法使いの住む町


 どうというなら、気分は最悪だった。

 薄灰色の世界へと浮上したとき、目の前にあったのは味気のない灰色の壁だったし、あちこちから滴り落ちる雨だれを受ける器が、まるで楽器のように調子はずれの陽気な音を立てているのが耳に障った。体じゅうがあちこち傷んで、起き上がるに起き上がれない。
 「気がついた?」
囁くような少女の声。
 「…なんとか」
笑おうとするのだが、表情が上手く作れているのか自信がない。雨の音は夢の続きではなく、本当に降っている。窓の外は霧で覆われ、部屋は薄暗かった。
 ミズハの手を借りて、ソファにもたれるようにして体を起こすと、胸の辺りに仕えた息を吐き出すのと同時に、ついさっきのことのように記憶が蘇ってくる。
 「…町は?」
 「いま直してる。」
少女はルークの額に手を当て、立ち上がって水をコップに注ぐ。
 「丸二日、眠ったまんまだったんだよ」
差し出された水の冷たさに、失われていた五感の戻ってくるのを実感した。
 そう、あれは悪夢のような体験だった。朧気な意識の下、体を引き離されて、得体のしれないところに閉じ込められ…、気がつくと、町を遥か上空から見下ろしているという夢。居心地の悪さに身悶えしながら声を出そうとするが、声はおろか、自分の体の感触すらなく、世界は斜めに傾いて、何もかもが灰色に見えた。
 「ミズハが見えた」
世界の中で、白い鳥の周囲だけが色鮮やかに、はっきりと認識できた。体に叩きつけてくる風と、体を貫かれる痛みは覚えている。
 「何故だかわからないけど、ただ怖くて。どうしていいか、わからなくて…」
 「ルー君のせいじゃない。」
きっぱりと、ミズハは言う。
 「ルー君のせいじゃないのは、皆ちゃんと分かってるから。ね」
 「ドン・コローネは?」
 「この下。町の人たちが来てる」
雨が降り始める少し前から、町の主だった人々がドン・コローネの屋敷を訪れていた。今回のことについて、これからのことについて話し合いたいというのだ。公民館ではなく屋敷までやって来たのは、ドン・コローネが公民館のある広場まで降りていくのを断ったからだという。
 そこへ連れて行ってほしい、とルークは頼んだ。
 「でも、上にいなさいって言われたよ」
 「いいんだ。もしそう言われたら、ミズハだけ此処に戻ってくればいい」
屋敷はあちこち雨漏りをしていて、廊下にも階段にも、水滴を受ける容器が並べられていた。無事なのは玄関を入ってすぐの物置を兼ねたホールと、その真上の書斎兼ベッドルーム、書籍部屋くらいのようだ。
 ミズハの肩を借りて階段を降りていくと、階下にいた一同の視線がいっせいにルークに注がれた。
 「で、彼がその、特異なアストラル体を持つ被害者…というわけですか」
 「うむ」
ドン・コローネは、近づいてルークの首筋に手を当てる。
 「脈は異常ないな。体調はどうだ」
 「ひどく疲れてる感じがする以外は、大丈夫です」
 「なら、いいが。」
ミズハは、埃を払って長持ちの上にルークを腰掛けさせた。
 「で、そっちの子は…その。にわかには信じがたいが」
少女は振り返る。
 「あたし?」
 「あ、いやその」ドン・コローネは、きまり悪そうな顔をした。「隠して置きたかったんだが、正直に言わんと協力してくれなさそうだったもんじゃからのう」
ミズハの正体を、ばらしてしまったようだ。
 「別にいいよ、あたし隠す気ないし」
少女はあっけらかんとしている。「それで? 何か分かったの?」
 「この町に、巨人の信奉者は今、彼ひとりしかいなかったの」
小太りの老婦人が、丸っこい指を振りながら言う。
 「その彼も、自分のしでかしたことの業で、無残な死を遂げてしまったし。…家をくまなく探したけれど、保管されていた”コア”はあれ1個だけだったわ」
 「確かなのか」
 「ええ、確かよ。」老婦人は胸を張る。「探索の魔法は、あたくしの家系のお家芸。あたくしの銀のペンデュラムを逃れるものは、ありませんわ。」
 「ふうむ…」
ドン・コローネはひげを撫でる。
 「”逆さ大樹の谷”から持ちだされた”コア”の数は結構なものになるはずじゃが、この町には入ってきておらんということか。」
 「他の巨人の信奉者かもしれませんな」
陰気な黒いローブの、白い顔をした男が呟く。「この町じゃ一番の新参者のくせに。巨人なんざロクなもんじゃない。」
 ルークが口を挟んだ。
 「その、…自分で聞くのもおかしな話なんですが、おれは一体何をされたんですか?」
 「アストラル体を分離する方法については、実演して見せたろう」
 「はい」
 「意識をなくした人間から、無理やり引っぺがすことも、出来なくはない。お前さんは、その実験に使われたんじゃよ。」
 「そして、こともあろうに人間のアストラル体を”コア”に無理やり封じ込めて、趣味の悪い人形に入れようとしたんだわ!」
小太りな老婦人は両手で自分を抱え、大げさにぶるぶると体を震わせた。
 「昔はな、泥人形に召喚した小精霊や低級霊なんぞを封じ込め、”生きた人形”――ゴーレムとして、召使代わりに使う技があったのだ。」
ドン・コローネが後を引き受ける。
 「今では、そうした中にいれられる精霊なんぞは召喚できん。そこで動物や人間のアストラル体で代用することを思いついたんだろう。それも、簡単に元の体に戻れんように”コア”を使って逃げ道を塞ぐという最悪な方法をな」
 「犠牲になった獣たちの朽ちた死体が、あの家の地下に積み重なってましたよ」
陰気な男が言う。「我らとて、あそこまでの非道はやらない。」
 ルークは、ぞっとした。
 「元の体に戻れなければ、おれも、そうなってたってことですね」
 「おそらくな。」
 「”逆さ大樹の谷”を襲ったのも、同じ巨人の信奉者なんでしょうか」
 「可能性は高いな。他にも関わった者がおらんかは、この町の中で心当たりを探っておるが――町を出てしまった魔法使いに関しては、わしらも何も知らんからな。」
 「あとは、外の世界で探るしかない、ってことですか。」
”協会”には、古い時代の魔法を研究する研究者もいる。連絡をとって協力を仰ぐしか無いだろう。

 雨は降り続いている。
 来客たちがみな引けたあと、ドン・コローネは疲れた様子で階段の下の方の段に腰を下ろした。
 「やれやれ。まさか、この歳になって、こんな事件に遭遇するとはなあ」
 「巨人…、その、巨人の信奉者っていうのは、ずっとこの町に住んでいたんでしょう? その、どうして」
 「気づかなかったのか、って? 誰も互いのことを気にしちゃおらんからだ。と、いうより、気にする必要もないというべきか。わしらはみな、魔法使いの”残骸”じゃ。かつては派閥やら門戸やらで激しく対立し、争い、時には暗殺や闘争もあったりしたらしいが、今となっちゃあな」
 「巨人って、人の敵じゃなかったんですか、なのに信奉者なんておかしくないですか」
ヴィレノーザの周囲には、かつての巨人たちとの戦いの痕跡が残されている。
 ドン・コローネは声を立てて笑った。
 「魔法使いだからさ! 邪悪なものも、善良なものも、人間の敵も味方もおる、それが魔法使いだからさ。魔王を慕う者が子供の病気を治したりするものかね。逆に攫って心臓を抉るほうだろう」
 「……。」
ふう、と一息ついて、老人は肩を落とした。
 「だが、そんな時代ももうはるか昔に終わったんじゃよ。終わった…はずだった」
考える時間が必要なようだった。
 ドン・コローネを置いて、ルークは先に二階へと戻った。テラスの向こう、町は霧で霞んでほとんど何も見えないが、あちこちに壊れた家が見え、雨の中、直そうとしている人々の姿がある。体がけだるい。まだ、少し休息が必要なようだった。


 積み上げられたままホコリを被っているがらくたを見上げていたドン・コローネは、近づいてくる微かな足音に気づいて振り返った。
 「おや、どうしたね」
 「聞きたいことがあったの」
ミズハは、3メルテほど離れた足を止めた。
 「どうした改まって」
 「ルー君は、…何?」
意外で直球な質問に、ドン・コローネは一瞬、口ごもった。ミズハは続けた。
 「”コア”を壊したあの時、分かったの。ルー君は、”コア”の中には閉じ込められていなかった。ルー君のほうが”コア”を取り込もうとしていた、でも合わなくて」
 「…お前さん、は」
かつてここに立ち、ドン・コローネに意外な質問を投げかけた男によく似た緑の瞳が、じっと見つめている。だが、似ているのは見た目だけだ。気配が変わった、と老人は思った。普段は均衡している「人」と「人ならざるもの」の比率が逆転した瞬間。――普段は「人」に傾いているそのバランスが、今は大きく逆側に振れている。
 完全な鳥の姿になる直前、一瞬だけ少女の雰囲気が変わったような気がしたのは、気のせいではなかったのだ。人間としての姿と海鳥の姿が対等であるように、普段は無邪気で元気いっぱいなこの少女の中には、矛盾することなく、巨大な力を持つ南海の女王の”娘”としての彼女自身が同居している。
 「誰も言わなかったね。あの時、ルー君は自分で体を作ろうとしてた。そうでしょ?」
 「…ああ」
 「あれは、普通のことじゃないんでしょ。」
雨音が、ふいに落ちた沈黙を埋めてゆく。
 「あたし知ってるの。でも、うまく言えない。ルー君は、…今とは別のものだったことがある。あのときは、それに戻ろうとしていた」
 「…わしにも、よくわからんのだ。」
老人は、ゆるゆると首を振る。
 「あの兄ちゃんのアストラル体は、人の器に収めるには大きすぎる。本来は肉体が主であるはずのところ、アストラル体が限りなく主に近い従にある。あまりにも不安定だ。むしろ今まで何も無かったのが不思議なくらいじゃな。危険だぞ」
 「大丈夫。そのために、あたしがついてるの」
 「…何もかも承知の上か。」
少女は、頷く。
 「なら、心しておくことだ。今回の暴走で、彼のアストラル体は余計に不安定になった。些細なきっかけで器から漏れだすことになるかもしれん。あの兄ちゃんは、お前さんのように器用ではなさそうじゃ。肉体とアストラル体の主と従が入れ替わることになったら、厄介じゃぞ」
 「…よくわからないけど、分かった。」
ドン・コローネはふっと笑った。
 「お前さん、”よくわからないけど”と口癖のように言うが、言葉で言い表すのが苦手なだけなんじゃな。本当は、何もかもご存知というわけか。」
 「…人間の言葉は、難しいから…。」
呟いたかと思うと、少女の表情がくるりと変化した。威圧するような気配がかき消すように消えた。
 「ねえ、次にまたルー君が同じことになったら、また思いっきり殴れば元に戻せる?」
 「あ、ああ、ダメージを与えれば、連れ戻せるとは思うが…」
あまりに急激な変化に、ドン・コローネは戸惑った。こんなにも急激に、しかも自然に、天秤を傾けることが出来てしまうのか。人としての姿と、海鳥の姿とが入れ替え可能であるように、未成熟な人間と、全知の高次存在とも裏表一体なのだ。それらは矛盾なく、途切れることなく互いに補完しあう一つの個性。”神魔戦争”の以前でも存在しなかった稀なる存在。あるいは、――世界が書き換えられた今だからこそ生まれ得た、新しい存在なのか。


 雨は、降り続いている。

 階下で交わされている会話など知らず、ルークは、古ぼけたソファに体を預けてぼんやりと天井を見上げていた。
 何が起こっていたのかを聞いても、ぴんとこない。飲み物を口にして意識を失ってからの、あの時の感覚―― あれは、初めてではなかった。懐かしいような…悲しいような…。何かを思い出せそうな気がするのに――。


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