町フォルティーザ


 夕方にはミズハを家まで送る、という約束で支部長に解放されたルークは、自身の送迎を断って徒歩で町に戻った。支部から海岸通りまでは一直線なのだが、敢えて中央通りから遠回りする。
 フォルティーザの街の中心をまっすぐに貫く中央通りは最も交通量が多く、道の左右には店や宿が立ち並ぶ賑やかなところだ。普段は港に船がつくたび、客や荷物がひっきりなしに運び込まれる通りでもあるのだが、今日は港が閉鎖されていることもあり、いつもより閑散としている。
 町の話題は、昨夜の船の炎上のことで持ちきりだった。
 「聞いた? 闇の海の向こうから何か持ち込んだらしいよ。」
 「やはり…、海の向こうに手を出すのは時期尚早だったんじゃないのかね。」
 「闇の海の向こうからくるものに、ろくなもんはないよ。何年か前だって、あの事件が…」
ヒソヒソ声は否応なく耳に届く。皆、恐れているのだ。今回の、ルークの調査任務も、本部では根強く反対する者がいたという。

 ”闇の海”の向こうには、魔物に呑まれた大陸がある。――

 この辺りに伝わる言い伝えだ。
 曰く、かつての神魔戦争の時代、海の向こうには、魔王と呼ばれる存在が支配し、巨人が闊歩し、異形の生き物たちが住んだ大陸があった、というものだ。潮の流れのせいか、昔から、この辺りの浜には不思議なモノが打ち上げられる。嵐の後など、異形の巨大魚が流れ着くこともあった。だから漁師たちは、あまり遠洋まで出ることはない。人々は信じている。海の向こうにあるのは呪われた大地、そこは今も汚れているのだと。
 たったそれだけの迷信ともお伽話ともつかない言い伝えのために、ハロルド・カーネイアスの後を継いで空に浮かぶ岩の存在を確かめにいく者は二十年も現れなかった。いや、正確には居たのだろうが、許可が降りなかったか、無許可で挑んで帰って来なかった。伝説を抜きにしても、「闇の海」は、確かに危険な海ではある。風も、潮の流れも、一筋縄ではいかない。だが、未知の領域を探索しなければ、人はいつまでも、この大陸に縛られて世界の姿を知らないままになる。百年前、何が終わったのかを、永遠に知らないままになる。いつかは、誰かが「太平の海」を越えてゆかねばならない。
 …祖母のグレイスは、そう信じて海洋学者になったのだと言っていた。


 ルークは真っ直ぐ家に帰るのをやめ、港のほうに向かった。
 入り口には警備が立ち、野次馬たちを厳しく追い返していたが、ルークの持っている未開地学者の身分証は大いに役に立った。昼の日差しの中で見るエレオノール号は無残に焼け焦げ、ところどころ、装甲板が剥げ落ちている。幸い浸水はしていないようだが、修復するにしてもそれなりの補強をせねばならず、この先しばらくは港の大半を占領しつづけるだろう。
 アーノルドと仲間たちは、周囲を厳重警戒されながら、港の真ん中で木箱を開いてあれこれと捻り回していた。
 「お」
集中しているかと思ったら、珍しくアーノルドのほうからルークに気づいて声を上げた。
 「ルーク! いいところに来たな!」
高く伸ばした手を、ひらひらと振って手招きする。「ちょっと、ちょっと」
 調査班を取り囲んでいた人垣の一部が切れ、ルークを輪の中に招き入れる。
 「これ、見てくれ。ほら」
アーノルドは、手袋の上に黒っぽい石のかけらのようなものを載せている。ひどく炭化して、今にも崩れてしまいそうだ。
 「何だ? これ」
 「昨日現れた謎の生き物の残骸さ。ほら」と、彼は港の抉れた場所を指さす。「あそこから拾い上げたんだ。」
 「……。」
ルークはもう一度、アーノルドの摘んでいる炭のかけらのようなものを見た。
 「これが、動いていたようには見えないけど…」
 「だよなあ」
アーノルドは、ため息をつく。
 「だけど、確かにあそこから拾い上げたんだよ。何が起きたのか、僕は見ていなくてさ。岩が動いたなんて、そんな大事件をこの僕が見逃したとは一生の不覚だよ。まさに」
ルークは苦笑した。
 「見に来てたら、逃げ遅れてひどい目に遭ってたかもしれないけどね。」
 「これじゃ何も分からないよ。せめてもうすこし原型が残っていれば…」
鉱物マニアの青年は泣き出しそうだ。確かに、容赦のない”壊し”方だ。よくよく見れば、港には何箇所か、爆発したような穴がえぐられている。改ためて、ミズハの”攻撃”の威力を思い知らされる。
 ルークは、アーノルドの仲間たちが広げている木箱のほうに視線をやった。
 「残りの岩は?」
 「何も。ありふれた火山岩ばかりだ。これを持ち帰った調査員の話じゃ、海岸沿いの冷えた溶岩のあたりから拾ってきただけだとか。ああ、どう見ても無害なのに… これを捨てるなんて…」
彼は、未練がましそうな口調だ。
 「こっそり隠して持って帰ったりしないほうがいいぞ」
 「わかってる、ああ分かってるよ! 街の中で昨夜みたいなことになったら、僕の首一つじゃ済まないんだから。でも…」
眼鏡の奥で、青年の目が微かに燃えた。「何が起きたのか、少しでも手がかりを掴みたいんだ。」
 「…アル」
アーノルドは、いつになく真剣な顔でルークを覗きこんだ。
 「一つ手がかりがあるんだ。今は調査船が出払ってて、お前くらいしか動ける船を持ってないんだ。頼む! この通り。確かめてきて貰えないか!」
 「確かめるって、…何を」
アーノルドはルークの肩を掴み、ぐいぐいと引っ張って物陰に引きずり込んだ。
 「このエレオノール号の船員の一人で、モーリス・チャックって爺さんがいる。航海が終わったら休暇取る、って途中で下船して航路の途中にある島に帰ったらしいんだよ。」
 「……。」
 「その爺さんが、家族への土産だって、いくつか小石を持ち帰ってたって船員に聞いてさ」
 「アル、…お前、まさか」
 「ルーク様神様仏様!」
呆れているルークの前で、青年は低頭平身、地面に額をこすりつけんばかりになっている。
 「この話、まだ本部には知られてないはずなんだ。先回りして、ちょっとだけ…。どうせ廃棄されるなら、その前に。な、頼むよ! お前の船なら、先回りできるだろ」
 「出来なくはないけど…。」
 「もしその石が危ないものだったら、急いで知らせたほうがいいってのもあるじゃないか。」
 「物は言いようだな…」
 「たーのーむよー!」
アーノルドは、ほとんど泣き出さんばかりになっている。「そりゃあ…皆が未知の生き物や呪われた大陸を恐れてるのは分かってる。だけど恐れだけでは何も始まらない。命がけの航海で、せっかく持ち帰ったものが闇に葬られるなんて、僕は…。」
 「…分かったよ。」
根負けして、ルークは頷いた。「だけど、準備する時間はくれ。支部長に連絡もしないといけないし」
アーノルドの表情が変わるのを見て、ルークは慌てて首を降った。「告げ口するつもりじゃない。うち今、預かってる子がいるから」
 「僕はお前の船で待ってる」
 「あとで行くよ」
まったく、アーノルドときたら、大好きな鉱石の研究となると見境がない。ルークは、呆れながらも笑っていた。石ころマニアの研究バカと笑われながら、自分の好きを押し通すアーノルドの生き方は、時に羨ましくもあり、どこか、祖母グレイスを思い出させて懐かしくもあった。


 帰ってきたばかりで嫌がるかと思ったが、ジャスパーは再出航におとなしく従った。ここのところ港が騒がしく、静かな外洋に出たかったようだ。
 港町フォルティーザを後にする「ハーヴィ号」の乗員は、船長のルークに、調査員アーノルド、そして…
 「…なんで、ここにいるんだ」
 「だって、お出かけするんでしょ?」
ミズハは、アネットに買ってもらったらしい新しいサンダルを履いた両足をぶらぶらさせながらキャビンの屋根に腰掛けている。
 連絡の行き違い、というやつだ。
 ルークが支部に連絡したとき丁度ジョルジュは不在で、支部の研究員に伝言を頼んでから家で準備をして船に向かった。
 ミズハはというと、予定より早く解放され家に送り届けられていたが、ルークがまだ帰宅していなかったのでジャスパーに会おうとハーヴィ号のある裏の波止場へやって来た。丁度そこにはアーノルドがいて、ルークと出かけることを聞き…、と、いうわけで、連れてくるつもりの無かった彼女が同行している。
 「いいじゃないか、女の子と一緒のほうが旅も華やかだし」
呑気なアーノルドは、まだ、昨夜の事件とミズハの結びつきを知らない。いい気なものだ。そのうち、真相を知ったら後悔するかもしれない。何しろ、アーノルドが泣いて調べたがっていた貴重な鉱石を消し炭に変えたのは、他ならぬミズハなのだから。
 そんな甲板の上の三人の様子を気にした素振りもなく、ジャスパーはゆっくりとハーヴィ号を入江の外へ導いてゆく。黒々とした海竜の姿が波間に見え隠れするのを、他所から来た船の人々は物珍しそうに眺めている。港近くは船の往来が多く、あまり速度は出せないが、ひとたび外洋に出てしまえばジャスパーにとっては思い切り走れる草原同然だ。
 黒々とした巨体をくねらせながら、ジャスパーは海面近くを次第に速度を上げてゆく。体の形に海水が避けて、海面に波が盛り上がる。
 「ジャスパー、南南西だ。岬をまわって、そのまま真っすぐ」
ルークの指差す方向へ、ジャスパーは首を巡らせる。その動きにあわせて、船も向きを変えた。風を切り、ハーヴィ号は周囲の小船を次々と追い抜いていく。
 アーノルドは軽く口笛を吹いた。
 「さすがは、快速船ハーヴィ号! これなら、本部の先回りが出来るかもしれない」
 「だと、いいんだけど。」
目的地の島は、大陸から海峡一つ隔てて小さな島の集まる南西諸島の中にある。フォルティーザからは並の船なら2日といった距離だが、逆に南西諸島から半日の距離には、フォルティーザほどの大きさはない小さな港町が一つある。本部のあるヴィレノーザから司令が飛んでその港から船が出ていれば、先に着く可能性もある。
 「だいたい、南西諸島って言っても広いんだぜ。島は二十もある。その船員が、どの島に住んでるのかまでは分からないんだろ? 無鉄砲にも程がある」
 「それは、そうだけど…」
アーノルドは、突然しゅんとなる。「でも…、いてもたってもいられなくてさ。」
 背を丸め、落ち込んだ様子の青年を見て、ルークもそれ以上は責められなくなった。

 実を言えば、アーノルドとは、そう親しいわけではない。少なくとも、自分はそのつもりだ。知り合ったのもここ数年のことで、そう昔ではなかった。両親も解析班で、未開地から持ち帰られるサンプルの分析に携わっていたというアーノルドは、出会った時から生粋の鉱石オタクだった。初対面からして、「石にはこの世界の歴史が詰まっている」、熱っぽく延々半日も語り続けたくらいだ。あまりにも話が長いので、ルークは途中からまともに聞いていなかったが、最後まで付き合ってくれたと本人はいたく喜び、それからというもの、何かにつけて絡んでくるようになった。
 悪い人間ではないし、絡まれること自体は特にイヤというわけではない――、ただ無鉄砲なまでの熱意と純粋さに、危なっかしさを感じる時がある。
 ”未開地学者”に必要な学位は持っていても、一般の学校には通ったことのないルークには、他に友人と呼べる同年代はいない。年の近いアーノルドとも、どう接して良いのか、戸惑うことのほうが多かったのだが。


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