都ヴィレノーザ


 翌日、正午きっかりにアネットが迎えに来た。

 町はずれ、海とは反対側にある駅舎の前には、既にジョルジュが待っていた。いつもの灰色のコートに、スーツケースが一つだけ。ルークたちを見て、片手を上げる。
 「急なことで申し訳ないですね。せめて客車は一等にしておきましたよ、経費で」
冗談とも本気ともつかない口調で言ってから、男はルークたちの反応を待たずに秘書のほうに目を向けた。「それでは、行ってきます。後のことは頼みます」
 「はい」
列車は既にホームに停車して、白い煙を上げている。フォルティーザは、「大陸横断鉄道」のうち、大陸を南北に貫く縦路線の最も南にある最終駅だ。ここから、列車は幾つかの停車駅を経てヴィレノーザに向かい、その先は反対側の海まで貫く。
 大陸横断鉄道は、”神魔戦争”が終わり、大小様々な二十ばかりの国が集まる国家連邦が形成されてすぐ、それらの国々の間をほぼ十字に走るように作られた。十字路の中心にあるのが、ヴィレノーザ。かつて、この大陸では最大の勢力を誇り、人類の存続をかけて巨人と呼ばれた未知の種族との苛烈な戦争の先頭に立って戦い抜いたとされる都市だ。戦争が終わって百年が経つ今でも、町には当時の痕跡がハッキリと残っている。
 列車は今、その町に向けて長い道のりを走り出そうとしていた。


 フォルティーザを出てまる一日。寝台つき列車の旅は続く。
 「海が見えないねえ」
見知らぬ乗り物に初日には大騒ぎしていたミズハも、二日目になると、少し飽きてきたようだった。
 「波の音も聞こえない」
生まれてからずっと海の側に暮らしてきた彼女は、初めての内陸の空気に困惑しているようだった。
 「不安ですか?」
 「ちょっとだけ。風が違うの、なんか…体が重い感じ」
 「ふむ」
ジョルジュは、腕を組んだ。「貴方の力は、内陸での飛行に制限がかかるものかもしれませんね。試してみる価値はあるかもしれません」
 「…ジョルジュさん」
 「おっと失礼。つい」
男は笑い、しかしすぐにその笑みは表情から消えた。
 この列車の旅の最初から、ジョルジュはいつになく言葉少なだった。支部長が本部に呼び出されるということ自体、異例のことだ。本部が、南の海の果てへの探検を恐れているのはよく知っている。ルークが”霧の巣”へ挑んだあの旅も、許可が降りるまでにジョルジュには随分無理をしてもらった。
 「ねえ、あれなあに?」
ミズハは窓にぺったりと張り付いて、指をさす。何もない原っぱに、白い大きな柱のようなものが散らばっている。
 「あれは、巨人の棍棒って言われてる」
 「巨人?」
 「巨大な、人の形をした生き物だったらしい。人間を滅ぼそうとしてこの辺りに攻めてきたんだそうだ。」
説明しているルークの手元に、影が落ちる。見上げると、焼け焦げ、半ば崩れかけた巨大な城壁が通りすぎてゆくところだった。
 壁は、一つではなかった。その次、またその次と、石と土盛りで作られた分厚い障壁が、見渡す限りの草原に弧を描いて連なっている。
 「神魔戦争時代、この辺りは戦場だったのですよ。巨人と、われわれ人間との」
と、ジョルジュ。
 「…巨人との戦いは、神魔戦争時代の最後の戦争です。この国は、常に南の海からの侵略者たちに攻められ続けてきたのです」
だから、とルークは心のなかで呟く。
 戦争が終わり、巨人族もその他の敵も居なくなった今でも、学者たちは海の向こうを恐れるのだ。
 そもそも、戦争が終わったからといって、巨人や魔物が本当にいなくなったかどうかなど、誰に証明できるだろう。また戦争が始まらないと、誰に断言できるだろう。今のこの状態を、戦争の「終わり」と見なすことにすら反対する学者がいる。この百年の平和は、単に世界が危うい均衡状態を保っているだけの休戦期ではないのか…と。

 過ぎてゆく城壁の大半は、ぼろぼろに壊されていた。そこかしこに壊れた遺跡や大岩が散らばり、その合間に住んでいる人間はおらず、放牧された羊の群れがところどころにポツポツと見えているくらい。
 だが、次第に壊れていない立派なままの壁が現れた。戦争の最後まで無事に立ち残り、人の町を守ったもの。その奥に、街並みらしき屋根が見えてくる。
 「さあ、そろそろですよ。あれがヴィレノーザ。」
この国の、…国家連邦の盟主たるフィオナの首都、この大陸最大の都市の一つ。列車は、その中心となる駅のホーム目指して、最後の距離を速度を落としながら滑りこんでいった。


 何年かぶりに訪れるヴィレノーザは、記憶にあるよりも大きく、圧倒的だった。

 中心部にそびえ立つ塔は、かつての王城を改装して作られた国家連邦の本部。そして、隣接している建物が”協会”本部だ。大陸中の様々な国から訪れた人々が行きかい、通りはごった返している。歴史ある石造りの建物が未知の両脇に整然と並び、各国から訪れた旅行者たちの聞きなれない訛りが飛び交う。何度か来たことがあるはずのルークでさえ、久しぶりだと気圧される。
 「さあ、行きましょう」
ジョルジュだけは冷静だ。「上ばかり見ていると、穴に落ちますよ。」
 「あ、はい」
観光に来たわけではない。これから待っているのは、憂鬱な本部での査問会だ。
 「ほら、ミズハ。行くぞ」
ごく自然に少女の手をとると、ルークは上司の後について歩き出した。
 本部の入り口は、厳重に警備されていた。各自が身分証を提示し、荷物のチェック。ミズハは特に念入りに調べられたが、支部長のジョルジュと一緒なので、そう時間はかからず解放してくれた。
 「これから、お偉方と面会です。」
奥へ向かう道すがら、ジョルジュはうんざりした口調で言った。
 「まず私が、エレオノール号の件について概要を説明してきます。あなたたちは後から呼ばれるはずです。控え室で待っていてください」
 「はい」
ジョルジュは、会議室の前で足を止めた。本部づきの秘書が近づいてきて、二言、三言、言葉をかわし、ルークたちのほうに向き直る。
 「この方が案内してくれるそうです」
 「こちらへ。」
ジョルジュと別れ、ルークとミズハが案内されたのは、町を見下ろせる見晴らしのよいゲストルームだった。窓辺の植え込みに咲く花々の向こう側には、戦争時代の城壁、そして、乗ってきた列車の到着する大きな駅が見えている。
 「人、いっぱいだねえ」
ミズハは、この町に来てからずっと驚きっぱなしだ。「フォルテより一杯いるよね?」
 「そうだな。」
ずっと島で両親とだけ暮らしてきた少女にとって、これだけ人間がいる風景は想像以上のものに違いない。ルークですら、あまり人と接しない海の上の暮らしに馴染みすぎて、ヴィレノーザの人混みには早くもうんざりしつつあった。

 広い部屋には、居心地のよいソファや暇つぶし用の本棚、自由に飲める飲み物などのほか、特に何もない。壁には、歴代の本部長の肖像や、”協会”の業績を示す写真が並べられ、年代ものの時計が時を刻んでいる。
 「ミズハ、ここに来る前に言ってた話だけど」
 「ん?」
 「海を離れると、飛ぶのに体が重くなったりするのか」
 「んー… 試したことないから。でも風がないと、飛ぶのって大変だよ?」
少女は、窓辺に腰掛けながら言う。「飛び立つ時は羽ばたくけど、空に上ったら風を捕まえて滑るじゃない?」
ルークは苦笑する。
 「いや、おれは飛べないから分からないけど」
 「そっかー。」
 「でも、港のカモメが飛ぶところは見てるから、言いたいことは分かる」
鳥たちは、つねに羽ばたいているわけではない。上空では、風に乗ってほとんど羽ばたかずに滑空する。羽ばたき続けるのにはエネルギーが要るし、風に逆らえばその抵抗も受ける。
 「海が見えないのって、初めてなの。」
ミズハは、窓の外を見渡した。「陸ってこんなに広いんだね。」
 人類が把握している、この大陸だけでも決して狭くはない。ただしそこには、二十もの国々がひしめき合い、人は、既にこの大陸が狭いと感じ始めている。
 ドアをノックする音がした。
 「はい?」
 「失礼します。」
入ってきたのは、制服に身を包んだ少女。15、6だろうか。肩まであるカールした髪に、利発そうな大きな目をしている。腕章からして通信技師だな、とルークは思った。 
 「あの、こちらにルーク・ハーヴィさんが来ていると伺ったのですが…」
 「おれ?」
 「あ!」
少女は、嬉しそうに笑顔になり、ルークに駆け寄った。
 「はじめまして、私エリザです。エリザ・アーベント。いつも通信している…。ああ、やっぱり想像の通りだ〜」
 「君が?」
ルークは驚いた。本部と通信する時にいつも話している相手とはいえ、声は知っていても顔までは分からない。いつもの声の落ち着きぶりからして、もっと年上かと思っていたのだが、想像していたよりずっと若い。この年で通信技師になるのは、並大抵ではなかったはずだ。最もそれは、対して年は変わらないのに単独で探検船に乗っているルークが言うことでもないのだが。

 エリザは、興奮した様子で一人でしゃべり続けている。
 「一度、お目にかかりたかったんです。通信機だと声だけですし。あの、すいません。いつもおまたせしてしまって。今回も、ごたごたに巻き込まれてしまったんでしょう? 大変ですね。すいません、ほんといつも…」
 「いや。その…」
なんとか喋るのを止めようと、ルークはちらとミズハのほうに視線を投げた。それに気づいて、エリザははっと口元に手を当てる。
 「あ、すいません。その、私ひとりでしゃべってしまって。あの、この方は?」
 「ミズハ。例の、ハロルド・カーネイアスの娘だよ」
 「ああ! あの時の」
ぽん、と手を打ち合わせ笑顔になる。
 「はじめまして、ミズハさん。えっ…と。その、何ていうか、」
ルークに対する時とは違い、しどろもどろになっている。
 ミズハは、ひとつ欠伸をした。
 「あたし、ちょっと外見てくるね」
 「あ、…」
言い残して、ゲストルームと隣接するトイレの扉が、ぱたんと閉まる。エリザは、困ったような顔でルークを振り返った。
 「変わった人…ですね」
ルークは、頬をかく。
 「まあ島育ちだし。」
 「でも、見た目は普通ですね。その、あの方…何か普通の人間じゃないとか、噂を聞いたんですけど」
手が止まった。
 その話をエリザも知っているということは、やはり今回の呼び出しの目的は。
 「…人間だよ。確かにちょっと変わってるけど」
恐れるようなものではない。少なくとも、百年前にこの大陸を攻め滅ぼそうとしていた、巨人や魔物たちとは関係ない。
 …はずだ。


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