◆14


 グウィディオンの傷は、日増しに良くなっていった。
 はらわたが見えるほどの深い傷で、並みの人間ならとうに死んでしまっていたかもしれないのに、驚くべき回復力で、次の日には自由に腕を動かすようになり、さらに次の日には、ベッドに上体を起こせるようになっていた。
 人のいる前では、スェウはほとんど喋らず、ただ言われることに頷いたり首を振ったりするだけだった。それで、周りの大人たちは、少しばかりおとなしい、普通の子供だと思っていた。
 小さな村の人々は、二人に良くしてくれた。王家の狩場である深い森にある、何の変哲もない小さな炭焼きの村、時おり薪や炭を売りにイオナへ行く以外は、この村から出ることもない。雪に阻まれて、この村まで噂が届くことは無かった。しばらくは、マース公の兵士たちも、ここへはやって来ないだろう。

 だが、雪に落ちた血の跡だけでは、グウィディオンが死んだとは思わないはずだった。熊は既に冬ごもり、狼どもが死体を漁るにしても、骨まで残さず食い荒らしたとも思わないだろう。
 おぞましい考えだったが、兵士たちは、狩りが成功した証を求められ、死体を確かめに、いずれ再び森にやって来るだろう。
 それに何より、スェウのこともあった。

 ブランウェンは悔いているだろうか。或いは、エッセネの町の領主婦人のように、親切の代償に怒り狂って入るだろうか。
 普通であれば、雪の中に、たった一人で馬を乗り出した子供が一夜明けた後も凍りつかずにいるなどと考えられぬことだろうが、馬も、子供の姿も、森のどこにも見あたらぬことは、いずれ、知れる。そうなったら、グウィディオンとスェウがいずこへ消えたのか、王妃はどうあっても知ろうとするだろう。
 グウィディオンは、村人たちに王家の兵士に鹿と間違われて射られたのだと説明していたが、村長には、自分は王妃に憎まれている身なのだ、と本当のことを話した。
 「俺が死ねば、息子を一人にすることになる。妃はあの子を気に入っているが、子を手放したくないと思うのは、世の親たちなら誰でも持つ当然の思いだろう。城から兵が来ても、ここに俺が隠れていることは、話さないで欲しいのだ。」
まだ髪に黒いものが混じる村長は、快く承知した。彼にも沢山の子供たちがおり、兵役や出稼ぎのために子供らを手放す辛さを知っていたからだ。
 「それでは、貴方がたを隠す場所を決めねばなりません。貴方には何か、特技がおありか」
 「靴作りが出来る」
 「それでは、ちょうどいい。わしの家の隣に、今はもう空き家になった工房がある。冬の間、そこをお貸ししよう。あなたが良い靴を作ってくだされば、村の者も大助かりでしょう」
こうして、グウィディオンは、かつて異国の地で覚えた技を、この、栄光から程遠い小さな村で発揮することとなったのだった。
 その腕前は良く、靴は、のちに大きな評判を得ることになるのだが。

 また、グウィディオンは、身の保証の礼として、村長に、たくわえのありかを教えた。海に程近い野原の石積みの下に、一冬を楽に食べてゆけるだけの食料と、いくばくかの路銀を隠してあることを伝えた。間もなく村の者の何人かが駄馬を引いて、雪の中を示されたその場所へ出かけ、満面の笑みを浮かべて戻ってきた。馬の背には、グウィディオンの言ったとおりの品が残らず積まれていた。
 飢えは、人の心を固く締め付ける。誰も、自分たちの食べ物が少ないときに、人に進んで分け与えようとは思わない。不作続きで冬の食料に不安のあった村に、食べ物をもたらしたことで、グウィディオンは村の者たちから信頼と好意を得た。
 グウィディオンの荷の中にあった巨大な黒光りする剣を恐れる者も少なくは無かったが、男の強持てに対する疑いは、その男自身の口からたびたび聞かれた、息子への気遣いから和らいだ。
 子を見れば、親の心根は、ある程度分かると思われたのだ。

 傷が塞がり、立ち上がれるようになると、グウィディオンは、すぐさま村長に許可された空き家に移り住んだ。
 なるほど、その家は放棄されて何年も経っているようで、戸は錆付き、炉は冷えて埃に埋もれてはいたが、使えそうな道具は、まだ残されていた。
 元の家のあるじは鍛冶屋だったのだろう。燃えさしの石炭や、鉄を溶かす大きな鍋や、かなとこが、部屋の隅々に見つかった。
 「さて、なめした皮をいただければ、望みの靴を作って差し上げられるが。ここには上等の皮はあるかな」
 「いくらかは。」
 「では、二日あれば、試しに一足、あなたに合うものが出来上がるだろう。」
こう言って、グウィディオンは早速、仕事に取り掛かったのだった。スェウは、その仕事を傍らで眺め、物も言わずに手伝った。二人きりでいる時、彼らは互いにほとんど口を聞かなかったが、それは今までと同じだった。
 違っていたのは、スェウが自分から進んで、村の人々に話しかけるようになったことだった。
 言葉数は少なく、年に似合わぬ分別を感じさせないほど短かったが、人々は疑問には思わなかった。父親に似て無口な子なのだと思ったのだ。

 村には、子供が三人いた。ふたりは村長の息子の子らで、もうひとりは、粉屋の女の子だった。村長の孫たちのうち、ひとりは、まだ赤ん坊、もうひとりはスェウより幾らか年上の、父親に似た色の浅黒い俊敏な少年だった。
 この少年の名はエイディルといった。朝、父親について枝を刈りに出かけると、昼には背中に一杯の薪を背負って帰ってくるほど、力を持ち、森を歩くことに長けていた。
 村長は、同じ子供同士がよかろうと、孫のエイディルにスェウの面倒を見るよう頼んだのだった。エイディルは快く、受けた。そして、子供ならではの鋭い目と、親密さから、スェウが見た目よりはるかに年上であることに気がついたのだった。
 スェウを喜ばせようと、父親が作った木の枝の玩具や、その他、子供が気を引きそうなものを持ちこんで、スェウがそれらの一切に興味を示さないのを知ったとき、エイディルは、最初の疑問を持ったのだった。

 このとき、スェウは、まだ四、五才に見えた。
 背はそれほど高くなく、腕や肩幅は女の子のようだった。歩みはしっかりとして、動作もてきぱきとしていたが、この子は、自分からそれを誇示しようとはしなかった。
 エイディルは、まだ歩きだしたばかりで、言葉もほとんど喋れない、幼い自分の弟と同じだとたかを括っていたのだった。
 そして、すぐにそれが間違いだと気がついた。
 それは、雪をかいたひさしの下で、一緒に雪玉投げをして遊んだ時のことだった。スェウは、楽しそうというよりも、そうしたことを初めてする驚きと興味を表情に浮かべ、最初は戸惑っていたが、すぐにやり方を覚えてしまい、エイディルよりも上手に、遠くに立てた木の的に玉を当てた。
 息を弾ませ、頬と手を赤くして戻ってきた子供たちを、エイディルの母親は優しく暖炉の側へ招きよせ、手と足を暖めるよう湯を桶に入れた。エイディルは、スェウの、どう見てもすぐに折れてしまいそうな白く華奢な手をしげしげと眺め、「なあ、その手から、どうやったら、あんなに遠くまで雪玉を飛ばせるんだ?」と聞いた。
 スェウは、きょとんとした顔で、しばらく考え込み――、――そして、答えた。「思い切り、飛ばしたから。」

 それで、エイディルは、スェウが特別な子なのだと思うようになった。
 子供として、嫉妬や羨望を持つよりも、この、奇妙な客人に惹かれた。
 エイディルは、何でも質問する子供だった。「お前はどこから来たのか」「お前の父さんは、なぜ大きな剣を持っているのか」「お前の母さんはどこにいるのか」「これからどこへ行くのか」…スェウは、何一つ満足に答えることは出来なかった。そうして、質問攻めにしているのを見つかったエイディルは、そんな小さな子に難しいことを聞いてどうする、と、大人たちに笑われた。
 けれど、エイディルは、沈黙や、困惑した言葉の裏で、スェウが質問の意味を理解している確信があった。
 答えられないのは、分からないからではない、答えられない理由があるのだと思った。

 そこで、エイディルは父親に、スェウと二人で村はずれの牧場に行かせてほしいと頼んだ。
 雪は深く積もっていたが、馬や牛たちを冬じゅう閉じ込めておくわけにもいかず、時々は外に出してやる必要があるのだ。預かっている馬の中には黒い雌馬ヴィンドもいる。気性の荒い馬で、主人以外の手に触れることを嫌うため、スェウを連れて行く口実もあった。
 村長の息子は、グウィディオンのもとに行き、牧場に行こう、とスェウを呼んだ。黙々と靴づくりを続けていたグウィディオンは、ちらと目を上げ、いいだろう、と短く答えた。靴作りで落ちた皮の切れ端を集めていたスェウは、黙って青い目を村長の息子に向けた。
 あとで迎えにくる、と言って、エイディルは家に戻っていった。
 「エイディルは、いい友達になれそうか。」
スェウが困惑しているのを知っているグウィディオンは、村長の息子がいなくなったあと、言った。
 「…わからない」
 「嫌か?」
スェウは首を振った。
 「なら、いい友達だ。同じ年頃の子供、…と、いうわけでもないが、子供は、子供同士でいるものだ。遊んだり、話をしたり、ケンカをしてもいい。」
 「何でも聞いてくるんだ。でも、何も答えられない」
 「たとえば、どんなことだ」
 「どこから来たのか。これから、どこへ行くのか…」
グウィディオンは、肩をすくめ、言った。
 「分からないのは、お前だけではない。それが分かっている人間のほうが少ない。」
それから、すぐにエイディルが戻って来たので、スェウは出かけなくてはならなくなった。

 表へ出ると、空は真っ青に晴れていて、風もなく、日差しは眩しく白い世界を照らしていた。
 「今日みたいな日なら、馬も外に出してやったら喜ぶぞ。」
暖かなコートの端をしっかりかきあわせ、白い息を弾ませながら、エイディルは元気よく言った。スェウは眩しさで打つむきがちに、遅れないよう、エイディルの後について歩いた。
 「なあ、お前、将来、なんになるんだ? お前の父さんみたいに、靴職人になるのか」
わからない、と答えそうになって、スェウは、しばし沈黙した。
 「父さんは、靴職人じゃないと思う」
 「そうなのか? あんなに上手に靴が作れるのに。」
 「遠くの国で覚えたんだよ。だけど、この国では作らなかった」
 「そうなのか。そうだよな。靴職人は剣なんか持たないもんな。」
エイディルは少し歩調を緩め、スェウが追いついて来られるようにした。
 「お前の父さんは、あの大きな剣を使うのか?」
 「うん」
 「強いのか?」
 「強いよ、誰よりも」
 「本当に? じゃあ、戦士なのか? 戦士は職人の技なんか穢れていると言って自分ではやらないものなんだぞ。それに剣を持つ戦士は、とても身分が高いんだ。王様にだって会いに行ける。」
 「王様には…会ったことがある」
 「本当に?! すごいな! なのに、どうしてこんな村にいるんだい? どこかにお屋敷は無いの?」
いささか性急すぎる問いの連続に、スェウは困惑した。そして、表情からそのことに気づいたエイディルは、ようやく、問うのを止めた。
 「ごめん。…」
それきり、少年たちは、黙って歩き続けた。
 スェウは問われることを知り、答えられないことに気がついた。人が自分をどう見るのかを知った。
 けれど、問いかけられることは心地よかった。その問いは、決して、彼を「人ではないもの」とは、見做さなかったからだ。


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