◆44


 人の輪を抜け出し、ようやく落ち着けたのは、かなり夜も更けた後のことだった。
 高座の側に歩み寄ったスェウに、アベルフラウの領主、ゴヴァンノンが声をかけた。
 「大した人気だ。このように宴が盛り上がったのは、そなたのお陰だろう」
 「ありがとうございます」
スェウは微笑み、コヴァンノンに差し出された杯を受け取った。
 「ここでなら、お会いできると思っていた。先ほどは失礼致した。しかし、なんとも壮絶な父上であるな」
 「いつも苦労させられます」
ゴヴァンノンは快く笑って、友の肩を叩いた。彼にとって、スェウは命の恩人であり、その力を認めた相手であり、変わらぬ友情を誓った仲であることに変わりはなかった。共に現れた、彼にとって不愉快な男との繋がりは、念頭に無いのであった。
 そこには、主だった人々が、広間の喧騒を離れて集まっていた。そこだけは、重苦しい空気から抜け出せずにいた。
 スェウはヘドゥンの隣に腰を下ろすと、ふと左右を見回した。
 「そういえば、ブレイドゥンは来ていないのですか?」
 「ああ。エレリの動向が気になる今、リドランを空にするわけにはいかんだろう。残って、民と兵を取りまとめている」
 「そうですか…」
スェウが残念そうなのを見て、ヘドゥンは、なぐさめるように言った。
 「あれも、お前に会いたがっていた。春には会えるだろう」
 「それは、…戦場で、という意味でしょうか」
言葉は率直で、その場に居合わせた者たちの胸を鋭く貫いた。ブランが、ゆっくりと口を開く。
 「戦は避けられませぬ。エレリが、この島の王たらんと望む限りは」
それは、マース公に言い聞かせるようでもあった。高座の人物は、押し黙ったまま。
 「恐れておいでなのですね」
スェウの静かな瞳は、何倍も年上の、その人物の微かな表情の変化を読み取っている。
 「何を、考えておいでなのです。」
 「わしには、お前の父のような力は無い。この腕は戦には向かぬのだ。ここ十年、自ら馬に乗ったこともない」
その言葉を聴きつけたグロヌウが、派手な動作でマントをかきあげ、床に膝まづき、王の手を取る。
 「そのような弱音を吐かれますな。貴方はイオナの王であらせられる」
 「真の王でないことは、誰もが知っておる。ここに座るべきは、わしではない。せめてグウェルン――、わが息子、王家の血を引く最後の世継ぎが生きておれば――。」
溜息は、自らの魂すら吐き出してしまうかのように深かった。ヘドゥンは眉に深い皺を寄せ、視線を床に落とした。
 この宮廷においては禁忌に近い吐露、だが、スェウは恐れを知らぬ駒のように言葉を被せる。
 「グウェルン殿の馬は、腹に何本もの矢を受けており、グウェルン殿自身も、肩に矢を受けておいででした。待ち伏せされたことは明らかです。ですが、今思えば奇妙なことに思えます」
 「それは、どのような?」
サウィルが聞き返そうとしたとき、ちょうど、席を外していたイダウクが戻ってきた。彼はそこで交わされている会話に気づくと、顔を真っ赤にして怒鳴った。
 「慎まれよ、スェウ殿。マース殿のお心が分からぬのか! このような場で――」
 「よい。わしも、詳しく聞きそびれておったのだ。話してくれ」
スェウは頷き、続けた。
 「遠くから矢を射て、馬の腹に刺さるでしょうか? 私の記憶では、あれは真横から射たものでした。また、グウェルン殿が亡くなられたハスィル谷の入り口は、イオナとリドランを結ぶいずれの街道からも離れております。」
 「グウィディオンは、なんと申しておった」
 「何も。しかしその後、小さな町に立ち寄り、何かを調べていたようでした。詳しくは、父にお聞きください」
 「おお。そういえば先ほどからグウィディオン殿の姿が見えぬが。」
サウィルが顔を上げたちょうどその時、回廊から続く扉が開かれ、明るい広間に影のように滑り込んでくる長身の男の姿が目に留まった。この男が現れただけで、はや、人々の弾む声は小さくなり、冷たい一筋の風が舐めたように、肩をすくめる者が現れた。彼らは、スェウを好ましく思っていたが、その父のことは悪魔のように恐れていた。
 スェウは席を立ち、自らグウィディオンに近づき、微笑みながら冷えたその手をとり、高座へと誘った。それは、信じがたく、また、異質な光景と人々には映ったのである。


 グロヌウは、王とグウィディオンが座す傍らにて、壁に近い部屋の隅に立ち、人々の動きを広い視野の中におさめていた。それが、この男の役目だった。すなわち、この宴の席において、誰と誰が懇意であるか、誰が王に対し敵意ある目を向けるのか、それを推し量ることだった。
 「どう思われる」
彼は、視線をそのままに、隣に居る男に声をかけた。絹張りの椅子に深く身を沈めたイダウクは、憮然とした顔つきでスェウを見つめている。
 「さて。過去の亡霊か、はたまた、たちの悪い魔法なのか。未だ自らの目が信じられぬ。いかなる妖術を使えば、あのような者を作り出せるのか。」
 「あれは、もとは人ではあるまい」
未来さえも見通す、恐ろしき目を持つグロヌウ・ペビルは声を低め、言った。
 「だが、神が無から人を作り出したもうたように、祝福を受けた人形こそ人なのだ。呪いによっても人は造られるが、それは、彼の者のように、光り輝いては見えぬだろう」
 「つまりは呪われた男が祝福を受けた息子を得たと。皮肉なものですな」
イダウクは鼻を鳴らし、荒々しく卓上の焼き菓子を掴んだ。その指の間から、雪のように白い菓子の粉が零れ落ちた。
 「あれはなかなかに恐ろしく、強力な存在だぞ。見た目は、優しげで少女のようだが。サウィル殿とブラン殿は、あの若造に相当入れ込んでいると見える。ゴヴァンノンもだ。」
 「さては、貴殿もあの紛い物の信奉者となられたか?」
齢重ねたる白髪の男は、冷ややかな口調で返した。
 「冗談にしても、笑えぬな。本気でそのようなことを申しておるのではあるまい」
イダウクはにやりと笑い、流石は神をも恐れぬ男グロヌウ殿よ、と、口の中で呟いた。
 マース公は、スェウを仲立ちとしてグウィディオンと話し合い、その会話の一端は、イダウクの耳にも届いている。
 「――気に入らぬな。」
男は、呟いた。
 「亡霊は、蘇ってはならぬのだ。知らぬほうが幸せであるということもある。すべて忘れ、心地よい眠りの中で朽ち果てるほうが、遥かにましというものを。」
 「眠りより目覚めさせようとするは、朝の光…」
グロヌウは壁の側を離れ、ゆっくりと、広間の中央に向けて歩き出した。
 「用心されることだ、イダウク殿。光の後ろには、必ず影がある」
イダウクは無表情に菓子を握りつぶし、その粉を床に落とした。

 雪はいつしか止み、凍てつくような寒さだけが残されていた。積もった雪が大地を覆い、海を凍らせ、灯のともる城を青白く浮かび上がらせる。街は沈み込み、既に眠りについている。
 人々のさざめきも、笑い声も、すべてが凍りついた時の一角に閉じ込められ、まるで幻影のようだった。
 闇の中に冴え冴えと、白い月が浮かんでいる。


 月が傾くに連れ、騒ぎ疲れた人々は、次々に広間を辞して客間に去っていった。青月城には数多の部屋があり、かつては国中から訪れた人々を泊めるに十分であったが、それらの部屋の大半は、もう何年も使われたことがなく、整えるに人手も足りず、客人たちに十分とは言いがたかった。暖炉にくべる薪も足りず、客の多くは、埃っぽい羽毛布団に潜り込み、血液中を流れる酒の温かみだけで何とか眠りに就くしか無かった。
 マース公は、胸に重々しい言葉を抱いて自室に引き上げ、がらんとした広間には、食べ散らかされた料理の残り滓や食器を片付ける城の人々だけが残っていた。
 グウィディオンとスェウは、高座の脇にしつらえられた暖炉の側に残っていた。暖炉には、最後の薪がぱちぱちと音をたて、赤々とした輝きを放っていた。彼らの話に耳をそばだてるものはおらず、彼らの姿を見つめているものは、高座の脇に立つ、大理石で造られた古えの王の像のみであった。
 「春になれば」
と、炎に照らされた男は、自ら口を開いた。
 「エレリは軍を整え、ケルニュウの支族たちとともにイオナに攻め上るだろう。イオナには、対抗するだけの力がもはや無い。」
スェウは、静かに答える。
 「今宵、マース公が纏っておられた衣は、ダヴェド産の絹でした。…リドランの贈り物でしょう。食卓に並ぶ獣の肉や穀物は、ダヴェドの地で採れたものに見えました。」
 「ブランもヘドゥンも、まだ若い。提案したのはサウィルだろう。」
実際、イオナの王に、国中の人々を招待して盛大な宴を催すだけの力は無いのだ。
 これは、久しく侮られてきたイオナへの忠誠を思い起こさせ、過去の栄光を取り戻すに足る力があると思わせるための仕掛けだった。人々を結束させ、エレリの軍を退けるための。
 「――だが、もしこの戦に勝てたとして、イオナには未来が無い。世継ぎがいないのだからな」
マース公を暗い顔にさせた理由は、まさにそのことであった。
 「今思えば、リドランへ赴いたのは、グウェルン殿の殺害者が誰であるかを確かめるためでもあったのでしょう?」
 「そうだ。だがグウェルンはリドランへは入っていなかった。町への門を預かるブレイドゥンが気づかぬはずはないし、館の者は誰も、グウェルンのような高貴な客人を見ておらぬ。すべては、リドラン反逆の噂が偽りであると、またはエレリに反乱の用意があると、城に報告させぬがため。そのため、使者が誰であれ、生きて戻られてはならなかった。…もしもグウェルンが使者に立たねば、別の誰かが殺されていたであろう。」
グウィディオンは言葉を切り、ひとつ、小さく息をついた。
 「グウェルン殿を殺した者は、今も、この城の中にいる。それが誰であれ、王に近しく、密命を帯びて旅立った若者を待ち伏せ出来た者。そして、その者は、イオナより戻るギルヴァエスウィをも殺した者かもしれぬ。」
火は、小さくなり始めていた。城は寝静まり、ぴんと張り詰めた冷気の中で、キシ、キシと微かな音がする。建物が、積もった雪の重みに軋んでいるのだろう。
 グウィディオンは立ち上がり、スェウの肩を叩いた。
 「長話が過ぎたな。そろそろ休むとしよう。」 
 「明日の朝、…」
スェウは男の顔を見上げた。
 「いかな結論がありましょうか。」
 「進むか、止まるか。止まれば滅びの道しか無いのであれば、おのずから結論は決まっていよう」
男の横顔は、幾多の年月の中に見た悲劇的な結末を、それと同じ陰鬱な朝を、確信していた。魔法が解けた瞬間に崩れだす美しき幻影、薄氷。朝靄が見せるひと時の輝き。

 広間を出、回廊に差し掛かったとき、スェウは、かすかな海鳴りの音を聞いて足を止めた。
 枯れた木々の枝が雪の重みに垂れ下がり、凍えた岩が軋んでいる。吹き抜ける風が、そのような音をたてていたのかもしれなかった。どこからともなく、地の底からわき出でるような陰鬱な声が、このような歌を歌った。

 悲しみの青い城
 栄光の日々は 今はもう遠く
 二度と戻らぬ甘い夢
 鷲の翼は遠く過ぎ去り
 黄金の羽根を見ることは もはや無い


 少年は、答えて明るく力強く歌い返した。

 けれど月は
 変わらず夜闇を照らす


しん、と静まり返った回廊には、何の気配も感じられ無かった。

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