◆61



 カエルディフの地は、ディノディグ、リドラン、そしてエレリの接するちょうどその場所にあった。島を流れるティレ河のほとりなるその場所は、はるか昔に魔女メネスグロアが城を建てていたといわれ、今でも木は一本も育たず、花は咲かず、短い草がまばらに生えるだけ。夜には亡霊たちが彷徨い歩くと言われた。いずれの街道からも遠く、四方のうち二方は山、たとえ戦になっても、逃げるにも逃げられず、攻め入るにも困難な場所だった。
 そんな場所だからこそ、選ばれたのか。
 既に、ディノディグに集う諸侯たちの間には、和平などあり得ないという雰囲気が主流になり始めていた。少し前までは勝ち目が薄く、負け戦となるくらいならば、と考える人々も少なくはなかったのだが。それにしても、なぜこの時期に和平などと。
 マース公は、椅子に座したまま重々しい顔で決断を告げた。城を失ったとはいえ今もイオナの王たるこの良き主君は、冬に負った腰の傷のせいで、今も立てずにいる。髪には白いものが多く交じり、若かりし日の腕の力は、もはや、無い。
 「同じ国の民どうしで血を流すことは、少ないほどによいのだ。ルドヴィウ・リスにも、何か思うところのあるやもしれん」
そう言って息を吐き出し、柔らかなクッションに身を沈めたとき、マース公は以前より一回りも二回りも縮んでしまったかのように見えた。イオナの栄光は過ぎ去り、もはやこの国に跡継ぎはいない。少なくとも、多くの者はそう思っていた。会合の地に現れたゴヴァンノンも、サウィルも、おおっぴらには何も言わなかった。呪われたカエルディフの地に赴く日が決められた。その日が違えられぬよう、また互いが約束を破らぬよう、ケルニュウのそぞろなる民の長なるテイルノンとその郎党たちが、カエルディフの周囲の山に散っていた。何か不穏な動きがあれば、すぐさま角笛が吹かれ、遠く離れた場所に控える軍勢が動き出すだろう。

 河に沿って、イオナの諸侯たちとエレリのアムレン、そして戻ってきたダヴェドの王プイスの張る天幕が、目にも艶やかな色とりどりに打ち揃った。青と白のイオナの旗、緑はダヴェドの。そしてひときわ高く掲げられた赤と藍に金の縁取りのされているのは、不遜なるエレリのものだった。それを見て、ペンダラン・ダヴェドは王に呟いた。
 「ご覧あれ、あのさまを。あれは和平を求めた者の掲げる旗印ではございませぬ。」
 「さよう、謁見を許した主君の態度よ。いまだエレリから外へは出られぬというのに、もうイオナのすべてを手に入れたつもりでおる」
三つの陣の中央には、真っ白な大きな天幕が掲げられていた。マース公とディノディグの領主なるブラン、その婿にしてリドランの領主ヘドゥン、またゴヴァンノンとサウィルが一方に腰を下ろせば、また片方には粗暴なるエレリの領主ルドヴィウ・リスとその息子アムレン、狡猾なるグウィンが陣取り、ダヴェドの王は傍観者としてそこにいた。見よ、イオナの名だたる人々は、こうしてはじめて一箇所に集ったのだ。一年と半前には青月城の宴には来なかった者も、今はそこにいた。皆、この戦いの行方には興味があったので。エレリが反旗を翻していらい、それは初めての休戦の時だった。
 「さても、マース公よ」
真っ先に口火を切ったのは、エレリの家臣たるグウィンだった。
 「こうしてお越しいただいたのはほかでもない。イオナを敵の手に残したままでは、我らの誰も得はすまい、と考えたからにほかならぬ」
スェウに射ぬかれた腕はすっかり治ってはいたが、元通り剣を握ることは出来なかった。男は常に右腕をきつく縛り、時折襲ってくる腕の震えに耐えねばならなかった。
 マース公の縁者にして、裕福なるアベルフラウの領主がこれに答える。
 「これは、異な事を申される。敵とは、貴殿らがこの国に招き入れた者どものことであろう」
 「いかにも、傭兵としては雇い入れた。とはいえ王自ら乗り込んで、イオナの王を名乗るとは計算違い。我らの雇いし者どもと、腹黒きスタルノの率いる者どもは、別なれば」
 「正直に言うのだ。貴殿らは、このイオナの王となるつもりだったのであろう?」
ルドヴィウ・リスは赤ら顔の、肩幅広く腕太い男だった。その声は低く割れており、聴くあらゆる者の腹の底にまで響き、不安心をかきたてる。
 「最も力あるものが王となるは古えよりのさだめ。この島は、イニス・プリダイン<強者の島>と呼ばれればこそ。臆病風に吹かれたマース殿には相応しからぬものなれば」
かっとして、ヘドゥンとゴヴァンノンが腰の剣に手をかけようとするのを、ダヴェドの王とその従者が押しとどめた。マース公は椅子に座したまま、憂いを帯びた目でじっと屈辱に耐えている。
 「そのために、我が息子、誉れ高き王家の世継ぎまでも奪ったのか」
 「か弱き乙女のごとき王など必要ない。呪われたこの国を救いたくば、呪いを組み伏せるほどの力か、もっと強い祝福を得なくてはならぬ。」
ルドヴィウ・リスは立ち上がり、熊のように両腕を掲げた。
 「もはや貴殿らに世継ぎはおらぬ。この戦にどう勝利しようとも、たとえ我らを退けようとも、王となる者はもはやいない。それに我らはやすやすと負けはしないだろう。臆病風に吹かれた王の軍など怖くもないわ。貴殿らの喉元を切り裂き、一人残らず冥府の女王への贈り物としよう。」
 「和平ではなく、脅しだな。」
サウィルが呟くのを耳に留め、アムレンは笑った。
 「和平だとも。貴殿らが折れれば、この戦いは鎮まり、すべては丸く収まるのだ。この島は再び強者の島となり、ルヴァインびとの手になど残してはおかぬ」
 「応じねば―― イオナの子らの多くの血が流され、どちらが勝ったとしても、ルヴァインの王から国を取り戻すことにはならぬ。」
 「いかにも、賢明なるマース公。」
グウィンが囁いた。「貴殿の決断ひとつで、イオナは解放されるのです。」
 「……。」
マース公はため息をつき、口を開きかけたが、また閉じた。天幕の隅に掲げられた大きなイオナの旗の、その後ろで静かに影が揺れた。
 「いや、やめておこう。スェウ殿が戻られるだろう。わしは、姉の息子の子を養子として迎えたのだ。」
ルドヴィウ・リスが吠えた。
 「呪われた男の息子もまた、呪われている。死すべき定めの王など要らぬ」
そのとたん、
 「ならば試されるがよい。」
ぱっと旗を跳ね上げて、黒いローブの男が一人、影のように人々の中央に滑りだしてきた。グウィンは思わず腰の剣に手をかけ、アムレンは腰を浮かせた。今まさに口にした、呪われし男だと思ったのだ。
 だが、ローブが払い落とされたとき、その下から現れたのは輝ける光だった。金の髪の若者が、静かに燃える青い瞳で、マース公の敵たちをじっと見下ろしていた。
 「貴様、生きていたのか」
グウィンの言葉など気にもとめず、スェウは、背の高さだけなら同じくらいの、だが自分より二倍は巨きな、ルドヴィウ・リスに向かって言った。
 「ルヴァインの王は右腕を奪われ、悪しき魔術を使うグロヌウは、海の果てへ去ったぞ。エレリの領主よ。」
マース公が、座したまま重々しく告げる。「光はまた、我らのもとへ戻ってきた。イニス・プリダインの王とさだめられしは、貴殿らではない。」
 かくて手袋は投げ落とされた。足音も荒々しく、エレリの諸侯らは天幕を出て行き、すぐさま自軍の兵たちに戦いの準備を、と呼ばわった。同時に、マース公とイオナの諸侯らもまた、自軍らに交渉の決裂を告げ、盾を持てと呼びかけた。角笛は高らかに吹き鳴らされ、とりどりの旗が平原に、山間に、谷間に、ありとあらゆる場所にひらめいた。

 かくてティレ河は朱に染まり、カエルディフの山間で、多くの子らが倒れることとなったのである。

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