◆63



 日が暮れて戦の音が止むと、とりどりの旗を掲げた戦士たちは、それぞれの陣に引き上げていった。傷ついた者には手当がなされ、物言わぬ者のためには最期の褥が整えられた。舅を失ったヘドゥンの嘆きは深く、人目もはばからず嗚咽した。
 「ラスティエンに何と言えばいいのだ。館で待つ、優しい領主の夫人に許して貰えるだろうか」
それは、粗暴なるアムレンのしたことだった。アムレンは戦場で最も多くの味方を殺した。多くの悲しみの声が満ち、夜は暗い。
 スェウは、嘆きの天幕の外にいた。彼もまた多くを倒したが、それはすべてルヴァインびとだった。イオナの民は、敵ではないゆえに。
 「不思議なことです」
アベルフラウの長ゴヴァンノンとダヴェドの家臣ペンダラン、また語り部の長テイルノンを前に、彼は言った。
 「エレリはもう長く戦い続けているはずなのに、兵の数は全く減っていませんね。それどころか、今日一日戦い続けて、去年の夏より増えているようにすら見えます」
 「その通りだ、スェウ殿。」
ゴヴァンノンが言った。「エレリの兵は、戦うほどに増えてゆく。それどころか、ひとたび倒したはずの者が次の日には再び、蘇って見えるのだ。」
 「我がダヴェドの民も、いつのまにかエレリの軍におるのです。しかし呼びかけても、その者は振り返りもいたしません」
 「これには魔法の力が働いているのでしょう」
と、テイルノン。「エレリの領主の母なるキグヴァは、魔女と呼ばれております。彼女はそぞろなる民の血を引いて、数多の薬草に通じております。あるいは」
 「死人か、死んだようになった者を蘇らせることが出来る、と? 賢者モルガン・ティッドでさえも、そのようなことは不可能です。――しかしそれがまことであれば、確かめてみなければ」
スェウは、はや立ち上がり、闇の中へ出て行こうとする。
 「お待ちください、スェウ殿。こんな夜に、そのような危険な地へお一人で行かれるつもりか」
 「一人ではありません。ご覧あれ」
夜空には、明るく月が輝いている。「三つの国の女王、リアンノンが見守っていてくださるでしょう。」
 とはいえ、誰もが彼についていきたがった。最後に、選んだのはスェウ自身だった。
 「では、我が従兄弟なるお二方、ヘドゥンとブレイドゥンに来てもらいましょう。彼らの馬ならば、どんな夜でも走り抜けられましょうから。」
三人は、それぞれの馬に乗り、夜に乗じて陣を後にした。ブレイドゥンは最も優れた猟犬を一頭、伴にしていた。
 「ゆけ、スァムリ。死体の匂いを嗅ぎつけろ」
スァムリというのが、この犬の名だった。灰色の犬は矢のように走った。一直線に、エレリの陣の真中に張られた、ひとつの大きな天幕へと。そこで何か悪しきことが行われているのは、離れていても感じられた。丘を駆け下り、向かってくる三騎の馬に気がついて、にわかにエレリの陣が騒がしくなる。
 「先へ行ってください、お二方」
と、スェウは矢を番えながら言った。「角笛を吹き鳴らす見張りを、松明を掲げる者を私が射落としましょう。」
 「では、私は天幕の外に居る者を倒そう。ブレイドゥン、弟よ、お前があの天幕の中を確かめよ」
 「そうしよう。」
三人が別れたとき、はや見張り台の男は警戒の角笛を取り落とし、まっ逆さまに地面に落ちていた。敵の来襲を告げる者はおらず、松明の火は消えた。
 ブレイドゥンは馬を飛び降り、猟犬とともに天幕の中に飛び込んだ。中は炎にあかあかと照らされており、今まさに、おぞましい儀式の行われている真っ最中だった。部屋の中央には巨大な鍋がしつらえられ、その傍らに死者たちの体が横たえられているのである。モミやハシバミ、あらゆる種類の薬草が積み上げられ、それらは鍋の中でぐつぐつと煮え、どろりとした泥のようになっていた。そこに兵士たちが、死んでいる者や、死にかけた者を次々と投げ込んでいク。すると、見よ、鍋の中からは、生き返った兵士が生まれたばかりの姿で這い出してくるのである。腕のない者には腕が生え、足のない者には足もきちんと揃っている。だが、彼らは元のように動けたが、しゃべることも出来なければ、考えることも出来なかったのである。
 天幕の入り口が開かれても、誰何するものはいなかった。兵士たちは生きているように見えたが、その実、既に死んでいたからである。この部屋に生きているのは、兵士たちに指示を出している老いた女一人だった。それが、魔女キグヴァだった。
 ブレイドゥンは怒りに燃え、剣を抜いて足音も荒々しく魔女に近づいた。猟犬が唸り、白い牙を剥き出すのを見て、女はうろたえ、金切り声を上げた。そして、逃げようとしてつんのめり、頭から煮えたぎる鍋の中へ転がり込んでしまったのである。
 かぐわしい薬草の匂いが飛び散って、瞬く間に肉の煮える嫌な匂いが辺りに漂った。こうして、魔女は死に、それとともに、魔女を煮た大鍋もまた、真っ二つに割れてしまったのである。

 流れだした熱い気味の悪い汁から逃れようと、ブレイドゥンは慌てて天幕を飛び出した。そこではヘドゥンが良く戦っていた。舅を失った悲しみと、敵への怒りのため、普段は穏やかな彼も我を忘れていた。
 物音に気づいて、エレリの陣がにわかに騒がしくなっていた。もはや頃合いだ。
 「ヘドゥン! 撤退だ。スェウはどこだ」
輝く金の馬はどこにも見当たらない。それどころか、ヘドゥンも弟の声が聞こえていないようだった。猟犬が唸り続けている。魔法はまだ続いていた。低い歌声、人に聞こえるか聞こえないかのその音を、ブレイドゥンの優れた耳は聞きつけている。
 「不思議だ、何故かここには、懐かしい気配がある」
周りを取り囲むエレリの兵たちを退けながら、ブレイドゥンは呟いた。「知っている顔はないというのに。何故だ――」
 その時だった。兵たちの間を、颯爽と馬を駆る若い男が見えた。粗暴なるアムレン、敗北を知らぬ強き手の若者だ。
 彼は天幕の中を見、嘆きの声を上げた。
 「おお、なんということだ。父の母が死んだのか。これは貴殿らのしたことか」
 「だとしたら、何とする」
ヘドゥンが言うや、アムレンは怒りに燃えてリドランの領主に斬りかかった。ブレイドゥンが助けに入る隙もない。優雅な牡鹿は、あっという間に組み伏せられ、アムレンの手によって縛り上げられた。
 「これは人質ではない。贄としよう」
父と同じ、灰色の目に黒い髪の若者は、美しい顔に残酷な笑みを浮かべた。
 「貴殿らは命を命で償うのだ。明日の朝いちばんに、引き裂いた死体を旗竿に吊るし上げて、貴殿らに返してやろう。」
 「そうはさせん。今ここで、生きたまま返してもらうぞ!」
猛るブレイドゥンが飛びかかろうとするのを、狡猾なるグウィンが遮った。
 「残念ながら、魔法の大釜は割れてしまったゆえ、貴殿の兄は生き返らぬな。」
鼻で笑い、震える右腕を左手で抑えた。「…おっと。わしの手は言う事を効かぬのだ。そこもとは逃がしてやりたいが、勝手に斬りつけてしまいそうだ」
人々が、風の音を聞いたのはその時だった。
 唐突に、アムレンは、あっ、と声を上げて転がり落ちた。その胸には一本の矢が、月の光を浴びて震えながら輝き立っている。彼らは忘れていたのだ。最も恐れるべき者の存在を。
 グウィンの顔が青ざめた。アムレンに駆け寄りながら、兵たちに向かって叫ぶ。
 「盾だ! 盾を持て」
スェウが別の矢を射るより早く、盾が壁のように構えられた。しかし彼は構わず二本目を放ち、それは最も分厚い盾さえも突き抜けて、守り手の正気を失わせた。今やブレイドゥンは自由だった。すぐさま、兄に駆け寄って縄を解く。
 「弓を使わせるな。そいつは剣で戦えぬ。皆で一斉にかかれ!」
賢しいグウィンは知っていたのだ。金の髪の射手が、この戦場でひとりのイオナびとも殺していないことを。何がしかの魔法の誓約があるのだと感づていた。それは確かに半分だけは、合ってはいたのだが。
 スェウは剣を抜いた。友なる二人の守り手となるために。
 かくて、見よ、いまだかつて、たった一人でこれほどの兵を倒した者はいなかった。また、いかなるつわものたちも、これほどまでに美しく、戦場に剣の音色を奏でた者はいなかった。月明かりに銀の刀身は光を放ち、それを持つ者の白いかんばせもまた、静かに輝いて見えた。
 またたくまにエレリの兵たちは倒れ、鴉たちの友なるグウィンは黒き剣を振りかざしてスェウと対峙した。
 「これほどまでに…」
と、男が言えば、スェウは答える。
 「これほどがゆえに。」
 「貴殿がイオナびとを皆殺しにしようと思えば、ものの数日で出来たであろうな。そは人の身にあらず。悪魔の子よ」
グウィンはにやりと笑い、つ、と腰の角笛に手を伸ばした。肺いっぱいに吸い込んだ息が、角笛を通して高らかに鳴り響く。戦場は夜半の眠りから目覚めた。エレリの軍が、どよもした。
 「潮時だ、スェウ!」
兄とともに馬に飛び乗りながら、ブレイドゥンが叫んだ。「目的は果たされた。退くぞ!」
グウィンとエレリの兵たちが、味方と合流すべく潮の引くように逃げてゆく。津波の日の海のように、戻ってくるときは、その何十倍もの波となって押し寄せるだろう。
 ヌウィブレに飛び乗ろうとした時、スェウの目に、戦場を斜めに横切る影が見えた。赤い髪の。みすぼらしい馬に乗り、しかし、その馬は異様に足が早い。ルヴァインびとのようだった。
 戦士は逃げるエレリの兵に近づくや、いきなり、ひょい、と一人の兵をとらえ馬に引きずり上げた。そしてこちらに向かって駆けてくる。
 「何だ、あれは」
 「…案ずることはありません。戻りましょう」
スェウは馬を駆けさせた。波の退くのとは反対の方向へ。今やイオナの陣も目覚めていて、この夜の出来事を知らぬ人々も、突然響き渡った騒がしい音は何事かと、月明かりの平原に目を凝らしている。


 三騎は無事に味方のもとへと帰り着き、待ちかねていたゴヴァンノンたちに出迎えられた。
 「よくぞお戻りになられた、お三方。して、首尾は」
 「無事、再生の大釜を壊して参りました。魔女は死に、屍はもはや蘇りはしないでしょう」
ほっとして、彼らは手を打ち鳴らした。
 「これで勝ち目がでてきましたな。」
話し合っているところへ、後からついてきた馬と男が入ってきた。誰も見たことのないルヴァインびとの大男の戦士で、背には重たげな大剣を背負い、片手に、ぐったりとしたエレリの兵をひとりぶらさげている。皆驚き、かつ、警戒した。剣に手をかける者たちもいる。ひとりスェウだけが平然としていた。
 「お待ちください。この方は敵ではありませんよ」
スェウは男に近づいて、その額に二本に指を当てた。
 「我が父上、グウィディオン。戻れ、戻れ、戻れ!」
すると、見よ、そこにいた赤い髭の大男は、黒髭の良く見知った男に、グウィディオンの姿に戻っていたのである。みな声も出なかった。グウィディオンは、憮然とした顔で言った。
 「目で見ようとするから騙される。人は唯一、その者であって、他の何にもなれないというのに」
そうして、片手に捉えていたエレリの兵を放り投げた。取り立てて、どうということもない、凡庸な若者に見えた。
 「これが誰だか判るか。」
 「いいえ、見たことも」
 「…助けてくれ、兄上。」
気を失いかけていた兵がささやくように言った時、ヘドゥンは電撃に打たれたようになった。
 「まさか、ヘッフドゥン?」
 「まさか。」
ブレイドゥンが呻く。「ずっと気配は感じていたというのに…そんな」
 「姿を変え、ずっと貴殿らの近くにいたのだ。今宵、兄が囚われた時ですら、傍観していた男だ」
グウィディオンの声は、低く地の底から響く死の宣告に思われた。誰もその怒りを止めることなどできそうもなかった。男は剣を抜き、震える若者の目の前の地面に突き立てた。
 「イオナに剣を向け、肉親殺しを企てた。貴様の罪は重いぞ、ヘッフドゥン!」
若者は泣きわめき、這って兄の足にすがった。
 「助けてくれ! 命ばかりは。命だけは!」
 「見苦しいぞ、ヘッフドゥン。我らの一族の誰一人とて、そのように命乞いをした者はいなかった。」
ヘドゥンは嘲りの視線を向け、細身の剣を抜いた。誰も哀れに思う者はおらず、この若者の命乞いをしようとは思わなかった。今や偽りの姿のまま、裏切り者は死にゆくかに思われた。止めたのは、スェウだった。
 「方々、おのが血筋に連なる者に復讐することは出来ません。甥殺しも、弟殺しも、罪になりましょう。いましばらく、その命はお預け願えませんか。」
見つめられ、グウィディオンは猛り狂う瞳の炎を少し和らげた。
 「お前がそう言うのなら。だが無傷で逃しはせんぞ」
 「分かっています。罪は償わねば。」
その隙に、ブレイドゥンは次兄に近づき、エレリの装束の袖口を引き裂いた。
 「傷はない。兄上よ、この二の腕に、三本の黒い傷のある男を見たことはないか。」
 「…ある」
と、震える声でヘッフドゥンは言った。「それは鴉たちの友なるケンヴィルのことだ。グウィンの兄で、痩せた死神のような男だ。奴は姿消しの頭巾を持っている。」
 「それだ。」ブレイドゥンは膝を打った。「黒い翼の友とは、その男のことだ。愚かな兄よ、父の仇の側にいて、父の仇のために働いていたとは」
 「その男のことは、知っている」
と、グウィディオン。
 「三百羽の鴉を飼い、それらはみな彼の友にして、兵なのだ。ただの鳥と侮るなかれ。翼ある災いは、兜の下から目を抉り出し、肉をついばもうとするだろう。黒き羽根を見たら用心することだ。」
 「また、ルヴァインには、スタルノ王の連れてきた悪しき呪術師がおります」
そぞろなる民の長たるテイルノンが言った。
 「今宵は悪しきわざが行われました。エレリの軍の後ろから、ルヴァインびとの嵐と贄の神を呼ぶ歌が聞こえました。明日は嵐となりましょう。戦は行われませぬ」
 「それは、いずれ、奴らの降らす赤い雨となろう」
おごそかに、運命に逆らう男は答えた。

 そして、テイルノンの言うとおりとなった。


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