法使いの住む町


 外は戦場と化していた。
 町じゅうのあちこちから煙が上がっている。影は頭をかきむしり、呻きながら手当たり次第、そこかしこの物を掴んでは投げつけている。その姿は、破壊を楽しんでいるというよりは苦しんでいるように見えた。
 「あっ、ドン・コローネ!」
通りで成すすべなく様子を見守っていた町の住人が駆け寄ってきた。痩せた青白い顔の男は、首から薬屋のエプロンをかけている。
 「これは一体…。あんた何か知っとるのかね」 
 「ボローニアのたわけめが、くだらん実験をやらかしおったんじゃ。ゴーレムを再現するつもりだったらしい」
 「なんだって? ああもう、これだから巨人の信奉者は」
悪魔公の眷属の子孫は、そう言って額に手を当てる。
 「とにかく、あれを元の体に戻さにゃならん。手伝ってくれ」
 「手伝うったって…」
街中の魔法使いたちが、今の自分たちの持てる力で懸命に応戦していた。風を起こすもの、歌をうたうもの、祈るもの。使い魔のコウモリの群れを呼び寄せたものの途方に暮れている魔王の信奉者たちもいる。だがどれも決定的な力にはなっておらず、影はずんずんと広場に向かって突き進んでいる。そこには、逃げてきた町の住人たちが集まっている。広場から先は町を出て山を下るしかないが、今は列車が到着していない。徒歩で下り降りるには、あまりに険しい道だ。
 「ふむ。アストラル体にしては…。物質に干渉しておる…」
呟きながら、老人はあごひげに手をやった。カーリー、そしてルークたちの説明の通り。逆さ大樹のたにに現れたという巨人の話と一致する。だがそれは、通常ではあり得ない。
 風を連れて、空に一条の光が駆けた。
 輝く翼を持つ鳥たちが、大きく弧を描いて影の巨人の周囲を飛び回っている。操っているのは、ミズハだ。巨人は呻き声を上げ、鳥をつかもうと手を伸ばす。その手を身軽にすり抜けて、いくつかに別れた鳥の群れは光の矢のように巨人の体を貫いた。
 「オオ、オ…!」
重たい咆哮が、山にこだまし、街全体を揺らす。ドン・コローネも薬屋の店主も、思わず両手で耳を抑えた。
 「まるで神魔戦争の再来じゃないか、えっ?」
 「まったく」
ドン・コローネの視線は、風を呼びながら巨人に何度も体当たりしていく鳥の姿を追っている。その翼から溢れだす凄まじい気配を、この町の住人なら感じ取っているはずだ。
 予想はしていたが、これほどとは。本来の自分の領域、海上でこの姿になった時、どれほどの力を発揮するかを考えただけで恐ろしくなる。これが、普段はごく普通の人間としか見えない少女の姿をした器の中に収まっているのだ。

 影は弱り、小さくなり始めている。じきに戻る先を探し始めるはずだ。
 ドン・コローネは道の脇に絨毯を下ろし、意識を失っているルークの体を調べ始めた。体は仮死状態にある。体温は低く、呼吸も浅い。アストラル体が戻るためには、体を覚醒させてやらなくてはならない。
 「薬を盛られたか。はてさて、解毒するには…」
視線の先に、しゃれこうべを飾りつけた薬局がある。
 「薬を頼めるか。気付け薬と、解毒剤も。」
 「わ、わかった」
薬屋の店主は、あたふたとガニ股で店に駆け戻ってゆく。その間にも、頭上では戦いが続いていた。

 鳥と、鳥の翼が起こす風に行く手を阻まれ、身動きのとれなくなっていた影が、ついにその場に倒れこんだ。
 大きな衝撃音とともに膝をつき、徐々に薄くなっていく。 
 「やったか?!」
…だが、次の瞬間ドン・コローネは我が目を疑った。
 影は、周囲の瓦礫を取り込み、不恰好な人の形を作りながら再び立ち上がったのだ。最初の影だけの時よりも小さくはなっている。だが、それは、知る限りドン・コローネの常識にはない現象だった。
 「馬鹿な…自ら別の実体を作ろうとしているだと?」
弱ったアストラル体は、実体としての肉体に戻るはずだった。だが、別の体を作ってしまっては、元の体に永久に戻ってこない。
 目を凝らしていた老人は、瓦礫の中に一瞬輝いたものを見逃さなかった。本来、人にはあり得ないもの。だが、見間違うはずはない。
 「嬢ちゃん!」
ドン・コローネは、手を振り上げ上空を飛ぶ鳥に叫ぶ。「”コア”じゃ。コアを狙え! あれの胸のあたりにある」
 翼をはためかせ、老人の前にミズハが降りてくる。
 「コアって?」
 「ボローニアめ、兄ちゃんのアストラル体に無理やりコアを融合させようとしたんじゃ。ほれ、ネズミの玩具を見せただろう。あれと同じだ。彫刻の人形の中にコアを埋め込んで、精霊の代わりに人間のアストラル体で動かすつもりだったんじゃろう。人形は壊れたが、コアは兄ちゃんのアストラル体に食い込んだまま残っとる。そのコアが邪魔して体に戻れんのだ。コアを壊すか抜き取るかして、自由にしてやる必要がある」
 「そんなことしても、大丈夫なの?」
 「ああ。人間にコアは要らん。心臓がその代わりじゃからな。それはここにある」
ドン・コローネは、傍らの絨毯の上に寝かせたルークの体を指した。ミズハは、振り返って不恰好な人形が周囲に集めようとしている瓦礫の山を見つめる。それはかなりの分厚さになっており、貫くのは一筋縄ではいかない。
 「…海の風、ここまで届かないの」
ふいに少女は、ぽつりと呟いた。
 「…このままじゃ砕けない…この姿じゃ」
呟いて、彼女は髪を結ぶスカーフを抜き取った。幼さを残す表情が消え、一瞬、遠い海を統べる女王のそれと重なる。
 「ルー君を頼むね。」
言い残したかと思うと、少女の姿が崩れ、衣服を底に残したまま、輝きとともに一羽の大きな海鳥へと変わる。優美な長い翼は海風を纏い、波間を自在に駆けるためのもの。深い緑に輝く瞳は、海の全てを見渡す事のできるもの。
 (完全なアストラル体…)
ドン・コローネは、背筋にぞくりとする感覚を覚えた。
 人の姿に翼を広げただけの状態とは、ケタ違いの力。それはもはや、人の範疇を越えている。

 音としては聞こえない、透明な鳴き声が谷間に響き渡る。使い魔たちは怯えて耳をふさぎ、魔法使いたちは訳も分からず固まった。それは、彼らが久しく忘れていた、彼らの中に流れる血の遠い記憶、人間を超える力を持つかつての主たちへの畏怖の記憶を呼び覚ます声だった。
 歪む瓦礫の人形が、ゆっくりと振り返り、その手を伸ばす。だが緩慢な動きは、輝く鳥を捉えるには遅すぎた。光の矢が、巨人の胸元をまっすぐに貫き、――その一瞬のち、透明な音を立てて何かが砕け散った。動きを止めた巨人の腕が崩れ落ち、体からぼろぼろと瓦礫が剥がれ落ちてゆく。中から現れた影は小さくなり、ほとんど人と同じ大きさになっている。
 落ちてゆこうとする影を、鳥が空中で捕まえた。それをくちばしに引っ掛けたまま、ドン・コローネのもとへ戻ってくる。
 「おお、でかしたぞ!」
解毒薬を飲ませたお陰で、ルークの頬には、赤みが戻りかけている。ミズハが弱ったアストラル体を体の上に投げ落とすと、それはまるで水の染みこむように中に消えていった。
 「よし、これで… おや」
いつのまにか、鳥の姿が消えている。
 近くの茂みの仲で、ごそごそと動く頭が見え隠れしていた。
 「どうした」
 「ちょっとまってー、服着てるから!」
 「……。」
 「おわりっ」
ブラウスの襟を整えながら、ミズハが姿を現した。「ルー君は?」
 絨毯の上で、ルークはまだ目を閉じたままだ。呼吸も体温も戻ってきたが、意識だけは戻らない。
 「アストラル体は戻ったが、だいぶ無茶をしたようだ。いちど屋敷へ戻ったほうがいいかもしれん」
 「大丈夫だよね、目を覚ますよね?」
 「もちろん、死んではおらん、が…」
ドン・コローネは、石の入り口を持つ家を睨みつけた。
 いつしか周囲に人が集まって、遠巻きに取り囲んでいた。巨大な影にも、それを制した輝く鳥と、翼を持つ少女にも、この老人が関わっているのを彼らは見ていた。皆、何が起きたのかを知りたがっている。知っているのはドン・コローネなのだ。
 町の住人たちに向かって、ドン・コローネ言った。
 「ボローニアを拘束してくれ。これは奴がやらかした実験のせいだ。禁じられた過去の技を使いおった」
どよめきが上がる。
 「ドン、その子は…」
 「外から来た客人じゃ、今は聞くな。ボローニアを見張ってくれ」
 「無理だよ、ドン」
と、誰かの声。
 「家が潰れちまってる。いま見てきたけど、奴は瓦礫の下でくたばってた」
 「何…」
では、何処からコアを手に入れてきたのか、何をするつもりだったのか、問いただす機会は永遠に失われてしまったのだ。
 ドン・コローネの口からため息が漏れた。
 「酷いもんだ」
周囲を取り囲む誰かが、ぽつりと言った。「町が…こんな…」
 「……。」
ドン・コローネは何も言わずに立ち上がった。
 「ドン…、」
 「すまん、今はこの兄ちゃんの手当が先じゃ。あとで説明する、まっとれ」
ミズハも後に続く。
 町の最上部にある屋敷へ去ってゆく彼らを呼び止める者は、今はいない。


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