◆24


 月は早くに地平に隠れ、不気味な影が館を包んでいた。
 部屋のどこにもスェウの姿はなく、見たという者もいなかった。
 ブレイドゥンもまた、そのことに気づいて、スェウを探しに歩き回っていたのだった。厩には、ヌウィブレが静かに眠っている。このような遅い時間に一人で町に出るとは思えず、館の中のどこかに隠れていると思われた。
 探す者たちは館の中で出会い、これまでに何処を見て回ったのかを、話し合った。グウィディオンは、言った。
 「恐れているのだろう。あれは」
 「ご冗談を、伯父上。スェウが戦に怯えて逃げるような子ではないことくらい、分かります。」
 「そうではない。あの子は、持って生まれた自分の力を知ったのだ。人に成らず、獣のままであれば、己の爪を恐れることは無かったのだろうが。」
ひっそりと、蕾のひらく溜め息のような沈黙が落ちた。
 「スェウも、戦ったのですか」
 「そうだ。あれがいなければ、俺は殺されていただろう」
ブレイドゥンは、倒された者たちの中にひとり、他より身なりのいい男が交じっていたことを知っていた。その男は剣で倒されたのではなく、恐るべき力で投げつけられた重い鉄に、こめかみを撃たれたからだった。凶器はすぐに見つかった。男の側に、落ちていた。
 「あの子は、まだ飛び方を知らぬ鷹。その身に受けた呪いゆえ、己の爪と嘴で戦うことは許されぬ。俺が知っているのは、剣で戦うことだけだからな」
グウィディオンは、少年の目を見た。
 「――分かりました」
少年は、唇の端を歪めた。
 「やはり、貴方は恐ろしい方だ。初めから思っていましたよ、スェウは、学者や聖職者になるのではないと」
 「さて。未来がどうなるのかは、誰にも分からぬ。」
何食わぬ顔をして、グウィディオンは剣にかけていた手を下ろした。
 「俺はもう、休むとしよう。あの子も、朝には戻っているだろう」
 「では、おやすみなさい、伯父上。オレはもう少し、辺りを見て回ります」
彼らは分かれた。グウィディオンはその足で部屋に向かい、蝋燭の火で、丹念に鉄を焼いた。冬に使い手自身が研ぎ澄ましたばかりの刃は、まだ、いささかも刃毀れしてはいなかった。
 それを確かめると、彼は、満足して剣を鞘に収めた。傷だらけの盾は、飾り鋲をすべて外して、中身の鉄だけにした。そのほうが、見てくれは悪いが軽かったからだ。

 ブレイドゥンは、館の端の樫の樹の下に、犬たちが一塊になって座っているのを見つけた。
 「行け、お前たち。どうしてこんなところで遊んでいるのだ。侵入者を探せ。風に鼻をつけ、耳をそばだて、生垣を越えてくる者に気をつけろ。」
主人の厳しい言葉に散らされて、犬たちは早足にそれぞれの居場所へ散っていった。ブレイドゥンは、枝の間を見上げた。
 「そこにいるのか、スェウ。」
返事は無かったが、かすかに動く影があった。
 腕を伸ばし、太い枝にしがみ付いて登ってみると、幹と枝の間に、探していた者が隠れて蹲っていた。
 「体が冷えるぞ。もう片付いた、部屋に戻れ」
 「…父さんは、怒っていなかった?」
スェウは、金色の前髪の間から、泣き痕のある目を上げた。
 「怒ってないさ。心配してたぞ」
ブレイドゥンは、この子が泣いているのを見て、内心驚いていた。しかしそれは、命を奪ったことに対する罪や、自らの命を危険に晒したことに対する恐れでは無い。戦いを禁じられた者が、禁を犯して叱られることを恐れているのだった。
 「お前は当然のことをしたまでだ。向かって来るものは打ち倒さねばならない。伯父上を助けたかったのだろう?」
スェウは、頷いた。
 「なら、オレが戦い方を教えてやる。野に棲む獣がいかな武器を頼みに戦うのか」
 「武器?」
 「まず第一は知恵。そして勇気。最後に経験だ。――お前は、もう、二つを持っている」
輝く野生の瞳を持つ少年は、にやりと笑った。

 そして、翌日から、彼らの間に、新たな関係が生まれた。
 領地の中を行き来するのであれば、保護者たちは、その行方にことさら興味を示さなかったし、年の近い従兄弟同士が、朝早くから馬を並べて遠乗りに出かけても、誰も不思議とは思わなかった。
 彼らは、決まって森の奥に消えた。そこなら、誰にも見られる心配は無かった。ブレイドゥンは弓を持ち、スェウは、武器にもならぬような、小さな皮剥ぎナイフだけを帯びていた。
 少年たちは、馬を走らせ、岩山を登り、崖を跳び越え、獣たちを追った。時には猟犬たちの何頭かが付き添った。
 だが、狩りをするのではなかった。互いが追いかけあい、力づくで馬から引き摺り下ろすまで、その駆けっこは続いたのだった。
 スェウは、誰よりもうまく馬を乗りこなした。ヌウィブレとの息はぴったりと合った。ブレイドゥンよりも速く浅瀬を駆け抜けることが出来たし、切り株を、やすやすと飛び越すことも出来た。
 それを知ったとき、年長の少年は、逃げなくてはならない時のことは心配しなくていいようだ、と、半ば本気に言って笑ったのだった。

 次にブレイドゥンは、大きな木の枝を折り取り、スェウに手渡した。
 「剣でも槍でもないが、同じことだ。」
そして自分も、同じように枝を持った。
 「かかって来いよ。まず打ち方を教えてやるよ」
スェウは、初めて手にする細長いものを、何度か、宙に振って手ごたえを確かめた。それから、すぐにコツを掴んで、ブレイドゥンに打ちかかっていった。
 それは他愛もない少年たちのじゃれあいで、よくある戦ごっこのようにも見えただろう。だが彼らが、その真似ごとの戦いに没頭している間、森は息を潜め、猟犬たちは、耳をぴったりと頭につけて、身じろぎもせずに座っていた。

 これはなかなか、うまくいかなかった。スェウは、人を打つことに慣れていなかった。ひとたび力をこめて打てば、手の中の枝は粉々に砕け散るほどだったが、その力のまま、生きたものに打ち下ろすことが出来なかった。
 お陰でスェウは擦り傷だらけになり、ブレイドゥンはしまいに、自分の枝を折ってしまった。

 こうして様々な競技が教えられたが、中でもスェウが最も関心を示したのは、弓だった。
 彼が触れると、弓づるは何もしないまま切れてしまうので、ブレイドゥンは一計を案じ、自分の手の上にスェウの手を置かせ、形だけを教えることにした。
 これは、最もスェウの気に入ったようだった。弦が空を切る音も、遠く離れた的を射抜く様も、何か心を躍らせるものがあった。しなる弦は三日月に似て、とても美しい武器だと思えた。
 スェウはブレイドゥンに、弓を使うところを見せてくれと頼み、飽くことなく眺めた。そうして、腕のふり、構え方、矢の飛び方まで、すべて覚えてしまったのだった。


 若い少年たちが何処で何をしているのか、正確なところは知られなかった。
 だが、日増しに少年の背が伸びて、瞳が生き生きとした、男の子らしい輝きを帯びるのは、誰の目にも明らかだった。
 「あの子は、いつか大した男になるだろうよ」と、町の人々は噂した。「何しろ、あのグウィディオン殿のお子だから。」
 グウィディオンに返り討ちに遭った男たちは、商船の船員たちと後に分かった。仲間の遺体を受け取ったその船は、遺品だけを持ち帰ることを望み、遺体は、リドランの地の片隅に葬らせて欲しいと申し出た。
 領主ヘドゥンはそれを許可し、墓の土地を与える代わりに、殺された者たちへの賠償金を払わないという交渉を成立させた。生き残った襲撃者たちについても、不問に付した。二度と騒動を起こさぬように、との条件付きで。
 表向きは、平和裏にことが済んだように思われた。グウィディオンが帰還したことは、町じゅうで噂になっていたし、かつてルヴァインとの戦に際し、馳せ帰ったグウィディオンの忠告が、イオナに軍を準備させたことは、誰もが知っていた。また彼が、イオナの側に立って、多くの敵をひれ伏させたことも、思い出された。
 彼が、戦の英雄であったことは、誰もが認めた。
 ルヴァインの者たちからすれば、恨みを抱いたとて、おかしくは無かった。

 グウィディオンには、思い当たるものがあったのだ。
 ある日のこと、彼は、いつもの暗い色のローブを脱ぎ捨て、町人が着るような地味な色のチュニックを身に纏い、つば広の帽子に顔を隠して館を出た。
 ルヴァインの船は、出航の支度をしていた。
 いつもとは違ういでたちに、それがグウィディオンだと気づく者は居なかったが、船乗りたちを指揮していた男は、すぐに目を留めた。このリドランに、そのような大柄な男が二人といるとは思えなかった。
 「何をしに来た。死神グウィディオン」
陽に焼けた肌をした、赤い髭の男だった。背はグウィディオンほどもないが、腕は、ゆうに一回りは太い。そして肩幅が広かった。両手には金の腕輪が重く光っている。高い身分を持つ者の証だ。
 「なに。このとおり、武器は持たぬ。カーリよ、十五年ぶりに会ったというのに、挨拶もせずに帰るのか」
 「弟を殺した奴に挨拶などあるものか。それに、貴様に鉄の塊以外のもので挨拶をする気があるとは、思わなんだぞ。」
カーリと呼ばれた男は、鼻を鳴らして甲板の上からグウィディオンを睨み付けた。手を止めた部下たちを片手で追っ払い、自分は大股に渡し板を下りる。
 「あれは、お前の弟か。」
 「そうだ、妹の婿だ。戻ったら、妹に何と言って報告すればよいのか。どうしてくれる。」
 「戯れに来たようには、見えなんだが。貴殿の妹婿の矢は、俺の頭蓋を貫いておったかもしれんのだぞ。」
赤髭は、口ひげをまくりあげ、黄ばんだ歯を剥いた。
 そして、異国の言葉で歌を作り、重々しい声で、朗々と歌い上げた。

 「異国にて 戦の父に呼ばれし弟を悼み
  悲しみの露 心の住処に宿る
  蛇の臥所の女神は待つだろう
  退くこと無き武器をこぼつ者に
  傷の洪水が与えられしことを知らず

  故郷に待つ 薫る樫の樹の吾妹子に
  いかに伝えん」


グウィディオンが、同じ言葉で答える。

 「我は剣の嵐に、
  七人を呑み込む土地をば与えつるなり。
  ヴィソルの月は、我が身を守れり。

  されど、八人目の男を大地の腕輪に追い返したのは、
  我が手より生まれし黄金の樹なり」


 「なんと、」
歌の意味を解いて、カーリは呻いた。
 「そなたに息子がおったのか。弟を殺したのは、その子か」
 「いかにも、そうだ。あの子はいまだ、剣を持つことを知らぬ。それで、俺の背を狙った者がおるのを見て、無我夢中で手元の燭台を投げ付けたのだ。」
 「酷い運命だな。物陰からこそこそと背後を狙うなど男のすることではないが、その卑怯さゆえに、弟は、子供の手にかかって不名誉な死を遂げたのだ」
グウィディオンは、首を振った。
 「だが、それが運命というものだ。人にけしかけられて復讐をはやるのは、どんな時でも、良くない。」
 「まさしく」
カーリは苦々しく笑った。
 「親友であったグルヒル様を、その手で殺した裏切り者の男とあれば、恨みは国の男たち皆が持っておる。だが、そなたの本来の主であるイヴァルド王を殺したのは、グルヒル様なのだからな。」
グウィディオンは、同じような表情で笑い返した。
 「――貴様とは、近いうちに会う気がする。」
 「そうなるだろう。出来ることなら、次は荒っぽい挨拶は無しでありたいものだ。」
 「天が決めるだろう」
そう言って、赤髭は部下たちに、出航の合図を出した。
 碇が巻き上げられ、帆が降ろされ、桟橋が上げられる。船は橙と緑に染め上げられた、ルヴァインのしるしを掲げて、沖合いへと出て行った。
 グウィディオンは、船の引く波の痕を、深く憂いを帯びた眼で眺めていた。


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