◆65



 猟犬たちが吠え、盾と剣のぶつかり合う音が戦場にこだまする。イオナの旗もエレリの旗も、ともに折れて泥に塗れ、力尽きた戦士たちの屍を覆う。泥を跳ね上げて走る馬たちと、主なくさまよう馬たちと。遠くで鬨の声が上がり、勝利の笛が吹かれるのを人々は聞いた。
 「ルヴァインのつわものどもが倒れたか」
狡猾なるグウィンは呟き、目の前で息も絶え絶えになっている背の高い若者を見た。
 ヘドゥンは傷つき、もはや立っているのも精一杯だった。しかし戦うことを止めようとはしない。戦いに向かぬこの若者が、勝ち目がないと知りつつ兵を退かせようとも逃げようともしないことに、グウィンは驚嘆すら覚え始めていた。
 「なにゆえに」
と、男は問うた。「なにゆえに死に急ごうとするのか。その理由があるとは思えぬが」
 「判らぬ。こうせねばならぬと思ったのだ」
若者は、息を継ぎながら言った。「今は裏切り者と呼ばれる、哀れな弟と話した時に思ったのだ。私は逃げてはならなかった、目を背けてはならなかったのだ、と」
 「そう。もっと賢明なれば、父の死をイオナの裏切りによるものと、短絡的に結論づけることもなく、またエレリに武器を売ることに、エレリが武器を欲することの先に、考えが及んでいただろうに」
 「何とでも嘲られるがよい。すべては、私がふがいなかったせい。我が館で、伯父を亡きものとしようと弟の仕組んだ卑劣な罠にも、実の弟を手にかけようとした企みにさえ、気がつかなかった。今はもう、全てを知ったのだ。目をそらすまい」
 「賢くなられたな。それでは、わしが貴殿の命を貰わねばならぬ理由も分かろうというもの」
言うが早いか、グウィンは周りにいてヘドゥンを助けようとしていた兵たちを切り裂いて、まっすぐに若者に突進した。高い音が響き渡り、二人の剣はしっかと噛み合った。グウィンは、震える右腕に左の腕を添え、苦々しげに囁いた。
 「貴殿には判らぬだろう。持てる者の優越と、持たざるものの悲しみを。黙っていても豊かな領地を継げる嫡男に生まれ、位高き母を持ったそなたは、何の努力もせぬままに、生まれながらにして弟たちから奪っていたのだ。」
 「黙れ、蛇の舌。人の心惑わす悪しき歌い手よ」
しかしヘドゥンには、剣を返すだけの力がない。
 「非力なこと。我がお仕えせし若君、アムレン殿は貴殿の従兄弟の手によって戦場に散った。貴殿の何倍も、強く、美しきお方であったのに。ラスティエン殿も、このような非力な男の妻となるよりは、我が若君と胸をあわせていたほうが幸せだったろうに」
 「黙れ!」
かっとして、彼は渾身の力をこめて相手を押し返した。若者の顔は真っ赤に染まっていた。「私は私の取り分を責められるいわれなどない。我が手の内にあるものは、すべて我が物として守る!」
 「出来るものなら」
からからと笑って、グウィンは剣を振るった。ヘドゥンの手から剣が落ち、その喉元目がけて、きらめく刃が突き出される――
 そこへ風が吹きつけた。黒い疾風のごとく、グウィディオンが駆けつけて、グウィンの切っ先を鈍らせた。
 「ヘドゥン、とどめを刺せ!」
若者は死に物狂いに、取り落とした剣に飛びつくや、喚き声をあげながらグウィンに向かっていった。全身の力を込めて。刃が固く引き締まった脇腹を貫き通し、二人は一つに絡まり合って坂を転がった。
 息を呑むような一瞬。ゆるゆると起き上がったのは、ヘドゥンひとり。
 すぐさまグウィディオンは馬を降り、甥に駆け寄って助け起こした。
 「よくやった。お前は十分に戦った。ブランも喜んでいるだろう」
 「ですが、伯父上の力を借りてしまいました」
消え入りそうな弱々しい声で言い、若者は一筋、涙を流した。「妻は許してくれるでしょうか?」
 「案ずるな。誰もお前を責めたりはしない」
グウィディオンは、駆けつけてきたディノディグの兵たちに、気を失った若者を託し、尋ねた。
 「ルドヴィウ・リスはどうなった。誰か、鴉たちを従えた男ケンヴィルを見ていないか。」
 「は。エレリの領主は、彼方にてサウィル殿、ゴヴァンノン殿と戦っております。ケンヴィルのことは分かりません。鴉たちは、戦場のどこにもおりますゆえ」
彼らは誰も知らなかったが、その時、ブレイドゥンは戦場からかなり離れ、ルヴァインの軍勢がいたのに近いほうまで獲物を追っていたのであった。そして、そこに、引き上げてくるプイスとペンダランが通りかかることとなった。

 猟犬たちは走り疲れ、みな舌を垂らして喘いでいた。しかしそれは鴉たちも同じこと、傷ついて羽根を散らし、飛び立つことを拒んでいた。いまだ空にある数は十余ほど、またブレイドゥンのもとにあり、まだ走る気力を残しているものも同じほど。若い狼の手には血にまみれた鴉が一羽あり、またケンヴィルの足元には、喉を切り裂かれたばかりの猟犬が一頭転がっていた。
 ケンヴィルはまるで骸骨のように痩せ、死霊のような青白い肌をした男だった。灰色の頭巾を持っており、それを目深に被った時だけ、男の姿は消えるのだった。
 「誇りに思うのだな。このわしを戦場で見つけ、ここまで追ってきた者はいない」
男は静かに言った。見た目は戦いに向かぬように見えていても、マントの下には毒を塗った短剣がいくつも隠され、鴉たちの鉤爪にも、同じ毒が仕込まれている。
 「その隠れ頭巾で、こそこそと人を殺めてきたのだな。我が父上を卑怯にも、姿を見せずに殺したのだ」
 「ギルヴァエスウィもまた、恐るべき男であった」
ケンヴィルの腕には、確かにどす黒く、三度斬りつけられた跡があった。ブレイドゥンは怒りに燃え、猛り狂ってはいたが、鴉たちに襲われた傷から滲み込む毒のせいで、思うように体が動かなくなっていた。ケンヴィルはただ、遠くからじっと時の尽きるのを待っていればよい。冷たい死は若者の心臓に迫り、視界は霞み始めている。
 「まだ死なぬ」
自分に言い聞かせるように呟き、ブレイドゥンは、よろめきながら馬を降りた。胸に、たおやかな優しい娘の面影が過ぎる。暖かな光を放つ、贈り物の指輪を握りしめたとき、尽きかけた命の炎が再び燃え上がるのを感じた。
 「その命で報いるのだ。お前たち、いくぞ!」
主人の声に猟犬たちが答えた。その吠え声を、ダヴェドの兵たちの先頭にいた、王とその右腕が聞きつけた。
 「王よ、あの声はもしや。」
 「戦いが行われているのだ。行ってみよう」
馬たちは丘を駆け、そして今まさに父の仇を与しいて、その胸に刃を突き立てようとしているリドランの若者を見つけた。猟犬たちは残った鴉たちを残らず引き裂いた。夥しい羽根が草の間に散っていた。
 「ブレイドゥン!」
 駆けつけたペンダランは、剣にもたれかかったままぐったりとして動けないブレイドゥンを助け起こした。いまだ剣をしっかと握りしめたまま、瞳は曇ろうとしている。
 「しっかれなされよ。傷は浅い。」
 「…そいつの頭巾を」
力なく、彼は言った。「誰も、悪用出来ぬよう。燃やして…」
 「あいわかった、そのようにいたす。早く連れ帰らねば、体が冷えかけている」
 「わしの馬に乗せよう。こちらのほうが早い」
ペンダランから若者の体を受け取り、わが子のように抱え上げた時、ダヴェドの王は気がついた。若者の首にかかる細い鎖のその先に、見知った金の指輪が揺れているのを。
 はっとして、王は呟いた。
 「そうであったか」
そして、馬を走らせながら、何度も呟いた。「そうであったのか」と。

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