鳥の舞う島


 本部からの折り返しを待つ間、ルークは船のデッキで待つことにした。

 頭上には、いつの間に集まってきたのか海鳥たちが旋回している。初めて見つけた時からそうだが、ここの鳥たちは少し変わっていた。あの、海鳥特有の騒がしい鳴き声をひとつも立てないのだ。ふだん根城にしている町(調査に出ているせいで、最近はあまり帰郷はしない)も、海の近くにあるが、しょっちゅうカモメたちの喧騒に叩き起こされる。長い翼やくちばしはカモメのそれに似ているが、本質的には違う鳥なのかもしれない、と鳥類の専門家は言っていた。
 おもむろに頭上に向けて撮影機を構え、一枚。
 翼をひろげて滑空する鳥の姿は光とともにフィルムに焼き付けられたはずだ。未知なる生き物の写真は、いくらでも欲しがられる。今回は海の調査は行なっていないが、試しに釣り糸を垂れてみたら見たこともない色鮮やかな魚がかかってきた。 
 未知なる世界。ここはまだ、世界が書き換えられてからほとんど人の立ち入ったことのないまっさらな新天地なのだ。この先へ行ったことがあるのは、知られている限り、ただ一人だけ。高名な冒険家として名を馳せたその男は、砕ける白波の向うに挑み、空に浮かぶ大岩の写真だけを残して消えた。
 今回のルークの調査も元はといえば、そのたった一枚の写真を元に、ついぞ戻ることのなかった冒険家の後を継いだものだった。
 誰もその存在を確信出来なかった浮かぶ大岩が、たしかにそこにあると確かめられただけでもルークがここへやって来た意義は大きい。止まっていた調査がようやく進め始めたのだと本部は喜び、慎重を期すために一度戻るように勧めてきたが、それを断り、もっと岩に接近したいと強く要求したのはルークのほうだった。ここまで来て、遠目に眺めるだけで帰るなど考えられなかった。それに、自分とこの「ハーヴィ号」なら、かつての冒険家が果たせなかったこと――岩の真下まで行ってみること――も成し遂げられるという自信があった。
 なぜなら、この船は――。

 「おっと」

一羽の海鳥が、すぐ頭上を掠めた。ぶつかりそうになって、ルークは頭を下げた。まるでからかうような飛び方だ。ちらりとこちらを見、様子を伺うように旋回して再び船の上すれすれを飛んでいく。
 「なんだ、あいつ…」
他の海鳥たちは我関せずと既に何処か飛び去ってしまい、船の周囲を旋回しているのは一羽残ったその鳥だけだ。旋回の輪は次第に狭まり、ルークのいる甲板に狙いを定めたように見えた。
 ――まさか、ここに降りてくるつもりじゃないだろうな。
 予感がして思わず後退った、次の瞬間。
 ぶつかる! と思うほど間近に羽ばたいた翼が白い光とともに消えた。

 「ねえ?」

撮影機を守ろうと屈みこんでいたルークは、思いがけず鳥の声を聞いた。ぎょっとして振り返った直ぐ目の前に、見知らぬ顔がつきつけられていた。
 「キミ、”未開地学者”ってヤツなの?」
――甲板に上に、眩しく日焼けした一人の少女が、腰に手を当てて立っていた。体を隠す何の覆いもなく。
 ぽかんとして眺めること、数秒。ルークは、真っ赤になった顔を背けるのと同時に船室に駆け込んだ。
 「あっ、ちょっと! ねえ」
 「服! 体隠して、体」
 「えー?」
撮影機をソファに放り投げ、奥から持ちだしてきたシーツを放り投げる。
 「これを巻きつけて!」
放り投げられた布を手に、少女はきょとんとしている。
 「これ?」
 「いいから――早く!」
良くわからないという顔をしながらも、少女は言われるままに布をかぶった。
 「これでいい?」
 「そう。そう、それでいい。それで……」
 「あのね、あたし」
じれったそうに船室に踏み込んでくると、少女は狼狽えているルークに迫った。
 「ミズハ。キミは?」
 「え……」
 「名前だよ」
ようやく、ルークも状況を理解し始めた。間違いない、この少女はさっきまで鳥で、頭上を旋回していた。それが甲板に降りてきたと思ったら、人間の姿になり――、今、人の言葉をしゃべっている。それもルークたちのよく知る共通語を。
 「ルーク…」
 「じゃあルー君だね。ルー君は、”未開地学者”ってやつだよね?」
ミズハと名乗った少女は、せっかちに最初の問いかけを繰り返した。腰まである栗色の髪に、淡い緑の瞳。さっき数秒思わず見つめてしまった記憶内の身体的形状からして、ごく普通の人間の姿をしている。だが、人間は鳥にはなれない。
 「そうだけど…、君は…」
 「あたし、あの島から来たの。キミ、調べにきたんでしょ? 案内しろって、お父さんが」
そう言って、少女は甲板の向うを指す。あの、大岩の下に広がる島のことか。だとすれば、あそこは当初考えていたような無人の土地ではないということなのか?
 「どうして――おれのことを? 」
 「ずっと上から見てたから。この辺りまで来た船ってすごく久しぶりなんだって。近くまで来てもすぐ流されちゃうし、波が強いから滅多に人が来ないの。この船面白いよね―、全然流されないの」
ルークの反応を待たず、ミズハは喋りながら勝手に船内を歩き出した。狭い船内には、船底に近い場所にある食料庫を除けば、今いるリビング兼台所、資料室と銘打った物置のほか、奥の寝室兼仕事部屋のほかには何もない。だが、大事な調査資料や撮影機材も置いてある。
 「勝手に歩き回るな! その、…ミズハだっけ? 君は一体、その」
ルークは、思考を纏めようとした。つまり…、この少女は、この海域に住む”先住民”なのだ。敵対する存在ではなさそうだ。だが、普通の人間でもない。
 「なぜ鳥の姿に?」
間抜けな質問だ。だが今は一番それが聞きたい。
 「なぜ、って…」
 「魔法とか? 君は魔法使いってやつ? それとも――人間じゃないとか」
 「んー」
少女は首を傾げた。「意味がよく分からないな…」
 ルークは額に手をやった。質問がうまくない。ルークたちの持つ概念は、ルークたち大陸に住む人間どうしの間でなければ通用しない。こんな辺鄙な島に住んでいる住人に「お前たちは何だ」と聞いたところで、こちらに分かる言葉で答えられるはずがないのだ。
 それにしても、と、彼はちらりと通信機を置いてある奥の部屋に目をやった。未知な種族を発見した場合、接触は慎重に、とは本部からの厳命だったが、向こうから接触してきた場合はどうすればいいのだろう。今すぐ連絡したほうがいいのだろうか。それとも。
 「案内は嬉しいけど、いま、本部からの返事を待ってるところなんだ。少し待ってくれるかな」
 「だめ、あんまり時間ないの」
少女は、そう言って空を振り仰いだ。
 「もうすぐ波が出てくるよ。そろそろ”くしゃみ”の時間」
 「くしゃみ?」
 「たまーに、こんな晴れた日に起きるの」
開け放したキャビンの入り口から、潮風が流れこんでくる。確かに風向きが変わったようだ。少女は振り返り、甲板に向かって歩き出した。体にまとったシーツが風に翻り、まるで翼のように広がる。
 「ほら、そろそろ。」
釣られてルークも甲板へ出た。さっきまでは確かに見えていたはずの大岩は、いつの間にか真っ白な霧に包み込まれ、切り立つ壁のようになっていた。雲は渦を巻き、きらきらと輝きながら竜巻のように一本の柱を形作っている。耳元を流れる風が唸り声をあげる。鳥たちは、空のずっと高い場所、まだ青く空が見えている辺りを飛んでいる。押し寄せてくる風に海面が波立ち、船は大きく揺れた。
 「まずい、引っ張られる」
ルークは船首の手すりに取り付き、錨の真下の海面に向かって叫んだ。
 「ジャスパー! しっかり固定しててくれ」
海面下で、黒っぽい何かが揺らめいた。
 「何? 何かいるの?」
 「ああ、この船の動力源だ。ジャスパー…」
がくん、と船がまた揺れた。波が急激に大きくなってきている。波の抵抗を和らげるために、船は向きを変え始めた。船のすぐ下には、巨大な生き物の影が見え隠れしている。ミズハは身を乗り出して今にも落ちそうになりながら目を輝かせている。
 「何? あれ? 見たこと無い!」
 「海竜だよ。ジャスパーは… おっと」
風の音に混じって、通信機がせわしない音をたてている。本部からの返事だ。
 ルークは揺れる甲板をよろめきながら船室に取って返した。引き出しを開け、さっきと同じ手順で蓋を開く。
 「こちら調査船ハーヴィ号。ルークです。」
 『本部のエリザです、…ルーク、何かありましたか?』
 「いや、ちょっと…。大した問題じゃないんですか。それより、回答は?」
彼は、敢えてミズハの件の報告は後に回すことにした。
 『許可は降りました。ただし、慎重に。くれぐれも、ハロルド・カーネイアスの二の舞にはならぬようにと…』
 「わかっています。ありがとうございます。それで、あー… 実はその」
謎めいた少女のことを報告しようとしたとたん、船が大きく揺れた。その瞬間、通信機の小箱は机の上から叩き落され、爽やかな音とともに床に激突して破片をまき散らした。慌てて拾い上げたものの、一番重要な部分、虹色の魔石は大きく欠けてウンともスンともいわなくなっている。
 「……不可抗力、だよな。これは。」
だが、ルークは内心ほっとした。正直に報告していたら、また面倒な手続きやら審議やらで時間を取られる。通信は途中で途切れてしまったが、一応、許可はもらったのだから、島に上陸しても問題はないはずだ。
 「誰かと話してた?」
振り返ると、いつの間にか、ミズハがすぐ側に来ていた。
 「いまハロルドって言ったよね」
 「ああ、うん……」
 「会いに来たの?」
少女は、ことの重大さなど気にした様子もなく、けろりとした顔で言う。
 「島にいるよ。その人が呼んでるの」
 「えっ」
海洋探検家ハロルド・カーネイアス、世界地図を何度も書き換え、「逆さ大樹」や「天空都市」の言い伝えを証明し、「白い森」を人々に知らしめた男。巨大な空に浮かぶ岩――通称”霧の巣”の発見者にして、二十年前、この海域で消息を絶った大冒険家。今なお、半分伝説のように語られる人物だ。
 それが――生きている――?


 ぼおおーん、と腹に響くような低い音が辺りに響き渡った。と、ひときわ大きく船が揺れ、ルークは床に叩きつけられた。
 「あくびが出た! 風の道が出来るよ。着いて来て!」
言うなり少女はシーツを投げ捨て、甲板に飛び出していく。壁に掴まりながら、ルークはよろよろと立ち上がる。光に包まれ――、少女の姿は再び鳥に変わる。さっきまでの穏やかさとは裏腹に、風は十五メルテを越えている。鳥が、この風の中で飛べるのか? 船とて迂闊に島に近づけば、座礁して、海の藻屑と消えてしまう
 いや。
 大丈夫なはずだ。この船なら、――それに、先導役の鳥が指し示す道なら。
 「ジャスパー、頼む!」
ルークは、船首に向けて叫んだ。「あの鳥を追ってくれ!」
 船は向きを変えながら、まるでそれ自体が生き物のように波を蹴立てて前進していく。
 激しく上下に揺れる甲板の上で、ルークは見ていた。白い雲に包まれた大岩が側面に開いた無数の穴から、まるでくしゃみでもするように雲を吐き出している様子を。



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