さ大樹の谷


 夜が明けた。

 自体を把握できていない者たちでも、恐れていた最悪の事態になったことだけはわかっていた。”逆さ大樹”は根元近くまで引き裂かれ、もはや、木の形を残しては居ない。
 「なんと、いうこと」
長老は、白い幹を痛々しく晒す大樹の前に膝をつき、白い髭の奥ですすり泣いている。「こんな…、こんなことが」
取り囲む村の人々もみな、言葉なく深く項垂れている。逆さ大樹を守る戦いは失敗に終わり、谷は無残な姿を晒している。だが、出来る事はすべてやったのだ。すべての男たちが駆りだされて、成すすべなく蹂躙された。

 カーリーは、人々の輪から離れたところでナユタを見つけていた。
 「何の用だ。」
ナユタの口調は疲れ果て、いつもの気迫はどこにもない。
 「話があるの。今回の事件について」
 「…話?」
 「ここじゃ拙いのよ。来て」
彼女は、ナユタをルークたちの待つ人気のない場所まで引っ張ってきた。ナユタは、只ならぬ雰囲気に気づいた。
 「何かあったのか? 昨夜あのあと」
 「ええ。犯人を見たのよ、わたしたち。」
カーリーは、昨晩のことをかいつまんで話した。影の逃げる先を追いかけていったこと、その先に見張りの兵士たちがいたこと。銃で応戦され、隙を突いて逃げられてしまったことまで。
 「…ごめんなさい。これは外の世界の人間が関わったことだったの」
カーリーは、驚いて言葉も出ないナユタに、深々と頭を下げる。「本当にごめんなさい…。」
 「なにを謝る」
 「だって」
 「お前たちのせいではないだろう。お前たちは、木を守るために協力してくれた」
ナユタは、憮然とした顔だ。
 「いくら我らといえど、外の世界の人間が関わったこと全てをお前たちのせいにしたりはしない。外の世界の人間にだって、悪い奴と良い奴はいることくらい知っている。」
 「…ありがとう、そう言ってもらえるとちょっと気が楽」
くしゃくしゃと長い黒髪をかき揚げ、カーリーは少し笑った。だがその表情はすぐに打ち沈む。
 「だけど、それだけじゃないのよ、わたしの場合」
 「何?」
 「もしかしたら、だけど…。今回の件、わたしの古巣が関わっているかもしれない。」
顔を上げ、女学者はルークとミズハのほうを見た。
 「”魔法使い”たちの住む町――空中都市ロカッティオ。」
ミズハが反応した。
 「お父さんが見つけたところ?」
 「そう。ハロルド君や他の仲間たちとそこを発見した後、わたしは、しばらくそこで魔法使いの生き残りに師事していたの。…上手くは言えないけど、かつてそこで使われていた魔法の一部が、今回のことに関わっている予感がしているのよ…。」
ナユタは、難しい顔で腕組みをする。
 「…だとしても、それはお前の関わっていることではないだろう」
 「そう言ってくれるのは有難いんだけど、わたしにも意地ってやつがあるの。」
 「待ってください」
ルークが割り込む。「ロカッティオへ行って何かしようとか思ってますか?」
 「え、ええ…」
 「それは駄目だよ」
ミズハも言う。
 「今は、この谷にいてあげて。いまカーリーさんがいなくなったら、みんなどうしていいか分かんないよ」
 「だけど…」
 「俺も同意見だ。」
ナユタもかぶせる。
 「カーリーの言い分はよく分かる。だが、いま谷を去ったら、何か疚しいことがあって姿を消したように思う者もいるだろう。真実を知ることも重要だが、その役目は別の者に任せたほうがいい」
 ルークは、自分の胸に手を当てた。
 「おれたちが行きますよ。ミズハを案内するついでに、丁度いいし」
 「うん。あたしたちが代わりに行く。それでいいでしょ?」
 「あなたたち…」
カーリーは、口ごもる。
 「その、ありがとう。でも、いいの? あなたたちだって、遊んでるわけにはいかないんでしょう」
 「うちの調査船は大破して修理中。しばらく仕事は来ない予定なんです。だから」
 「…そう。」
彼女は、ほっとしたような笑みを浮かべ、髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。逡巡するような間。
 「――分かったわ。じゃあ、お願い。わたしは、ここに残って状況の確認と、本部への報告をする。あなたたちは、ロカッティオでわたしの師匠に会ってくれない?」
 「師匠?」
 「ドン・コローネ。」
言いながらカーリーはペンを手にメモに何かをさらさらと書き付け、ルークに差し出した。
 「町の一番高いところに住んでる変わり者よ。これを見せれば、協力してくれるはず。変わり者だけど、ロカッティオじゃかなりマシなほうだから」
紙の上には、見たこともない文字が円を描くように並んでいる。いや、本当に文字なのだろうか。それに、これは外側から読むべきなのか。
 「これ…」
 「ま、暗号文みたいなものだと思って。それ見せれば、わたしからの紹介って分かるから。」
こうして、次の行き先は決まった。同じ東の諸国の中にあり、場所は、もう少し北の険しい山脈の連なるあたりだ。
 カーリーの予想では、谷にはもう異変は起きないだろうという。
 影は何かを奪い取っていった。おそらく大樹の”コア”だろう。目的がそれなのだとしたら、もう用済みということになる。
 ただカーリーは、念のため本部からは警備も兼ねた調査隊の増援を呼ぶという。入り口を守っていた兵士たちが犯人だとわかった以上、彼らを送り込んできたティエラ政府は信用ならない、というのが言い分だった。
 「何か分かったら連絡をちょうだい。」
見送りにきたカーリーは、そう言って二人にメモを手渡した。
 「これ、わたしの通信機の固有波長の周波数。だけどロカッティオは高地にあるから、通信は下に降りてからじゃないと駄目」
 「次に来る時は、世話になった礼をさせてくれ。」
ナユタも一緒だ。獣人の青年の表情は、最初に会った時にくらべ随分と柔らかくなっていた。事件の最中だったこともあるだろうが、打ち解けるのには時間がかかるのだろう。谷の住人たちは、外の人間と触れ合うことが少なく、極端に人見知りなのだ。

 谷は荒らされてしまったが、復旧作業は進んでいる。崩れてせき止められた箇所は村の人々によって瓦礫がどけられ、谷の小川は元通り流れるようになっている。えぐり取られた展望台のあたりには柵が張られ、投げ落とされた岩の周りには迂回の道が作られている。そしてピクシーたちは、相変わらずかしましく騒ぎあいながら、彼ら自身の巣を作り直し、倒れた木々を起こし、踏み荒らされた草花を手入れしていた。
 道すがら、ルークは逆さ大樹を見上げた。それはもう”逆さ大樹”とは呼べない形になっている。以前の半分以下の高さになって、下の方だけが辛うじて緑に覆われた木。白い肌を晒しながら、それでも木は、まだ辛うじて生きている。
 「これから、この木をなんて呼べばいいのかな」
 「これからもなにも、この木を妙な名前で呼ぶのはお前たち外の人間だけだ。元の名前で呼べばいい。――”更紗の樹”と」
 「サラ…サ?」
ああ、そういうことだったのか。
 ルークは、隣にいる少女を見た。ミズハの母親、海鳥たちの女王の名は、サラサ。

 ハロルドは、遠い南の海で、二つの名を、それぞれに相応しく与えたのだ。


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