法使いの住む町


 弾かれるように飛び起きたとき、ルークは汗びっしょりになっていた。
 絨毯を敷いた床の上。隣に寝ていたはずのミズハの姿はない。日はもう高く昇り、テラスの向こうには光に照らされた街並みがある。起き上がるとき、ふくらはぎの辺りが微かに傷んだ。急な階段を、荷物を抱えて登ったせいだ。
 「目が覚めたかね」
振り返ると、お茶をすすりながらドン・コローネが本をめくっていた。
 「あまりに良く寝ているもんで、起こすに起こせんかったが…良くない寝覚めだったようじゃな」
 「……ええ、まあ。」
 「高い山の上だと空気が薄いもんで、眠りが浅くなることもある。ま、ゆっくり体を慣らすんだな。」
それだけ言って、また本に視線を落とす。
 ドン・コローネの使っているこの二階の部屋は、隣との間の壁に無理やり穴が穿たれ、そこに仕切りのカーテンがつけてある。向こう側の部屋は窓もなく、壁一面が床から天井までびっしりと本棚で覆われているのを昨日見ていた。今いるこの部屋は、唯一の生活空間であるとともに、書斎兼ベッドルームなのだ。
 調べ物に忙しい館の主をおいて、ルークは階下に降りてみた。丁度そこでは、ミズハが掃き掃除をしていた。生活感が溢れていて、どうにも、貴重な存在だという評価とはかけ離れた姿だ。もっとも、家事を教えこんだのはルーク自身だ。食器の洗い方、シーツのたたみ方、泥まみれの服でソファに寝そべらないこと、外から帰ってきた時は窓から部屋にはいらないこと…。一時にせよ、フォルティーザの家で共同生活を送るからには、覚えてもらわなくてはならなかった。
 「何で掃除を? 上に沢山本があるのに」
 「だって、ここの本、みんな文字が読めないんだもの」
聞けば、ドン・コローネの持っている本は全部、カーリーが書いていたような、謎めいた暗号のような文字で書かれているのだという。昔の魔法使いの使っていた文字なのだろうか。よそ者に、簡単に昔の叡智を手にさせないだめだろうか。
 「散歩にいくの?」
ルークが戸口のほうに向かうのを見て、ミズハはポケットから紙切れを取り出した。「だったら、これ」
 「ん?」
紙切れには、何やらメモが書き付けられている。
 「昨日買い忘れた、買い出しのメモだって。」
 「…おい」
ドン・コローネに良いように使われているような気がしなくもなかったが、今のところ手がかりは彼一人にかかっている。手伝えることといったら、このくらいしかないのも事実だ。


 仕方なく、ルークは痛む足で広場へ向かった。ドン・コローネのチョーカーはつけたままだ。
 昨日、ドン・コローネと一緒に歩いた時に説明してもらった特徴のある家々の前を通りすぎてゆく。昨日は気づかなかったが、しゃれこうべを飾った家は「薬局」の看板を掲げ、外はおどろおどろしいが、中は小奇麗なお店になっている。クリーム色のかわいい家には、「記念館」の看板。昨日の黒いローブの男は、入り口に薬草を吊るした家――どうやらハーブティーの専門店らしい――で、商品を吟味している。
 これが、今の「魔法使いの町」の実情らしかった。
 風変わりではあるが、他の町と同じように平和な日常がある。彼らの生活は過去と大きく変わってしまったのかもしれないが、戦争が終わってからの時代に、それぞれの形で対応してきたのだ。
 風景を見ながらのんびりと斜面を降りてきたルークの足が止まった。
 石の入り口を持つ奇妙な家、入り口に二つの円が繋がった刻印を持つ、あの家の前だ。そこからは、あいかわらず風が吹き出していた。
 そっと覗きこむ。中は真っ暗だが、確かに人の住んでいる気配がある。
 「こんにちは」
背後から声をかけられ、彼は驚いて振り返った。
 「そう驚かれなくても」
苦笑しながら立っていたのは、ひょろりとした体躯の男だった。長い黒髪を一つに束ね、細い目に銀縁の眼鏡を掛けている。
 「何か御用でしょうか。」
 「いや、変わった家だなって…」
 「ああ」男は。石造りの入り口へと入っていく。「ここはギャラリーですよ。興味がおありなら、寄って行きませんか。」
一瞬迷ったが、…何かに促されるように、ルークは男について暗がりに足を踏みいれた。石壁の通路は、入り口から下り坂となって続いている。
 やがて、行く手が一気に開けた。吹き抜けの丸天井に取り付けられた明かり取りの窓から、嘘のような明るい日差しが差し込んでいる。床には白い石が張り付けられ、眩しく光を反射している。部屋の中央には丸い絨毯。周囲には手入れされた観葉植物が並び、壁には立派な額縁に入れられた絵や不思議なレリーフが飾られている。
 「驚きましたか」
男はにっこりと笑い、ごく自然な動作で壁際のテーブルに置かれたデカンタを取り上げ、グラスに何かを注ぐ。「意外に広いでしょう。この奥はもっとあります」
指差す方向には、開いたままの扉があり、様々な彫像が並べられているのが見えた。風はその奥から吹き出してくるようだった。
 「あまり魔法使いの家っぽくは見えないですね。その」と、ルークは口ごもった。「…入り口以外は」
 「ここも古い家ですよ。かつては私の祖先も、名を馳せた魔法使いでした」
そう言った時、男の腕にちらりと腕輪のようなものが光ったのが見えた。刻まれているのは、入り口にあったのと同じ刻印。ルークの視線に気づき、男は意味深な笑みを浮かべながら袖口を隠した。
 「…ところで君は、なぜドン・コローネと契約を?」
 「えっ」
一瞬、意味が分からなかったが、相手の視線を辿り、首元のチョーカーに手をやる。
 「いえ、違います。これは、その」
慌てて否定する。「罠に…、よく引っかかるので。」
 「ああ。やっぱりね」
くすくすと笑いながら、両手に1つずつ、グラスを持って近づいてくる。
 「あの爺さんに、あなたみたいなイキのいい下僕は捕まえられっこない」
 「だけど、よくわかりましたね。これがドン・コローネのものだって」
 「分かりますとも。隷属の印は、主人によって色形、波長や形式が違う。契約したものを束縛するためと同時に、主人をはっきりさせる意味合いもあるからね。」
男は、片方のグラスを差し出した。
 「さあどうぞ、遠慮なく。当ギャラリー特製の、お客様むけのハーブティーです」
薄い緑の石で作られた半透明なグラスには、不思議な香りのする淡い色の水がゆれている。ルークが受け取ると、男は自分の手に残ったほうを小さく掲げ、一口飲んだ。ルークも、恐る恐る試してみる。味は、少し酸っぱい感じでさっぱりしている。
 「その、ドン・コローネに聞いたんですが、ここは巨人…とかの信奉者の家だと」
 「ええ。聞きたいですか?」
ルークが返事を剃る前に、男は壁の一枚の絵の前に近づいていた。
 「ルー・ルー・ドは、失われた海の向こうの大陸に居た存在です。双頭の巨人、二つの頭で見、考え、支配する。一つの頭は思考と再生、一つの頭は行動と破壊。力の象徴、偉大なる原初の存在。」
絵の中には、影でしかない二つの頭をもつ巨人が、夕焼けを背景に敵を蹂躙する抽象的な姿が描かれている。
 「もう、いないんですよね」
 「ええ。この世界にはもう、巨人族はいませんね」
男は横目に、ルークが飲み物を飲み干したのを確かめた。「今は…」
 世界が揺れ始めた。
 ルークの手から器が滑り落ち、絨毯の上に転がった。目眩がして、たまらずその場に膝をつく。頭上から、くすくすと笑い声がした。
 「大丈夫ですよ、じっとしておいでなさい。じきに楽になります」
 「何を、一体」
男はルークの上に屈みこむと、骨ばった細い指で、ルークの喉元から乱暴にチョーカーを引きちぎる。ねっとりと絡みつくような声が頭上から降ってくる。
 「最初に見かけた時から、あなたは良い実験材料になると思っていました」
 「実…験……」
絨毯に両手をついた。だめだ。意識が遠ざかる。立ち上がろうとする意志とは裏腹に、体は沈み込んでゆく。
 「濃いアストラル体の気配。人にしておくには惜しいくらいだ…」
力をなくした獲物が絨毯の上に倒れこんだのを見て、男は満足気に微笑んだ。「きっとあの方もお喜びになる…。」


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