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 広場に面した教会の鐘が鳴り響く――呼応するように、町の端々にある尖塔からも音が響いてくる。それは遠い空の上から降って来る音のようにも聞こえた。イヴァンは、今日この日のために手渡された真新しい靴の履き心地の悪さに辟易しながら、正装に身を包んだ父クラヴィスの後姿ごしに壇上を見ていた。三年ごとに開かれる中央議会にイヴァンが同席するのはこれが初めてだ。、
 議会は、王宮の中にある議事堂で行われていた。壇を囲むようにして設けられたすり鉢状の席には、各地の領主、自治領の代表者たち、及びその従者たちが、いずれも正装に身を包んで真剣な表情で腰を下ろしている。 壇上の真ん中に立つのはすっくと背を伸ばした王妃エカチェリーテ。壇の奥には近衛騎士たちと、つい先ほど退位を宣言したばかりのアレクシス、そして反対側には二人の王子たちがやや緊張した面持ちで席に腰を下ろしている。
 「それでは、新王候補の中から最多票を集めたシグルズ・フォン・リーデンハイゼルについて、皆様のご意志を確認します。」
王を選ぶ儀式がどのように行われるのかは今日まで分からなかったが、王位継承権をもつ候補者の中から、前もって議会に提出するようになっていたらしい。その候補者に対する承認の可否――それが、今日のこの場で行われる確認事項だった。
 壇の端に腰を下ろしていた男が、やや硬い声で口を開く。
 「バジェスティ自治区、代表ブラッド・フォリー。承認する」
エカチェリーテが小さく頷き、傍らの書記がせっせと手を動かしているのを確かめながら次の代表者に視線を移す。
 「ロマーナ男爵領、領主グレイ・ロマーナ。承認する」
 「フラウ男爵領、領主ガド・フラウ。承認する」
 「ハザル自治領、代表代理フィー。承認する」
あの浅黒い肌の女鍛冶師もここに来ていた。さっきすれ違うとき、意味深な表情で片目をつぶってきたのを覚えている。彼女が実は族長の家系に属する正式な代理人だったというのは、今日になってから知ったことだ。席は地方別に順番になっていて、中央から西方へと進んでいく。
 「サーレ辺境伯領、領主クラヴィス・サーレ。承認する」
クラヴィスが答え、順番は次へと移る。この場には、多くの代表者の姿が欠けていた。反逆者として、あるいは協力者として捕縛された貴族たちは十数にも及ぶ。そこには、この国の主要な貴族たちの多くが含まれていた。
 「クローナ大公領、領主アルヴィス・フォン・クローナ。――承認する」
最後の代表者の言葉とともに、静寂が議事堂の中に落ちる。エカチェリーテは、居並ぶ人々をを隅から隅まで眺めやった。
 「満場一致で承認されました。これにより我々は、新王シグルズ・フォン・リーデンハイゼルの即位を承認します」
シグルズが立ち上がる。振り返って、彼女は腰を折った。
 「"エリュシオン"の新たな主。リーデンハイゼルの黄金の樹をここへ」
ベオルフが、手にしたビロウドの台座をエカチェリーテに差し出した。そこには、さっきまでアレクシスが被っていた王冠が載せられている。壇上に上がっていくのはアルヴィス。王冠を手にとり、自らそれを兄の頭に載せた。まるで詩の中の光景だ、とイヴァンは思った。或いは、遠い昔の物語の中の出来事のような。
 どこからともなく静かな拍手が沸き起こる。それは興奮や賞賛のような感情ではなく、この数ヶ月の不安定な状態が、ようやく収まるべきところへ収束していく安堵の感情からくるもののように思えた。だが、これで新しい政権が始まることは間違いない。大きな痛みとともにいくばくかを失ったこの国の、新しい日々だ。
 「皆さん、ありがとう。私は国王としてここに宣言する――…」
シグルズの堂々とした言葉も、それからの数々の儀式も、今はイヴァンの耳には入らなかった。彼の中には、あの日、並んでアレクシスに叱られていた、羨ましいほど仲の良い三人兄弟の印象しかなかったからだ。
 アルヴィスはそっと壇を降り、最前列の自分の席に戻っていく。すぐ後ろに座っているのはティアーナだろう。遠くても、見慣れた後姿だ。
 アレクシスは今日はほとんど発言せず、不機嫌とも無表情ともとれる顔で彫像のように腰を下ろしている。向かいにいる神妙な顔のスヴェインは、以前と違って落ち着いた色の服を着ているせいか、確かに真面目そうに見えた。後ろに並ぶ十二人――近衛騎士全員の顔を見るのは初めてだ――の中には、よく見知った四人が揃いの制服を着て神妙に並んでいた。
 ひときわ大きな拍手の音で、イヴァンははっと我に返った。
 「それでは本日の議会はこれにて解散となります。明日からは新王のもとで通常の本議会となります。皆様、どうか明日の集合まではご自由にお過ごし下さい」
議長の閉会の言葉とともに、人々が席を立つ。シグルズは、母や弟たちと顔を寄せ合って何か話していた。まだこれから、やるべきことがあるようだった。
 「イヴァン!」
階段を上がって、アルヴィスとティアーナが近づいてくる。
 「よう、アル」
 「サーレ伯爵も。お久し振りです」
 「久しゅうございますな。お役目、立派なものです」
クラヴィスは表情を緩めると、隣にいたイヴァンの肩を叩いた。好きにしていい、という意味だ。イヴァンをその場に残し、彼は他の領主たちのほうへと去って行く。
 それを見届けてから、すかさずティアーナが口を開く。
 「…イヴァン、さすがに今日は正装なんですね。なんていうか…」
 「似合わぇって? 言うんじゃねーかと思ってた。」
 「いえ、意外と似合ってるから逆に驚いたんですけれど」
そう言って、彼女は口元に手をやる。「ふふっ、でも、あんまり貴公子って感じじゃないわ」
 「うっせーな、わざわざそんなこと言いに来たのかよ」
口調だけはぶっきらぼうに答えながら、イヴァンも笑っている。ティアーナからは、以前のような刺々しさは消えていた。
 「クローナでは、楽しくやってるみたいだな」
 「うんまぁ、忙しいけどね。ティアが来てくれて助かったよ。僕一人じゃ間に合わないから」
話をしながら、外に向かって歩き出す。
 「まだ護衛なのか?」
 「名目上は秘書だよ。警護してもらうほど危険なことも今はもうないし。ただ、これからまた西のほうに行くつもりなんだ。ルディと一緒に」
 「西? 何でまた」
 「クロン鉱石の汚染状況を調べにね。王都前の状況を少しでも改善させたいから」
戦闘のあと、使われた武器によって汚染された土地は、今も元に戻ってはいなかった。少しでも毒素を移動させようと、表土をひっぺがして別の場所に移動させる作業も行われたが、根本的な解決にはなっていない。雨が降って汚染土が流れ出してしまわないよう、今では戦場跡の周囲には深い掘が作られ、柵が立てられている。
 「エクルの花のことは覚えてるよね」
 「ああ。」
 「あの花は、先生が西に行ったときに見つけて持ち帰った花なんだ。クロン鉱石の鉱山――当時はまだリンドたちが僅かに利用する程度だったらしいんだけど、…その汚染土壌でも咲いていた花だから、らしい。あの花は今のところ、クロン鉱石の汚染に唯一抵抗力を持つ植物なんだ」
 「おい待てよ。ってことは、お前の先生…昔から知ってたのか」
 「そうらしい」
議事堂の外に出たところで、アルヴィスは手を掲げて微かに目を細めた。眩しい光が足元を照らし出し、外のざわめきが押し寄せてくる。芝生の上のそこかしこで、人々が歓談しているのが見える。
 「クロン鉱石の鉱脈が西方にあることも、それが王国の管理外にあることも、数十年前から知っていたそうだ。わざわざ公表しなかった理由は…分かるよね? 知られることによって危険度は増す。リンドたちに過度の干渉をしたく無かったというのもある。それに、先生にとっては専門外だった」
 「けど、もし当時からそこに危険な鉱脈が分かってれば、事前に悪用されるのを防げたかもしれないのに――」
アルヴィスは小さく首を振った。
 「先生はそうは考えなかったみたいだ。ただ将来、悪用される可能性があることは考えていた。だからアストゥールでは自生できないあの花を、アストゥールの気候にあうように一人で品種改良し続けたんだ。何十年もかけて」
 「俺にはわからないな。…分かってて、黙ってるなんてこと」
 「何か起きる前に全ての不安要素の芽を潰すことは不可能だし、それはしてはならないことなんだよ、イヴァン。同じ状況にあったら、僕も先生と同じ選択をすると思う。王国の外にあるクロン鉱石の鉱山を完全に管理下におくことも、抹消することも、そこに住むリンドたちの口を塞ぐことも不可能なんだから」
中庭の端にある木陰まで歩いたところで、彼らは足を止めた。
 「あの花のことを、僕も研究してみようと思う。汚染を除去するか、毒素を浄化する方法が見つかれば、あの鉱石を必要以上に恐れる必要も無くなる」
 「罰がないなら罪もない。これまで以上にお手軽にクロン鉱石が使われるようになるかもしれないぜ」
 「そうなるなら、その時はその時だ。一度広まってしまった技術は、簡単に捨て去れない。この国に入り込んだ沢山の新しい武器。全て回収することは出来ないだろう。…いずれ、それが戦いの道具として当たり前のように使われる日がくるかもしれない。遠い未来であって欲しいと思っているけどね」
少し微笑んで、彼はイヴァンのほうを振り返った。
 「イヴァンに見つけてもらった、あの黄金の実、大切に持ってるんだ。いつか"下の町"にもう一度、あれを植える。植えられるようにする。…必ず、汚れた大地を蘇らせる方法を見つける。今度は五百年もかけさせないよ。」
 「お前なら出来るだろ。待ってるよ」
にやりと笑って、イヴァンも応えた。そう、出来るはずだ。――自分たちならば。
 「やっほーうティア!」
どこかから、底抜けに明るい声が響いてくる。振り返ると、フィーが手を振りながら駆け寄ってくるところだった。ティアーナが明るく手を振り返す。
 「フィー! 久し振りねぇ」
 「今夜の懇親会は出るんでしょ? あんたがクローナにいっちゃって、スヴェイン様めっちゃくちゃ落ち込んでたわよぉ。『アルに取られた』ーって」
 「はあ? 知りませんよ。私もう、あの方のことを心配するのはやめたんです。」
アルヴィスは苦笑している。
 「あとで兄さんたちにも会いに行かないと。昨日着いたばっかりで、まだあんまり話してないんだ。」
 「そっか。――お、新国王様が町に出られるみたいだぜ」
議事堂の前にいた人々が列をつくり、出てくるシグルズたちを出迎えようとしている。皆これを待っていたのだ。騎士スヴェインを従え、シグルズは堂々と道を歩いていく。これから王宮の端にある建物の上から市民への挨拶を行うのだ。いまごろは、学校の仲間たちもその前に集まっていることだろう。


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