◆33


 スェウは、春の訪れを間近に待ちながら、竪琴を奏でていた。そして、魔女の顎から抜き取った、呪われた骨を、少しずつ、削って使えるものに仕立てていった。長い丈夫な金髪は、編んで弦とした。それはどんな植物の蔓よりも強く、つややかなものだった。
 オルウェンは、打ち沈んだままだった。弟が元気に生きて戻ってきたことは嬉しかったが、その口から聞かされた恩人への感謝と、自分の抱き続けた恐れとが相反する思いとなり、スェウに向けた言葉への呵責となり、彼女をさいなむのだった。
城に戻った幼い王子は、すぐにそこの仕来りを覚え、人々に認められるようになった。王子を救い出したペンダラン・ダヴェドは、王によって後見人に名指しされた。今や、彼は次なる王の一番の従者なのだった。
 あと数年もすれば、姉のオルウェンは、いずこかへ嫁ぐことになる。誰もがそう思っていた。美しい姫君だった。力ある若者たちは、みなこぞって、彼女を求めることだろう。

 ある日、彼女は思いあぐねてスェウのもとへやって来て、ためらいがちに悩み事を打ち明けた。ディランは怒っていないか、仕返しに戻って来はしないか、と。
 「あなたやブレイドゥンのことを恨んではいませんよ。腕に受けた疵のことなど、ディランは気にもしていません」
 「でも、」
 「恐れるのは、その心が弱いからです。そして、僕たちを信じてくれないからです」
スェウは語気を強めた。それを聞いて、オルウェンは恥じらいを覚え、耳まで真っ赤になった。
 「もう、思い悩むのは止めてください。ディランはこれからもプレデリ殿の友でいるでしょうし、あなたとも、仲良くなれるはずです。」
それで、彼女は忘れることにした。海は広く、些細なことなどすべて押し流してしまうものなのだ。
 「春になったら、イオナへ戻られるおつもりなのね。」
 「そのつもりです」
スェウは、静かな青い瞳で、彼女を見た。だが、それは、肉親を見るときのような、親しみを込めた優しい眼差しで、少年たちが彼女に向ける、熱のこもった眼差しとは異なっていた。
 オルウェンは知っている。それゆえに、惑っている。
 「あなたは、人の女性は妻に出来ない運命<さだめ>と、父から伺いました。」
 「その通りです。人ならずとも、この世のあらゆる種族の女性は」
オルウェンの瞳は翳った。
 「そのために、多くの乙女たちは胸を痛めることになりましょう」
 そこにいるのは、もはや幼い少年ではなく、その言葉の意味を十分に理解している。
 二度目の冬を越し、深い知恵と、砕けることのない勇気を手にし、自らの翼で飛ぶことを覚えたばかりの、若く美しい鷹なのだった。
 「ブレイドゥンには自分の領地は無いわ。父は、領主でもない者に私を嫁がせたりはしないでしょう。」
 「しかし彼は、あなただけに心を決めている。そのためなら、王になろうとさえするでしょう。」
スェウは微笑み、少女の白い手を取った。
 「あなたは、沢山の求婚をお受けになるでしょう。誰の手を取ればいいのか、分からないかもしれません。けれど、もしも自由に選ぶことが出来るのであれば、あなたが王女ではなく、美しくなく、地位も財産も無い、ただの娘だったとしても、あなたを選び、愛してくれる人をお選びください」
その手に口付けをして、彼は続けた。
 「あなたにお会いできて良かった、美しい姫君。もしも私がただの人であったなら、あなたを望んでいたかもしれません」
こうして、彼はブレイドゥンとの約束を守り、彼女の特別な好意を得ることはしなかった。


 春が来て、スェウが王の宮廷を去るとき、人々はみな悲しんで、もう少し国に留まってくれるよう頼んだ。だが、スェウはそれを微笑みながら断り、自分には、戻らねば成らない場所があるのだと告げた。
 帰りはアルヴォンの領主、サウィルの船に同乗することになった。アルヴォンはグロヌウ・ペビルの領地の隣にあり、ダヴェドからは、さほど遠くは無いのだった。
 港まで見送りにやって来たオルウェンは、自分の指から金の指輪を抜き取り、スェウに手渡した。
 「あなたが相応しいと思う方に託し、こう、お伝え下さい。もし、覚えていてくださるなら、今から三年のちの夏に、私からのご挨拶を差し上げましょう、と」
 「心得ました。」
スェウは弓を手にしていた。ほっそりと白く、だが、どんな木よりも丈夫で、ぴんと真っ直ぐに張られた弦はつややかな輝きを帯びている。息子を伴って現れた王は、それに目を留めた。
 「それが、ずっと部屋で作られていたものですかな。」
 「はい。」
 「実に器用な手さばきだ。己の武器を、己自身の手で作ることが出来る者は、そうおりますまい。」
それが、自分をずっと苦しめた魔女の骨から出来ていると知っている幼い王子は、少し気味悪そうに訊ねる。
 「本当に、使えるの?」
 「試してみましょう。どなたか、矢を一本いただけますか。」
王の従者のひとりが、背負っていた矢筒ごと差し出した。スェウはそれを肩にかけ、一本の矢を引き抜いて、遠い海の果てに狙いを定めた。
 早春の訪れに波はきらめき、風は穏やかで、視界は空の果てまで広がっている。
 弓の弦は、ひょう、と軽い音を立ててしなり、矢は光の如く一直線に飛んだ。誰もそれほど遠くまで矢を飛ばせる者を、見たことが無かった。矢は、弧を描いて飛ぶ海鳥たちのいずれにも当たらず、人々の目に届かぬところまで飛んだあと、海の中へと消えていった。
 「素晴らしい」
王は感嘆の声を上げ、スェウの腕前を褒めた。
 「そなたの手は、なんと巧みに弓を作り、操ることか。これからは、スェウ・スァウ・ゲフェスと名乗られるがよい」
 「ありがとうございます、王。」
この時より彼は、<器用な手を持つ輝く人>と、呼ばれるようになった。

 「さあ、出航といたしましょう」
サウィルが言い、船員たちは威勢良く走り出した。晴れやかに帆が張られ、船は別れを惜しむ人々の声を受けながら、軽やかに海へと滑り出していく。
 「さて。初めてお会いしたときは、まだほんの子供のようにお見受けしたが、一冬の間に、随分と成長されましたな。」
潮風にマントをはためかせながら、痩せた男はスェウに言った。
 「本当を言えば、ダヴェドの王と親交を深めるおつもりだったのでしょう。いずれ、イオナの王が倒れるか、代わるかした時に備え」
 「それはグロヌウ殿のほうでしょう。」
彼は笑い、まばらな灰色の髭を撫で――、やがて、こう付け加えた。
 「私にも息子がおりますが、プイス王のご息女には、ちと相応しく無いようだ。」
スェウは、笑って、冗談とも本気ともつかないその言葉を聞き流した。
 サウィルは、大望を抱くつもりもない、ささやかな男だった。自分の領地を守ることだけが望み、そのために、力を失くしつつあるイオナの王ではなく、海からの恵みで富むダヴェドの王に取り入ろうと考えていたのだ。
 「戻られて、どうされるのか、スェウ殿。兄君がエレン姫のまことの息子であるならば、血を分けた弟である貴方もまた、イオナの継承権を持つことになります」
 「母が死んでから生まれる息子は、人とは認められないでしょう。僕もディランも、王を望むつもりはありません。どうかサウィル殿、そのことは語らずにいただきたい」
 「しかし、誰も語らなくとも、人々はすぐに気づくでしょう。貴方は栄光の時代を飾る、最後の王に生き写しであられる」
スェウはじっと、海と空との境目を見つめていた。それは微妙に色合いの異なる青、空のほうが薄く、海は、より深い青に広がっている。
 「正直なところを申し上げますと、スェウ殿。いずれは反乱が起き、すべてが散り散りになってしまうだろうと、私は思っているのです。かの偉大なる王、マクセン・ウレディクの築いた城も、道も。七つの地方のうちイオナの王に忠誠を誓う領地は、マース公のもとの領地アベルフラウのみです。率いる者なくば、イオナは四散致します。」
 「貴方は、僕に何をしろというのですか。」
 「私が言うのではない。人々が、貴方に求めるだろうというのです」
波の音が響いていた。

 サウィルはおもむろに、節をつけて歌った。

 海に去りしかの女性<ひと>の面影を水面に重ね
 覗き込み、映るは分かたれし月の影、
 半分は空に、片割れは海に
 映るは、そに良く似たる 金に輝く若き顔


 「その人について、僕は何も聞いたことがないのです。どのような方でしたか。」
 「勇敢なお方でした。自ら馬と軍とを率い、イオナの街道すべてを駆けたお方です。それゆえに、ついた名はエレン・ルイダウク<軍を率いるもの>。自らを負かした男でなくば、共寝を許さぬと言い放った女傑であられた。その美しさゆえ、島中の男たちが挑んだが、みな負けてしまった。ただ一人、グウィディオン殿を除いては。――もし、あの方が生きておられたなら、ルヴァインの軍に攻め込まれても、決して負けはしなかったでしょうに。」
 「父とは、なぜ結婚しなかったのでしょうか」
 「グウィディオン殿が拒まれたのだと聞きます。己が身にかけられた嫉妬深い呪いゆえ、都からは離れがちでした。エレン殿は、そのようなものは恐れるに足らずと笑い、ただ一人決めた方ゆえに、どこまでも運命を共にしたいと仰せでしたが。」
 「強い方だったのですね」
 「左様。あれほどの女人は、もはや、この島にはおりますまい」
スェウは、グウィディオンに会いたいと思った。
 彼女は絶望のため海に身を投げたのではなく、名を与えられず、洗礼も施されていない息子が、呪われた海に飲まれるのを救ったのだ。
 そのことを告げ、グウィディオンが背負い続けて来た悲しみを和らげたかった。


 春の訪れとともに、渡り鳥たちは島へ帰る。
 やがて聞く新たな年、島に吹き荒れるであろう嵐のことは、いまだ知らずに。


****少年編 了******

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