町フォルティーザ


 フォルティーザの街並みからは大半の明かりが消え、岸辺は闇の中に寝静まっている。波は穏やかで、満月から欠け始めた月が波間を照らしていた。灯台の光が規則正しく往復しているほか、動くものは見えない。
 夜半を、少し過ぎた頃か。
 「ルー君、ルー君」
 「…ん」
 「起きて。呼んでる、助けてって」
ゆさぶられて、ルークは虚ろな目を半分だけ開けた。
 「何が、呼んでるって…」
 「わかんない。海のほうなの、灯台の向こう」
直ぐ目の前に、少女の心配げな顔がある。意識が戻ってくるまで、数秒。
 「灯台の向こう…って表の港のことか?」
ベッドから体を起こしながら、彼は額に手を当てた。まだ半分寝ぼけているが、朧気に、そこにはエレオノール号が停泊していることを思い出していた。
 カーテンを開くと、窓の外に夜の湾が広がった。耳を澄ましても、静まり返った夜空の下、聞こえてくるのは海風が窓を叩く音だけ。
 「何もないじゃないか…。」
寝ぼけ眼をこすりながら、ベッドに戻ろうとしたときだ。一陣の風が脇をすり抜け、窓を軽く叩いた。弾かれたように少女が叫んだ。
 「火事!」
鋭い一言のただごとならざる気配に、意識にかかっていた眠気の靄が瞬時にして晴れた。ルークは裸足で階段を駆け上った。丘の上にあるこの家の屋上からは、港のある入江の奥がかろうじて見える。
 そこには、港の1/3ほども占拠する黒い船の巨体が見えた。夜を徹して作業していたのだろう、支部の解析班の人々が灯したと思われる作業用の明かりが一区画を煌々と照らしている。水揚げされ、これから調査に回されるのであろう荷物の数々が、港前に積まれている。
 火の手は、船尾に上がっていた。それも最初はちろちろと舌のように揺れていた火が、ルークの見ている前で爆発するかのように一気に燃え広がった。風がざわりと首筋を撫で、数秒後、音がかすかに耳に届く。
 「何が起きてる…」
階段を駆け下り、上着を引っ掴んで駆け出そうとする彼の腕を、ミズハが掴んだ。
 「ルー君!」
 「港へ行く。君は、ここに――」
 「あたしも行くよ!」
止めても無駄、というより、説得している時間ももどかしい。靴を半分ひっかけたまま、彼は家を飛び出した。船には――おそらく支部の調査班がいる。その中には、アーノルドも。
 町の大半は、まだ異変に気づかず寝静まっている。坂道を駆け下り、街灯だけが点々と照らす海岸通りを、ルークは潮風を切って全速力に走った。行く手に港の入り口が見え始めた。既にそこは、異変に気づいて駆けつけた海岸通り沿いの人々が集まっていた。ルークとほぼ時を同じくして、支部の車が次々と乗り込んできた。爆発に気づいたからか、船に居た人々からの連絡を受けてか、駆けつけてきたのだ。港から逃げてくる人々の波も合流し、間もなく、あたりは人でごった返すようになった。
 「アル!」
ルークは、見知った眼鏡の青年が座り込んでいるのを見つけて駆け寄った。赤毛の青年は、普段から青白い顔色を今は真っ白にして、へたり込んでいる。見たところ、怪我はない。
 「ル、ルーク」
 「何があったんだ」
 「わ、わからないんだよ。貨物室に入ったら、何かがいて。何かが…、それで…」
 「どいて! どいてっ」
手桶を担いだ消防隊員が人ごみを押しのけて燃え盛る「エレオノール号」に突進していく。類焼を避けようと必死に倉庫から荷物を運び出す船主や、自分の船を沖合いの安全な場所に避難させようと駆けつける船乗りたち。けが人も出ているらしく、担架で運ばれている人もいる。
 「ここじゃ邪魔になる。安全なところへ」
 「でも、でもあそこには、貴重なサンプルが…」
腕を掴んで引っ張ろうとするが、青年は石になったように動かない。視線は、食い入るように船の前に積まれた木箱に注がれている。そこにも火の粉が舞い落ち、炎の熱が届こうとしている。
 「火が消えないと運び出せない。それに、爆発の原因だって分からないんだろ?」
 「あそこにあるのは、ただの石だよ。石のサンプル… そのはずなのに、どうして、あんなことに…」
突然、辺りが明るく赤く染まった。
 激しい爆発音とともに、船が二回目の爆発を起こした。あちこちで悲鳴が上がり、人の波がこちらに殺到してくる。消防隊員たちの緊迫した会話が否応なく耳に届く。
 「こいつはだめだ、水ぶっかけたくらいじゃびくともしない」
 「今の爆発は?」 
 「機関部に誘爆した。帰港したばっかりだから量は少ないが、あそこにはまだ、燃料の残りが――」
声の最後は、三度の爆発で掻き消える。吹き飛ばされた甲板や装甲の部品が、ばらばらと辺りに降り注ぐ。焼け焦げた灰が赤々とした火柱に巻き上げられ、ルークたちのいる場所まで降ってくる。
 「ああ、サンプルが…」
呟くアーノルドを放置して、ルークは人波に逆流するように身を投じた。帆は次々と赤い舌に絡め取られ、船はもう、半分以上が炎に包まれ、海面を赤く染めている。
 エレオノール号の周囲の船は、逃げ遅れた一部を除いて沖合いに出ており、エレオノール号に残っていた船員たちが次々と甲板から飛び降りるのを拾い上げている。消防隊員たちは最早お手上げといった様子で、もはや船の火を消すのは諦め、倉庫や周囲の建物に類焼しないよう、飛んでくる火の粉や燃えさしを消して回るほうに懸命になっていた。最初に火の手の上がった船尾のあたりは、特に炎が激しい。その辺りに、まだ、何かが取り残されているように見えた。
 何かが…、動いている。
 それを確かめるべく、ルークは、船を回りこむようにして沖合いに突き出す防波堤の先端へ走った。勢いを増す炎の中、それは崩れ落ちるのではなく、ゆっくりと体をもたげようとしていた。
 足を止め、弾む息を収めながら、彼は呆然とそれを見つめた。
 「…何だ、あれ…。」
立ち上がる、それは―― 人ではない。人のゆうに二倍はあろうかという大きさの、獣のような形をした得体のしれない生き物だった。
 それは、奇妙にも岩に似た動物だった。炎の中でもびくともしていないことからして、確かに性質は岩に近いのかもしれない。調査隊が珍しい岩と誤認して持ち帰ってしまったのか。あるいは、生物サンプルとして積荷に混ざっていたものが生きていたのか。いずれにせよ、明らかにその生き物にとって、それは意図しない不愉快な長旅だったようだ。
 一声、耳障りなノイズまじりの声を上げると、それは甲板の上を走りだした。見た目とは裏腹の俊敏な動きで、まっすぐに、港の方に向かって。船から港へは、炎に包まれてはいるものの、いまだ燃え落ちていない桟橋がかけられている。様子を見守っていた人々は、一気にパニックに陥った。
 「こ、こっちに来る!」
 「助けて!」
悲鳴と怒号が響きあい、人々は蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。岩に似たその生き物は、桟橋の手前で一度は足を止めたものの、それ以外に選択肢はないと思ったのだろう、桟橋を勢い良く駆け下りてきた。そして、再び声を上げた。今度は、大きく、堂々とした声で。
 港全体にその声が響き渡るや、既に船から降ろされていたサンプルの詰まった木箱の一部がガタガタと蠢いた。外装の木が剥がれ落ち、中から一塊になった岩が次から次へと落ちてくる。港に戻ろうとしていたルークは、ぎょっとして足を止めた。あの岩に似た生き物は、一体だけではなかったのか。これでは、退路を絶たれてしまう。
 町のほうから、けたたましいサイレンの音が響き渡った。
 遅ればせながら、町はようやく異変に気づいて目覚め始めたのだ。まもなく自警団が駆けつけるだろう。この町の自警団は、一応の自衛目的ということで設置されている。とはいえ彼らの相手は盗賊団や強盗、せいぜい海賊までだ。こんな未知の生き物の扱い方を知っているわけもない。岩の生き物たちは、体に火をつけたまま、倉庫を荒らし、積荷を打ち砕いて暴れまわっている。類焼を止めようと努めて消防隊員たちも、その勢いに押されて逃げ始めた。このままでは、町まで被害が及ぶ。一体どうすれば…

 と、その時だった。頭上にかすかな羽音が聞こえた。
 「いた! ルー君」
防波堤の端に立つルークの隣に、ミズハが音もなく降り立った。「探したんだよー、どんどん走っていっちゃうからー」
 「ミズハ、…」
少女の背には、白く輝く翼がある。こんな状況だ。飛んできたことについては、何も言うまい。
 「何なの、あのへんな生き物。」
 「分からない。船から出てきたんだ。岩と間違えて連れて帰ってきたんだと思う」
最初に現れた巨大な体躯の一頭が、また、吠え声を上げた。ミズハはきゅっと眉を潜める。
 「…嫌な声!」
 「あの言葉も分かるのか?」
 「あんなのわかんないよ。バカみたいに吠えてるだけ。頭悪そう!」
腰に手を当て、少女は腹立たしそうにそう言った。「あれは敵? 敵だよね。悪い子は排除していいって、お母さん言ってた。それでいい?」
思いがけず暴力的な発言に、ルークは驚いて小柄な少女のほうを見た。
 「排除、って。…どうやって?」
聞き返した時にはもう、ミズハはその言葉の実践に取り掛かっていた。目を閉じ、何か呟くように唇を動かす。彼女の背の翼が白く輝き、周囲に風が沸き起こる。差し伸べた両の腕も光に包まれ、そこから光が分離して鳥の形をとっていく。
 思わず息を呑む。それは美しいと同時に未知の恐怖を掻き立てる光景でもあった。半身を淡い白の輝きに包まれたミズハは、彼女の母サラサの姿を思わせた。
 長い翼をひろげて、鳥たちが飛び立つ。夜の闇の中、燃え盛る船が明かりとして照らしだす入江に弧を描いて。
 鳥たちの聞こえない声が響き渡る中、暴れまわっていた岩の生き物たちがぴたりと動きを止めた。ミズハは両手を下ろし、静かに両の目を開いて、標的を睨みつけた。

 風が切り替わったのは、一瞬のこと。

 輝く白い海鳥たちは一斉に上昇したかと思うと、直線を描いて地表上の標的めがけて高速で突入していった。くちばしを付き出し、翼を折りたたんで体にぴたりとつけたその姿は、まるで無数の光の矢が大地を撃つようにも見えた。悲鳴を上げる暇もなく、岩は無数の破片に砕けて散らばった。閃光のように飛び散った鳥たちの羽根は、しばらくするとそのまま、溶けるように消えてしまった。
 ミズハが一息着くのと同時に彼女の翼も消える。
 港には一瞬だけ、沈黙が落ちた。
 ルークは、ごくりと息を呑み、少女の横顔を見つめた。こともなげな顔をしているが――、そういうことだったのだ。

 彼は、いまさらのように理解した。
 ”霧の巣”を取り巻く、群れなして飛ぶあの鳥のこと。
 岩を削り続ける、昼間だけしか飛ばない白い鳥たちの正体。

 ミズハにも、母と同じ力が受け継がれているのだとしたら。
 「ミズハ」
ルークは、少女の腕を掴んだ。 
 「帰ろう、騒ぎにならないうちに。誰かに見られてなきゃいいけど」
 「え、えっ?」
 「パジャマで外に出てきちゃったし」
そう、ルークもミズハも、着のみ着のままで出てきてしまった。
 「えー、これもだめなの? 外の世界、厳しいよー」
 「そう、厳しいの。ほら。帰るぞ」
 「歩くと遠いよー。飛んじゃ駄目?」
 「駄目。」
 「けちー」
ルークとしては、火事と謎の生き物のほうに注意が向いていて、自分たちの姿は見られていないことを希望していた。防波堤の先端にいたのだし、港のほうからは遠すぎてよく見えなかったはずだ。


 しかしその時、沖合いの船のほうからはルークたちの姿がしっかりと見えており、従って次の日早々に、ルークはジョルジュのもとに呼び出しを食らったのだった。


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