法使いの住む町


 片眼鏡を外し、遠ざけたり近づけたり、ためすがえす本を眺めていた老人は、かすかな足音が近づいてくるのに気づいて顔を上げた。目の前にミズハが立っている。
 「下でこんなの、見つけたよ」
先端に大きな丸い石の嵌めこまれた銀の杖を差し出す。
 「おいおい、どこからこんな懐かしいもの。」
そう言いながらも、ドン・コローネは杖を両手で丁寧に受け取る。
 「こいつは、わしの爺さまの爺さまの爺さまが使っとった杖じゃ。」
 「偉い人?」
 「うんまあ、そうさな。賢者コルネール、とか呼ばれとったらしい。賢者と言っても、ただ長生きしてモノを知っとるだけだったが。」
 「ドン・コローネは違うの?」
 「わしは…」
老人は苦笑する。
 「賢者なんぞという、大それた名は名乗れんよ。ただの場末の魔法使いじゃわい。ご先祖の残した本を、こうして読み解くしかできんもんでな」
杖を机の端に置き、本の上に視線を落とす。ミズハは、もう半歩ほど老人に近づいて同じ場所に視線を落とした。
 「何か分かった?」
 「あまり情報は無いのだがな。うちの弟子やお前さんたちの言う、巨大化しただの凶暴だっただのいうのが気になっておる。アストラル体を体から分離する際、催淫剤や睡眠薬、麻薬なんぞを用いて、興奮状態にしてから無理やりひっぺがすという方法があったようだ。もちろん、褒められた方法ではない。アストラル体を傷つけるし、下手をすると体に戻れなくなる。いってみれば、使い捨ての外道じゃな」
 「悪くすると死んじゃうって、カーリーは言ってたよ」
 「そうだ。あらゆる生物にとって、肉体とアストラル体は対の存在。肉体が主でアストラル体が従とはいえ、傷つきすぎたり、失われたりすれば肉体への影響は計り知れん。もとより、無理やりひっぺがされたアストラル体は、本人の意志が失われて自力で肉体に戻れんこともある。だから外道なのだ。しかし…、そんなことをわざわざ…。ふうむ」
考え込んだドン・コローネは、ふと、ミズハが良くわからないという表情をしていることに気づいて本を閉じた。
 「ま、ここから先の話、あっちの未開地学者の兄ちゃんにしたほうがいいかもしれんな。何処へ行った?」
 「お買い物」
と、ミズハ。「でも、なかなか帰ってこないの。」
 「おや、階段の登り降りにでも疲れたか。あの首に巻く飾りは持っていったのだな?」
 「うん」
 「ならば位置は分かる。」
両手を不思議に動かしながら、老人は、むにゃむにゃと口の中で何か呟いた。
 「…うむ? なんじゃ、まだ広場まで行っとらんのか。おや… これは… むむむ!」
表情が変わる。
 「巨人の信奉者の家! なんたるところへ」
 「えっ、何それ」
 「ほれ、昨日通ったじゃろう。街の真ん中あたりにあった家じゃよ。巨人の信奉者は、かつて妖霊を岩に宿して”ゴーレム”を作る技を使っておった。この町で疑うべき奴のうちの一人じゃぞ」」
ドン・コローネは慌てた様子で立ち上がった。
 「あの兄ちゃんは普通よりアストラル体が濃い。連中が興味を持ったらロクなことには…」
階下へ降り、戸口に立てかけてあった外出用の空飛ぶ絨毯を手に表へ出た、丁度その時だった。
 町の中ほどで爆発のような光と黒煙が立ち上るのが見えたのは。
 数秒遅れて、風と爆発音。階段の下から砂ぼこりを含んだ風に煽られ、ドン・コローネは思わず片手で顔をおおった。
 「っぷ。なんじゃ、なんじゃ…?!」
 「あれ見て!」
晴れた空を背景に、黒々とした巨大な影ようなのが、辛うじて人形を保ちながらゆらゆらと立っている。不安定に頭を前後させ、自分の両手――にあたる部分を、顔の目の前に持ち上げる。まるで、自分で自分に驚いているように仕草だ。
 「何、あれ…」
 「間に合わかんったかもしれん」
ドン・コローネは、絨毯を広げて飛び乗った。
 「とにかく、お前さんの連れの兄ちゃんを探さんと。石の反応のある場所へ」
絨毯は、昨日買い物に出かけた時の倍速で階段を滑り始める。すれ違う町はパニックの中にあり、家から飛び出して逃げ惑う人々で溢れている。


 ドン・コローネの絨毯は、影の足元、石造りの入り口の前で止まった。老人は絨毯を飛び降りると、風の吹き出す通路の中へずんずんと突入していく。
 行く手に明るい開けた空間が見えてきた。床に敷かれてした丸い絨毯が取り除かれ、床に張り付けられた滑らかな白い石の上に刻まれた模様が、今や、はっきりと見えている。ドン・コローネの家の玄関にあるのと同じような、文字に囲まれた丸い円。その真ん中にルークが寝かされ、周囲には崩れた天井の破片が散らばってていた。
 「ルー君!」
ミズハはドン・コローネを追い越して部屋に飛び出した。
 駆け寄って揺さぶるが、瞼は固く閉ざされたまま。ドン・コローネは傍らに恍惚とした表情で突っ立っている細身の男の胸ぐらを掴んだ。
 「貴様、ボローニア! 一体何をした」
それが男の名前らしかった。ホローニアと呼ばれた男は、唇にうっすらと笑みを浮かべる。
 「何をしようと、私の勝手じゃありませんか。この男は貴方の下僕ではないのでしょう?」
 「そういう問題ではない。外から来た人間を実験台に使ったのか? 彼に何をした! まさか、アストラル体を無理やり追い出したのではないだろうな」
 「追い出した? 人聞きの悪いことを」
老人の手を面倒くさそうに振り払い、銀縁眼鏡を輝かせながら男は高らかに語る。
 「私は、彼を解放しただけですよ。この世界は偽りに満ちている。至高の神々の住まう次元、魂の世界こそが真の世界なのです。アストラル体、そう、人に宿るこれは、その世界で生きるための資格であり、我らがかつて真なる世界に生きていたという証拠なのです。我々は醜く朽ちてゆく肉体の呪縛を逃れ、真の世界への扉を見つけねばなりません」
 「よく分からないけど」
怒りに満ちて、ミズハが立ち上がる。
 「あんたがルー君をこんな目に遭わせたのね!」
 「…おや、そちらのお嬢さんも、これまた随分と素晴らしいアストラル体をお持ちのように見えるが…」
 「よせ、ここで争うな」
ドン・コローネが制する。
 「お前さんの連れは今、肉体とアストラル体を分離させられておる。外のアレを戻さんことには、目を覚まさんぞ」
 「どうすればいいの?」
 「通常なら、ある程度傷つければ危機感を覚えて肉体へ戻る。通常ならな。だが無理やりひっぺがされた奴は、戻る道が分からんかもしれん。その時は…」
ずずん、と建物全体が揺れた。外で悲鳴が上がる。「…何じゃ、一体」
 くくく、と男が笑う。 
 「素晴らしい。彼は本当に…素晴らしい。まるで、あの方がお戻りになられたようだ。まるで…」
 「貴様…」
 「人の器の中に、こんなにも力強いものが閉じ込められていたのです。私はそれを解放したのですよ。彼は今、肉体の束縛から自由なのです。新たな器を与えることには失敗しましたが――」
崩れた天井の破片に交じって、ルークの周囲に彫像の破片らしきものが散らばっている。悍ましい実験の痕跡。何をしようとしたのか、あまり考えたくないが、失敗してまだ良かったのかもしれない。ただし本人にとっては、どちらに転んでも最悪の結果だが。

 地面がまた揺れた。今度はより大きい。
 「やめさせなきゃ!」
叫ぶと、ミズハは翼を広げ、天井に開いた穴から外へ飛び出していく。静止する暇もない。ドン・コローネは、空飛ぶ絨毯を広げ、ルークの体を載せた。去り際、振り返って男を睨む。
 「ボローニア、お前取り返しのつかんことをしたな。後で覚悟しとれ」
細身の男は、何も答えずただ笑っているだけだった。


表紙 ┃ 戻る ┃ 次へ