◆27


 リドランから来た少年の噂は、すぐに王の陣に広がった。美しい金の鬣をもつ、大人しい馬に乗ってきた、その馬の乗り手に相応しい、優美で高貴な少年なのだと。だが、それは、己の力を頼みとする男たちからすれば、腹立たしい存在であった。

 さて、プイスの従者の中に、粗暴な男が一人いた。
 その男は、猟犬たちの扱いに長けた野の男で、名をキネディルという。眠るために穴あきの黄色い牛の皮を与えられている、身分の低い男だった。
 「剣も持たぬ男は、娘っ子と同じよ」
彼はそう言って、表立って客人嘲った。猪を追い込む役として借り出されたこの男、猪狩りに来ていながら、宴を設けるだけで動こうとしない主たちに、いい加減、苛々していたのだった。

 彼は宴の余りものの酒をしこたま飲み、朝になっても、まだ飲み続けていた。
 それは、まだ王たちが眠っている時分だった。柵の側でくだを巻いていた彼は、ちょうど、スェウが自分の馬の世話をしようと天幕を出てきたところに、ばったりと会ったのだ。
 「おい。お前か、海を越えてきたとかいう身の程知らずの小僧は。」
スェウは、酒臭い匂いをぷんぷんさせて近づいてくる大男を見上げた。その瞳は、誰もがはっとするほど、青く静かに澄んでいる。
 息を呑んだキネディルの顔が、次の瞬間、自分に対する怒りと恥とで真っ赤に染まる。彼は喚いた。
 「女のような奴だ。ものも言わず、じっと見つめるだけか。媚を売っても無駄だぞ、俺は誤魔化されん」
犬が吼えだした。騒ぎを聞きつけて、兵らが駆けつけて来た。
 「静かにしろ、この野生児め。王はまだお休みだぞ」
 「狩りに出るつもりもない臆病者は、いつまでも眠らせておけ。そのうち猪のほうから突っ込んで来て、永遠に眠ることになるぞ。猪の長めは、今もダヴェドのどこかの地を荒らしまわっているだろうに、狩り出しに行かないのか。」
スェウは、なおも黙っていた。手当たり次第、当り散らす男から、少しずつ間を取ろうとしていた。
 周りには人が集まりだし、子供に絡むとは何たる恥さらしか、やはり粗野な者を王の従者に加えておくべきではない、などと、ひそひそと話しだす者もいた。

 侮辱された少年が去ろうとしているのを、目ざとく見つけた男は、汚らしく唾液を飛ばしながら喚いた。
 「待て、逃げるのか?!」
ぴたり、とスェウの足が止まった。
 「これだけの侮辱を受けて、よくも何も言い返さずに逃げられるものだ。」
 「逃げるとは、去ることを言うのか。」
 「そのようにしか見えぬぞ。俺にかかってくる気はないのか、男のくせに」
少年の動きは俊敏だった。「立ち止まってもいいが、逃げてはいけない」というグウィディオンの教えを、忘れてはいなかった。
 彼は、その場に落ちていた空の酒壷を拾い上げるなり、真っ直ぐに、侮辱の言葉を吐いた男の顔めがけて投げつけた。壷は石頭にぶつかって高い音をたて、粉々に砕け散った。人々はその見事な投擲に仰天した。
 キネディルの鼻から、赤いものが二本伝った。鼻血だ。周囲に押し殺した笑い声が広がった。あまりに滑稽だ。恥をかかされたと知った男の顔が、茹でた海老のような色に変わった。
 「この…」
頭に血が上った卑しい男は、もはや前後の見境もなく、腰から棍棒を引き抜いて、スェウめがけて殴りかかった。あっ、と声を上げた者たちが止める間もない。
 少年は、ひらりと身をかわし、側に立てかけられた旗棒を掴むなり、つ、とキネディルの胸を突いた。あまりの素早さに、大男の体が揺らぎ、ころんと倒れるのが、まるで魔法にかけられたように見えた。
 ううん、と唸ったキネディルは、それきり、泡を吹いて起き上がれなくなってしまった。

 「何事だ」
その時、寝所の天幕から、ガウンを纏ったプイス王が現れた。
 王は、ぶっ倒れている犬番の男と、折れた旗棒を手にした少年と、周りを取り囲む人々の顔色とを見比べ、しばし、考え込んだ。
 「見るところ、その男を倒したのはスェウ、そなたのようだが。」
 「はい。そうです」
少年はいささかも息を切らした様子なく、落ち着いた声で答えた。王の従者たちが駆け寄って、主に、これまでの顛末を手短に話した。
 「成る程、侮辱に対し身の程を思い知らせたというのなら、そなたに非は無いであろう。それにしても、見事な腕前だ。そのような年若い身で、これほど鮮やかに大男を打ち倒したのだから。」
 「よくありません、陛下。僕は壷と旗を使いました。これでは、壷や旗棒の本来の使い方を知らない田舎者のように見えてしまいます」
スェウが言うと、王は高らかに笑った。人々も、にやりとした。それは、控えめな矜持か、冗談と取れたからだ。
 「その男を運び、介抱してやるがよい。此度は客人の寛大さに免じて、罰さずにいてやると伝えよ。それから、幼きものに負けたことを恥と思うな、とな。」

 キネディルが六人がかりで運び出されてしまうと、プイスは、腕組みをした。
 「さて、そなたのお陰で余の猟犬たちを統べる者がいなくなってしまった。本日の狩りはどうするかな」
 「もしお許しいただけるのでしたら、王。代わりを僕が勤めましょう。あなたの下僕を打ち倒してしまったお詫びに」
 「出来るのかな?」
 「いささかの心得はございます。」
そこで、王は人々に、狩りの支度をするように、と言いつけ、自らも支度のために天幕へ入っていった。スェウは猟犬たちの囲われている柵へ案内された。もはや誰も、この少年を少女のようだと馬鹿にすることは出来なかった。
 白とぶちの逞しい犬たちは、みな赤金の首輪をつけ、元気よく跳ね回っていた。スェウは、まず犬たちの名を聞き、それぞれに手を伸べて、自分が新たな主になるのだと教えて回った。騒いでいた犬たちは、すべて少年の前に服従し、大人しく耳を垂れ、言われたとおりに動くようになった。
 「何か武器をお持ちになりますか」
王の従者のひとりが尋ねた。
 「では、大きくて深い鍋をひとつと、丈夫な縄を一本。それから、丈夫で太い焼き串を何本か。焼き串は長ければ長いほどいいです。揃ったら、それらをまとめて皮袋に詰めていただけますか。」
そこで従者は、急いで料理人のテントに行き、スェウの言ったとおりの品を手に入れた。

 間もなく、王と二人の領主たちが、狩りの支度を終えて、現れた。供の者たちもみな、立派な狩り衣を着ていた。背には大きな弓と矢筒を背負い、腰には美しい短剣を下げ、マントは、右肩につけた重い金のブローチで止めてある。
 スェウが鍋と焼き串を手にしているのを見て、サウィルは驚いて声を上げた。
 「なんと。そなたは、猟犬たちの番人だけではなく、料理番も勤めるつもりなのか」
 「行けば分かるでしょう」
と、少年は答えた。
 「そう、やすやすといくだろうか」
グロヌウが言う。
 「そなたは知らぬだろうが、これから狩りにゆくものは、ただの猪ではないのだ。この島の猪たちを統べる荒々しい獣たちの首領で、名をトゥルッフ・トゥルウィスという。村を襲い、人も家畜もみな突き殺し、畑を跡形も無く荒らして去ってゆく、おそろしい猪どもの群れの長なのだ。プイス王は、奴らの暴挙に心を痛めておられる。そのために我らが呼ばれ、ともに人々のために獣を狩らんとしておられるのだ。」
 「なるほど、左様でしたか。」
 「奴らは何処に現れるか、分からぬ。」
白髪の男は続けた。
 「この世の破壊を恐れられた神が、あらゆる悪魔をその身に封じたと言われ、ひどく賢い獣なのだ。」
 「それは、いかなる姿をした獣ですか」
 「金の鬣、大きな体、輝くような青いまなこ、白い大きな牙を持つ。その群れは大きく、勇猛果敢だ。我らは今まで、若猪を一頭しとめたに過ぎぬ。その代償として人も犬も多くが倒れ、今や、ここにおるだけしか残っていない」
それでスェウは、王たちが、狩りにゆくのに乗り気でない理由を知った。
 「行きましょう。今日は、きっと違う結果になるでしょう」
少年は、何一つ恐れなかった。プイスは人々に出立を告げ、狩りの一行は、天幕を後にした。


 出発してから、はや、何時間かが過ぎた。広々とした草原にたどり着いた時、千里の彼方まで見渡せる狩人グウィシルが、はるか先を行くトゥルッフを見つけた。目指す猪の金の背は、駆けるだけで風を起こし、きらきらと輝いて、昼も夜もよく見えた。
 「あそこにおります、王よ。奴らの牙は血に濡れて、脚は泥にまみれておれます。もしや、また村を襲ったのでは」
 「さもあらん。我らが策を練っている間にな。いざ、今日で奴らの歩みを止めるのだ」
王は、従者に狩りのはじまりの合図を出し、従者は、角笛を高らかに吹き鳴らした。犬たちの紐が解かれ、勢子は騒々しく声を立てながら、獲物の追い込みにかかった。
 スェウは馬を駆り、自分の犬たちを引き連れて真っ先に走り出した。誰も彼に追いつけなかった。キネディルが厳しく訓練をした犬でさえ、追いつけずに引き離されそうになる。
 サウィルが叫んだ。
 「見よ、グロヌウ殿。あの金の若駒の、なんと速く走ることか。まるで飛ぶ様に向かってゆく」
グロヌウは、陰鬱な顔で唸った。
 「あれは、呪われた馬に違いない。この世に在ってはならないものは、得てして、あのように輝くものだ。」
老領主の乗る馬は、不吉な灰色をしていた。そして体のところどころに、黒っぽい斑が浮かんでいた。
 彼が馬に拍車を当て、さらに速度を上げたので、サウィルの馬は追いつけなくなってしまった。


前へ  表紙へ  次へ