◆36


 リドランの軍が到着した時、かつてエレリの軍が占領していた場所は、すべて空になっていた。
 隠れて様子を見守っていた彼女の侍女たちも呼び寄せられ、人々は、麗しい姫君とその忠実な侍女たちのために、ねぎらいの宴を設けた。スェウはヘドゥンとの再会を喜び、改めてラスティエンを紹介し、ヘドゥンは、ラスティエンにスェウを紹介した。
 人々はみな、陽気だった。ラスティエンが微笑むと、たとえ夜であっても、辺りが華やぐようだった。
 「それにしても」
と、まだ信じられないように、ヘドゥンが言った。
 「半年も経たぬうちに、こうしてまた会えるとは思わなかったぞ、スェウ。ダヴェドでの話を聞かせてくれないか。伯父上とは、会っていないのか」
 「お会いしていません。ダヴェドでは――、色々なことがありました。皆、良くしてくれましたよ」
スェウは、深い青い瞳で、ヘドゥンを見据えた。
 「けれど、それはまたの機会にいたしましょう。ヘドゥン殿、今は陽気な話をしている場合ではないのです。この方の伯父上が、まだ、アムレンの手に捕らえられているのですから」
はっとするような空気が流れ、一瞬、人々のざわめきが消え、ヘドゥンの顔から笑みが消えた。
 「そのことをお伝えに上がったのです。私には、攫われてゆく姫君を助けることは出来ても、軍を率いてエッセネの地に秩序を取り戻すことは出来ません」
 「そうだったな。よく言ってくれた」
ヘドゥンの表情は険しく、言葉は硬い。「だが、難しい。ここに率いてきたのはリドランの精鋭だが、エレリの軍も同じほどの兵を率いている。リドランには、ルヴァインより買い入れた優れた武器が多く在るが、それはエレリにも売られていたのだ。彼らは同じほどの武器を持っている。」
 「サウィル殿が向かっています。間もなく、アルヴォンの軍も到着するでしょう」
と、スェウ。
 「足りないでしょうか」
 「分からぬ。アムレンは粗暴だが、奴にはグウィンという賢しい男がついている。ここでの戦いに勝ち目が無いと知れば、戦わずしてエレリへ帰るだろう」
 「それではいけないのです」
彼は、ラスティエンのほうに向き直って、尋ねた。
 「差し支えなければ、ひとつお伺いしたいことがあるのです。エッセネには、いかほどの富が蓄えられていますか」
彼女は、すぐさま明瞭に答えた。
 「ディノディグは豊かな土地ですから、伯父が先代から受け継いだもので、一年の間、千人の兵を養えるほどの財がございますわ。」
 「何が言いたいのだ、スェウ」
 「ある知恵者が言ったのです。”この戦でエレリとディノディグが一つとなれば、リドランは手を引くことになる。もし、リドランがエレリの協定を受け入れなかったとしたら、エッセネは遠からず開放されるが、多くの富がエレリに流れ、悲劇の元となる。”…これをどう取られますか」
ヘドゥンはしばし沈黙した。そして、重々しく口を開いた。
 「エレリにも港がある。交渉すれば、金次第で、ルヴァインの傭兵たちを雇うことが出来るだろう。なるほど、お前の言いたいことはよく分かった、スェウよ。奴らをエッセネから無傷で引き上げさせてはならん。育ちきらぬ猛獣からは、手を出せるうちに、その牙を抜かねばならぬ。」
手を打ち、立ち上がったヘドゥンは、兵の長たちを呼び集め、翌朝にもエッセネへ向けて発つことを告げ、ラスティエンと侍女たちの護衛につくよう命じた。統率された兵たちは、主の言葉に忠実に従った。
 「ところで、ヘッフドゥンとブレイドゥンは、どうしていますか」
振り返り、ヘドゥンは言葉短く、こう答えた。
 「ヘッフドゥンは、商人たちと取引のために出かけた。ブレイドゥンは領地で留守番だ」
それを聞いて、スェウは、何事かを悟ったのだった。

 それが、エレリの反乱の始まりだった。
 領主なるルドヴィウ・リスと、粗暴なる息子アムレン、妾腹の息子たち、そして数多の兵士たちは、こぞってイオナの王をないがしろにし、嘲りの歌を口にした。また、おおっぴらに「マースは腕細き男」と触れてまわり、その名を地に貶めた。
 だが彼らは、のちに、そのような不躾を後悔することになる。


 リドランの軍がエッセネに向かった頃、アルヴォンの領主サウィルもまた二人の息子たちとともに軍を率いてディノディグに入っていた。早馬がそのことを告げた時、勝ち目は無いと見て取った狡猾なるグウィンは、アムレンをして兵の撤退を促した。
 エレリの軍が、厳しく取り囲んでいた町を開放して逃げ去ると、城壁の中にいた人々は、諸手を上げてリドランの兵たちを歓迎したのであった。
 町に到着すると、ヘドゥンはすぐさま、ディノディグの領主なるブランと、その奥方を探させた。ブランは地下牢に繋がれ、奥方は、奥の間に閉じ込められていた。幸いにも彼らは危害を加えられておらず、憔悴しきってはいたが、ラスティエンの無事を知り、まめやかな介護を受けて、すぐに元気を取り戻した。
 宝物庫のいくつかは空になっていたが、まだ半分は無事で、そこかしこに、慌てた略奪者たちが取りこぼして散らかしていった財宝が散らばっていた。食料はたっぷり残されており、憂鬱な食事を準備をさせられていた料理人たちは、嬉々として、本来の主と喜ばしき来訪者のために、ご馳走を作りに取り掛かった。
 そこへ、サウィルも到着した。
 三人の領主たちとスェウは、同じ席に会した。彼らはみな、スェウを知る人々だった。
 そこでは、多くのことが語られた。ブランの無事を喜ぶこと、ディノディグの地を奪われかけた失態、エレリへの懸念、恐ろしい赤毛の男、アムレンの粗暴。傷ついた領地の人々をいかにして労うか、など。
 人々に飲み物を注いで回っていたラスティエンは人々を見回し、口を開いた。
 「伯父様、この場を借りてひとつお願いがあるのですが、よろしいでしょうか」
 「何だ。申してみよ」
 「わたくしは、粗暴な男との婚礼に向かわされる、悪夢のような道から開放してくれた殿方に、褒美を約束したのです。今こそ、その約束を果たすときですわ」
ヘドゥンが怪訝そうに顔を上げ、スェウと、ラスティエンとを見比べた。彼の心に、一瞬、暗いものが過ぎった。
 だが、ラスティエンの声は明るく、その心配を掻き消すように響いた。
 「この方には、ご自分の領地も、帰る家も無いのです。どうか、その二つをお分け与えください」
 「そのようなことか」
ヘドゥンは、ほっとしたように息をついた。
 「それならリドランの地に屋敷を与えてもよい。スェウ殿は、我が従兄弟なのだから」
 「いや、我がディノディグの地にこそ、彼の領地は相応しいだろう」
ブランは痩せた頬で微笑み、スェウを見た。
 「考えうる限り、最高の領地を与えてしんぜよう。ミル・カスティスの地だ」
そこは、豊かな森に囲まれた高台にある。見晴らしのよい土地で、ティレ河がきらめきながら流れ、遠くには、天をつく高峰エスカイル・オイルヴェルの山々が聳え立っている。草原には牧草が豊かに茂り、田畑は黄金の実りに恵まれていた。
 「考えられましたな、ブラン殿。あそこは、エッセネから森ひとつ越えた先だ」
サウィルが指摘すると、ブランは惜しげもなく笑った。放浪者と幼い子供を行かせたことを気に病んでいた領主夫人は、その子が立派な少年に成長したと知って憂いから開放され、ブランもまた、我が子の成長のように、心楽しく思えたのだった。
 「近くに住まえば、簡単に会いにゆくことも出来よう。また、リドランからも、そう遠くない。」
 「お心使い、感謝いたします。」
彼らは笑いあい、心楽しく酒を酌み交わした。ヘドゥンは、時おり視線を上げてはラスティエンの動きを見、彼女が側に来ると、慌てて杯を空けて差し出した。彼は、まだ若く、そのような感情に慣れていなかった。
 サウィルはすぐに気づき、親しみを込めて彼を揶揄した。
 「これは、リドランの領主殿。ブラン殿の姪御の美しさに見惚れておいでるようだ。椅子から落ちられぬよう、お気をつけ下され。」
ヘドゥンは、かっと顔を赤くした。
 「何を仰る、サウィル殿。」
 「いや、確かに。ラスティエンには良い縁談を探してやらねば、と、私も思っていた。ヘドゥン殿には妻もおらず、年も似合いの頃。このディノディグと、リドランを血縁で結ぶのも悪くはあるまい。いかがなものか。」
 「しかし、それには、ラスティエン殿ご自身の意を仰がねばなりません。私はアムレンとは違うのですから」
そこで縁談は、乙女自身に委ねられた。彼女はしばし考えたのち、恥じらいに頬を染めながら、こう答えた。
 「わたくしには、よいお話に思えます。ひどい苦境からわたくしと伯父を救ってくださった方であれば、憎く思うはずがございませんわ」
 「では、決まりだ」
アルヴォンの領主は、陽気に杯をとりあげ、若い二人の手を取り合わせた。婚約が交わされ、式の日は、ちょうど一年後の春と決められた。喜ばしき宴は夜の果てるまで続けられ、人々は、何年かぶりに、心から幸せな気持ちで床に着いたのである。

 その晩、リドランの若き領主はスェウを呼び、二人だけで話をした。
 「お前には、礼を言わねばならぬ。」
 「何のことでしょうか。僕は何もしていません。全ては、貴方ご自身の運命でしょう」
スェウは、静かな表情で、そう言った。
 「ラスティエン殿は貴方のもとで幸せになるでしょう。育った土地から摘み取られるのではなく、そっと優しく移し変えられた花は、移された場所を咲くべき土地と思い、いつまでも美しく咲き誇り、多くの種を残すでしょう。そこには、彼女を守るあらゆる手と目があるでしょう。害虫に脅かされた時は虫を取り除き、日照りの時には水を注ぎ、程よい日陰を与えてくれる夫が側にいるでしょう」
 「もちろん、そのようにするつもりだ。だが、お前は知っているのだろう?」
若い領主の顔には月に照らされて苦悩の色が浮かび、心は、強い風に吹かれた湖面のように乱れていた。
 彼はもはや、かつてのように、スェウを何も知らぬ子供とは思っていなかった。
 「リドランがエレリと取り引きをしていたことを。リドランに来た商船から下ろされた武器のほとんどは、エレリに流れていたことを。もちろん他にも、求められれば武器を売ったのだ。そのため彼らは、これからも友好な関係を続けて行けるよう、私と話し合いの席を持ったのだ。」
 「ええ、知っていました」
もはやスェウも包み隠さずに答え、従兄弟を見つめた。
 「リドランへ行ったとき、まず港に停泊する船を見て回りました。ルヴァインの船とダヴェドの船、そしてイオナの船。イオナの船はエレリとケルニュウから来たものでした。ルヴァインの船からイオナの船へ、荷物のほとんどは、その場で引き渡されているようでした。」
ヘドゥンは、呻くように答えた。
 「取り引きは、ヘッフドゥンの受け持ちだった」
 「そしてダヴェドの船に乗り、かの地へも行きました。けれどダヴェドには、ルヴァインの武器はほとんど無かったのです。リドランが買い手で、ダヴェドは売り手でした。かの地には豊かな海の恵みと、美しい絹がありました。」
 「その通りだ。ダヴェドの王は、海に囲まれた我が島の領土で満足しているのだろう。それ以上の武器は望んでおらぬ。エレリだけが貪欲に、戦の道具を求めたのだ。――私はエレリがなにゆえ武器を欲するのか聞こうとはしなかったが、それがイオナに向けられるものであることを薄々察していた。」
恐るべき告白であった。イオナの地に流れた反乱の噂は、半ば嘘であったが、半ばまことであったのだ。
 「すべては、リドランの地に富をもたらすためだったが、我らは共謀していたも同然だった。その私が、エレリを敵としたのだ。これが何を意味するか、お前には分かるだろうか?」
 「リドランが売った武器が、今度はリドラン自身に向けられることもありますね」
聡明な聞き手は、口ごもることなくそう答えた。
 「如何にすればよいのか、悩んでおいでなのでしょう。僕に言えることは一つだけです、ヘドゥン。イオナの王にお会い下さい。そして、今の話を申し上げ、王の兵たちに優れた武器を与えるのです。かつての盟約を破るつもりはなく、リドランはイオナの忠実な臣下であると」
 「それしかないのか。リドランを独立させることは、父上の望みだった。その父上を殺したものが、イオナには居るやもしれんのに」
 「富によって作られた国は、富によって滅びます。エレリと富を争って滅ぶよりも、イオナの王に忠誠を誓ったほうが良いでしょう。そして、同じ席で、ギルヴァエスウィの暗殺者が何者なのかを、イオナの王に直接問わねばなりません。間もなく父上が来られるはずです。黒い風が破滅の報せを運んでくる前に、どうか今すぐ、ラスティエン殿とブラン殿に今の話をお伝えください」
ヘドゥンは、その言葉に従った。そうするより他に選択肢は無いと思われた。
 「お前は、賢い男だ。そして、見目も麗しい。もしも、お前が何の呪いも受けぬごく普通の男であったなら、私はお前に嫉妬していたかもしれぬ」
スェウは微笑み、こう答えた。
 「もし、そうだったとしても、ラスティエン殿は貴方を選んでいたはずです」
 「そうだろうか。彼女を助けたのはお前だし、ブラン殿は、お前を実の子のように思っている。人の女を妻に出来ぬという呪いが無ければ、お前はどんな姫君でも思いのままに出来たのだ。」
月は静かに輝き、館の庭を照らしている。

 ヘドゥンが去っていった後、スェウは城門へと歩いていった。そこは、夜なお兵たちによって固く守られていたが、彼らは丁重な挨拶をして、スェウを通した。
 「こんな夜更けに如何なさいました、スェウ殿。何か、気になるところでもございましょうか」
 「そろそろ来られる頃なのです。風に、ひづめの音が聞こえますから」
何のことやら分からずに、彼らは顔を見合わせた。だが、やがて、目の良い者が、闇の中を疾駆する、闇色の大きな馬を見つけ出した。
 月の光にも輝かぬ漆黒のマントを翻し、大柄な男が馬に地を踏み鳴らさせ、エッセネの町めがけて荒々しく一直線に駆けてくる。
 「あれは…、一体何でしょうか。旅人では無いようです」
兵たちは怯え、体を固くしていたが、スェウだけは顔を輝かせ、月の光の下に立って、よく見える金の髪を靡かせた。馬は門の前まで来て止まり、その背から降りた男は、泥で汚れたブーツを地に付けた。
 それが、グウィディオンとの再会だった。

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