◆66



 ルドヴィウ・リスは、あらゆる者たちが戦場に倒れたのを知った。もはや味方は残っておらず、猛き男はただ一人、戦場に立っていた。
 サウィルとゴヴァンノン、イオナに従う諸侯たちが、彼の周りを取り囲んでいた。見よ、あれほど高く掲げられたエレリの旗は、今はもうひとつも戦場に残されていない。代わりに、イオナの青と白の旗が、いずこにも誇らしげに翻っている。
 「では、わしの負けというわけか。」
男は呻き、
 「我が息子はどこにいる。戦場の誉れ、勇敢なるアムレンはいずこに。グウィンよ、我が右腕なる滑らかな舌の男は。闇に乗じて人の運命を左右する、鴉たちを従えしケンヴィルは。美しき我が娘よ。多くの領地と富を携えてやってきた、お前の婿はまだ戻らぬのか」
 「いずれもみな、地の下へと下られましたぞ。エレリの領主殿」
アルヴォンの領主なるサウィルが言った。「我が息子とともに。今頃は、常春の国でともに酒を酌み交わしておりましょう。…或いは、永遠に戦い続けているか」
 「宴だと。死者は宴を催すのか、生きながらえし者には葬式しか残っていないというのに。」
からからと笑い、男は高き馬の上から辺りを見回した。太い声が響き渡った。「貴殿ら、なんと小さきことよ。この島は、かくも小さき者どもに従えられるのか。偉大なる王、マクセン・ウレディクよ。笑え。そして天よ、嘆くがよい。栄光は過ぎ去れり。霧よ、全てを押し流せ」
 「終わりではない。始まるのだ」
声と共に旗が掲げられ、高椅子を担いだ人々が、しずしずと歩み来るのが見えた。イオナのつわものどもは道を譲った。椅子の上には、青ざめた顔のマース公が、玉座を預かる老人が、身を横たえていた。
 「死にかけの老いぼれめ。何をしにきた」
 「最後の務めだ。」
助けを借りて立ち上がり、おごそかに、マース公が告げた。「エレリの領主、ルドヴィス・リスよ。イオナはいま一つに戻れり。反逆者なる貴殿の領地は没収する。一族郎党もともに、生きてこの地を踏むことは、二度と許されぬ。無一文で立ち去るか、名誉ある死を今ここで受けるか、どちらなりとも選ばれよ」
 「それは、王としての決定か。腰抜けのマース殿、自ら剣をとろうとは思わぬか」
 「望むなら、わし自ら貴殿の首をはねて進ぜよう。」
かくて、エレリの領主は馬から引き摺り下ろされ、組み敷かれて首をあらわにされた。丸太のような太い首が、岩の上に伸ばされた。誰も、老いたマース公がこの男の首に刃を突き立てられるなど、信じてもいなかった。自ら立つことも出来ないのだ。
 見かねて、一人の兵が進みでた。
 「よろしければ、殿、私が支えましょう」

 かくて、エレリの領主はマース公の手によって、ここに果てた。首は和平の幕の張られたカエルディフの地に埋められ、そこは<驕者の和平の座>と呼ばれることとなった。のちにその場所を訪れた人々は、恐れ知らぬエレリの人々と、死者を蘇らす魔法の大釜がいかにイオナの国を苦しめたかを思い出し、また、いかにして金の髪もつ若者が戦場に戻ってきたのかと、平原で行われた、かつてない三日に渡る戦の物語を語り合ったという。


 頃スェウは、そぞろなる民の長、テイルノンと向き合っていた。スェウの傍らには影のように黒い馬に乗った男の姿があり、テイルノンの後ろには、今までに会ったことのない、十二人の支族の長が揃っていた。
 黒髪のテイルノンは膝を折り、スェウの前にこうべを垂れた。
 「我らは再びここに揃いました、新たな王となられるお方。」
 「記憶を語り継ぎ、過去を記憶せし風の子ら。再び、この国に歌を齎してくれますか」
 「そのようにいたしましょう」
一人が言った。「いつまでも、讃える歌を歌いましょう。青月城で、残酷なスタルノ王の手より、我が支族の者らを救い出してくれたあなた様のために。」
 「戦場に散った者たちのために」
 「悪しき企みと残酷な死のために」
 「悦ばしき宴と、悲しき葬儀のために」
 「老いたる者と、新しく生まれ来る子らのために」
 「猛き戦士たちのために」
 「白き手の乙女たちのために」
 「いつか再び押し寄せる、ルヴァインのつわものたちの災いを忘れぬように。」
グウィディオンは、十二人それぞれを見回した。
 「ケルニュウの地に、そなたらは住まい、イオナの語り部として生き続けるのだ。風は死なぬ。たとえ全ての木々が枯れたとしても、種は大地の内に眠る」
テイルノンに従い、最初に青月城にやって来たうちの一人、族長カカムリが言った。
 「忘却の貴婦人の呪いにより、我らには、貴方を讃える歌は歌えません、グウィディオン殿。時が経てば人々は、あなたの名も、あなたの成したこともすべて忘れてしまうでしょう」
 「構わぬ。それでいい」
男は、飄々とした顔で答えた。「もとより、そのつもり。愛した者も、友と呼んだ者たちも守れず、数多の血に濡れたこの身は、讃えられる価値もない。」
 「――。」
馬首を巡らし、陣のほうへ立ち去ってゆく父の後ろ姿を、スェウは、黙って見送っていた。戦は終わったというのに、その背には、重々しく過去が伸し掛ったままだった。そして、どんなに時が過ぎようとも、逃れられぬ思いもあると知った。

 日が暮れる。
 青い帳が降りて、平原は静寂に包まれた。それぞれの天幕では、傷を負った者たちが手当され、命を落とした者たちは埋葬の支度を整えられ、また動ける者たちは、帰り支度をはじめていた。長かった、イオナの戦乱が終わったのだ。ルヴァインの王は死に、残った兵たちも僅か。いくばくかは海の向こうに逃れるだろうが、残りはこの地に留まるか、戦って死ぬことを選ぶだろう。
 スェウは、ブレイドゥンのもとを訪れた。傷口は開かれ、毒は全て吸いだされた。モルガン・ティッドの秘薬のおかげで一命は取り留めたが、彼はいまだ白い顔をして、物言わず床に横たえられていた。傍らに、同じように青ざめたヘドゥンが、身じろぎもせずじっと座っていた。
 「休んでください、ヘドゥン。あなたも、ひどい怪我を」
 「身を横たえても、眠れぬ。まだ体中で血が沸き立っているようだ」
スェウは、微笑んだ。「では、気の済むように。」
天幕を出ると、おもてでダヴェドの王とその家臣が話し合っていた。スェウに気づくと、彼らは近づいて来た。
 「スェウ殿、ブレイドゥン殿は助かるだろうか」
 「もちろんです。神かけて、それは確かなこと」
 「良かった」
プイスは胸を撫で下ろした。「嫁がせる前に、娘を寡婦にするところであった。」
 「もうご存知だったのですね」
 「まことに、姫はうまく隠されました。お側近くにお仕えしていたのに、私ですら気付かなかったとは。」
と、ペンダラン。
 「黙っていて、申し訳ありませんでした。あの指輪は、私が使者となって届けたのです。」
 「なんと。」
 「彼は、私の第一の従兄弟です。群れを率いる者で、立派にリドランを継ぐでしょう。」
ダヴェドの王は、頷いた。
 「良く知っておる。すべては、彼らの望むように。」
満足して、スェウはその場を立ち去った。
 力を使い果たし、疲れ切ったマース公は、既に床についていた。天鵞絨のクッションに沈めた、白髪まじりの頭が規則正しく上下している。かたわらに、公の縁者なるゴヴァンノンが控えており、静かに盃を傾けていた。
 スェウが来たのを見て、祝福されし男は笑顔を向けたが、すぐに光は消えてしまった。
 「このお方は、もう、長くはないだろう」
スェウは、天幕の端に腰を下ろした。
 「貴殿がこの国を継がれるのだ。この国を再び一つに纏め、栄光を取り戻された方が支配の錫杖を受け取られるのだから、誰も反対する者はいない。」
 「では、何を心配なさっておられるのですか。」
 「グウィディオン殿に聞いたのだ。スェウ殿、おん身はこの世のいかなる種族の女も、妻に娶ることは出来ない宿命なのだとか」
若者は、目を瞬かせた。
 「それは――」
 「子がなくば、王座はいずれ途切れてしまうでしょう」
その瞬間、白い花びらの香りが思い起こされた。胸の奥から恥ずかしさと愛おしさがこみ上げて、若者は言葉が詰まるのを感じた。その名を口にすることも憚られた。いかに戦場に立派な働きをしても、彼はまだ若く、その道には経験もない。恋の歌を歌ったこともなかった。
 「ご心配なく、ゴヴァンノン殿。いずれ――それはいずれ、解決されるはずですから」
逃げるようにその場を後にして、スェウは歩き続けた。歩いて、陣の端までやって来た。
 そこは草原に繋がる薄暗がりで、まだ踏みしだかれていない背の高い草が生え、秋の終わりの、白い綿毛のような手をいっぱいに伸ばしていた。満月を少し過ぎた月が空に輝き、地上を見下ろしている。
 グウィディオンは、じっと空を眺めていた。
 風もなく、人の声も遠く。虫の音がかすかに聞こえるばかり。いつだったか、夜明けにこんな風に、海を見つめる後ろ姿を見ていたことがあった。あの時は気付かなかったこと、理解できなかったことが、今のスェウには感じ取れた。
 「父上」
声をかけてとった手は、かつてと同じように冷たく凍えていた。
 「お一人で行かれるつもりですか。まだ早すぎます」
 「風は一つ所にはとどまれぬ。お前はもう、俺の両腕だけで守ってやれるほど小さくはない」
スェウの背は、いつしか、その父に並ぶほどになっていた。青い瞳は、もはや見上げてはいなかった。若者は、同じ高さで孤独な男の横顔を見つめた。目尻は記憶にない皺が増え、髪にはいつしか、白いものが一筋、混じっている。
 こらえきれず、スェウは父の肩を抱いた。
 「一人で背負わなくてもいいんです。テイルノンから全ての歌を聞きました。僕が、半分背負います。そうすれば重くはないでしょう?」
驚いたように、グウィディオンは息子を見た。いつか自分の抱いた子に、自分が抱かれる日が来るとは、思っていなかった。人のぬくもりも、幸せも、すべて自分には程遠いものと頑なに信じていたがゆえに。
 流離いの旅に生きた男は笑って、若者の手に自分の手を重ねた。
 「――お前の手は、変わらず温かいな。」

 傷も癒えぬうち、グウィディオンは再び旅に出た。
 いずこへ向かったのかを知る者は誰も無く、また諸侯のいずれからも、この男と再びまみえたという声は聞かれなかった。ある者は、戦で負った傷が元で死んだのだといい、またある者は、忘却の貴婦人が、かつて愛した男に迎えを遣わしたのだとも言った。海の彼方なるモール・リッドの島々に住んだのだという人もいれば、海の彼方へ去ったのだという人もいた。
 確かなことは、これほどのわざを成し、数多のつわものどもを屠った戦士だったというのに、誰もその墓のありかを知らず、また誰も、その最期に確信が持てなかったということだ。

 これが、呪われた男、あらゆる栄光から遠ざけられた男の物語である。

 呪われた者の名を
 たとえバルズたちが歌わずとも
 子らは父を思い
 決して忘れることはない



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