◆16



 我は知る、白き盾の下に赤き血を混ぜ、剣に名を刻んだ者たちの言葉を。
 我は知る、冷たき土の褥に横たわる汝らの誓いを。
小さき神々と森の精、知恵にたけた幽界の住人たち、
 そは今や、月の降る晩に、
塚の扉が開かれる 丘の上で語られるのみ。


 何事もなく、冬は過ぎていった。
 雪は思い出したように降り積もり、村を埋め、人々は家が押しつぶされぬよう、時おり屋根に上って雪かきをせねばならなかった。
 また、長く伸びた氷柱を叩き落すのに忙しかった。
 その仕事を手伝うために、スェウは、よく村長の息子に預けられた。エイディルは、今では親しい友達になっていた。友達と外で遊んでおいでというのが、表向きの理由だった。

 だが、スェウは、本当の理由を知っていた。自分たちがいなくなってしまったあと、グウィディオンは、靴作りをやめ、もとは空き家だった小屋に残された道具を使って、剣を研いでいた。その、鉄くさい仕事を、男は決して人に見せようとはしなかった。剣の鈍い輝きが、スェウには毒だとでもいうように、故意に遠ざけようとするのだった。
 黒々と使い込まれた、その重たい鋼の塊に、スェウはまだ、一度も触れたことが無かった。自分には触れることが出来ない「武器」というものなのだとは分かってた。
 春が近づくにつれ、男が、それをじっと見つめる時間は、少しずつ増えていった。

 やがて、雪が新たに降らなくなり、少しずつ、積もった雪の山が小さくなり始める頃、グウィディオンは、ひとり厩に出かけていったのだった。
 「腹が張っているな」
戻ってきたとき、グウィディオンは言った。スェウは、村長の家の暖炉の側で、エイディルと、エイディルの母とともに、手仕事をしていた。
 「ヴィンドの腹だ。今まで、気づかなかったが――。牡馬に種つけをさせた覚えはないのだが。」
 「まあ。では、春になれば仔馬が生まれますか」
 「多分、そうだろう。あれは、もう若くはないのだが。」
スェウが顔を上げると、グウィディオンは、大きな手を子供の頭においた。
 「子供が生まれるまで、少し出立を伸ばそうか。」
エイディルの表情が、ぱっと明るくなるのを見て、スェウは、その意味を理解した。
 「いつ、生まれるの」
 「春だ。雪が解ける頃だろう。」
月が冴え冴えと輝き、夜風はまだ、肌を切る冷たさを残している。
 その季節のことを、スェウは、よく覚えていた。
 「じゃあ、僕と同じだ。」
小さく呟いたのを、エイディルの母が聞きとめて口を開くより早く、グウィディオンが言った。
 「そうだな。」
男は微笑み、静かに村長の家を出て行った。

 村人たちは、この、いかめしい大男と美しい子供との間に深い絆のあることを知っていたが、それは奇妙な、傍目には理解しがたい結びつきだった。
 血のつながりではなく、魂の繋がりを思わせた。
 当時、魂の深い場所で互いを支えあう者は、言葉の無い会話を交わすことが出来ると信じられていた。それは、たとえ相手が姿を変えても、異国の人間や獣に生まれ変わっても、通じる会話なのだとされた。

 雪溶けの音が聞こえはじめ、森から続く道にうっすらと土が現れ、村の外へも出られるようになった頃、スェウは、自分が鷹になる夢を見た。
 寝床の傍らには、グウィディオンの大きな体が横たわり、その脇には研ぎ澄まされた大剣があったが、静かに照らす月の光を防ぐことは、出来なかった。
 若い鷹は、金色の翼を広げ、雪の残滓がきらめく森を見下ろしていた。
 月の下に、銀の絨毯を広げる森の中、木立の間を、獣の足跡が黒く点々と続いていた。
 はるか先に、静かにゆらめく暗い海と、空にせり立つイオナの城の影。鷹は心のままに翼を羽ばたかせ、軽い体は風を切って城の真上へと舞い上がった。翼のたった一振りで、森ははるか後方へと過ぎ去った。
 くるくると旋回しながら、金の鷹は、塔のてっぺんに降り立った。
 そこは、ちょうど王と王妃の寝室の前で、月あかりに落ちた影とかすかな羽ばたきの音が、眠りに落ちようとしていた高貴な人々の目を覚まさせた。

 はっと目を上げた王妃は、驚いて声も出ず、手で思い切り王の髭を掴んだ。
 「なんだ。何をする、ブランウェン」
 「あれをご覧なさい。この国の…」
指差した先から、金の鷹は舞い上がった。マース公は、辛うじて、その尾羽を見た。
 「この国の守護のしるし、王家の旗に描かれた鷹です。イヴァルドが死んだあと、失われた翼が、再びこの国に戻ってきてくれました」
白い夜着の胸元をかきあわせ、ブランウェンは声を震わせた。
 「これは、吉兆やもしれん。」
マースは髭を撫でながら、頷く。
 「だが、わしには、あれはまだ子供のように見えた。若く、その翼は生まれ持っての力強さを持っていながら、爪は鋭さを知らぬ。」
 「鷹はいずれ、鷹になるものですわ。鳶ではありませんから」
王妃は、むっとして言い返した。
 「イヴァルドも――、幼い頃は花ばかり愛でて女の子のようでしたけれど、成人の頃には立派な戦士でした」
 「我らの息子グウェルンは、ついぞ、鷹にはなれなんだが。」
深い沈黙と、ため息が、寝室を満たした。
 「ひとり息子と、目をかけすぎたか。」
 「いいえ。あなたに似たのがいけないのです。優しいだけの子は、生きてはゆかれぬ。優しいだけの王も、いずれは、その地位を奪われるでしょうよ」
ぴしゃりと言い放ち、王妃はいそいそと暖かな寝床に身を横たえ、夫に背を向けた。マース公は眉をよせ、もぐもぐと、口の中で呟くことしか出来なかった。
 「それに引きかえ、我が妹の血は、勇敢だ。グウィディオンも、ギルヴァエスウィも、その息子らも…。」
そして、王はふと、いかなる風にも揺らぐことのない、静かな湖面のような目を持つ、不思議な子供を思い出した。
 「…あの子は、きっと美しく、恐ろしい鷹になる。」
それは、確かな予感だった。
 グウィディオンは、それを知っている。
 決して腕の中から自由に飛び立たせず、鋭い爪となる武器を与えずにいたのは、それゆえに。

 だが、人にはさだめがあり、いずこへ逃げても、必ず追いついてくる。それは誰よりも、グウィディオン自身が、運命への”反逆者”である、彼自身が、よく知っていること。

 夜明けの時が来たとき、スェウは何事もなく目覚め、夢の続きを追おうとはしなかった。

  

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