◆32


 人々は、攫われていた王子の帰還を心より喜んだ。今年で四歳になる幼子は、立派に身支度を整えられ、父である王のもとに連れてこられた。プイス王が歓喜したのは、言うまでも無い。
 王は顔をほころばせ、オルウェンを傍らに呼んで、賑やかな宮廷に戸惑っている少年の手を取らせた。
 「わしが、そなたの父だ。そして、ここにおるのが、そなたの姉のオルウェン。さ、挨拶なさい。」
子供はもじもじしながら、美しい姉にはじめまして、と言った。並んでいる姉弟はよく似ており、血のつながりを疑う者は誰もいなかった。また、プイス王と幼い子は、これもまた、これほど似た親子は居ないと思われるほどに、よく似ていた。
 「息子よ、お前は忌まわしき魔女の砦で、なんと呼ばれていたのかな」
 「金の髪のグウリと呼ばれました」
 「それも、なかなか良き名ではありますが」
と、サウィルが側から口を挟んだ。
 「魔女が名付け親では、よい結果にはなりますまい。どうです、姉ぎみのオルウェン姫にとって、長年の心配であった弟ぎみが戻られたのであるから、プレデリ<心配>と、名乗られるのはいかがですかな。」
 「名案だ。息子よ、それでは、そなたは今からプレデリと呼ばれることとする」
少年は、わけがわからずきょとんとした顔でいた。オルウェンは弟を抱きしめ、何かを囁きかけて、そっと王の側を離れさせた。間もなく祝いの宴が始まり、その主役である少年は、いちばん目立つ席に据えられることとなった。

 王はペンダラン・ダヴェドを側に呼び、失った剣のかわりに一振りの見事な剣を与え、細かな刺繍の入った美しいマントを取らせた。そして、言った。
 「感謝するぞ、ペンダラン・ダヴェド。そなたには、この王国の半分を差し出しても足りぬくらいだ。」
 「いいえ。実のところ、私は何もしていないのです。すべて、勇敢なスェウ殿と、そのご兄弟のされたこと。」
 「兄弟とな? それは一体、誰のことだ。そういえば、先ほどからスェウ殿の姿が見えぬが。」
王が眉を寄せたその時。
 玉座へと続く扉が開かれ、年の違う二人の若者が並んで入ってきた。人々は道を譲り、驚きの目を見張って、彼らを迎え入れた。

 一人は見たことのない、背の高い若者だった。白い長衣を纏い、長い髪は編んで腰まで垂れている。スェウは深い青のマントを纏って、その腕を引きながら歩いていた。
 彼らの顔立ちは、とてもよく似ていた。瞳の色は同じで、年と背格好だけを取り違えたよう。
 王は息を呑み、思わず玉座から立ち上がった。王の御前まで来ると、スェウは、よく通る澄んだ声で、みなに聞こえるように、こう言った。
 「ご紹介いたします。彼は生まれたその直後に母の手を離れ、海のものとなり、それゆえにディラン・エイル・トンと呼ばれていました。」
それを聞いてオルウェンは小さな悲鳴を上げた。若者の腕に、確かに疵の跡があるのが見止められた。
 「嘘でしょう。ペンダラン、その人は海の化け物よ」
 「そうご覧になりますか」
スェウは落ち着き払って、人々を見回した。そして、たった今、名を与えられたばかりの王の息子に目を留めた。
 「ダヴェドのお世継、あなたは、彼をあなたの国から追放したいと思いますか?」
 「ううん、そんなはずないよ」
少年は明快な声で、無邪気に答えた。
 「ディランは、ぼくの兄さんだもの。あの、怖い魔女からずっと守ってくれたし、代わりにぶたれてくれた。ぼく、ずっと友達だよ」
オルウェンはますます青くなり、声を潜めて少年を諭した。
 「だけど子供を攫うのよ? あれは化け物よ。魔女の仲間でしょう」
 「違うよ。ディランは、すごく上手に魔女を騙したよ。ほんとうの人間の子供を攫わずに、服を着せた丸太や、髪の毛をつけた石を食べさせていたんだよ。だから魔女は自分でも気がつかないうちに、だんだん弱っていったんだ」
人々はざわめき立った。そして誰からともなく、こんな話が漏れた。海の波の息子は、町や船の側をうろついてはいたが、実際に人を傷つけたことはないし、海に引きずりこまれて死んだ者は一人も居ない。朝になって、服や靴や食べ物が盗まれていたことはあったが、命を取られた者はいない、と。
 「だが、不思議なことだ。そなたたちは、良く似ておる。とても他人とは思えぬ。いかな繋がりがあって、そのような姿になったのだ。」
 「それは――…」
スェウは言葉を切り、自分を見下ろしている青年を見上げた。
 「この人が、共に生まれるはずだった兄だからです。兄は海に落ち、僕は空に掬い上げられましたが」
王は溜息をついて玉座に腰を下ろし、深く、背をもたせかけた。
 「さて。かくも不思議なことが、この世にはあるものか。わしには、言うべき言葉が見つからぬ。ペンダラン、そなたはどう思う」
 「は。ディラン殿には、私も大いに助けられました。ご子息の恩人を追い払うのは、王に相応しくないことかと思われます。この国の客人となっていただいても、良いものかと思いますが。」
 「左様に思うか。わしもだ。では、ディラン殿。今宵は陸の上で、存分に宴を楽しまれい。大いに歓迎しようぞ。」
そこで、海に住む若者にも席が設けられ、豪華な味に慣れぬ彼のために、特別に塩だけで焼いた大きな魚が出され、酒ではなく真水が注がれた。
 彼は何でも珍しがり、匂いを嗅ぎ、少年のように笑った。宮廷の音楽を心から楽しみ、人々の陽気な踊りに加わった。一言も発することは無かったが、その瞳は野獣のものではなく、奥のほうに、人間的な理性がきらめいていた。
 祝いは三日三晩続き、ひっきりなしにご馳走が出された。
 そして三日目になり、人々が疲れ果て、みな眠ってしまう頃、ようやく、広間は静かになったのであった。

 明け方の光が城を照らす時刻、スェウは、広間の外のベンチに一人で座っていた。城のどこにも動く影は無く、人々の漏らす幸せな寝息だけが聞こえる。
 声に出して約束したわけではないが、彼は、そこで待っていた。やがて、柱の向こうから、待っていた人が姿を表した。
 「戻られるのですか?」
スェウが問うと、ディランはひとつ頷き、結んだ髪を解いてくれるよう頼んだ。スェウが言われたとおりにすると、彼は自分の髪の中から、丈夫なものを数本選び取り、指にからめて引き抜くと、スェウに手渡した。
 「魔女の顎を使え。それは、定められたお前の力になる」
彼は、口を開いた。――それは、この城に戻ってから、はじめて口にした、人の言葉だった。
 「やはり、ここでは窮屈ですか」
 「海が私に定められた国。陸の上は狭すぎる」
答えを聞いて、スェウは笑った。
 「僕も、時々そう思います」
 「お前には空がある。陸の上の空も、総て」
ディランは大真面目な顔で返し、海の方角に目を向けた。吐く息は白く、霜の降りた木々は冷たい眠りの中にある。
 「春には、イオナに戻ります。父上のもとへ」
 「私はあの砦へ戻る」
青年の帯には、魔女が残した杖が挟んであった。それは「変身の杖」と呼ばれ、触れたものの姿を自由に変えるという、恐るべき杖だったが、誰も、それをどのようにして使えばいいのかは知らなかった。だが魔女の近くにいて、その秘密を知るディランだけには、使うことが出来たのだった。

 スェウは、兄の長い髪を元通り、一本に編んでやった。立ち去るとき、ディランは言った。
 「海を、よき国と成そう。呪われた海は元に戻るだろう。お前のお陰だ」
 「陸はまだ、幾多の争いがありそうですが。」
彼らは別れた。ディランは、城から町へ、町から浜辺へと、夜明けの中を歩いて消えていった。
 溶けかかり、凍りついた雪の上に残された足跡は、誰もその上を踏もうとはせず、春になり雪が溶けるまで、残されたままだったという。


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