◆29


 王たちの一行は、町へと帰還した。先頭には、討ち取られた金の猪の皮が誇らしげに掲げられ、人々に、町を襲う獣の脅威が去ったことを知らしめた。そして人々は、狩りを終えて帰還した王と二人の領主たちを慇懃に出迎えるとき、その中に、一度見れば決して忘れることはないであろう、美しい金の髪の少年がいるのを見つけた。少年は堂々として、王の傍らに馬を歩ませていたのである。
 「それでは、それがしは、これにてお暇いたす」
港に向かう道に差し掛かったとき、白髪のグロヌウ・ペビルは言った。
 「なんと。もう戻られるおつもりか」
 「長居をしすぎました。楽しい時間は、早く過ぎる。我が領地は、今は放っておける状態ではありませぬゆえ」
船が港に着いて、待っていた。そろそろ本格的な冬が始まろうという頃で、甲板に吹き寄せる風は冷たい。
 男の領地は、ダヴェドの港から見える、イオナの国の先端部分に当たった。すぐそこに、おのが町が見えているのである。
 イストラドのあるじは、プイス王とその従者たちの挨拶を受け、馬の首をめぐらせると、最後に、スェウに向かって言った。

 金の鷹 羽ばたくとき
 風の噂は我が館にも届かん


スェウは答えた。

 かの地にて、黒き馬の嘶きが聞こえるとき
 我も共に在らん

 「いずれイオナで会う時を楽しみにしている」
スェウは軽く頭を下げ、男の通り過ぎるのを見送った。その後、王の一行は、深い森に包まれた城に向かった。

 一行が戻ることは、先ぶれの使者によって、数日前から知られていた。城の人々は、待ち受けていた。
 森を越えてくる馬の列を発見した見張りによって、プイス王の帰還を告げる喇叭の音が高らかに鳴り響き、着飾った女性たちが、いそいそと出迎えに現れた。
 その中に、ブランウェンもいた。
 「お帰りなさいませ、お父さま。お戻りをお待ちしておりましたわ」
少女は微笑みながら王に近づいた。スェウとも目が合ったが、彼女は微かに微笑んだだけだった。
 「娘よ、何事もかわりなかったか」
 「はい。みな、息災にしております」
 「それは良かった。――そうだ、紹介しよう。こちらは、イオナより来られた、スェウ殿だ。ご挨拶しなさい」
少女はスェウのほうに向き直り、優雅なお辞儀をして型どおりの歓迎の言葉を述べた。まだ幼いが、非常に美しい少女だった。ブレイドゥンならずとも、大抵の少年たちは、一目見れば、この少女に心奪われるだろう。
 「お前が、城のご案内をして差し上げなさい」
 「はい」
 「サウィル殿、そなたは一杯どうだな。」
 「よいですね。ご一緒いたしましょう」
こうして、狩りから戻ってきた人々は、それぞれに散っていった。ゆっくりと休むため部屋にこもるものもおれば、狩りでの首尾を皆に話し聞かせて回る者もいた。おびただしい、猪の牙と肉とが、運ばれていった。
 「では、私たちも参りましょう。こちらへどうぞ。」
少女は、庭に面したテラスへとスェウを導いた。ベンチには、ゆっくりくつろげるよう大きなクッションが並べられ、よい香りのする香が焚かれ、飲み物が用意されている。

 隣り合って座るなり、彼女は待ちかねていたように飲み物を取った。
 「さあ、杯を。またお会い出来ましたわね」
輝くような笑みを湛えながら、彼女は興味深そうに、まじまじとスェウの顔を見つめた。花びらのようにふっくらとして赤い唇が緩んだ。
 「私、あなたはもっと年上の方かと思ってましたのに。よくよく見れば、まだ子供ですのね」
スェウは、そうですねと、いかにも無邪気に笑い返した。
 オルウェン姫は、あと数年もすれば成人の歳十五に達し、どこへも嫁げるくらい。スェウはまだ、十にも満たぬ年頃に見えた。姫は鈴の鳴るような弾んだ声で、父君に話しかける。
 「いかがでしたの? 父との狩りは。みな、あなたが素晴らしい働きをしたと噂をしていますが」
 「名誉にも、王の猟犬の番人を仰せつかりました。立派に訓練された犬たちのお陰で、猪を追いつめることが出来たのです。王の猟犬は実に優れています。ブレイドゥンの犬たちをおいて、同じくらい勇敢な働きを見せる猟犬はいないでしょう。」
ブレイドゥンの名を聞いたとき、少女の目に、ぱっと光が広がった。
 「あの方をご存知?」
 「僕の従兄弟なのです」
 「まあ。だったら、あなたが勇敢で強くても不思議は無いわ。だって、…」
オルウェンは、かすかに頬を染めた。
 「ブレイドゥンは私の命の恩人だもの。」
 「本当に? それは知りませんでした。ブレイドゥンは、恥ずかしがって、あまり詳しいことを教えてくれなかったんです」
少女の口ぶりから、スェウは、二人が親しい仲であることを知った。少女のほうも憎からず、ブレイドゥンを想っているのだ。

 オルウェンは、かつてブレイドゥンがこの町を訪れた時のことを語った。
 城に忍び込んで、塔を登ってきた少年と出会ったこと。最初は粗暴で恐ろしい少年と思っていたが、次第に仲良くなっていったこと。城を抜け出して海に遊びに行った時、恐ろしい黄色い頭の化け物に襲われて、海に引き込まれそうになったのを、ブレイドゥンに助けられたこと。
 「それは、それは、恐ろしい化け物でしたの。魚よりも大きくて、とても速く泳ぐ半人半魚の呪われた生き物で、引きずり込まれた人は二度と戻ってこられない。この辺りの海に、よく出るのですわ。」
 「ディラン・エイル・トンと呼ばれているそうですね」
 「そう。恐ろしいことよ。でも、ブレイドゥンは、その化け物の右腕に、ナイフで大きな傷をつけたの。それで化け物は、叫び声を上げて沈んでいった。今でもはっきりと覚えているわ」
そう言って、少女は身を震わせた。スェウは、その時のさまを想像した。波の間から見えた白い手、海草が絡みついたような髪を思い出してみた。
 実際に目の当たりにしたわけではないのに、なぜか、その化け物を知っているような気がした。
 「"波の息子"は、月の綺麗な晩に現れると聞きました。他に、見る方法は無いのですか?」
 「そうね…、噂では、浜辺で音楽を奏でると、引き寄せられて出てくると聞くけれど。まさか、ご覧になりたいの?」
 「そうです。」
 「よして、戻れなくなってしまうかもしれないわ。いくらあなたが勇敢でも、人の行けない海の底では、勝手が違うわ」
オルウェンが声を荒げたので、スェウは、それきり、海の化け物の話をやめた。

 少女も話題を変え、城のことや、城に住む人々のことなど話し、逆にスェウからは、リドランでのことや、今まで旅してきた場所のことを聞きたがった。
 やがて、宴の支度が整った。執事が呼びに来て、楽しく語り合っていた二人は、連れ立って、広間へとやって来た。
 そこには城じゅうの人々が集められ、豪華な食卓が容易されていた。
 「オルウェン、スェウ殿とはずいぶん仲良くなったようだが。」
プイス王が言うと、オルウェンは、言葉を選び、こう答えた。
 「ええ、とても楽しい時間でした。弟が出来たようで、嬉しいですわ。」
 「それは良かった。」
王は満足した笑みでスェウを招きよせ、皆に紹介した。
 その少年の父親の名を聞いて、怪訝そうに眉をひそめる者も居たが、スェウは表情を変えず、広間へ通されるまでにオルウェン姫から教えられた、型どおりの挨拶をしてみせた。
 そこで人々は、その子は呪われた父親とは違う運命を与えられているのだろう、と結論づけ、警戒するのをやめたのだった。

 イオナの王宮とは比べ物にならないほど、豪華で、賑やかな宴だった。出された食事は人々が一ヶ月かけて食べるほど多く、人々の笑いさざめく声は明るく照らし出す炎に負けるとも劣らず、何もかもが光り輝いていた。
 「いかがかな、スェウ殿」
スェウが人々を眺めていると、隣に座っていたサウィルが話しかけてきた。
 「素晴らしい宴だと思います。イオナの城には、このような光はありませんでしたから」
 「何故だか分かるかな?」
痩せた、陰鬱な顔の領主は、細い指で神経質に鳥の小骨を取り除きながら、半ば投げやりな口調で、こう言った。
 「ここ何年も、イオナの地は不作続きで、七つの領地のうち、まともに税を納めることが出来るのはごく一部だからだ。かつての繁栄はどこにも無く、みな、行けるものであれば、ダヴェドやルヴァインに行って住みたいと思っているのだ。」
 「不作というのは、作物がとれないということですか」
 「それもある。だが子供が生まれなくなっている。人の子も、獣の子も。子が生まれなければ、国は栄えず、次第に衰えて行くばかりだ。」
 「では、どうすればいいのでしょう。」
サウィルは、香ばしい鳥のももを一つ取り上げ、口に運んでいた。
 「あなたの領地も、やはり不作なのですか。」
 「そう。こんな贅沢な料理が食べられるのは、ダヴェドだけだ。」
彼は大きな音をたてて肉を噛み、骨をしゃぶり、満足げにため息をついて、さらに別の皿にも手を伸ばした。
 「リドランは、豊かでした」
 「そう。あそこはな。山の向こう側には霧も届かん。わしは、あの霧がいかんと思うのだ。冬になるたび、イオナの国じゅうを包む陰鬱な白い霧。あれは、昔はあんなにも濃くは無かった。あの霧に包まれると、いつ眠ったか、いつ目覚めたのかが、ひどく曖昧になってしまうのだ。」
スェウは、サウィルの手元に、空になった杯がいくつも転がっていることに気がついた。狩りから戻って、プイス王と酌み交わしたあとも、ずっと飲み続けていたのだろう。これほど饒舌なのは、飲みすぎたせいなのだ。側にグロヌウ・ペビルがいたら、口が軽すぎると止めていたかもしれないが。
 「王が必要だ。強い王が。――みな、そう思っているはずだ。イオナが呪われた国なら、その呪いを打ち破ることが出来る王が居なくてはならんのだ。」
彼が言ったとき、スェウは、その言葉だけでなく、人々の、それぞれの思いをはっきりと感じ取った。

 ダヴェドの王と、ルヴァインの王。
 そして力を持つイオナの領主たち。
 誰がイオナを地を手にするのか、誰がその地を解き放つのか。
 人々は知りたがっているのだ。
 運命を定める者が誰なのか、その運命がいかなるものか。

 アルヴォンの領主は、少年に、果物はどうかと勧めた。スェウが受けると、彼は言った。
 「だが、ダヴェドの地も、呪われているのだ。イヴァルドとの盟約を破って、ルヴァインとの戦いに駆けつけるのが遅れたためといわれている。王は息子を失った。その子は、生まれたその晩に消えたまま、戻ってこなかった」
 「いつのことです? それは」
 「四年ほど前のことだ。王の妃は、赤子が消えた晩に病の床に伏し、それからすぐに亡くなった。」
スェウは、てのひらの中の、まだ青い果実に視線を落とした。
 何もかもがみな、真実を教えているような気がした。彼は何ひとつ疑わなかった。

 スェウは席を立つと、楽しい音楽を奏でる楽団のもとへ行き、竪琴を貸してほしいと頼んだ。それを奏でてみたいのだ、と。王の楽師は快く承知して、誰も使っていない小さな竪琴をひとつ、彼に手渡した。
 その晩、賑やかな音楽は町まで届き、人々は耳を傾けながら、こんな晩は波の息子が海に来るよと子供たちに注意して回った。海には波の影が静かに漂っていたが、その合間に、絡み合う海草のような頭がひとつ、見え隠れしていたのだった。


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