都ヴィレノーザ


 立て続けに起こった事件にも関わらず、日々は表向き平穏に過ぎていた。

 焼け焦げたエレオノール号が港の端に係留されたまま修理を受けている横で、港は今日も賑わっている。港を塞ぐ障害物のようになってしまった船は、あと数ヶ月はここに居座る予定だった。幸い焼けたのは甲板を始め上辺部分だけで、浸水箇所はなく、機関部も無事。数ヶ月かけて動かせるようにして、内装などはドックに移動させて行う。ただし再稼働出来るようになるまで一年近くかかるという。その間、この船が行う予定だった航海の全てがキャンセルされてしまう。それだけでも痛手だが、まだ積み下ろしの終わっていなかった調査記録やサンプルまでも灰に帰したこともまた、ひどく痛かった。
 原因となった、アーノルドが発見した(ということになっている)、「熱を加えると生物状になる」鉱石については、学者たちの間で議論が交わされているという。結局、モーリス爺さんが持ち帰った最後の一つだけは処分されずに残されたらしいが、また暴れだすことがないようにと、火気厳禁で厳重保管されている。大発見はしたものの、先走って単独行動をとったアーノルドは謹慎中。…という名の、外出禁止の中での研究を行なっているだろうから、いつもと何も変わらない。心配は不要だ。

 問題はルークたちが助けた漁船のほうで、こちらは原因も何も分からない。
 病院に収容された乗員の話では、とつぜん横殴りされて船が揺れ、甲板に叩きつけられたことしか覚えていないという。傷ついた船体も海の底に沈んでしまい、傷の目撃者はルークとミズハしかいない。あれ以来、同じ状況で沈む船は居ないようだが、数年前の事件を知っている地元の船乗りたちは噂を聞いて酷く警戒していた。
 何しろ、短期間に色々なことが起きすぎた。――迷信深い船乗りたちが、呪われた大陸から帰還した船の炎上に、姿の見えない海の怪物の再来を重ねて見るのも、無理のないことだった。


 晴れた日の午後、ルークは支部専用の裏の波止場でハーヴィ号の船体掃除をしていた。次の航海まではまだ間があるはずだが、緊急で出港命じられることもある。キャビンのソファを外に出して干したり、キッチンにこびりついた汚れを洗い落としたり。ジャスパーは、体を半分防波堤の上に乗せ、甲羅は無いが甲羅干しをしている。
 「ねえルー君、ルー君」
室内の拭き掃除をしていたミズハが駆けてきた。
 「どうした?」
 「写真出てきたよ。」
ミズハが手にしているのは、変色した古い写真だった。渡されたルークは、そこに三人の人物が写っているのを見とめた。帆船を背後に、一番左端は首にスカーフを巻き、にっこり笑っている若い女性。腕には、お揃いのスカーフをつけた人間の赤ん坊ほどの大きさの海竜を抱いている。後ろにある船の名前は、はっきりと写されている。
 「フレール号…。ハーヴィ号の前の代の船だ。これ、グレイスだと思う。」
 「ルークのお祖母さん? じゃ、この抱かれてるのジャスパーなんだ! うわー、可愛いー」 
だが、あと二人は誰だろう?
 右端の長身男は、目深に探検帽を被り、濃い色眼鏡をかけて少し俯いている。カメラを睨みつけるような鋭い視線は、どこか怖い。会ったことがあるような気はするのだが、名前が浮かんでこない。真ん中の男は――
 「……。」
ルークは何とも言えない不思議な気分になった。そこに写っているのは、自分と瓜二つの男だったからだ。右端の男ほど背は高くない。左端の笑顔の女性とは裏腹に、表情は殆ど無く、ぼんやりと正面を見つめている。
 「ルークにそっくりだね。だあれ?」
覗きこむミズハが言う。
 「…わからない」
 「どうして?」
 「グレイス以外の家族の写真を見たことがないんだ」
 「えー」
少女は意外そうな顔をした。「じゃあ、お父さんとかお母さんの顔も知らないの?」
 「うん」
聞いたこともなかった。というより――聞いてはいけない雰囲気を、あの頃の祖母は持っていた。何があったのかは聞けなかった。聞けないまま、それを知っているはずの祖母は、この世からいなくなってしまった。
 「ふーん…。でも、そっくりだし、お祖母さんと仲良さそうだしさ、これがきっとルークのお祖父さんかお父さんなんだよ。」
だが少女は、あっけらかんと言う。「良かったね、むかしの写真見つかって」
 「…うん」
何か違う、という気はしたが、そう思うのが自然なのだろう。ルークはそっと写真を胸ポケットに仕舞った。実を言えば、若い頃の祖母の写真で笑っているものを見たのは、初めてに近かった。年をとってからの写真では、いつもしかつめらしい、厳しい表情ばかりだった。こんなふうに、幸せそうに笑っている時代もあったのだ。
 「おーい」
仕事を再開しようとした時、桟橋の向こうから呼び声がした。体を左右に揺すりながら近づいてくる老人がいる。
 「あれって…」
 「島にいた、おじさんだ」
モーリス・チャック。アーノルドと島に訪ねて以来だ。ルークは、甲板から飛び降りた。
 「どうして、ここに?」
 「エレアノール号の修理だよ。わしは船大工でな、人手が足りんというので、休みを返上して駆けつけたんだが」
言いながら、モーリス爺さんはハーヴィ号に目をやる。
 「そのついでにな、懐かしの船が帰港していると小耳に挟んだんで、見に来たんだよ。」
 「懐かしの…。ハーヴィ号を知ってるんですか」 
 「ああ、勿論だとも。グレイスの注文で、こいつを造ったのは他ならぬこのわしなんだぞ。」
ルークは驚いて老人を見た。
 「祖母を知ってるんですか?」
 「ああ。――といっても、支部の紹介で仕事の話をしたくらいだが。海竜を動力にする船の企画は、わしとグレイスが共同で立てたんだ。こいつは、その第一号。」
モーリスは、日向ぼっこをしながら首だけ人間たちのほうに向けているジャスパーにも目をやった。
 「あの時の海竜か。ずいぶん大きくなったなあ。そろそろ牽引部を付け替えたほうがいいかもしれんぞ」
 「牽引部?」
 「船の底に、こいつが引っ張ったり向きを変えたりするための装置がついとるはずだ。そいつをな。」
笑顔で言いながら、老人は、何気ない一言を口にした。
 「しかし、あのグレイスに孫がいたとはなぁ。あの頃、家族の話は、全然聞いたことがなかったんだが」


 船の掃除を終えて家に戻ろうと、海岸通りから丘の坂道に差し掛かった時、背後からゆっくり走ってきた車がクラクションを鳴らした。
 「あなたたち」
顔を出したのは、ジョルジュの秘書のアネット。
 「丁度いいところに。今戻りなの?」
 「どうしたんですか」
 「大した用事じゃないんだけど。ちょっと様子見をかねてね」
口ぶりからして、ジョルジュに様子見を頼まれたようだった。
 ルークの住む丘の上の家は、他の家々から離れていて見晴らしもいい。建物が塔のように縦に細長く、庭は無駄にだだっ広かった。車を何台でも止められる広さだが、祖母は頑として車には乗らず、もっぱら徒歩か馬車だった。
 その奇妙な家は、入り口を入るとすぐ、頭上に吹き抜けの空間が広がるリビングになっている。吹き抜け部分を螺旋状に屋上まで続く階段の脇の壁は、びっしりと書架。そして天井部分には、大きなドーム状の明かり取り窓がある。
 「相変わらず、ここは落ち着かないわね」
苦笑して、アネットはソファに腰を下ろした。ルークにとっては落ち着く我が家なのだが、大抵の来客は吹き抜けが開放的すぎて落ち着かないと評する。
 「お茶淹れるね」
 「ありがと。ミズハちゃん、ここでの生活はどう? もう慣れた?」
 「うん」
なるほど、ミズハの様子見だったのか…と、ルークは、キッチンに向かうミズハの後ろ姿を興味深そうに眺めているアネットの向かいに腰を下ろしながら思った。
 ミズハの滞在許可が出たのは、ほんの数日前。支部の管轄で、責任者は支部長のジョルジュということになっている。これでミズハは、大陸内の、協定の結ばれている国や地域ならたいていどこでも合法的に出入り出来る事になる。しかし国家連邦に所属しない「よそ者」という扱いには変わりなく、一時的な許可ではなく市民権を得て住むには、いずれかの国に所属して国籍を取得しなくてはならない。ジョルジュの話では、最も簡単なのは父親の生家カーネイアス家に一族と認めて貰うことだが、そのカーネイアス家からの返事が無いのだという。それはミズハだけの問題ではなく、国家間の問題でもある、と、彼は言っていたのだが…。
 「ねえルーク、これはあなたにも聞いてほしい話なんだけど」
ミズハの姿が見えなくなると、アネットは、待ちかねたように彼の方を向き直った。
 「何ですか? 改まって」 
 「ここのところ、うちの支部からの探検船が持ち帰ったもののことで、色々あったでしょう。それで本部が、詳しい報告を求めているの。」
 「エレオノール号のことだけじゃなくて、ですか」
 「悪い話は、良い話とセットにして持っていくものよ。結果から言えば、エレオノール号の探索は成功だわ。未知の大陸の発見、上陸と、サンプル及び記録の回収。ただ、そのサンプルに一部、未知の要素が紛れ込んでいたというだけ。不可抗力よ。でも、」
アネットの表情が陰った。「会議室に篭っているだけの本部の偉い人には、そんな些事のほうが気になるものなの」
 「そりゃエレオノール号全焼って聞けば、気になりますよ。幸いにして、死者が出なかったにしろ」
 「そうね…。あの事件のせいで、本部は敏感になっている。未知の大陸への挑戦は、過去、何度も悲劇的な失敗を繰り返してきたから」
ちょうど、ポットとティーカップを載せた盆を手にミズハがリビングに戻ってきたところだ。アネットの視線は、さりげなくミズハのほうに注がれた。
 言いたいことは何となく分かる。
 エレオノール号とハーヴィ号の行き先は異なっていて、持ち帰ったものも違う。しかし、エレオノール号が未知の危険を持ち帰ったように、ハーヴィ号も…と、考えられてしまっうのは致し方ない。
 「余計な火の粉がかかってきたってことですね」
ルークはため息を付いた。「それで? おれたちはどうすればいいんですか」
 「本部は、実際に会って話を聞きたいと言っているの。支部長と、あなたとミズハ…三人で来て欲しいと。出来れば、明日中に出発できるかしら?」
 「急ですね」
 「本部のお偉方の不安を解消しないことには、他の探検船の出発や帰港の許可が下りないの。」
お茶を注いでいたミズハは、手を止めた。
 「また、どこかお出かけ?」
 「うん。」
 「今度はどこ?」
 「ヴィレノーザ。おれたち未開地学者の所属する”協会”本部のあるところだ」
そして、この国の首都でもある。――ここからは、鉄道で2日ほどの距離だ。
 「出発はいつでもいいですよ。すぐに準備します」
 「そう。ごめんなさいね、こんなことに巻き込んでしまって。」
 「いえ」
明日の正午に迎えに来る、そう言ってアネットは、いそいそと出ていってしまった。
 「本部か…。」
正直言えば、苦手な場所だった。最後に訪れたのは、いつだったか。雰囲気は全く異なっていた。清潔感のある、いや、ありすぎる本部の中には、自分たちの足では一切未開地を踏むこともないが、結果にだけは口を出してくる厄介な学者たちが五万と居る。

 だが、行かなくてはならない。今回はジョルジュも一緒なのだから、少しはマシだろう。
 ルークとしては、そう思うほかに無かった。


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