◆31


 夜が明けて、町の人々が目覚める頃、スェウはそっと城に戻って来た。
 納屋には、ペンダラン・ダヴェドが待っていた。彼はスェウを、納屋の奥の誰も来ない場所へ連れて行き、改めて、ディラン・エイル・トンと引き合わせた。
 陸に上がった海の波の息子は、見るからに体格のいい男だった。どこにも足りないものはなく、多すぎるものもない。夜明けの光を受けて、眩しそうに目を細める様は、この世のものならず優美でさえあった。
 だが、海の匂いがひどく強かった。ほとんど裸に近く、髪は恐ろしげに垂れ、貝や魚のうろこのようなものが身体じゅうの至るところに貼りついている。
 「湯を用意させましょう。それから、着る物と食べる物も。スェウ殿、このことは、王にも、姫や他の従者たちにも、知られぬほうが良いのでしょう」
 「はい。お願いできますか」
ベンダランは、まるでスェウの信頼を得た家臣のようにうやうやしく礼をして、粗末な部屋を出て行った。

 スェウは自分の名を名乗り、それを相手がしっかりと胸に収めたのを確かめてから、側に腰を下ろした。
 「この名前は、父がくれた名前だ」
スェウが言うと、ディランも応じた。
 「私には、沈みながら母がつけてくれた」
 「では、覚えているのですね?」
 「そう。ずっと待っていた。」
彼は空を見上げた。輝きを失った月はまだ、西の空に残されている。雪に反射して、光はより一層眩しく、空は、いっそう青く輝いていた。ディランは純粋に、はじめて見るものに、ただ驚きの顔をしていた。
 思ったままに表情をあらわにする青年は、表情静かな少年とは正反対に見えた。
 「一体誰が、兄上を海に繋ぎとめたのです。あのような酷い仕打ちをしたのは誰なのですか」
 「西の、逆巻く海の中に小さな小島がある」
彼は、丸暗記した聖書の言葉を読み上げるように、おごそかに言った。
 「そこには、子供を攫う魔女が住んでいる。魔女は海を支配している」
 「攫われたダヴェドの王子も其処におられるのでしょうか」
黄色い髪のディランは、沈黙した。それ以上の質問に答えることは出来ず、言葉にすることは許されていないようだった。魔女のかけた戒めの魔法が、主人に不利な言葉を封じているもかもしれなかった。
 そこへ、ペンダランが戻ってきた。彼自ら、湯の入った桶を手にしている。
 「さ、足を。洗ってしんぜよう。それから髪も」
ペンダランが鋏を取り出し、整えようとすると、ディランは嫌がった。
 「困りましたな。そのなりでは、ご婦人がたが驚かれましょう」
 「切るのが嫌なら、編めばいい。櫛を貸して。」
スェウはディランを座らせ、櫛で長い髪を梳いて、器用に編んでいった。その長さは腰まで届き、潮にさらされていたにも関わらず、つやつやと美しく輝いていた。
 湯に浸した布で身体を拭いて、清潔な麻の衣を着せると、海から引き上げられた若者は、はや、一人前の立派な美男子に見えた。
 すべての支度を終えたあと、ペンダランは、上から下までを一通り眺め、満足したように頷いた。
 「さて。これでよろしいかな。ところでスェウ殿、これからどうされる。まさか、ここにずっと隠しておくわけにもいきますまい」
 「しかし、皆に見られるのは良くありません。兄上は、見ればそれと分かってしまいます」
確かにそうだった。
 スェウがイヴァルドに似ていると思われたように、ディランは、その母にそっくり生き写しだった。誰もが疑いを持つはずだ。そして、この青年は、人の世界に戻されたばかり。
 「まだ完全ではないのです。西の地にいる、海の魔女から開放せねば。一緒に行っていただけますか、ペンダラン殿。そこには、生まれたその晩に姿を消した、プイス王のご子息も囚われているはず」
 「なんと。それがまことならば、私は決して断れない。しかし、どのようにして魔女の住処へ行かれるのか」
 「手ごろな大きさで、なるべく丈夫な舟を用意してください。それから出かけましょう。道は、ディランが知っています。」

 かくて、ペンダランは王にスェウと出かけることを告げ、小さな舟をひとつ借りた。オルウェンは酷く心配していたが、ペンダランは、剣にかけて無事に戻ると約束し、目的を隠した。
 スェウはディランとともに先に浜辺に行き、ペンダランが舟を回してくるのを待っていた。ペンダランは人々に、見送りはいらぬと固く言いつけ、用心して、誰にも知られぬところから出発したのだった。
オルウェンは、舟が戻ったと報せを受けるまでは、決して部屋から出てこなかった。ペンダラン・ダヴェドをスェウに引き合わせた自分がいけなかったのだと、ひどく思い悩んでいたのだった。


 港を出て一日と半、舟は、逆巻く海の真ん中にある小島にたどり着いていた。
 波は泡立ち、風が吹きつけ、ひどく寒い中に岩壁がせりたち、その上に、魔女の城が載っている。登れるような高さではなく、島のぐるりは、すべて人を拒む絶壁だった。
 「さて、どうなさいます。」
舟の漕ぎ手、ペンダランは言った。
 「入り口はどこにも見当たりませんし、波も荒い。近づけば、舟は岩で砕けてしまうでしょう」
ディランは、海に飛び込もうとした。それをスェウが止める。
 「まずは服を脱いでからです。そのままでは」
言われて、ディランは、服に手をかけた。スェウがボタンの外し方を教え、彼は麻の衣を慣れない手つきで脱ぎさると、それを舟底に残して海の中に飛び込んだ。波ははじけることなく、ほとんど音も立てない。
 次に黄色い頭が浮かび上がったのは、舟から遥かに離れた場所で、波の打ち寄せる岩の間際だった。
 「あそこに、入り口があるようです。舟を寄せてください」
ディランは、付いて来いというように振り返り、すぐにまた、波間に姿を消した。
 そこだけ岩が無く、波が打ちよせるすぐ近くに、洞窟の入り口があった。ようやく舟が入れるほどに天井が低い。
 スェウとペンダランは舟底にぴったりと伏せ、舟は、後ろからディランが押して進ませた。

 洞窟の中は天井が高く、広くなっていて、舟を隠すにはもってこいの港になっていた。
 岩の上に上がったディランは、水をふるい落とし、軽い足取りで奥へ向かって歩き出す。その後にスェウと、ペンダランが続いた。ディランはその場所をよく知っているようで、真っ暗な中でも、迷うことはなかった。
 所々に、芯の短くなった蝋燭や、何の動物のものか分からない骨が散らばり、不気味な燐光がうっすらと足元を照らし出している。ペンダランは何度もつまづき、そのたびに、思わず声を上げそうになるのをぐっと我慢した。
 彼は、腰にきらきら光る立派な剣を下げていた。いざとなれば、それで戦うつもりだったのだ。一方スェウは、猪の牙から削りだした短剣を帯に挟み、竪琴を脇に抱えていた。

 ずっと奥に来たとき、ペンダランは、小さな子供の泣き声を聞いた。それに交じって、罵声が響いた。
 「お黙り! まったく、よく泣く子だね。お前は。ええ? またしくじったのかい。まったく…、ディランは戻らないし、お前は役立たずだし。どうしたものか!」
ディランは歩調を速めていた。まるで飛んでいるような速さだった。そのためスェウは追いつくことが出来ず、引き離された。
 通路の向こうに、青白い灯が見え、その部屋の真ん中に零れた、おぞましい薬が、しゅうしゅうと音をたてている。
 側で、海草を乾かしたような、おどろおどろしい髪を振り乱した老婆が、幼い子供をしかりつけていた。
 「立ちな、グウリ! あんたに、お仕置きをしなくては」
そこへディランが飛び込んで行って、子供をかばうように両手を広げた。魔女は灰色の顔を歪め、振り上げていた杖を下ろす。
 「ようやく戻ったかね。まったく、このうすのろ。ちゃんと仕事はしたのかね」
ディランは、挑むように魔女を睨み付けた。魔女は若者の反抗的な態度に驚き、編んだ髪に気づいて、脅すように杖を振るいながら怒鳴った。
 「あたしは子供を攫っておいでと言いつけたはずだよ。まさか、このあたしに逆らうつもりじゃないだろうね。この杖で一打ちすれば、あんたはただの魚になる……」
その台詞は、終えることが出来なかった。
 魔女は、部屋に入ってきたスェウを見て、あんぐりと大きく口を開けた。それは、子供と大人の中間に位置する、どちらともつかぬ少年で、しかも、ディランと瓜二つだった。スェウに気を取られて、魔女の手が疎かになっていた。
 そのすきに、そっと背後に忍び寄っていたペンダランが、後ろから飛び掛り、杖を取り上げ、恐ろしい老女を組み伏せる。年寄りとは思えない暴れっぷりで、ペンダランは何度も跳ね飛ばされそうになった。
 「助けておくれよ、助けておくれよ、ディラン。お前を拾って育ててやったのは、このあたしだよ。あんたは捨てられた子だ、いまさら人の世界に戻れるものか」
魔女はきぃきぃ響く声で喚く。
 「黙れ、呪われた魔女め。二度とその口を聞けなくしてやる!」
ペンダラン・ダヴェドは剣を抜き、魔女の体に付き立てた。その途端、凄まじい絶叫とともに、魔女の姿が消えうせた。床に深々と突き立った剣は氷のように溶け、柄だけが手の中に残った。
 「逃がしたようです。」
スェウは、小さな目を丸く見開いて座り込んでいる幼い少年の手を取って、立たせた。
 「ダヴェド王のご子息、お迎えに上がりました。さ、国に戻りましょう」
 「ぼくを知っているの?」
 「ええ。ここにいるペンダラン・ダヴェドが、あなたを、あなたの家へとご案内するでしょう」
ペンダランは、使えなくなった剣を忌々しげに床に打ち捨て、魔女と格闘して打ち傷、擦り傷だらけになった体を引きずりながら少年の側にやって来て、膝まづいた。
 「私はあなたの下僕です、王子。さあ、国で、あなたの父上と姉君がお待ちです。この忌まわしい牢獄を離れ、戻りましょう」
 「うん」
男は少年を抱えあげ、ディランとスェウとに頭を下げた。
 「お二人には幾ら感謝しても感謝し足りぬ。なんとお礼を申し上げたらよいのか」
 「それは、無事にここを出られてからにしましょう。魔女は、まだ滅していません。これから先、海を渡り、戻らねばならぬのですから。」
スェウに言われ、ペンダランの顔が引き締まった。
 「その通りでした。急ぎ、ここを脱出せねば。」
と、岩屋が揺れ、どこからともなく、思わず耳を塞ぎたくなるような、おぞましい叫び声が聞こえてきた。
 空に張り出した小さな窓を開けたとき、彼らはそこに、巨大な海蛇の姿を見つけた。

 俄かに掻き曇った空の下、波は逆巻き、雨が叩きつけ、海鳥たちが落ちてゆく。
 魔女の砦は大きな渦の中に在った。岩を蛇が取り巻き、力いっぱい締め上げている。
 「あれが海の魔女の正体か。なんという」
ペンダランは絶句する。
 「剣が在ったとしても、倒せませんね」
スェウは微笑んで、小脇に抱えていた竪琴を取った。
 「何をされるおつもりか。」
 「聞かせてやるのです。悪しきものは、天の音に耐えられません」
言うが早いか、彼は、素早く指を走らせ、弦を激しくかき鳴らし始めた。その音は嵐の音にも負けることなく、岩の空洞に反響し、砦の隅々まで届き、海蛇を苦しめた。
 はじめ激しかった旋律は、次第にゆっくりになっていき、それに伴って、波も鎮まって行った。 
 海蛇は頭を下げ、眠ってしまったように見えた。
 「さあ、今のうちに」
スェウは皆を急かして、もと来たのと同じ場所から舟を出した。ディランは舟に縄をつけ、自分の体に結びつけて、先頭を泳ぎ続けた。海の中では彼の泳ぐのに勝るものはおらず、力は、鯱のように強かった。そのため、彼らは、魔女が目覚めるよりも早く、ダヴェドの港までたどり着いたのだった。

 浜辺に舟が上がると、城の見張り台から、帰還を待っていた人々の声が上がった。オルウェン姫は、その声を聞くや部屋から飛び出し、塔に上がった。
 浜には、四人の人影があった。だが、その後ろの海には、さらに大きな、もう一つの影があった。
 「あれは何だ。何か、ひどく大きな、恐ろしいものが向かってくる」
人々は恐れ、凍りついた海を見つめた。その体の両脇で、水は割れ、浮きつ沈みつする体は不気味な灰色に輝いている。
 「ペンダラン殿、早く御子を安全な場所へ。ここは僕らが食い止めます」
 「かたじけない、スェウ殿。剣を得て、すぐに戻りますゆえ、それまではご無事で」
王の家臣、ペンダランは子供を抱いて駆け去った。スェウは竪琴を砂の上に置くと、トゥルッフ・トゥルウィスの牙から作り上げた短剣を翳した。
 「そこをお退き、金の髪の子供。あたしの召使いが逃げてしまう」
 「あなたは酷い養い親だ。あの子は召使ではない、ダヴェドの王となるべき子。囚われの館より開放され、居るべき家に帰された」
 「もう一度言うよ、そこをお退き。裏切り者の召使いを食べさせておくれ」
 「残念だが、それも出来ない。此処に居るのは我が兄であり、僕自身のものでもある。彼は生まれたときより自由の身だ。あなたの召使などではない」
 「ならば、お前をかわりに食ってやる!」
海蛇は唸り、恐ろしげな黄色い眼を光らせ、大きく口を開けた。スェウは飛び掛って、手を捻りながら蛇の顎を切り裂いた。ディランは海に潜り、蛇の尻尾を捕まえ、引きちぎっていた。海と浜は、魔女の穢れた黒い血に染まり、ひどい悪臭が漂った。
 「止めておくれ! 止めておくれ、あたしが悪かった。もう、お前たちを食べようなんてしないから!」
 「駄目だ。お前は今まで子供たちを食べてきた」
 「もう食べないよ! だから助けておくれ。何でもするから、お願いだよ。命だけは助けておくれ」
魔女は哀れっぽく懇願した。そこでスェウは、切り裂いた魔女の下顎から骨を取り出してしまった。骨のなくなった魔女の口はだらしなく砂の上に垂れ、閉めようとしても、すぐにまた開いてしまうようになった。そして、二度と言葉を喋ることも、人の姿になることも、出来なくなった。
 「さあ、お前はもう、骨を噛み砕き、血をすすることは出来ない。行け、その姿で惨めに海の底で暮らすがいい」
スェウに命じられて、蛇は、短くなった尾を引きずりながら、海の底に帰っていった。
 魔女が死んでしまったのか、生きているのかは誰も知らない。
 それ以来、イオナとダヴェドの地の間にある、いずこの海でも、魔女の姿を見たものはなく、海に攫われる子供もいなくなったという話である。



 兵を引き連れて戻ってきたペンダラン・ダヴェドは、スェウとディランが血に塗れて立っているのを見て卒倒せんばかりに驚いたが、彼らが元気よく彼のほうに歩いてきたので、胸をなでおろした。
 「ご無事でしたか。魔女めは、どうなりました」
 「今は生きています。しかし、顎の骨を抜いたので、もう悪さは出来ないでしょう」
兵たちは、頭から血を被った見慣れぬ半裸の若者を見て、思わず槍を構えようとした。
 「待て、待て。何をする。この方は王子の命の恩人だぞ。これから城にお連れするのだ。」
ペンダランに言われ、兵たちは顔を赤くして槍を下ろした。 
 かくて、スェウとディランは、うち揃ってダヴェドの城に参内し、王と見えることとなったのであった。


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