法使いの住む町


 カーリーから預かった手紙を渡すと、老人はますます面白そうな顔になり、紙をぐるぐる回しながら、円を描くように書かれた文字を読んでいった。
 「ほう。あのハロルドの娘。ほう、ほう! あやつ本当に南海の女王に会いに行ったのか。ほう! 海竜を御する未開地学者! サラサの木のコアが盗まれた? うほっ、こりゃー大事件じゃのう」
 「…あの手紙、そんなに一杯書いてあったっけ」
 「うーん…。」
文字かどうかも疑わしい謎の手紙には、どうやら見た目より沢山の情報が書いてあるらしかった。
 「ふむ、だいたいの事情は分かったわい」
読み終えた手紙をくるくると巻いて、老人は再び二人のほうに向き直った。
 「聞きたいことは色々あるんだろうが、まずは、こちらのことを説明せにゃならんだろうな。まぁ、こっちへ来なさい」
ドン・コローネは、二階へと二人を案内する。日当たりの良い二階には幾つかの部屋があり、その一つが、さっき老人の居たテラスに繋がっている。テラスには揺り椅子と、読みかけの本の置かれたサイドテーブル。そこからは、町が一望できた。急な斜面を続いている階段から、広場まで。
 「いまお茶を淹れる、そのへんに座っていなさい」
言うなり、老人はもにゅもにゅと何か呟きながら何もない皿に向かってふっと息をふきかけた。途端に皿の上に炎が現れる。
 「えっ?!」
何事もなかったかのようにその上にヤカンを置き、くるくると指を回すと、戸棚が自然に開いてティーカップが降りてくる。
 「驚いたかね?」
ドン・コローネはにんまりと笑う。
 「じゃが、こんなものは昔の魔法使いたちからすれば、ほんの遊戯のようなものだ。この町の魔法使いたちは、昔はそりゃあすごい力を持っておった、今はこれで精一杯だが。」
 「魔法使いって…。」
 「おっと、湯が湧いた」
ヤカンを外し、指を振ると火が消える。ポットに湯が注がれると、いい香りが部屋中に漂った。
 「さて、まぁ話せば長いんだが、ここは”魔法使いの住む町”」
 「ええ」
 「魔法使いはな、こうして自然界に存在する第五元素、”エーテル”と呼ばれるものを使ってあれこれやったり、精霊や魔王なんぞと呼ばれる特異な存在と契約して、その力を借りて不思議を行ったりする存在のことだ。神魔戦争の前にはたくさんおったんだが、まーそりゃ、戦争で真っ先におっ死ぬのが魔法使いというやつだな。」
ルークたちにお茶を勧め、自らも口に持って行きながら、老人はしゃべり続ける。
 「人間の味方をして戦って死んだ奴もいりゃあ、人間と敵対して殺された奴もおり、危険な研究で自滅した奴やら、契約しとった精霊が消滅して心中した奴やら、そりゃあ色々おったらしい。生き残ったのは大した力のない者か、よっぽど用心深かった奴だけ。生き残ったといっても数も減っておったし、魔法使いの後継者もいないまま伝統が廃れてな。そんなわけで、この町は戦争の終わったあとにはロクに魔法使いもおらん忘れられた町になっとった、と。こういうわけだな。」
 「そこを、ハロルドさんが発見した?」
 「うむ。そこの嬢ちゃんの親父さんと、我が不詳の弟子ことカーリー、あと誰かおった気がするが…まあ、そのへんじゃな」
 「さっき”南海の女王”とか言ってましたが」
 「ハロルドに南の海に居るという伝説の女王の話をしたのは、わしじゃよ?」
ルークとミズハは、顔を見合わせる。
 「霧の巣… 空に浮かぶ岩のことではなくて?」
 「なんじゃいそりゃ。美しい女王だということじゃよ、風を操り、雲を作り、海の全ての生命と心を通わせる海鳥たちの母にして太古の存在。南海の、雲の生まれる辺りにある小さな青い島に住むという――」
 「お母さんだ」
と、ミズハ。
 「それ、お母さんのことだよ。」
 「成る程。やはりな」
ドン・コローネはカップを置いた。 
 「さっき下で、床に模様に引っかかったじゃろ」
 「うん」
 「あれは、かつての魔法使いが使い魔とする精霊や悪霊を捕らえるための装置じゃ。普通の人間にはなーんも反応せんが、アストラル体には反応する。人間でも、ごく稀にアストラル体の濃い者はひっかかるんだがな」
最後の言葉は、ルークに向けられている。
 「並の精霊なんかじゃと、いったん中に入ると自力では外に出られん。檻のようなものだ。それを簡単に壊せるのは、より上位の存在だけ」
 「位とか…あるんですか」
 「ま、単純に力の強さ、と言うべきかの。昔は種族やら順列やらあったもんだが、戦争で精霊やら悪霊やら根こそぎ死に絶えた今となっては、そんな知識は無意味じゃな。――しかし」老人は、何故かにやりとする。「かつての時代でも、南海の女王といえば最上位の…。おっと」
ルークたちの怪訝そうな視線に気づいて、老人は陽気にぱちんと指を鳴らした。
 「そうそう。お前たちはカーリーの代わりに、コアだのアストラル体だのの話を聞きに来たんだったな。」
 「ええ。カーリーさんは、ここの誰かが関わっているかも…と。」
 「ふむ」
ドン・コローネは窓の外、町のほうに視線を向ける。「ま、ここの住人で関わりそうな奴は何人か知っておるがな。…さっきも言いかけたが、精霊やら悪霊やら、魔神やらといったモノたちは、みな、基本はアストラル体という、物質界とは違う次元を主として存在するものだ。こちらの世界に実体がなければ長時間存在できん、とカーリーからは聞いたろう」
 「ええ」
 「それらは実体を持つ。自分から作り出すものもおる。人間と同じ形を作り出せば、嬢ちゃん、あんたの母堂のように人と交わることも出来るが、たいていは、既にこの世界に存在する波長のあうものに宿る。例えばそれが、獣人の住む谷にある”更紗の木”なんじゃよ。」
ルークは怪訝そうな顔をする。
 「獣人たちの言う<瑞羽日女>が、下にある床の模様で捕まえられたような存在と同じ、だと?」
 「同じではない。さっきもいったように、種族やら順列やらがあったんじゃよ、昔はな。」
擦り切れたガウンの袖を広げ、老人は両手を大きく翳した。
 「魔神、魔王、神、女神、天使、精霊、妖精、妖魔、妖怪、幽霊、…まあ、とにかく色々おった。瑞羽日女は、少なくとも谷の守護者として崇められとったんだから、精霊以上、女神以下くらいの位置にはあったはずだ。下の落書きで捕まえられるような存在ではなかったろうな、力を失うまではな。」 
 「力を失う…」
 「失っただけならまだいいが。大半は消滅したんじゃよ。だから世界は今、こうなっておる」
老人は、面白そうに鷲鼻を歪めて、にんまりとした。
 理が書き換えられ、世界が今の姿になったのは、わずか百年ほど前。
 それ以前に存在した数々の存在が消滅し、あるいは力を失い…冥界と妖精界が地上になり、神が滅ぼされて魔族も消え、世界は太陽の周りを回る存在となった。
 言葉の上では知っているつもりになっていたのに、その言葉の意味を本当に理解出来たのは、今この瞬間だ。
 「力を失っても、”コア”があれば、時間をかけて再生することも出来るかもしれん。が、”コア”というのは意志の宿らん力の器みたいなもんだ。こいつが厄介でな」
ドン・コローネは話を続ける。
 「あれこれ転用することが出来てしまうんじゃ。そんな七面倒くさいことをする奴がおるかどうかはともかく、カーリーが心配しとるのは、まぁ、そのへんじゃろう」
 「転用…?」
 「実際に見てもらえば、分かるかの。」
そう言って、老人は隣の部屋から小さな箱を持ってきた。中には、青っぽく、錆びかけた金属で出来たおもちゃのネズミが入っている。
 「ほれ、動いてみせい」
指先でこづくと、今までただの古ぼけたおもちゃのように見えていたネズミが、くりくりと目を動かし、尾を振った。
 「えっ…、これは…」
 「種明かしをしよう」
ネズミを取り上げ、腹の部分を見せる。そこには、下の階の床に描かれていたような円陣と模様のようなものが刻み込まれている。 
 「大昔のうちの祖先が戯れに造ったものらしいがな。今の世の中、こんなものは失われた技術のたまものじゃ」
ぴくぴくしているネズミを元の箱に収めながら笑う。
 「こうして、中に低級な精霊を繋ぎ止めておるお陰で、こいつは命を得ておるというわけだ。」
 「”器に魂を宿すことも、生物を神に仕立てるのも思いのまま”――」
ルークは、カーリーの言った言葉を思い出し、繰り返した。
 「そうそう。だがな、コアにも強さや大きさがある。相性もな。いきなり何にでもぶち込んで、好き勝手できるわけじゃないわい。まして元は女神だったかもしれんコアなど。その意味では簡単に悪用できんだろうが、かえって何のために奪ったのかが気になるところじゃな。」
そう言って、ドン・コローネは、ざんばらに伸びた無精ひげを擦った。
 「今回の事件の犯人についても、教えてくれませんか。」 
 「うん?」
 「カーリーは、犯人が人間だと推測しました、実際にそれは当たっていたんですが…」
アストラル体は、幽霊のようなものだとカーリーは言った。生き物はすべて宿しているもの、個人差はあるにせよ誰でも持っているもの。それが人間の体から抜け出して、影のような姿で谷を荒らしていたというところまでは、まだ分かる。だが、ただの人間の影にしては、あまりにも化物じみていた。
 「ま、今回の話…、一番気になるのは、そこの部分だな。」
これまで滑らかだった口調が、陰った。
 「力を失っておったとはいえ、元は高位の存在だったもののコアを抜き取るなんぞ、小細工なしには出来るとも思えん。まして人間が簡単にコアを取り込めるはずもない」
 「巨大化することは…?」
 「アストラル体の強さや波長なんぞには、個人差がある。癖のようなものもあってな、ふむ…巨大化というのは聞いたことがないが、恨みや怒りといった感情で、一時的に力が強くなる事例はあったはずじゃ。ふむ、…しかしアストラル体を分離する方法というのは、今はもう知る者も少ない技…」
あごひげをしごきながら、老人はちらと壁の時計を見、ルークに近づいていく。
 「そういやあ、お前さん、さっき下で魔法陣に引っかかったな」
 「えっ? 何かに、ぶつかりはしました…が」
 「お前さんも、アストラル体は相当濃い体質のようじゃぞ。意外と、同じ事が出来たりするかもしれん。」
 「まさか」
 「冗談じゃ。はっ、この話の続きは夜にしよう。そのほうが分かりやすい。さて、わしはそろそろ出かけねばならん」
くるくると指を回すと、飲み終えたティーカップとポットが宙に浮かび、水をためた桶の中に音もなく沈められた。
 「せっかくじゃし、お前さんたちも一緒に来るかね。町を案内するが?」
断る理由もなく、二人はついていくことにした。この小柄な老人が、どうやってこの急斜面の町を案内するのだろう、と思いながら。


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