法使いの住む町


 玄関を出るとすぐに、ドン・コローネは玄関に敷くようなサイズの厚織の絨毯を広げた。
 「さてさて、これが町名物の空飛ぶ絨毯じゃ」
広げられた絨毯は、ふわりとゆらめきなら地面から30セルテほどの位置に浮かんでいる。小柄なドン・コローネが、その上にちょこんと座っても、わずかにたわむだけ。なるほど、これならば歩く必要もない。
 「階段で、絨毯から落ちたりしないの…?」
 「なあに、慣れじゃよ、慣れ。困るのは雨の日くらいじゃな。…っと」
老人は、ガウンの袖口をごそごそやり、何かを取り出した。「出かける前にこれを渡しておくんじゃったわい。ほれ、首に巻きんしゃい」
 「これは…?」
チョーカーのような革ベルトに、石が埋め込まれている。ベルトの内側には、奇妙な文字が書かれている。
 「隷属の印といっての、本来は捕獲した精霊なんぞにつけて力を封じこめ、逃げられんようにするものなんだが…」
 「んー、ちょっとキツいよこれ」
ミズハは、説明も聞かずにつけてみて、またすぐに外してしまう。老人は、苦笑する。
 「…普通は、けたら自分で外せんののだが。ま、この程度で束縛できる相手じゃないからの、お前さんたちは。お前さんたちには逆に、町中でいらん罠にひっかからんために貸してやろう。うちの玄関にあるようなやつが、町にはあちこちに仕掛けられとるんでの」
 「どうして、そんなこと」 
 「戦争時代の名残りじゃ。ま、――昔はそれだけ、悪霊だの幽霊だの、色んなもんがそこかしこにおったんじゃよ。準備ができたなら、行こうかの」
ルークも、首にチョーカーを巻いてみた。つけた瞬間は奇妙な感覚があったが、それもすぐに収まる。ドン・コローネは既に階段を降り始めていた。絨毯は階段に沿って斜めになりながら、地面からほぼ一定の高さを保ってするすると空中を滑ってゆく。人の歩く速さと同じくらいだ。
 「この町も、かつては人で溢れとったらしいがな」
後ろをついてくる二人を振り返りもせずに、ドン・コローネは話し続ける。
 「戦争で魔法使いの大半が死んじまってからは、まぁこの調子。実はこの町の今の住人の大半は、魔法なんぞ使えんのだよ。」
 「そうなんですか?」
 「わしのようなエーテル使いは、世界のエーテル濃度が下がって力が弱まっただけで済んだんじゃが、精霊や魔王なんぞと契約して、その力を借り取った連中は、借り元がいなくなったんじゃから何もできんわの。ほれ」
と、老人は、道の脇にある、しゃれこうべに削った石を積み上げた不気味な家を指す。
 「そこなんぞは、悪魔公ラルドフェーンの眷属だった魔法使いの家じゃ。全盛期にゃ大層羽振りが良かったんだが、戦争がおっぱじまった初期に上司の悪魔公が消滅して没落した。今も末裔が住んでおるが、細々と薬の調合やって暮らしとるよ。」
 「へえ…」
 「ほれ、そっちは伝説の精霊使いミーシアの家。」
と、指すのは反対側の通りの、クリーム色の壁のかわいらしい家。「ミーシアは精霊たちに慕われる美女でな、何百年も生きとったもんだが、最後の精霊が力を失ってすぐ、五十年ほど前かの、寿命が尽きて死んじまったよ。神魔戦争の初期の頃のことを覚えとった、伝説の生き証人だった。」
青白い顔をした、黒いローブの人物が、ドン・コローネと見慣れない二人の連れを睨みつけながら通り過ぎていく。
 「あの人は…」
 「あれは魔王ウェルドの信者だな。かつては生贄の儀式だの何だのえげつないことをやって、この町でも鼻つまみものだったが、今じゃ大人しいもんだ。彼らは今でも町はずれの洞窟にコウモリと一緒に暮らしとる。」
 「その魔王っていうのも、もういないの?」
 「そうらしいのう。ご丁寧にも死に際に信者たちに別れを告げに来たらしく、魔王が死んだ日、というのは今の彼らの記念日というか、祭りの日になっとるな。いつか復活するんだと信じて、ああして今も黒マントを着ておるが…。はてさて」
 「あたしのお母さんのことを知ってる人も、いるの?」
と、ミズハ。ドン・コローネは、なぜか驚いた様子で少女を振り返った。
 「とんでもない。”南海の女王”は、一度も人間の味方をしてくれた試しはないぞ。敵になったこともないが。」
 「そうなの?」 
 「そうだとも。唯一、神魔戦争に参加しなかった絶対中立の存在――。それどころか、その力も特性も、噂レベルでしか語られたことのない謎の存在なんだからの。」
ミズハは、ルークと顔を見合わせた。
 「…なんだか凄い人、なのかな?」
 「ううん、たぶん力を貸すとか契約とか興味なかっただけだと思う。お母さん、わりと面倒くさがりだから」
 「…お前さんたち…。」
ドン・コローネは何故か汗をかいている。
 ふと、ルークは行く手に来る時は気づかなかった家を見つけた。白い漆喰で塗り立てた上に、石を組み合わせて作られた、古代の墓のような小さな家。あまりに幅が狭く、家、というよりも、それは単なる入り口に見えた。中は真っ暗で、ひんやりとした風が吹き抜けてくる。
 門の上部に渡された石に目が止まった。奇妙な、円を二つ繋げたような刻みの印。頭の奥で、何かがゾクリとする。
 「…ここは?」
反射的に、問いかけの言葉が出た。
 「ああ、そこも失われた存在の信者が住む家だな。」
と、ドン・コローネ。「双頭の巨人、ルー・ルー・ドの信奉者…」
 ぐらりと世界が揺れた気がした。
 黄色いねめつけろような視線、肩に食い込む爪の感触。「鮫男」の言った言葉は…
 「ルー君、どうかしたの」
 「いや、何でもない」
動揺を押し隠しながら、ルークは汗を拭う手振りをした。「歩いてると暑くて。ここから涼しい風が吹いてくるから、ちょっとね」
 「なに、もう疲れたのか? 若いのにだらしないの。心配すな、もうすぐ目的地じゃ」
自分は一歩も歩いていないドン・コローネは、涼しい顔でついっと絨毯を進めた。段々の町を、もうだいぶ下の方まで降りてきている。あと二段ほどで達する広場には、来る時乗ってきた貨物列車の姿はもう見えなかった。


 広場の周囲には、様々な店が立ち並ぶ。水晶や護符や、何かの獣の皮といった怪しげなものを売る店から、ごく普通の服や布、生活用品を取り扱う店まで、様々だ。ドン・コローネが向かったのは、食料品や衣類など、ごく普通のものを扱う市場だった。食料やら何やら、生活用品をどっさりと買い込んだドン・コローネは、当然の顔をして、半分持つようルークに指示した。
 「は?! なんで、おれが」
 「お前さんたちの分まで買い込んだから荷物が重たくなったんじゃ。絨毯に積める量は限りあるでの。」
運び手がいるから、いつもより多めにまとめ買いしたのもありそうだが。ぶつぶつ言いながら荷物を担ぐルークを、何故か通りすがりの住人たちが興味深そうな目付きで眺めている。
 そんな中の一人、怪しげな数珠の首飾りをかけた若者が声をかけた。首の周りには、派手な羽毛のマフラーを巻いている。
 「よう、ジイさん。そんなイキのいい下僕、どこで捕まえてきたんだい?」 
 「うちの弟子が送ってきたんじゃよ。いいじゃろ」
 「へえ。」
 「……下僕って」
若者の後ろには黒い猫が、ルークがしているのと同じようなチョーカーを首にはめ、ちょこちょこと歩いている。
 「そういえば、この首のって、”隷属の印”って言うんでしたっけ?」
ルークは、じろりと老人を見やる。「まさか、おれたちを奴隷扱いして見せびらかしてないでしょうね」
 「ほっ、何を言う。この町には本当に罠が多く」
 「きゃああ!」
少し離れた場所にいたミズハが、悲鳴を上げてチョーカーを取り落とした。チョーカーがしっくりこず、つけたり外したりしているところへ石畳を構成する石のひとつに刻まれていた小さな円陣をうっかり踏んづけたためらしい。
 「…と、ああならんために必要なものなんじゃよ。ほれ、こっちに来なさい」
 「ごめんなさい…」
ミズハは、しょんぼりしてチョーカーを付け直してもらっている。
 「気をつけなされ。お前さんの素性は、ここの連中に知られんほうがいい」
 「どうして?」
 「さっきも言ったじゃろ。”南海の女王”、お前さんの母堂は、誰もよく知らん存在なんじゃ。知りたがってあれこれチョッカイかけられるのが目に見えとる。おまけに、」口ごもり、しばし間がある。「――神魔戦争が終わったあとも力を失っていない、唯一の存在じゃからのう」
 「……。」
あらゆる力ある存在が消え、理が書き換えられたあとの世界で、ただ一人、中立を保ったまま生き残ったもの――
 「よく分かんないけど、飛んじゃダメってことかな」
 「飛ばないほうがいいんじゃないかな」
 「そか。」
ミズハは、山の上のドン・コローネの家を見上げた。「…歩いて戻るの、大変そうだね」


 高い山脈の上では、日の暮れるのは遅く、地上が闇に沈んでしまったずっと後まで、山肌は薔薇色に夕陽の最後の光を受けていた。
 意外にも老人の作る手料理は美味しく、長い階段の続く急斜面を往復しただけの甲斐はあった。広い屋敷の大半の部屋は使われていないらしく、二階のベランダのある部屋だけが使われた。料理もそこでやり、食器などはまとめてたらいで洗う。寝るのは窓際のソファ。実にコンパクトな生活だ。
 というのも、城のような屋敷が立派なのは外から見えている部分だけで、裏手はほとんど崩れかけているのだった。壁が崩れて使えくなっている部屋もある。中庭は草ぼうぼう、木々は枯れ、池の残骸らしきものが辛うじて沼として取り残されている。かつては大勢の人が暮らしていたのかもしれないが、その時代の面影は、既に無い。魔法使いの町の衰退は、この屋敷にも及んでいるのだ。
 「さて、メシを食ったらお前たちに見せたいものがある。」
そう言って、ドン・コローネは、屋敷の屋上に二人を案内した。両脇に立っていたらしい塔は半分崩れて無くなっており、そこも、床には派手にヒビが入っていたが。
 完全に日が暮れた町は、人の住む中央通りのあたりと広場にだけ、集中して灯がともっている。それ以外の大半は家があっても暗闇のまま。遠く、町から離れた崖のあたりにも灯が見えているのは、昼間すれ違った黒いローブの、コウモリと一緒に暮らしているという人々の住処だろうか。
 「何をするんですか?」
 「まあ見ておれ。しばらく静かにするんじゃぞ」
ドン・コローネは絨毯を敷くと、その上にごろりと横になる。胸の上で手を組み、大きく息を吸い込むと、目を閉じた。
 沈黙のまま、時が過ぎていく。
 見つめていると、老人の小さな体の輪郭がゆらぎ、周囲が黒く霞みはじめた。最初は目の錯覚かとも思ったが、どうやら違うらしい。
 「まさか…」
体から、煙のように抜け出してくるそれは、紛れもなく、”逆さ大樹の谷”で見た影そのものだった。揺らぎながら人の形になり、ふわふわと宙に浮かぶ。元のドン・コローネの体よりも大きい。
 影が、ルークたちのほうを振り返り、にんまりと笑った、…気がした。
 すっと手を差し出す。ミズハは恐れる様子もなくその手を握ろうとする。
 「あれ」少女の手は虚空を切る。「あれ…」
影がするすると元の場所へ、ドン・コローネの体へ吸い込まれていく。すべてが元通り収まったとき、老人は、ぱちりと目を開けた。
 「どうじゃな。わしのアストラル体は。なかなかのもんじゃろ」
 「今のが、そうなんですね。改めて見ると、やっぱり…」
正体がはっきりしているのに、悪霊か、幽霊にしか見えない。
 「ま、同じアストラル体じゃからな、悪霊だろうが人間の生霊だろうが見た目は大差ないわ。それより、どうじゃな。物質界とは別のもの、生身では触れんということが分かっただろう」
 「うん」
ミズハは大きく頷く。「それに、大きくもなった。」
 「あれは密度を薄めただけじゃよ。アストラル体は、慣れれば自在に形を変えることも出来るんでな。ま、慣れればだが。ヘタな使い方をすれば、二度と戻れなくなって体が死ぬか、消滅するまで害をなす悪霊のようなものになってしまう。」
 「谷を荒らした犯人は、これと同じ事をしたというんですね」
 「ま、そうじゃろうな。誰かが教えたのか、元はこの町の住人だったのか…。」
そこまで言って、言葉を切る。
 「とはいえ、誰でも使える技ではないのだがのう」
聞きたいことは、まだある。
 「どうして夜まで待ったんですか。」
 「ん? そりゃ、体の外に抜け出しやすいからじゃ。わしら人間、動物もだが、この世界の生き物は、肉体が”主”、アストラル体が”従”だからの。肉体の活動が低下する夜のほうがアストラル体が肉体を離れやすいんじゃよ。端的に言うと眠い時や死にかけとる時が一番やりやすい」
 「ミズハは、昼間でも翼を出せますけど…」
 「そりゃ、その子の母堂はアストラル体が”主”の存在だからじゃろ。しかも人間との混血じゃから、肉体とアストラル体が対等かつ互換可能という珍しい状態にある。」
 「どっちも本体ってことか…」
ルークは、少し分かってきたような気がした。ミズハ本人だけは、理解する気もないという顔をして夜風に髪をなびかせている。
 「さ、これで見せたいものは終わり。この件に関しては、わしもできる限り調べてみよう。下へ降りてお茶にでもするか。」
 「はーい」
ミズハが先に駆けていく。
 彼女が離れたのを見計らって、ルークは、ドン・コローネを呼び止めた。
 「どうして、ここまで協力してくれるんです?」
 「どうして、とは。」
 「――あなたは、ミズハを調べたいとは思わないんですか」
一瞬、老人の表情がぼやけたが、…やがてゆっくりと笑みの形を作る。
 「もちろん調べたいし、調べとるじゃないか。この世にただ一人の”南海の女王”の眷属。こんな間近で観察できるなど、ありえんことじゃわい」
 「でも」
 「勘違いするな。わしは自然体を観察するのがモットーじゃ」
ドン・コローネは、小脇に絨毯をかかえて歩き出す。
 「さっき、わしが手を出したのはな、普段の状態でアストラル体に干渉できるかどうかを試す実験だったのだぞ。結果はどうだ。翼を出しておらん状態では生身の人間と同じ。つまり物質界に軸を置くことが分かった。うむ。それから、夕食では様々なメニューを並べてみたが、新鮮な生物やスープ類を好むとも分かった。どうだ、さりげなく進むこの研究」
 「はあ…。」
 「ま、お前さんの言いたいことは、分かるがな。」
ひょいと下の階への扉を開きながら、老人は、意外にまじめな顔をして振り返った。
 「わしは変人じゃが、悪人ではないわ。自分で言うのもなんだがな、他所様の聖域を荒らすなど、ロカッティオの名を汚すような真似をした奴がおるのなら、懲らしめてやりたいだけじゃよ」
それが老人の本心であることを、ルークは疑わなかった。確かに変わり者だが、ドン・コローネにはドン・コローネなりに、魔法使いとしての矜持があるのだ。


 その夜、ルークはなぜかなかなか寝付けなかった。
 高い山の上で空気が薄いせいか、魔法使いの屋敷にただよう薬草とカビ臭い空気の入り交じる独特の匂いのせいか。それとも昼間、階段を登り降りして疲れすぎていたせいなのか。
 ようやく落ちた浅い眠りの中は、久しぶりの、そして二度と見たいとも思わなかった、あの光景だった。

 ――雨が降っている。

 黒い雨だ。灰色の谷底に、ルークは立っている。幾度も見た光景、足元には人か、人であった別の何者か、もはや正体の分からない屍が山と積み上げられている。灰色の空…、どこまでも尽きない地獄の光景。どこまで走っても果てのない世界。
 逃げているのだ、と、今ははっきりと思い出す。そう、逃げているのだ。どこへ? 何から?
 振り返るとそこに、天を突くほどに巨大な何かが谷を覆い隠している。奇妙に上半身の抉れたような形をしている、それは―― 黄色く不気味に輝く目をした生き物は、大きな手を、こちらに向かって伸ばしてきた。そして世界が暗闇に染まり…。


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