さ大樹の谷


 何があったのかは、日が昇ると同時に知れた。
 村じゅうに知らせが広がり、住人たちは重々しい表情で長老の家の前に集まっている。その中には、寝起きで髪をくしゃくしゃにしたままのカーリーも交じっていた。
 転がるようにし、毛玉のようなピクシーたちが走り回っているのが見えた。
 「結界ガ、破ラレタヨ」
 「来ル、何カ来ルヨ」
騒がしいピクシーたちも声をひそめ、不安げにひそひそと囁き合っている。
 やがて、長老の家の扉が開いた。ざわ、と声が上がるのを静し、疲れた様子の老人は、重々しい口調で白い髭に覆われた口を開いた、
 「昨夜、最後の聖石が力を失った。これで瑞羽様のご寝所を守る結界は全て失われたことになる」
辺りは、しん、と静まり返っている。
 「昨夜は怪我人も出た。幸い重傷者は居ないが――もはや後が無い。各自、身を守る準備を整えてくれ。特に、小さな子供たちと女たちは日が暮れたら家の外には出ぬよう。それから、武器をとれる者は日が暮れたら輪番で村と大樹の守りについてもらう。」
 カーリーが、人ごみを押し分けて進み出る。
 「怪我人が出たということは、犯人の姿を見ているはずよね。数は? 手傷を負わせることは出来たの」
 「それには答えられぬ、お客人には関係のないことだ…」
言いかけて、長老はルークたちと目があった。言葉尻がきまり悪そうに淀む。
 「…お客人は、知りたければお仲間に直接聞かれたほうが宜しかろうて」
 それだけ言って、長老は背を向け、館の中へ引っ込んでしまった。長老とともにいた者たちは、戦える男たちを呼び集め、輪番の段取りについて説明しようとしている。その他の獣人たちは、顔を寄せ合い、不安げに話し合っている。ざわめきが辺りを満たした。
 カーリーは、お手上げというような顔をして二人のもとへ引き上げてきた。
 「長老様はいつもの調子ね。あなたたちから聞くしかなさそう」
 「黒い影のような奴が一体だけでしたよ」
ルークは、記憶を手繰り寄せながら言う。
 「…でも、ミズハのアレを食らっても動いていたし、傷を負っているふうにも見えなかった」
 「あらま、ほんとに実体がない敵だったの? あらあら」
カーリーは意外そうだ。
 「ううん、でも、もしそうだとすると…わたしの仮説は正しかったのかしら…。」
 「仮説?」
 「”結界”よ。結界を形成する聖木や聖石ばかりが狙われたのは、相手が結界に阻まれてターゲットに近づけないからじゃないかっていうの、ミズハちゃんも言ってたけれど、わたしもまさにそれを考えていたのよね」
 「まさか、本当に悪霊だって言うんですか」
 「それは、言い方の問題。」
そう言って、カーリーは人差し指をぴっと立てる。「おそらく、相手はアストラル体なんだわ。」
 「アス…アストラル?」
 「ミズハちゃんには昨日、説明したわね。通常は肉体とともにある”霊体”、アストラル体。実体ではないから、物質で傷つけることは出来ないの。それが、古来より悪霊だの幽霊だの言われてきたものの正体じゃないかと、わたしは考えるのであーる。」
言いながら、女学者は拾い上げた木片で足元の地面に手早く簡略図を描く。
 「いいこと、今のこの世界は、物質界とアストラル界の二つが重なっている状態だと思って。他にも何層かあるのかもしれないけど、今はそこまでわかっていないから、とりあえず確定しているものだけで二層ね。物質界にあるものに干渉できるのは物質界にあるものだけ。アストラル体に干渉できるのは、同じくアストラル界に属するものだけなの。だから単純な物質では効果が出ない。ただ、あらゆる生物はアストラル体を持っている。二層構造ね。だからまぁ、素手で殴れば殴れたんじゃないかなーとか思ったりしてて。それから、無生物であっても、ある一定条件を備えた石や地形は、アストラル界に干渉できる一定波長のエネルギーを発するわ。それが、この谷でいうところの聖木や聖岩ね。で、それらを効果的に配置、連動させることによってエネルギーを増幅させたものが、谷を守る結界だった、と――こういうわけなんだけど、分かるかしら」
 「……。」
 「………。」
二人は、固まったままだ。一気に説明されすぎて、何がなんだかよくわからない。
 「つまり…普通の武器では攻撃出来なくても、生身の拳か、聖木や聖石で作られた武器なら通じるということか?」
声は、予想外のところから降ってきた。振り返ると、ナユタが立っている。
 「あぁそれ! さっすが、我が助手っ。」
 「誰が助手だ。」
ナユタは、腰に帯びた剣に手を掛けながら近づいてきた。昨夜の戦いの跡だろう、腕に包帯を巻いている。彼は、ミズハの方に向き直り、軽く頭を下げた。
 「昨夜の助太刀には、感謝する。…すまなかったな、動揺して礼を言うことも忘れていた」
 「ううん、あんまり役に立てなかったし。」
 「昨夜、あの影は、お前のあの不思議な力と、この剣にだけは反応した」
と、ナユタは腰の剣を引きぬいた。刃は黒っぽく、表面には不思議な文様が浮かんでいる。
 「空から落ちてきた石で造ったという…我が家に伝わる剣だ。」
 「ほうほう! これはー」
カーリーは、ぐいっと顔を近づける。
 「聖石なんかと同じ雰囲気ね。この石にもアストラル界に干渉する波長がありそうよ!」
 「というと?」
 「言ったでしょう、アストラル体に干渉できるのは、同じくアストラル界に所属するエネルギーだけ、って。つまりそういう波長を放つ武器ならオッケーってことよ。おそらく、砕けた聖石の破片とか、燃えさしの聖木の枝とかでも効果はあると思うの。」
 「なるほど」
ナユタは、目をきらめかせた。「そういったものは、大事に保管してある。あとで長老に話をしてみる」
 「でも、そのアストラル…体? とは、一体何なんですか。”ターゲット”というのは?」
 「もちろん、ターゲットは”逆さ大樹”よ。それ以外に有り得ないでしょ。」
カーリーは腕を組む。「そいつが何を考えてるのかまでは分からないけど、昨夜ので逆さ大樹に近づける条件が整ったはずよ。もちろん長老は、もう気づいてるんでしょうけど。」
ナユタは、黙って剣を収めた。
 「――これは、我らの問題だ。お前たちの手は借りない」
 「あらあら、強がっちゃって。いいの? 瑞羽日女が狙われてるかもしれないっていうのに」
去りかけたナユタの足が止まる。
 「それに、わたしは”勝手に”手を貸すわよ。理由なんて聞かないわよね。長いこと一緒にいるんだし」
 「……勝手にしろ。」
帯を翻し、獣人の青年は長老の家の方へ去っていく。カーリーは、訳知り顔でふふんと笑う。
 「あのプライドの高さが獣人の悪いところなのよねえ、まったく。」
 「どうするんですか?」
 「さて、特に何も考えちゃいないんだけどねー」
頭の後ろで手を組みながら、碧眼の女学者は空を振り仰いだ。
 「そうだなあ、今なら手薄だし―― ね、逆さ大樹に行ってみない?! 前からちゃんと調べてみたかったのよお」
 「ええ… それは拙いんじゃ…」
 「あたしも、もう一回調べてみたい」
ミズハまで同調する。「あそこに何かいたの。よくわかんないけど、何か」
 「わかったよ。でも、ここの人たちにとって大事な木なんだから、傷つけたりするなよ」
 「うん」
村人たちはまだ、長老の家の周りに集まっている。彼らは彼らの心配事にかかりきりで、よそ者のことなど、すっかり忘れているようだ。今なら誰も、村を抜け出す三人には気づかないだろう。


 果たして、上手くいった。
 普段なら見張りがいて近づけない、逆さ大樹の根本はもぬけの空で、張り巡らされた縄を越えて根本まで近づいても、咎める者はいなかった。真下から見上げる大樹は、昔よりは削られているはずなのに、空いっぱいに枝の残骸を広げているように思えた。表皮は岩のように変化してはいるが、近くで見ると、割れた部分からうっすらと緑が見え、時間をかけて新たな芽吹きを得ようとしているようにも感じられた。
 「死にかけてる、ってわけじゃなさそうだな。」
ルークは、しゃがみこんで土の上にむき出しになっている根を叩いてみた。木が枯れかけているのか再生しかかっているのか、元気なのか病気にかかっているかどうか、見分け方は生物学者だった祖母にみっちりと教えこまれた。
 「上の方は死んでるけど、まだ根っこは元気みたいだな。」
ミズハは、最初に谷に来た時のように、樹の幹に手をあてた。
 「ちょっとだけ周りの木と違う感じ。だけど、とても弱い感じ。…」木の上のほうを見上げる「なんだろう。鼓動みたいなのを感じる」
 「それは、”コア”ってやつかもね。」
と、カーリー。
 「コア?」
 「人間でいうところの心臓ね。これも仮説にすぎないんだけど、神魔戦争時代以前にいた、わたしたちなんかとは異なる次元に属する生物は、”コア”を中心に存在を形成していたらしいわ。」
ミズハは眉を寄せる。
 「…良くわからない」
 「うーん。まあ、概念上の話だから、どう説明すればいいのか分からないけど…。なんていうのかな、コアっていうのは、”心臓”と”魂”を合体させたような概念ね。自由に姿を変えることの出来る、実体のない存在にとっての”本体”みたいな感じ。さっき説明したとおり、この世界は物質界とアストラル界の二層構造になっているの。物質界を主として属する人間や動物は心臓を拠り所とする。アストラル界を主として属する存在はコアを拠り所とする。って感じ」
さわさわと木々が揺れる。
 「――そうか」
ふいにカーリーがぽん、と手を打った。「もしかしたら!」言うなり、説明もなしに黒髪を翻して小走りに村の方へ戻り始める。
 「あ、おい!」
ルークたちも、慌てて後を追いかける。

 村に帰り着くと、カーリーははすぐさま荷物をひっくり返し、地図やノートを広げ出した。ミズハは連れ帰ってきた小鳥を親鳥のように世話してやっている横で、何かブツブツ言いながら家の中を歩き回っている。
 「今夜は闇夜、そう闇夜だわ」
その口調からして、カーリーは何か思いついたらしかった。
 「そうよ。なぜ思いつかなかったんだろう。アストラル体… アストラル体の行動範囲…。特性は…」
 「なにを考えているんですか?」
ルークは、カーリーの広げている地図を覗きこんだ。そこには、入り口から谷に続く遊歩道と村の位置、それに今までに壊された聖木などの位置が記されている。×をつけられた被害地は、村と逆さ大樹を取り囲むように、ほぼ楕円形に広がっていた。
 「アストラル体は単体で物質界に存在はしない。依代となる物質が近くにあることが必須なのよ。」
 「依代?」
 「つまり影には本体がある。アストラル体を操っている犯人の本体が近くにいるってことよ。谷の中にいるとは限らないけど、最悪、アストラル体にダメージ与えれば本体に逃げ帰るところを抑えられる」
足を止め、カーリーは長い髪をくしゃくしゃと掻き揚げた。
 「完全に実体のない悪霊なんて居ないわ。居るのは、本体を分離した一部だけよ。あー、でもアストラル体の分離ってどうやるんだろ? 独立して動かしたりできる方法があるとすると、この理論は…。うーむむむ」
 「どういうことなんですか。説明してください」
ルークは、じれったくなってきた。「犯人の狙いに見当がついたんですか?」
 「ええ、多分ね。」
カーリーは、動きを止めた。
 「聖木や聖石が壊されていたのは、結界を破るためだと思っていたけど、そうではないわ。狙いは”コア”なのよ」
 「どういうことですか」
 「こんな話を知っている? 『百年使われた道具には魂が宿る』『古い人形が化けて出る』――歳を経た生き物や植物、長年特殊な条件に晒された石や道具には、アストラル体が発生することがある。実体のあるわたしたちにとっての心臓に対して、アストラル体に対応する心臓が”コア”なの。石や木に心臓は生まれない。でもアストラル体が発生するならコアは発生するはずよ。この谷の聖木や聖石にも”コア”があったんだと思う。それを狙っていたのよ、犯人は。”コア”は生身の生き物では触れない…。だからアストラル体で犯行を行ったのね」
 「その”コア”で、何をするんですか。」
 「何って、そりゃあ」カーリーの目が怪しく光る。「器に魂を宿すことも、生物を神に仕立てるのも思いのまま。人が宿せば――」
ルークは、言葉を失った。
 人は、未知の能力を手に入れる。
 「そんなことが実際に出来るのか、って顔ね。…あるのよ。やりそーな人が何人か浮かんだわ。ま、その一人はわたしの師匠だけど、今回のは違いそーね」
 「師匠…?」 
 「変わり者のド変人よー。わたしのアストラル体についての理論の大半は、その師匠から受け継いだものなの」
カーリーは、笑いながら眼帯で隠したほうの目に指を当てた。「これと引換にね。」
 「……?」
 「ま。そんな話はどうでもいいわ。今夜、すべてが判明する。手伝ってくれると助かるんだけど」
そう言って、カーリーは、ルークたちに不可解な作戦を説明したのだった。
 通りには武器を持った男たちが行きかい、ここから見ているだけでも物々しい雰囲気が伝わってくる。


 その日、村はいつもと違う雰囲気に包まれ、子供や女性たちは一日ほとんど家から出て来なかった。
 日が暮れかかる頃には村は静まり返り、月のない夜が始まる。


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