◆22


 賑やかな宴が、始まった。
 楽師が呼ばれ、食卓には山と海の珍味が並び、狩られたばかりの野兎と雉が、舌に彩りと香りを与えた。
 ギルヴァエスウィの息子たちは、めいめいに杯を傾け、――といっても、末子のブレイドゥンはまだ成人に達していなかったため、渋々、果実汁を口にしたのだが、――伯父との再会を喜んだ。
 先ほど、スェウにそっけなくしたヘッフドゥンも、商談がうまくいき、心配ごとが消えたと見え、ここぞとばかりスェウを質問攻めにした。だが、スェウは、何も分からぬ愚かな子供のように、何を聞いても、分からないと答えるか、沈黙を守った。スェウが答えに窮するたび、長兄ヘドゥンはたしなめるのだが、ブレイドゥンは黙っていた。
 やがて、ヘッフドゥンが言った。
 「伯父上が戻られたと聞き、町の者は、呪いがどうのと騒いでいますが、つまらぬ言い草ですな。何だか分からぬが、関わった者すべてを不幸にしていくという。一体どこの妖精が、そんな不当な呪いをかけるのか。」
 「よせ、ヘッフドゥン。こんな席で言うことではない」
 「よいのだ、皆に疎まれることは承知の上。その噂も、ゆえなきことではない。」
グウィディオンの太い声は当座の者たちを黙らせ、楽師の手をも止めさせた。陽気な音楽がふいに消え、広間に沈黙が落ちたのに気づき、執事はあわてて楽師たちをけしかけた。
 間もなく、音楽が再開された。だがそれは、低く、うねるようなバラード調のしらべだった。
 「ギルヴァエスウィから聞いたかもしれんが。俺は、若い頃、さる妖精に呪われた運命を貰った。すべての栄光から遠ざかるだろう、という呪いをだ。以来、俺自身、手にするべきだった栄光をすべて失った。ここイオナはもとより、ルヴァインでも、主を失い、友を失い、妻も子もともに、手に入れる前に失った。今の俺はすべて栄光を失い、もはや失うものはない。また、これから手に入れることは出来ないのだ。俺が望みさえしなければ、誰かを呪いに巻き込むことはない。つまり、この館の所有権も、領地の支配権もお前たちの手にあり、俺は一切を望まない。マース公の家臣になるという道も同じだ。決して成功しないと運命づけられているのだから、報酬目当てに誰かに仕えることもないというわけだ。」
この男が、これほど長い言葉を発するのは、久しく絶えて無かったことだった。三人の若者は沈黙した。その後ろで、楽師たちが、必死に重苦しい雰囲気を跳ね飛ばそうと楽器をかき鳴らしていた。
 「つまり、」
と、ヘドゥンが言った。
 「逆に言えば、伯父上が望むことによって、すべてが破滅の道を辿ることもあるというわけですね」
 「そう思うか? 俺は望まぬ。この地での安泰な暮らしも、人々の尊敬も求めぬ。今の俺には、荒野のすべてが館。財産は、この身と剣と馬、それに先ほど受け取った盾だけだ。」
 「では、再び出てゆかれると」
 「そのつもりだ。だが、古えよりの歓待のならわしに従い、三月は居させてくれ。俺も故郷は久しぶりなのだ。今さらと思われるかもしれんが、少しは見て回りたい。誓って、それ以上の長居はせぬ」
 「三月というと、秋にはまた、発ってゆかれるということか。…」
ヘドゥンのため息交じりのその言葉は、安心とも、不満とも取れた。ヘッフドゥンは、まだ、伯父の本心を探りかねているようだった。
 ブレイドゥンが口を開いた。
 「伯父上ご自身の呪いは、分かりました。しかし、なぜ、ご子息までもが呪われた運命を背負っているのです。その災いは、縁者すべてに降りかかるものなのですか?」
 「そうかもしれぬ。だが結局は、スェウ自身が選んだからだ。運命とは、誰もが背負うべきもの。ただ、それが、目に見えるものか否かだけだ。戦の栄誉を求める者が命の危険の無い世界に生きられぬように、知恵を求めし者に心休まる時が無いように、何かを得るべくして選んだ道には、失う運命がつきまとう」
 「謎かけですか。では、スェウは、代償として何を得たのか」
 「得ようとしたものをだ。それが何かは、まだ、わからぬ。」
それきり、男は沈黙を守った。
 一呼吸おいて、ようやく楽師たちの指は楽しい調べを探り当て、軽快なリズムを思い出し、広間はぱっと明るくなったように、夏の音色に彩られた。
 だが、背高き館の主の表情は、冴えなかった。
 鳶色の髪をした商人たちのかしらは、陽気な音楽に足踏みをしながら、一人話をはぐらかし続けた。
 解き放たれた荒れ野の狼のような少年は、じっと杯の中を見つめていたが、やがて、そっと広間を抜け出して、表の暗がりの中に消えていった。


 館の敷地の端に、大きな樫の木が生えていた。
 もう何百年も昔からそこにある、立派な大木で、枝は堂々と張り、館の一部を覆い隠すほどにまで成長していた。月は、その枝の向こうに隠れて、網目状の光になっていた。
 犬たちがくんくん言うので、ブレイドゥンはもたれ掛かっていた太い枝から身を乗り出した。犬たちに囲まれて、金色の小さな頭が見えた。
 「なんだ。お前か」
足音もたてず、ひっそりと訪れた少年は、来たときと同じ静けさで木の下から見上げている。
 「来いよ」
スェウは、器用に枝をよじ登って行った。ブレイドゥンは、ここまでの道案内をした犬たちを手で追い払い、敷地内の見回りにあたるよう、けしかけた。
 月が海を照らしている。騒々しい港も、今は眠りにつく頃合だ。
 「オレたち三人は、みな母親が違う」
枝にもたれ掛かり、足を宙に投げ出した格好で、狼は言った。
 「長兄のヘドゥンは、のんびりやの牡鹿、貴族の血を引く優雅な男。次兄のヘッフドゥンは毛並みのいい、がつがつした猪のようなヤリ手の商人。そして、このオレは、ところかまわず牙を剥く、どこの誰とも知らぬ女の腹から生まれた野生児だ。父ギルヴァエスウィは、最も欲した女性<ひと>を手に入れられず、その人の子を得ることは出来なかった。今のオレにはそれが、恐ろしい呪いに思われる。」
スェウは、黙って聞いていた。ブレイドゥンの目の前にいるのは、まだ、たった五歳にしか見えない少年だったが、彼は、その打ち明け話が、決して相手にとって不相応なものではないことを知っていた。
 「この、リドラン・テイヴィの地すべてを手に入れたい。それがオレの望みだ。でなければ、オレは、欲しいものすべてを手に入れられない。父のような失敗は、おかさぬとも」
 「妻に迎えたい人がいるということですか?」
 「そうだ。」
彼は愉快そうに笑って、聡明な子供を見つめた。ほの暗く、森の色をした瞳が生き生きと燃え立つ。
 「むかし、港に来た船に、北の国から来たという女のガルドル(予言者)がいた。そいつの見立てでは、オレはいつか、実の母親を殺すことになるらしい。それは月が三十日で満ちて欠け、死んだ月が新たに生まれ変わるのと同じくらい、明白なことなんだそうだ。」
 「望みが成就されるかは?」
 「さあな。そこまでは教えてくれなかった。予言者でも、見えない未来はあるんだろうよ」
枝から身を起こしながら、少年は、ふと、手を打った。
 「明日、一緒に出かけないか。船に乗せてやる。オレの船だ。」
スェウが頷くのを見て、ブレイドゥンはにやりと笑った。
 「オレにも弟がいたら、って思うときがあったよ。末っ子なんて損なだけだ。ぎゃあぎゃあ泣いたり喚いたりする、煩い弟はいらないが、お前のように静かなら、いいもんだな。」
 「…そうかな。」
少年の表情につられて、スェウも微笑んだ。それは、彼が初めて人に見せる微笑で、ブレイドゥンは、はっとするほど美しいと思った。荒々しい森の獣たちも、闇に蠢く怪の如くも魅了し、屈服させるであろうその笑みは、いずれその子が成長すれば、多くの人々をかしづかせ、振り上げた手をも下ろさせるだろうと予感させた。
 だが、その子には、この世のあらゆる種族から生まれた、女というものを、妻に出来ない宿命が授けられているのだった。

 館を訪れてから、一月と半分が過ぎ去っていた。イオナは夏の盛り、青々とした木々に、一年で最も強い日差しが降り注ぐ季節になっている。

 スェウは何も言わず、グウィディオンも無言のまま、すれ違った。
 既に成長したものと見做されていたスェウは、グウィディオンとは別の部屋をあてがわれ、もはや、野に暮らしていた時のように、同じ床に眠ることはしなかった。
 年かさの従兄弟たちに囲まれ、多くの召使いにかしづかれた少年は、ここへ来てから僅かなうちに、驚くほど堂々とした物腰を身に着けた。もはや誰も、その子が、父の後ろに隠れて、前を行く背中だけを見つめて歩くものとは、思わなかった。

 だが言葉を交わさずとも、スェウには分かっていた。
 グウィディオンは、館の人々の吐息、眼差し、ほんのわずかな身の振りまでも、全てを感じ取っている。とりわけ、三人の甥たち、その一人一人の挙動には。
 時おり噂が耳に届いた。呪われた男の帰還と、それに伴うかのような、今年の夏の漁の不作。また山の畑でくるみの大木が突然、何本も立ち枯れたこと。それらは、山に隔てられたリドランの地まで手を伸ばしつつある、不穏な反乱の兆しであるかもしれなかった。いずれイオナの諸侯たちが手を組み、一斉に王権を巡って蜂起するのではないかと、人々は恐れていた。
 唯一の明るい噂は、館に現れた、美しい顔立ちをした少年の話だった。
 この頃、スェウは、ようやく身に着けたばかりの笑顔を、自然に人に向けられるようなっていた。その微笑みは人の心を明るくさせ、穏やかな気持ちにさせるのだった。だが、ある者の中には、あまりに穏やかなその瞳は、いちど荒れ狂うと手の付けられない、西方の海を覆う空のようだと言った。
 彼らの推測は、正しいものだったに違いない。

 もう一人、ブレイドゥンについても語ろう。
 彼は、何かにつけてスェウを誘い、海へ、森へと連れ出した。そして、行く先々で、人々は館の末弟を歓迎した。領地の隅々まで、この少年への信頼は広まっていた。相談ごとも、打ち明け話も彼の前にうやうやしく切り出された。
 荒々しく粗暴な少年ゆえ、兄たちのように、貴族や商人とは性質が合わなかったが、町に住む庶民たちには慕われたのである。

 ここでのブレイドゥンは、群れを率いる者だった。群れとは、館にいる緑の首輪の猟犬たちであり、領民たちであり、野に住む野生の獣たちである。彼は支配を受け入れる者には限りなく寛容だったが、支配出来ないものには、容赦なく怒りをぶつけた。
 リドランの領地の中で、その支配を免れることを許されていたのは、グウィディオンの馬、ヴィンドと、スェウの馬、ヌウィブレだった。
 春に生まれた金色の仔馬は、大きく逞しく成長し、筋肉もついて、今や、同じ年に生まれた仔馬たちのはるかに及ばぬほど速く、まるで飛ぶように駆けられるようになっていた。
 額には白い星型の模様がくっきりと浮かび上がり、鬣は金の絹糸のようで、人々は、まるで奇跡のような馬だと言った。

 そして、他にはグウィディオンと、スェウがいた。
 ブレイドゥンは、寡黙な伯父には決して逆らわなかった。時にヘッフドゥンが冗談に軽はずみな口を利いて、ひと睨みで沈黙させられるのを知っていた。兄たちが伯父を恐れ、秋には出て行くという約束が本当かどうか、時おり物陰で話し合うのも知っていた。
 だが、グウィディオンが約束を違えるはずはない。むしろ、引き止めることのほうが難しい。彼は、それを知っていた。

 ある時、彼はスェウに言った。
 「この領地は、ずっと昔から、イオナに高い税を払って自治権を得てきた。その税さえ無ければ、人々は、もっと豊かに暮らしていけるはずなのだ。ここには、貿易の出来る港があり、日当たりが良く果物のよく取れる斜面もある。本当なら、独立した国であっても不思議は無い。そうならなかったのは、オレたちの祖先が、イオナの王と争うことを望まなかったからだ。」
 この頃、スェウにも、税というものが何なのかが分かるようになっていた。館で書物を読んでいることの多いヘドゥンが、暇を持て余したとき、気まぐれに教えてくれたためでもあったが、ブレイドゥンとともに、領地を歩き回って、見知ったお陰があった。
 「ここを、独立させたいんだね」
 「父上はそれを望んだ。そして、殺されたんだ。兄上たちは、とかく平和であればよいと思っているらしいが、オレはそうは思わん。独立して、今よりも、もっと、この地を繁栄させる。」
 「でも、反乱を企てているのは、ブレイドゥンじゃないね。」
スェウが言い、ブレイドゥンは否定もせずに笑った。スェウの賢さは、充分に承知していた。
 「そうさ、オレは待っている。二人の兄のうちどちらかが尻尾を出すまで。それが鹿の尻尾にせよ、猪にせよ、オレはこの手で捕まえる。貴族か、商人どもとつるんでイオナを攻める気だろうが、金で結んだ絆など、いずれ綻びるものさ。誰がイオナの王になるか、皆で争って皆が倒れる。オレはただ、こうして待つだけでいい」
少年は、残酷な笑みを浮かべた。
 先ごろ、片親の違う兄弟たちなのだと告白した兄たちに対し、彼は、表向きは思いやりを見せながら、裏では、冷めた敵意を見せるのだった。


  

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