7_終結



 コツ、コツと靴の音が、静まり返った広間に響き渡る。
 「――で?」
椅子の前で足を止め、アレクシスは振り返って、目の前に並ぶ三人の息子たちを見下ろした。
 「言いたいことは分かった。だが、お前たちが罪を犯したのは確かだ。そうだな?」
 "謁見の間"。
 そこは王宮の中心にあり、そう呼ばれる部屋だった。磨き上げられた床の上には分厚い絨毯が敷かれ、高い天井からはシャンデリアが垂れている。音を通さない作りなのか、室内は驚くほど静まり返って、外の喧騒を一切遮断している。玉座の横には王妃エカチェリーテが静かに佇んでおり、傍らには、近衛騎士のベオルフだけが立っている。残りの十一人は各騎士団への連絡と残党の追跡のために出払っているのだ。
 イヴァンは、居心地の悪い思いをしながらもぞりと体を動かした。――すぐに傍らのティアーナに肘で突かれたが。同席してほしい、と頼んできたのはアルヴィスだった。黙って聞いているだけでいいから、と。それで、仕方なく場違いなところに立っているというわけだ。
 「私が何も考えていないと思っていたのか。何も手を打っていないと? お前たちのしたことは、火に油を注いだだけ。特にスヴェイン! お前ときたら」
 「ええ、仰るとおりですよ。分かってます。ぼくはあいつらに利用されただけのようなものだ。この戦いに勝っていたとしても、幽閉されるか何かして、早晩殺されていたでしょうね」
 「それが分かっていたなら――」
 「でもスヴェインの潜入がなければ、ヴェニエルには手を出せなかったんじゃないですか?」
 「シグルズ。お前にはまだ聞いていないぞ」
 「ぼくだって言いたいことはあるんです。肝心なところで父さんは事なかれ主義を貫こうとしたじゃないですか。最初からヴェニエルを疑っていながら、決定的な証拠がないからと見て見ぬふりをした。奴が、トカゲの尻尾を切るように、ボロを出した仲間の貴族だけを切り捨てていくのをただ漫然と処分していただけ。こんなことになるくらいなら、反感を買うと分かっていてでも騎士団に命じてヴェニエル領を抑えるべきだった!」
 「結果論だ! ヴェニエル領を敵に回すということは、西方騎士団すべてを同時に動かすでもしなければ間に合わん! その隙に、マイレや他の貴族たちが動いていたらどうするつもりだったのだ」
 「それは――」
 「揃いも揃って、お前たちは王家の名を貶めただけ。私に内緒で、余計なことをしおって。しかもアルヴィス、お前まで――」
 「「アルは関係ないです」」
 「黙りなさい!」
ぴしゃりと言われて、二人同時に全く同じことを言った年長の王子たちは、思わず肩をすくめた。僅かな沈黙が落ち、アルヴィスは、その隙をついて口を開く。
 「確かに兄さんたちのしたことは、最善の策ではなかったと思う。でも、事実、これだけの数の貴族たちの疑惑を同時に追求することは難しかったと思います。中心となるヴェニエルとマイレの二家だけでも、血縁、同盟、それぞれかなりの規模になる。クロン鉱石の取引だけでは追求できません。踏み込んでいたところで、決定的な反逆の証拠を見つけたのでもなければ、有耶無耶にされていたでしょう」
 「そんなことは百も承知だ」
苛立った調子で玉座の前を往復しながら、国王は言う。
 「お前たち以上にそんなことは考えてきた。この十年な。勝手気ままに権力をほしいままにする貴族ども……その権勢をどうすれば削げるのか。十年どころではない。もう百年以上、代々の王たちが考えてきた。その答えの一つが、かつての爵位の解放だった。だがそれは、既存の貴族たちの反感を買うだけだった」
 「……。」
イヴァンは、以前アルヴィスから聞いた話を思い出していた。

 『三代前の国王が、目に余る貴族たちの特権階級意識を薄めたくて爵位の大解放を行ったんだ。その結果、多数の新興貴族が生まれた。』

彼の家、サーレもまた、その時に新たに爵位を与えられた「新興貴族」なのだ。
 「今回の一件で、関わった貴族たちは一掃出来る」
スヴェインは、上目遣いに国王を見上げながらそろそろと言った。
 「怒らないで下さいよ。こればっかりは、ぼくのやったことじゃない。奴らが元から離反していたんだ。どんな情報でも提供します。一人も逃がさないように」
 「ぼくも…協力します」
シグルズが重ねて言う。
 「だから、スヴェインだけを罰しないで下さい」
 「いや、それは…。ぼくが引き受けるって言っただろ」
 「お前だけに格好いい真似させられるか。それに、この茶番は元は二人で相談した話じゃないか。」
 「いい加減にせんか!」
アレクシスが再び怒鳴り、二人の王子は口をつぐむ。「…まったく、本当に、お前たちときたら」額に手をやりながら深い溜息をつく。
 「どうしてこうなってしまったのだ。」
 「あなたに似たせいでは?」
隣で王妃エカチェリーテがくすくす笑っている。彼女はゆっくりと進み出て、息子たちを眺めた。
 「分かるわよね。あなたたちがちっとも悩みを話してくれなくて、しかも最後まで内緒にしていたものだから、お父様はひどく傷ついていらっしゃるの。何か言うことはない?」
 「…ごめんなさい」
 「すいませんでした」
 「よろしい。じゃあ、シグルズ。あなたに聞くけれど、自分の責務を最後まで果たすつもりはある?」
 「勿論です」
 「スヴェイン。あなたも覚悟はあるわね」
 「出来ています」
 「――アルヴィス」
 「はい」
顔を上げて、アルヴィスはエカチェリーテを見た。
 「あなたの役割は何かしら」
 「"盾となりて守るもの"」
イヴァンは、彼が胸の辺りで握っているものを見た。首から提げた鎖の先についているものは、いつかクローナで見た複雑な形をした紋章だった。白銀の樹。"双樹王家"としてリーデンハイゼルの黄金の樹と対を成す、クローナの紋章だ。
 「黄金の樹が剣ならば白銀の樹は盾となり、王権の後見人となり、王国の守護者であることが役目」
 「そうね。そして今なら、あなたにはもう、その役割が果たせるはず」
エカチェリーテが目で合図をすると、それまで微動だにせずに立っていたベオルフが、つかつかと壇の脇に降りて扉を開いた。ローブを引きずって静かに入ってくる老人。アルヴィスは、思わず息を呑んだ。
 「…先生! どうしてここに」
 「なぁに、騒ぎを聞きつけてな。騎士団と一緒に来ていたんじゃよ」
メネリクは、そう言って口の端の髭を揺らした。七十を過ぎているはずなのに、老人はかくしゃくとした足取りで、ベオルフの差し出した手もとらずに部屋の中央まで歩いてくる。
 「アレクシスに助言できればと思っていたのだが、遅かったようだ」
 「遅かった?」
 「こやつは、」そう言ってもちらりと国王のほうを見やる。「王位を降りると言っておる。」
 「な、…」
シグルズとスヴェインは、同時にぽかんと口を開いた。
 「本気ですか父上? またいつもの癇癪ですか」
 「こんな時に…、そういう冗談やめてもらえませんか」
 「冗談なものか。これが最良の策と思ってのことだ」
アレクシスは、厳しい瞳で息子たちを見比べた。
 「お前たち、まさかこれだけのことをしでかしておいて、自分たちでは国政が勤まらんなどと逃げるつもりはあるまいな? 私より巧くできるという自信があるのだろう。やってみるがいい。たった今、責任を取ると言ったのだからな」
 「……。」
二人の王子たちは、言葉も出ないでいる。重ねるように、メネリクも静かに言った。
 「わしも引退するよ。」
 「…先生?!」
アルヴィスが声を上げる。
 「そもそも、直接の原因となった法案はわしが発起人だ。アレクシスだけの責任ではない。」
そう言って、にやりと笑って見せた。「ま、もう年だしな。いい頃合だ」
 「決して意図したものではないにせよ、陛下は、あまりにも多くの憎しみを集めてしまいました。"エリュシオン"の主の座にこのまま留まることは許されないでしょう」
静かに、エカチェリーテが告げる。「わたくし、エカチェリーテ・フォン・リーデンハイゼルが宣言します。王国の数多の諸侯たちと歴代の国王たちの名において、アストゥール王の再選を。――廃位は戦後処理に一区切りのつく三ヵ月後。中央議会の開催に合わせて、新国王の擁立会議とします。」
誰も言葉を発せず、ただ頭を垂れただけだった。
 そうして謁見は終わり、ようやくイヴァンは解放された。長い一日は終わりを告げたのだった。



 広場のほうにはまだ人が集まっているはずだったが、裏通りに面した辺りはひどく静かで、まるで死んだ町のようだった。雨は既に止み、濡れた石畳が黒く光っている。
 疲れを感じながら、イヴァンは家路を辿っていた。帰るところはそこしか考え付かなかった。そして今日に限っては誰も、制服を着た学生が血の匂いをさせながら真夜中に一人で歩いていることを見咎めたりはしなかった。
 学校に帰り着いたとき、時計の針はもう真夜中を過ぎ、校舎内はすっかり寝しずまっていた。にも関わらず玄関が開いていたのは、事情を知ったハーミスが受付に命じて鍵をかけずに置いて居てくれたお陰らしかった。玄関を入るなり、待ち構えていたアステルとエデルが駆け寄ってくる。
 「イヴァン!」
 「無事だったんだな。怪我は――」
 「ああ、大したことない。」
手を振って、彼は心配性の友人たちを押しやった。簡単な手当ては王宮に入る前に済ませている。むしろ問題は泥だらけの格好のほうだ。
 奥のほうから、騒ぎを聞きつけたハーミスがいつもの柔和な笑みを浮かべてやってくる。
 「お勤め、ご苦労様でした。着替えの終わる頃に食事を届けさせましょう。君が戻ってくるまで待っていたんです」
言われて、イヴァンは今朝から何も食べていなかったことを思い出した。急に腹の虫がなり始める。
 「どうやら、至って健康みたいだね」
エデルは呆れ顔だ。
 「こっちは死ぬ目にあわされたってのに」
 「あーそうだ! 囮にして悪かった、後でアルも謝りたいって言ってたから」
 「おれなんか、あの人に気に入られてまた特訓してやるから来いって、約束までさせられたんだ」
アステルは、大きなガーゼの貼り付けられた額と包帯の巻かれた腕をさす。「これを来週まただぞ。どうしてくれる」
 「まじか…。どうしようかな…」
 「責任とってもらうからな」
イヴァンの肩をこづいて、アステルはエデルの肩をつかんで去っていく。「ま、今はいい。後でな」
 「ああ」
ハーミスは微笑みながら去って行く少年たちを見送り、イヴァンの入って来た玄関に鍵を下ろした。
 「明日からは、またこちらで授業に戻れるんですか?」
 「…そのつもりです」
 「そうですか。」
会話は、それだけだった。当たり前の日常、日々の暮らし。ここにあるのはそれだけだ。イヴァンは、血で汚れたままの袖口に視線をやると、三階への階段を急いで登り始めた。こんな格好でここにいるのは場違いなような気がして。
 着替えていると、誰かが部屋の扉を叩いた。
 「どうぞ」
入って来たのは、盆を手にしたアステルだった。驚いた様子でイヴァンを見つめる。
 「何?」
 「いや、制服じゃないのかと思って」
イヴァンが着ていたのは、部屋に置きっぱなしにしてあった荷物から取り出した自宅用のシャツだ。
 「…替えの服、使っちまっただろ」
 「ああ、そうか。」
 「悪い、お前のだけでも回収したかったんだけど、そんな余裕なくて」
 「いいさ。…戦場に行ってきたんだろ」
湯気の立つ皿を乗せた盆を置きながら、アステルは、床の上に無造作に脱ぎ捨てられた血と埃とかぎ裂きだらけの制服をちらりと見やった。
 「今さらだけどさ。今日の戦闘、うちの親父も、参加してたかもしれないんだ」
 「…何だって?」
皿に手を伸ばそうとしていたイヴァンの動きが止まる。
 「うちが騎士の家って話は、前にしただろう」
 「ああ」
 「正確に言うと、親父は雇われだ。近隣の領主の用命ある時だけ登城する。騎士ったって傭兵と変わらない。呼ばれるのは、大抵、宴会だの武術大会だの客を呼んで大騒ぎする時さ。家臣が多いほうが箔がつくって、見得をはるため。あとは夜警の人数が足りない時とかな。…今回みたいな人手が要る時も、声はかかっていたかもしれない」
 「それ…お前」
王都近隣の領主たち――節操もなく酒を飲んで騒いでいた、まるで素人のような兵士たち。まさか、あの中にいたというのか。
 「何で先に言わなかった」
 「言ったところで何も変わらないさ。親父が、仕事の内容も理解出来ずに安請け合いするほどの馬鹿だったとは思いたくない。ただ、いつも親父が雇われる領主の旗は見かけた。それだけだ」
言って、アステルはくるりと背を向ける。
 「おれが騎士団にいたなら、相手が誰だろうと勤めは果たしたさ」
扉の閉まる音。イヴァンは、手元の皿に視線を落とし、パンを掴んで乱暴に口に押し込んだ。
 考えたところで無駄だ。誰をどう倒したかなんて覚えていない。それに、自分が生き残るので精一杯だったのだ。
 スープをかきこみ、ミルクをすする。食器がすべて空になると、彼はランプの灯を消して寝台の上にごろりと横になった。カーテンごしに、外の明かりがわずかに差し込んでくる。街灯か、広場や城壁の上を行き交っている光か。
 考えたいことはいくらでもあったのに、何もまとまらないまま、いつしか眠りが襲ってきた。目を閉じて、彼は静かにそれに身をゆだねた。



 全ての被害が判明するのは、それから数日経った後のこと。
 死者は数百名、怪我人数千名。中央騎士団からも被害は出たが、多くは王都前に集った領主たちのかき集めた私兵と傭兵団。中にはばらばらに吹き飛ばされも、身元の判別もつかない遺体もあったという。
 雨は断続的に降り届き、戦場には嫌なにおいのする黄色く濁った水がわだかまり、近づいたり触れたりしないようにと厳しくお触れが出された。それが古来から言い伝えられているクロン鉱石による汚染であることを知っていたのは、ごく僅かな者たちだけだ。回収できた兵器はごく僅かだ。周辺では草木が枯れ始め、家畜にも被害が出ていた。汚染区域と隣接する下の町は立ち入り禁止となり、住民たちの多くが上の町に避難して、町は人でごったがえすようになっていた。
 王都への立ち入り禁止が解かれたのは、すべての遺体の回収が終わった一週間後。
 逃亡していたヴェニエル侯爵がはるか東の港で捕縛されたのも、傷を負っていたマイレ伯爵が獄中で死亡したのは十日後。
 国王の退位と新王の選定が次の中央議会で行われることが一般に知らされたのは、戦いが終わった一ヶ月後のことだった。


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