明後日の朝かあ…」
停車場の張り紙を見て、カーリーはがっかりした顔になる。「一台貸しきると高いのよねえ。参ったなあー」
 「明日一日、ここで足止めか。」
ナユタは、周囲を見回す。「列車の中で待つよりはマシそうだが。」
 「じゃあ、喋る岩、見に行こうよ!」
ミズハはどこまでもマイペースだ。
 「うーん、そうねえ。ま、ゆっくり観光していくかあー」
光が反射し、湖面はきらきらと輝いている。釣り人だろうか、釣り糸を垂れる船もちらほらとあり、湖に貼りだした桟橋で貸しボートをやっている。

 広場に面した宿に荷物を置いた後、四人はその桟橋に行ってみた。
 「喋る岩ね? 最近元気ないが、あの真ん中の岩場にあるよ。だけど、あんまり近づかんことだ。岩礁の真ん中に大きな穴があって、そのあたりは流れが早い」」
貸しボート屋の店主は、観光客相手に何度も繰り返してきたであろう説明を滑らかに口にした。「四人乗りの手漕ぎボート半日貸しで30セタ、足こぎなら50セタだよ。ロープ張ってある場所からは近づかんようにな。」
 手漕ぎボートを借りたカーリーは、無言でオールをナユタに渡す。
 「なぜ」
 「一番体力ありそうだし」
 「……。」
さっきまで巨大な荷物を軽々と担いでいた人物の言葉とは思えない。しかし、それでもナユタは黙ってオールを受け取った。
 「あの、疲れたら代わります」
 「その細腕でか」
ナユタは、むっとしたようにルークを見る。「人間の手は借りん」
ぽん、とルークの肩をカーリーが叩く。
 「言ったでしょ? 獣人は、プライド高いって。」
 「はあ…」
とはいえ、ルークも船を漕いだことはない。確かに体力に自信は無いから、ナユタが居てくれて助かったというのが正直なところだ。
 全員が乗り込むと、ボートは岸を離れ、湖面を滑るように中央の岩へ向かって進んでいく。船の作る波が広がって、他の船の作る波と交わり、ゆらめき、さらに新たな波を作る。
 「なんか水が淀んでる気がする」
ミズハは、水面を覗きこみながらいう。「魚いないなあ」
 「流れこむ川の水が減ってるせいだと思うわ。あの泥の固まりね」
 「ここに流れ込む川は、一本だけなんですか」
 「ええ。今日通ってきた、あの川だけね。」
行く手に、岩の塊が見えてきた。

 遠目には岩礁と見えていたが、近づいてみると、それは一つの岩の塊だった。水面に出ている部分は二階建ての家くらいの大きさしかないが、水面下にはかなり大きな岩盤がうっすらと見えている。言わの真ん中には、人が大きく口を開けたような洞窟。入り口にはロープが張られ、もとはそのすぐ手前までボートで近づけたのだろうが、水面が下がっているせいで水面近くまで見えている裾野の岩盤がボートの底に擦れて近づけなくなっている。
 「水面、5メルテは下がってるな」
ルークは、冷静に岩の表面に残る侵食のあとを確認している。「それに、この岩…たぶん火山の火口でマグマが固まったものかな。この湖はぼ円形だし、元は火山の火口だった場所が陥没したんだろう」
 「ほぇー、さっすが未開地学者ね。じゃあ、ここってまた噴火するのかしら」
 「噴火してからずいぶん経ってるなら、もう枯れた死火山かも。でも、もし…」
生暖かい風が、ボートの上を吹き抜ける。ナユタの耳がぴくりと動いた。
 「何か聞こえた」
 「え?」
ミズハが、ボートの上に立ち上がる。
 「あ、おい」
ざぷんと水の中に飛び込んだかと思うと、サンダルのまま、ひざ下まで水に浸かりながら洞窟のほうへ向かって歩いて行く。
 「ミズハ!」
 「だいじょうぶだよ。ちょっと、見てくる」
迷ったが、ルークも靴を脱ぎ捨て、ズボンの裾をまくりあげて後を追う。足の下に、ゴツゴツした岩の表面が触れる。ミズハは、ロープを張られた洞窟の入り口で、その奥を覗きこんでいる。風は、そこから吹いてくるようだった。
 「ねえ、何か聞こえない?」
 「風が声みたいに聞こえなくもないな。」
 「そうじゃなくて。…ほら」
ひときわ強く、風が吹き出してきた。ゴオオ、という岩なりのような音に混じって、確かに、何かひっかかる音が混じっている。
 「なんだろう? すすり泣き…」
 「何かあったのか?」
ばしゃばしゃと水をかき分けながら、ナユタとカーリーまでやってきた。誰も乗っていないボートは岩の端にひっかけている。
 「この奥に誰かいる気がする」
 「誰か、って…。」
 「声が聞こえるよ。ねえ」
ミズハは、ナユタを見上げる。
 「…声、かどうかは分からないが、何かいる気配はする」
と、ナユタ。
 「この手の沼や湖にありがちなヌシではないのか?」 
 「ヌシって、大ナマズとか、でっかいカメとか?」
 「ちょっと見てくる」
 「待て、それは…」
ロープの張ってあるところからは近づくな、と言われたのに、もうそんなことは忘れ去っているようだ。
 洞窟の中は外からの光が届かず、すぐに真っ暗になる。足元の流れは早く、意外に深そうだ。
 「ボートをそのままにしていけないだろ」
 「いいわよ。待ってるから、あなたたち行って来なさい」
カーリーは、のんびりした口調だ。
 「それに、ここなら人も来ないでしょ。飛んでもバレないってば」
 「…それは、まあ。」
 「よーし! 行くよ、ルー君」
手を掴まれた、と思った次の瞬間には、もう足は地面を離れている。いきなりだ。二度目とは言え、浮かぶ瞬間にはそう簡単に慣れるものではない。
 「ちょっ、待てミズ…」
風が耳元を流れてゆく。足の下は暗い水。少女の広げた翼の輝きが年へた暗い洞穴の中を照らしている。入り口から10メルテも進まないうちに、行く手には突き当りの壁が見えた。だが、洞窟には天井までの幅がある。入り口は狭いが、内部はかなり広い。

 どこかで、水滴の落ちる音がした。
 暗がりの中には、息を殺したような不自然な沈黙が広がっている。
 「どこだろう?」
ミズハは、奥の壁近くで旋回した。洞穴の突き当りには台座のようになった乾いた場所があり、そこに、奇妙な祠のようなものがある。もとは水際にあったのだろうが、今は水位が下がり、ずいぶん水面から離れてしまっていた。
 「これなんだろう…?」
近づいてみると、それは確かに祠のようだった。石づくりの扉の取っ手部分には、すでにぼろぼろになってしまった封印の縄が渡されている。ミズハにその場所に降ろしてもらうと、ルークは、祠に触れてみようとした。

 「だめ…」

小さな声が、その動きを静止する。
 ちゃぷん、とかすかな水の音。周囲を見回すが、それらしき声の主がいない。
 「どこなの?」
ミズハの声が反響する。水の音。水面か。
 ルークが水面を覗きこむのと同時に、水面近くの魚を捕らえる海鳥の素早さでミズハが動いた。息を呑むような声、水の音。
 「捕まえたっ!」
ミズハが満面の笑みで水中から釣り上げたもの、――それは、…人でも魚でもなく、体の半分をウロコに覆われ、青白い髪と白い肌をした、奇妙な存在だった。
 「…っ」
ミズハが祠の前、つまりルークと同じ場所に下ろすと、それは顔を伏せながら長いうねる髪で体を覆った。ルークは、その仕草で相手が女性だと気づき、慌てて背を向ける。
 「あの、――すいません」
前にもこんな場面が、あった気がするが。
 「あなた、何? あたしはミズハ!」
ルークの背中のほうで、ミズハの羽ばたきが聞こえる。
 「わた、しは…」
水に棲む女性の声は、沈んでいる。「わたしは… ロアラ…。です」
 「ここで何してるの?」
 「湖を、守ってます。その、…今はもう、わたししかいないので。お父様が」と、ロアラと名乗った女性は静かに顔をあげる。「この岩がお父様なのです。もう長いこと、眠ったままなのです…」
 「岩が、お父さん?」
ルークは驚いて振り返った。暗さに目が慣れてきたこともあるが、こちらに背を向けて座って居る女性の後ろ姿がはっきりと見える。肩から腕にかけて、それに腰から下の大部分と、体の半分は確かに青いうろこで覆われているのだが、背中のラインや首から上は、ほとんど人間と言って差し支えない。
 「でも、あなたは…その、」
 「わたしの母は、人間でした。わたしは…湖の巫女をつとめていた母と、ご神体の父との間に生まれたのです」
不思議な黒い瞳が軽く伏せられる。「…母は、もう何百年も前に他界しましたが。」
 「長生きなんだな」
 「父の特性を多く受け継ぎましたので。この姿ですし…その」
 「えー、でもキレイだと思うけどなあ」
ミズハは、ロアラの側にしゃがみ込んで腕を取る。「キラキラしてる」
 「あの…。えっと、あなたは…その」
 「彼女も、ある意味似たような存在なのかな。父親は人間だけど、母親は海の島に住んでる、人間とはちょっと違う存在で」
 「まあ」
ロアラは小さく感嘆のため息を漏らす。 「きっと鳥の姿をしたご神体なのね。だから翼が」
 「ご神体っていうのとは、ちょっと違う気がするけど…」
 「おーい」
洞窟の入り口のほうから、カーリーの声が響く。
 「大丈夫ー? 何かあったのー?」
 「あ」
ルークは、ちらとロアラを見た。
 「大丈夫です、ちょっと待っててください」
叫んでから、尋ねる。
 「仲間がいるんだ。あなたのことを紹介してもいいかな。」 
 「面白い人たちだよ!」
 「……。」
ロアラは、少し迷いながらも小さく頷いた。そして、ミズハがカーリーたちを呼びに行っている間、ずっと顔を伏せていた。
 カーリーとナユタは、苦労して洞窟の中ほどまで入ってきた。ロアラが外に出たがらず、外から見える場所まで行くのを異常なまでに怖がったからだ。
 ボートを持ち込んで浮かべ、そこが出会いの場となった。
 「まさか、喋る大岩の”喋ってる”部分が、この子だったっていうの?」
カーリーは驚きを隠せない。
 「この岩は、随分前に調査されていたはずよ。その時は何も見つからなかったのに…。よく見つけたわねえ。」
 「ほこらは… 以前は、水中に沈んでいました」
ロアラの言葉は、とてもゆっくりだ。普段喋る相手もおらず、喋り慣れていないというのもあるのだろう。
 「あれは、父の…とても大切なもの…なのです」
 「岩から人が生まれるのか?」
ナユタは半信半疑だ。
 「あら、君の谷の瑞羽様だって本体は木じゃない。おそらくこの岩も昔は、アストラル体を実体化させる力を持っていたんだわ」
カーリーは、声の反響する洞の天井をぐるりと見渡す。「神魔戦争の影響で、力を失ったということ? 興味深いわね。何かきっかけがあったのかしら」
 「海の水が流れ込んだのです」
と、ロアラ。
 「ここから海までは、かなりの距離があると聞きますが、途中に高い山などはなく。かつて大きな津波が起こった時、湖は塩水に浸かったのです。今でも… 湖の底には辛い水がとどまったままです」
 「なるほど…」
雷に撃たれて力を失った”逆さ大樹”の谷の守り神、津波で塩水が混じり力を失った湖の主。どちらも、回復不可能なダメージを負って実体として現れることが無くなった点は共通している。それに、両者とも守り神の宿るものとして崇められていた点についても。
 「この岩…お父さんは、かつてこの地の守り神のような存在だったのね?」
ロアラは頷く。
 「母は、その…父の、巫女でした」
波のように水間に揺れる長い髪。少しばかり人間と違う点を除けば、彼女は美人と言って差し支えない類の顔立ちをしている。母親似なのだろう。ミズハとは逆のパターンだ。 
 「ずっと、ここに住んでたの?」
船縁に腰掛けたミズハが尋ねる。
 「ええ」
 「一人で寂しくなかった?」
 「…父が、います」
 「そか。」
 「あの」
ロアラは、不安げにミズハを見上げる。「わたしが、ここにいることは、町の人たちにはないしょにしていてくれますか。」
 「どうして?」
 「その、…目立つので」
そう言って、また目を伏せる。ひどく怯えた様子だった。
 光の当たるところに出たがらないこと。何百年も岩の中に隠れ住んできたこと。
 人とは違う姿をして生まれた彼女が、今までどのように過ごしてきたのか、想像に固くない。
 「わかった。誰にも言わない。ね?」
 「そうね。本部には報告しないでおくわ」
カーリーも頷く。「さ、そろそろ帰らないと、ボートの追加料金取られちゃうわ。それじゃまたね、ロアラ。会えて嬉しかった」
 「……。」
白い腕が静かに水面に揺れ、ちゃぷん、と微かな音とともに、その姿が水面下に消える。洞窟の外は、そろそろ貸しボート屋が店じまいの支度をはじめる頃あいだ。ボートを返して宿に戻る道すがら、空には明るい月が姿を現していた。


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