都ヴィレノーザ


 「――そうですか。そんなことが」

ジョルジュと合流したのは、結局、次の日の昼になってからだった。前日は、夜遅くまで会議から会議と連れ回されていたといい、さすがのこの男も少し疲れた様子だった。
 ルークは、前日の四人の学者たちとの面会の様子を報告していた。
 あの時は知らなかったが、彼らは本部の「顧問」という立場にある、各分野の最高権威たちだという。ルークの知っているヴィレノーザ大学の学長は地理学の権威、その他はそれぞれ、既に系譜の途絶えた古代魔法や、人類学、生物学で名の知れた学者たちだった。
 「諸先生方の見解では、”霧の巣”には差し迫った危機はなく、規制する必要はないが、それだけに新たな探索船を緊急で送り込む必要性は薄いという判断のようです。現地駐在員としてハロルドが居ますから、その研究結果だけでも構わない、という解釈ですね」
 「現地駐在員? ものは言いようですね」
ジョルジュは肩をすくめる。
 「でないと、現地に留まっている彼の立場を合法的に位置づけることが出来ないのでしょう。書類の上だけの立場ですよ。」
 「ミズハのことは?」
 「彼女は今のところ支部預かりの身分で変わりありません。未知の種族との混血、ではありますが、人類に敵対するものではなく、危険はない。カテゴリー1の分類ですね」
 「むしろ友好的なほうだと思いますが。」
ルークは、手元のティーカップにスプーンを突っ込んだ。本部のロビーにある喫茶店は広すぎて落ち着かない。ジョルジュは笑った。 
 「何か、あったんですか。」
 「…特に何もないですけど。いつ帰れますか?」
 「すいません、もうしばらく。少なくとも明日までは、ここで待機と言われています。メテオラの」
言いかけて、ジョルジュはちらと視線を上げ、それとなく周囲を確かめた。「――メテオラの外務次官が来る、というんです。」
 ルークは、少なからず驚いた。メテオラとフィオナの不仲はよく知られている。高級役人が来ることなど、滅多にない。
 「何しに?」
 「今回のエレオノール号炎上の件について、申し入れ、だそうです。エレオノール号の探索航海には、最初兵士を同乗させろ、と要求があったのを、本部がはねつけたんですよ。それを未だに根に持っているようで。危険があれば戦うよりは逃げるのが我々のスタンスですが、あの方たちはそうは思っていないようです。」
ジョルジュは諦めたような口調で言い、眼鏡を押し上げた。「彼らの頭にあるのは、人類の領土拡張、だけなんです。乱暴な話ですよ。」
 「…まずいんじゃないですか。ミズハのこと」
彼女は今、部屋で小説の続きに夢中になっている。そんな姿からは想像もつかないが、その気になれば、人間兵器といっても差し支えない威力を発揮する。おまけに、本人も良く分かっていない、未知なる力をまだ隠しているようだ。
 「そこまで心配する必要はないでしょう。彼らが気にしているのは未知の大陸のことだけです。今のところはね。”霧の巣”は魅力的な謎ですが、彼らが欲しているのは謎に満ちた観光名所ではないですから。」
 「はあ…。」
 「ま、あなたがたに昨日会っていただいた諸先生方は、言わずもがな、分かっていらっしゃいます。心配せずに、今日一日は町で目立たないようにしていただけますか。」


 そんなわけで、ルークは手ぶらのまま客舎に戻ってきた。
 ミズハは相変わらず、本に夢中になっている。しかも、ルークのベッドを占領して。
 「…おい」
ルークは、ミズハの脇に立った。
 「自分の部屋で読めよ、貸してやるから。」
 「部屋の掃除の時間だって、追い出されたんだもん。勝手に外に出ちゃ駄目だって言ったのはルー君だよ」
言いながら、枕の上に置いた本のページを捲る。
 「ったく」
上着を脱いで、椅子に腰を下ろした。ミズハがこの調子だと、読み終わるまではルークも部屋を離れられなさそうだ。ジョルジュと話したことは、ミズハに伝えるつもりはない。こちらがわへ来たばかりの彼女には理解出来ないことばかりだろうし、言ってどうなる話でもない。
 「フォルテに帰れるのは、早くて明日らしい」
 「そうなの?」
少女は顔を上げた。「まだ何かあるの」
 「ジョルジュさんの用事がね。待ってなきゃいけないらしい。」
 「そっか」
再び本に視線を落とす。ルークは、ため息をついて、自分も本を引っ張りだした。今日一日は、することがなさそうだ。たまには、こんな日もいいかもしれない。何も起きず、何も考えなくて済む、そんな一日も。


 だがジョルジュのほうは、何もないどころではなかった。
 メテオラからの列車は、その日の昼過ぎ、駅に到着した。本部からの迎えの歓迎の言葉も受け流し、挨拶もすっ飛ばして使者は”協会”本部の審理委員会への面会を希望したのだ。審理委員会は、調査、冒険の可否など末端の方針を決定する各委員会の上位に位置し、未知なる事象や想定外の出来事に直面した際の対応を決定するために存在する、最高権威機関だ。いわば、本部と、その下に連なる支部すべての「頭脳」と言うべき組織。
 訪れた使者たちは、いずれも軍人上がりを思わせるがっちりした体躯に、揃いのマントを羽織り、形式だけとはいえ、物々しい剣を腰帯びている。その一団が動くだけで、周囲は圧倒され、萎縮した。
 ジョルジュはそんな使者たちとの会合に同席を求められた。
 エレオノール号の探検に許可を出したのは本部だが、所属自体は支部にある。そして、船の帰港と荷揚げを指示した責任もまた、支部にある、というわけだった。
 「単刀直入に申し上げよう。」
着席するや早々に、メテオラからの使者団の団長を務める外務次官は、口火を切った。
 「今回のエレオノール号の一件、貴殿らの危機管理体制に問題があったものと我々は考えている。今後どのような対策をとっていかれるつもりか、伺いたい。」
 「危機管理体制に問題があった、とは言い切れない」
応えるのは、現在の委員会メンバーの中でも一、ニを争う発言力を持つ男、ハリールード。招集された委員たちは、いずれも老獪な政治家でもあった。単に学問に秀でた学者たちには、こうした場は不向きだ。
 「我々の探索行は未知の領域を調査するものである。未知なる領域には未知なる危険が潜む。万全は期すが、完璧ではないのは当然のこと。むしろ、誰一人予測し得なかった未知の危機において一人の使者も出さなかった我々に非はないと考える」
メテオラの使者の一人が、鼻を鳴らした。
 「それは偶然に過ぎない。フォルティーザにはまともな軍もないではないか。たまたま場所が海の近くだったから良かったようなものの、これが町中で起きていたら、どうなっていたことか」
 「……。」
痛いところを突いてくる、とジョルジュはひとりごちた。事実、今回の被害が港の建物と船だけだったのが運が良かったに過ぎないことは、状況の詳しい報告を受けた彼が一番良く知っている。
 「そうした危機を未然に防ぐための調査を行なっているのだ、我々は。」
ハリールードは微かに苛立っている。「未知に対する接し方は、少しずつ探ってゆかねばならない。」
 「あまりにも無謀すぎる。このまま何の備えも持たずに、闇の海の向こうに手を出せば、いずれ取り返しのつかぬことになりますぞ。」
 「軍を置くのは非現実的です。ましてや、調査船に兵力を同乗させるなど、調査の負担が大きすぎる。」
 「そんなまどろっこしいことは、言っておりません」
外務次官は笑みを浮かべ、足を組む。
 「これは提案なのです、各々方。海の向こうが危険な大陸であることは、貴方方も承知の上のはずだ。腫れ物でも触るようにそっと眺め、石ころの一つ二つ持ち帰るような、時間のかかる真似は止めにしてはいかがです。最初から、危機と遭遇しても引かずとも済むだけの兵力を備えた調査団を送ればよい」
途端に、委員会の面々がざわめいた。
 「軍に警護させた調査隊を送り込めと?」
 「それは侵略行為だ。」
 「危険すぎる。調査隊一隻だけでも生還させるのが難しいというのに、船団など」
 「お申し出は検討させていただくが」
ハリールードのよく響く声で、一同は口を閉ざす。「…次回の探索はまだ先になりそうです。その頃には状況も変わっているかもしれません」
 「それは、そうですな」
メテオラの使者団の間から、小さな嘲笑が漏れる。
 「虎の子のエレオノール号が全焼したのでは、すぐは無理でしょうとも。ですが――勘違いされておられるようだ。 我々は、船も提供しようと言っているのですよ」
 「船?」
ジョルジュも、ひそかに眉をひそめた。内陸国で、海に面していないメテオラには、大型の調査船は無いはずだが…。
 だが、使者たちは、面々の反応だけを楽しんでそれ以上は言わなかった。
 「近いうちに、お目にかけることが出来るでしょう。」
会談は、これで終了だった。


 嵐のように訪れて、あっさり引き下がったメテオラの使者団には、悪い予感しかなかった。
 「ハリールード」
引き上げていく委員たちの間を抜けて、ジョルジュは、さっきまで発言していた男に近づいた。この男は、現在のジョルジュの直属の上司という扱いでもある。これまでも、二人の間には頻繁に情報のやり取りが成されていた。今朝、ルークに伝えた情報もその一端。しかし船の話は聞いていない。
 「メテオラは何をしようとしているのでしょう」
 「さて。うちに諜報機関はないから、噂でしか聞いたことはないがね」
がっしりとした体格の、口ひげを蓄えた男は、丸っこい指を口元に当てた。「立ち話もなんだ。こっちへ」使われていない会議室にジョルジュをひっぱりこむ。
 周囲に誰の気配もないのを用心深く確かめたあと、ハリールードはジョルジュのほうに向き直った。
 「…彼らは飛空艇の復元に着手しているそうだよ。」
 「飛空艇…というと」
それもまた、神魔戦争以前の言い伝えの一つだ。
 神魔戦争時代より前には、鉄の船が空を飛んでいたという。だが、その製造方法は今では失われ、もし残っていたとしても、世界の法則が変動してしまった今では使えるかどうかも分からないのだが。
 「まあ、噂だがね。今回脅しをかけてきたということは、完成の目処が立ったのかもしれん」
 「それを使って闇の海を越えようというのですか。無茶にもほどがある」
ハリールードは、薄く笑う。
 「それを我々が言ってもしょうがないさ。彼らは彼らなりに焦っているんだろう。こちらも成果は上がっているものの、我々の歩みは彼らから見れば遅々たるもののようだ。」
そう言って、懐から吸いかけの葉巻を取り出し、火をつけた。
 「メテオラ人が性急なのはいつものことだが、さて。面倒を引き起こして、我々まだ火の粉が飛んでくる事態にならないでもらえると有難いんだがね。」
これまでは、闇の海への探索は、船を持つ国だけが参加していた。外洋を持たないメテオラは調査船を持たず、口出しはしても直接参入はしてこなかったのだ。しかし、今後は情勢が変わるかもしれない。国家連邦間で、本部の許可なく闇の海に調査航海に出かけることに制限がかけられたとしても、まだ存在するかも明らかではない空飛ぶ船は制限に入れられない。
 海の向こうへの探索をもっと手広く行いたいメテオラ。
 慎重を期して進めたいフィオナ。
 年を追うごとに、溝は深まるばかりだ。

 ジョルジュは、ため息をついた。
 「単なる学術調査の話ならコトは簡単なのですが、政治が絡みますね。どうしても」
 「仕方がないさ、昔からそうだ。」
ハーリルードは、ふーっと大きく煙を吐き出した。「君も気をつけたまえよ、ジョルジュ。彼らが目の敵にしているのは、君のところの支部なんだから。そう、」
声が一段と低くなる。
 「例の”あれ”の管理には、これまで以上に気を遣ってくれたまえ。」
 「……。」
ジョルジュは、眼鏡を押し上げる。心なしか、部屋の温度が下がった気がした。沈黙、、――そして意味深に逸らされる互いの視線。
 「万一あれが何かしでかしたなら、君の首ひとつではすまんからな。」
 「あなたに言われるまでもないですよ」
固有名詞さえ登場しない、その会話の意味を知る人物は、今では彼ら二人だけしかいない。
 ドアを開け、外に出ようとしたところで、勢い良く駆けてきた少女とぶつかりそうになった。
 「おっと」
 「あっ」
制服姿の少女は、ハリールードにぶつかるすんでのところで何とか足を止めた。
 「す、すません。すいません。急いでいたもので」
 「どうしたね、何かあったのかい」
 「はい、――あっ」
巻き毛の少女は、ハリールードの後から出てきたジョルジュに目を留め、ほっとした表情になった。
 「フォルテの支部長! 探していたんです」
 「…私を、ですか」
嫌な予感しかしなかったが、ジョルジュは務めて冷静を装った。ルークたちでなければ良いのだが。
 「どうしました」
 「支部の秘書の方から緊急通信が入っています。フォルティーザで、何かあったようで」
予感は的中しなかった。が、もっと悪い方向のようだ。
 「すぐに行きます」
通信技師の少女とともに廊下を走ってゆく同輩の後ろ姿を見送りながら、ハリールードは、葉巻を口から離した。その表情には、難しい色が浮かんでいた。


 まったくのところ、青天の霹靂だった。
 明日まで待機と言われて部屋でのんびりしていた二人は、ジョルジュの使いだという本部の職員から突然、急いで身支度をして駅まで来るようになどと言われて困惑していた。しかしそれ以上に困惑していたのは、職員たちのほうだった。

 フォルティーザで何かが起きた。

 それだけが辛うじて分かった情報で、そのためにジョルジュは大急ぎで支部へ戻らなくてはならないらしい。緘口令でも敷かれているのか、職員たちも詳しくは知らされていないのだという。
 駅につくと、すでにジョルジュがそこで待っていた。馴染みのない、白髪混じりの金髪の男も一緒だ。本部で何度か見かけた気はするが――名前は知らない。
 「変わりないようだな」
 「ええ」
男は、葉巻を咥えたままルークだけをじっと眺める。その視線に、ルークは何か違和感を覚えた。だが問いかけを発する前に、視線はふいと逸らされた。
 「では、また」
ジョルジュはその男と握手を交わして手短に別れを告げる。
 「…あの、ジョルジュさん。今のは」
 「話は乗ってからにしましょう。」
 列車は出発の時を待って白い煙を吐いている。時間がないのは確かなようだ。


 彼らが乗り込むと、列車はすぐにホームを離れた。来た時と同じ路線だ。
 割り当てられた席につくと早々に、ルークは問いかけを発した。
 「一体何が起きたんです?」
 「すいません、急がせてしまって。――まだはっきりしない情報ですが、どうやら”鮫男”再来のようです」
ルークの表情がこわばる。
 「…まさか、そんな」
 「この間、あなたたちが救助したあの船。やはり、そうだったということでしょう。迂闊でした。ゴタゴタに気を取られて、調査船を出さずにいたとは…」
ジョルジュは、珍しく表情を顕にしていた。この男が焦りを見せることは、滅多にない。
 「鮫男って?」
ルークの隣で、ミズハが首を傾げた。
 「正体は分からない、海の怪物みたいなものさ。船を襲うやつで、大きさはサメくらい。人の手足がついてた、なんて目撃情報もあって、通称”鮫男”。」
 「出現は三年ほど前。ルークは調査に出てたから実際には知らないでしょう。突然現れて、フォルテの辺りの港を荒らしまわったあと、ある日を境にぴたりと出没しなくなった。未解決事案です」
ジョルジュは、スーツケースから書類の束を取り出した。「本部で受け取った電信です。被害は情報が入ってきているだけで既に20隻。ほとんどがフォルテ周辺というのも前回と全く同じです。船の傷口も…」
写真には、えぐり取られたようになっている三本の溝が、くっきりと写っている。
 「怪我人は沢山出ているんですか」
 「幸いにして、今のところは数人です。夜、港に係留していた船がやられたのが大半のようですから。しかし、時間の問題でしょう」
 「……。」
ルークは、食い入るように写真を見つめているミズハに気がついた。海といえば、ミズハの得意な領域。とはいえ、彼女の姿を人前に晒すことになり、その存在を公にしてしまう。
 「ジョルジュさん…」
ルークの視線を受けて、しかし男は、小さく首を振る。「ぎりぎりまで、彼女には頼らずにいきましょう。今はメテオラの目が光っていますから」
 言葉少ななジョルジョの表情から、ルークは、政治的な問題が大きくなりつつあることを感じ取っていた。
 本部で何かがあったのだと察してはいたが、雰囲気からして聞くに聞けなかった。むかしの祖母も、そうだった。祖母のグレイスも、時々こんなふうに黙りこくって、一人で何かの重責に耐えていた。
 探検家は、ただ未知なる領域に向かえば良いだけではない。

 ”面倒になったんだ。やれ最初の発見者が誰だの、何を発見したのが誰の手柄だの。”

ハロルド・カーネイアスの言うことも、確かに一理ある。未開地学者の活動は、常に政治的な思惑から逃れられない。


 列車は、不安を乗せて走り続ける。
 行く手には、遠い空の下に、フォルティーザの町の明かりが心細げに揺れていた。


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