◆49


 春が訪れた時、かねて約束されたとおり、ヘドゥンはエッセネの教会堂でラスティエンとの婚礼式を挙げた。久しく絶えて無かった喜ばしい宴に、人々は浮かれ、しばし戦のことを忘れた。飲み物も食べ物もたっぷりと行き渡り、物惜しみしない引き出物が配られた。多くの人々が招かれ、初々しい花嫁を誉めそやし、花婿を讃えた。ディノディグの領主ブランは満足げに二人を眺め、奥方は、何くれとなく姪の世話を焼いた。
 ブレイドゥンも、その席に来ていた。スェウは従兄弟との再会を大いに喜び、ブレイドゥンもまた、それは同じだった。
 「ずいぶん立派になったな、スェウ! 見違えたぞ」
そう言ったブレイドゥン自身も、背が伸び、以前より肩幅が広くなって、もはや大人の男と比べても遜色なく見えた。腕は以前より一回りも太くなり、どこから見ても、少年とは呼べなかった。
 「怪我は? 大丈夫なの?」
 「ああ、この通りだ」
ブレイドゥンは、袖を捲って見せた。日焼けした逞しい腕には、真新しく肉の盛り上がった大きな傷があり、赤い肉の色が透けて見える。実の兄が差し向けた兵によって傷つけられた、痛ましい跡だ。
 「尻尾を出したのは、ヘッフドゥンのほうだったな。あの馬鹿兄のせいで、リドランは酷い痛手だ。皆、悲しんでいる。こんな目出度い席で言うことじゃないが」
その口調は、心底兄を嫌悪しているようだった。
 「ヘドゥンは、戦向きの男じゃない。次に戦がある時には、オレが手を貸そう。心配するなよ、スェウ」
 「ありがとう」
スェウが微笑むと、周りにいた少女たちは、思わず頬を赤らめるほどだった。ブレイドゥンは声を上げて笑い、スェウの肩を抱いた。
 「変わらんようで、何よりだ。外に出よう、ここは人が多すぎる」
宴の広間の外に、春香る花々の咲き乱れる庭が広がっている。今日の日のため、ブランの奥方と小間使いの少女たちが、心をこめて育てたのだ。花嫁の髪飾りも、この庭で摘んだ花で作られた。
 空気は心地よく澄み、いささかの不安も溶けてはいなかった。
 「指輪は、受け取ってくれた?」
 「ああ。言伝と一緒に。ここにある」
ヘドゥンは、首にかけた金の鎖を手繰った。ダヴェドの姫、オルウェンからの贈り物だ。
 「三年先と言った。オレには遠すぎる。待っていてくれるだろうか」
 「そうでなければ、その指輪を託したりはしない。君の望みは、きっと叶う。見てご覧」
窓の中には、舅であるブランと親しげに語り合うヘドゥンの姿がある。
 「ブラン殿には跡継ぎが居ない。姪姫ラスティエンの子が、ここを継ぐことになるだろう。ヘドゥンはリドランを君に任せ、自らはここに住むのではないかな」
野生の眼を持つ男は、隠し立てもせずに笑う。
 「仕組んだのはお前なのか、スェウ」
 「人が恋に落ちるのは、誰にも仕組めないこと。それが君の運命なのだと思う。僕にも、僕の運命があるように」
 「お前にもいつか、良き出会いがありますように。さてスェウ、聞かせてくれ、リドランの港を出てからどんなことがあったのかを。人づてに聞くのではなく、お前自身から聞かせてもらいたい」
請われずとも、スェウは喜んで、そうしただろう。
 この少年の口から零れる言葉はどれも好ましく、話は、流れる美しく響いた。ここに竪琴があったなら、彼は自らの身に起こった出来事のすべてを、古え語りのように歌って聞かせることも出来ただろう。
 人々にとって、その春は、すべてが好ましく順調に思われた。島を覆っていた、呪われた霧はすべて消えうせたかのようだった。
 だが、それも、黒い翼が絶望を連れてくるまでのこと。


 その頃、北の領地だけは暗く沈みこんだままだった。春の訪れを知らなかった。
 陰鬱な顔の領主、グロヌウは、恐るべき呪われた力を使って、神をも恐れぬ凶事(まがごと)を成した。すなわち、スェウを陥れるべく、その三人の母を表すデリの花、バナディルの花、エルウァインの花をたっぷりと摘み取り、混ぜ合わせて、一人の少女を創り出したのだ。
 彼はそれを人とした。ブロダイウェズと名づけ、少女らしく髪を編ませ、服を着せた。ブロダイウェズはどんな少女たちよりも美しく、気品があり、また、瞳には太陽のような輝きが宿っていた。白いうなじの少女が首をかしげると、それだけで、部屋中が光り輝いて見えた。
 少女に一通りの言葉と、宮廷らしい物腰を教え込ませると、グロヌウはすぐに仕掛けに取り掛かった。
 「どこから見ても、人に見える。さて娘よ、我が召使いよ、そなたには、するべきことがある」
 「なんでしょう、ご主人様」
 「ミル・カスティスへ赴き、スェウ・スァウ・ゲフェスのものとなれ。その秘密を聞き出し、立秋までにここへ戻るのだ」
 「わかりました、ご主人様。仰せのとおりにいたしましょう」
少女には痩せた驢馬だけが与えられ、スェウの館のあるミル・カスティスに近い森に一人置き去りにされた。少女は一人になるとすぐに、石に腰掛け、歌を歌い始めた。ほかにすることが無かったからである。また、自ら歩いてミル・カスティスを目指すには、もう日が暮れすぎていたからである。

 歌声は風に乗って木々の葉を揺らし、途切れがちに、館に届いた。その頃グウィディオンは留守で、スェウは一人、館にいた。
 声を耳にするとすぐ、彼は馬に乗り、森へ向かった。既に日は暮れていたが、声のするほうへ進んでいくと、やがて開けた場所に、少女が一人、座っているのが見つかった。側には人影とてなく、痩せた驢馬がいるばかり。少女の編んだ髪はほつれ、身につけているものは粗末なだけ。
 スェウは礼儀正しく、馬の上から声をかけた。
 「こんばんは、お嬢さん。お一人で、何をされているのです? 道にでも迷われたのでしょうか」
 「いいえ、逃げてきたのです、ご主人様。わたしは奴隷商人に売られたのです」
少女は抑揚のない声で、あらかじめ教えられていたとおり、そう答えた。ブロダイウェズは、人らしい感情を知らなかったのである。
 「僕は君のご主人様ではない。スェウという。奴隷商人がいるのか、この国には」
 「わかりません。どこか遠い国から来たのです、ご主人様。それ以外は何もわかりません」
 「かわいそうに。では、帰る道もわからないのか。今夜泊まるところも。私のところで良ければ、泊めてあげられるが」
 「ありがとうございます、ご主人様。喜んでご奉仕いたします」
スェウは、まるで紙に書かれたように喋るこの少女を奇妙に思った。少女は確かに美しかった。だが、大きな淡い緑の瞳には、いかなる感情も、宿ってはいない。手を差し伸べると、自分の手を重ねては来たが、その手はひどく冷たく、この世のものとは思われなかった。
 「さて。この子はどこから来たのだろう。春とはいえ、月から落ちてきたわけでは、なさそうだ」
少女を馬に乗せながら、スェウは心の中で、そのようなことを考えていた。
 たくらみは、利用される者に自覚が無ければ、そうとは発覚しにくいものである。まして良心を利用するたくらみは、避けて通ることは難しい。
 それが罠とは知らなかった。グウィディオンが居なかったことも原因だった。全ては悪いほうに向けられた――スェウにとっても、ブロダイウェズにとっても。

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