6



 人の動き出す気配に気づいて、イヴァンは顔を上げた。そろそろ夜明けのはずだ。足音、――それに金属音。甲冑と、剣の音。馬の嘶きも聞こえる。火はもうほとんど消えかけている。立ち上がったとき、ちょうど入り口が開いて兵士が入って来た。
 「失礼します」
イヴァンの顔を見て、ぎょっとする。
 「ああ、マルティンなら奥でまだ寝てる。昨日飲みすぎたらしくて…あ、俺は昨日来た学校の仲間で」
慌てて最後に言いつくろう。「起こそうか?」
 「いえ。では、こちらをお願いします」
差し出された盆には、水さしとグラス、それに果物が載っている。「酔い覚ましです。今日だけは、来ていただきませんと困りますので…」こんな時まで優雅なものだ。兵士としても、嫌な役を他人に押し付けられてほっとしている様子だった。
 「武器と外套は? 甲冑は着せるのか?」
 「そこにあります」
そう言って、兵士は部屋の隅を指した。「旦那様は先に行かれました。後から来るようお伝え下さい」
 「了解。」
ちょうど、奥で仮眠をとっていたアルヴィスたちが話し声を聞きつけて出てくるところだった。ティアーナは大きく伸びをして、イヴァンの手にしているものに目をやる。
 「朝食ですか? 三人分には少し足りませんが」
 「何を暢気なこと言ってんだよ。食いたきゃ食ってていいぞ。俺はいい」
マルティンはまだ鼾をかいている。このぶんだと昼まで目を覚まさなさそうだ。ある意味、感心さえする図太さだ。
 「――あの怖い近衛騎士の人は?」 
 「シンディはまだ戻っていません。まさか捕まったりはしないでしょうけど…」
ティアーナが言いかけた時、天幕の奥で空気の動く気配がした。足音もなく、長身の美女がつかつかと入ってくる。どういうわけか、頭から足の先までずぶ濡れだ。
 「シンディ、その格好…」
 「少々手間取ったが、目的は達せられた。」
 「見つけたんだね?」
 「はい。それからスヴェイン様も」
彼女は額に垂れかかる黒髪を片手でさらりと撫で上げると、アルヴィスのほうを見た。
 「だが、もう時間がない。今からでは破壊は間に合わない。私は、貴方を連れ出さねばならない」
 「場所を教えてくれ」
イヴァンが横から食いついた。「俺が行く」
 「イヴァン、…でも、君だけでは」
 「正直さ、お前連れて庇いながらここから脱出すんのは難しいかもしれねぇんだ。俺一人なら何とかなる。それに――、お前は絶対に何かあっちゃいけねぇ。それだけは確かだ」
 「私も行きますよ」
と、ティアーナ。「貴方はシンディと一緒に戻ってください。スヴェイン様のことは任せて」
 「ティアーナまで…」
 「場所は、ヴェニエルの旗の陣地。ここからはロイエの旗を越えた先。"下の町"の入り口あたりに幌馬車が二十程度」
シンディは、ティアーナと立ち位置を交替しながら澱みなく言った。「スヴェイン様はマイレ伯爵と居るのを見た。陣の後方。幌馬車に近いところ。槍兵が守っていた」
 「分かったわ。シンディ、…アルを」
小さく頷いて、女騎士は自分のマントを素早くアルヴィスに巻きつけると、本人が何か言うより早く荷物のようにして抱え上げた。やや乱暴だが、それが彼女なりのやり方のようだった。
 「私たちも行きましょう。」
 「ああ。けど、その前に」
イヴァンは、部屋の隅に畳んであった、マルティンの外套を掴んだ。さっき兵士が指し示したものだ。派手な色合いの上着の上には、アジズ子爵領の印がでかでかと縫い取られている。
 「また変装ですか?」
ティアーナは呆れ顔だ。「一体どこで、そんな知恵を」
 「俺は騎士じゃねぇからな、正々堂々とやるのはどっちかっつーと性にあわねぇんだよ。」
制服の外套を脱ぎ捨てると、彼は外套を羽織って外に出た。揃いの甲冑姿の兵士たちがすれ違うように駆けてゆくが、紋章入りの上等な外套のお陰か、誰にも何も言われない。人の流れに逆流するようにして、二人はシンディの示した方角を目指した。行く手には、いくつもの旗がひしめきあうように並び立ち、しかも人の移動にあわせて揺れ動いている。
 「ロイエって言ってたっけ。ロイエの旗ってどれだ…」
 「あれですよ、あの水色の」
喧騒に負けないようにティアーナが怒鳴る。「あなた、他領の旗を知らないんですか」
 「知るかよ。近所のしかわかんねぇ」
怒鳴り返して、イヴァンは旗を見失わないようしっかりと模様を覚えこんだ。下の町の尖塔は、すぐそこに見えている。ここはもう、敵陣の中心部に近い場所のはずだ。
 「アレクシス・フォン・リーデンハイゼル!」
背後で聞いたことの無い大声が聞こえて、二人は思わず足を止めた。声は頭上から――正確に言えば、人波の向こうのやぐら台のようなところから聞こえてくる。いかめしい顔つきをした男が騎馬でそこに上がり、傍らの騎士が差し出した拡声器ごとに怒鳴っているのだ。男はきらめく鎧に身を包み、馬は派手な色の布に飾り立てられている。
 「我はこれにある同士たちの代表者、フィリップ・ド・ブランシュ・ヴェニエルである! 同士たちを代表して、貴殿らに要求する旨がある」
ということは、王都側には国王と騎士団が展開しているのだ。まだ日が上がって間もない時間だというのに、もう始めようというのか。
 「よかろう。話を聞かせてもらおうか」
反対側から聞こえてくる声は、アレクシスのものだ。二つの町の間の平原に声が反響する。
 「貴殿らの礼を失した振る舞いについては今は一時不問としよう。だがその前に、そなたらは王国の臣民であり、国王より爵位を与えられた身である事を思い起こされよ。また王国議会での承認を経ずに私個人で裁可できる要求か否かは、その内容如何と心得られよ!」
びりびりと腹に響くような声だ。以前、王宮の執務室で見えたときの、あの気さくそうな男とは別人のように、今のアレクシスは恐ろしいまでの威厳を纏っている。
 (これが、…王様ってやつなのか)
知らず知らず体に力が入る。この瞬間、二つの陣営の足元に集う兵士たちも騎士たちも、彼の意識の中には無かった。これは、今はヴェニエル侯爵とアレクシス国王の言葉の一騎打ちのように思えた。
 「イヴァン、もう時間が…」
 「ああ、悪い。皆が注目してる今のうちだ」
二人は、そろそろと人ごみを避けて進み始めた。下の町の町並みが見えはじめている。幌馬車は…あった。だが、見えているのは十ほど。シンディの言った数の半分ほどしかない。
 振り返ると、馬の上のヴェニエル侯爵が隣にいた騎士から巻物を受け取り、それを両手で開いて王都側に向けているところだった。
 「我らは貴殿に国王の資格なしと判断した。我らの権利を守るため、ここに貴殿の退位を要求する!」
 「それこそ、王国議会を通すべき事案であったなヴェニエル侯爵。国王の即位と退位は王国議会によって召集された全ての権限者によって決められる。知らぬとは言わせんぞ」
 「否。その議会が開かれるまで最早待ってはいられぬ。要求が受け入れられぬ場合には、同士たちの力を持って貴殿を玉座より引き摺り下ろし、我らの手で黄金の冠を正しき者の手に渡す!」
ざわめきが起きる。だが、要求は曖昧で、誰に王冠を渡すとも告げられていない。もし彼らがスヴェインを次の王にするつもりなら、彼がこの場にいないことも奇妙だった。
 「スヴェイン様は一体どこなのかしら」
ティアーナは辺りを見回している。「ここから遠く無いって言ってたのに」
 「アジズの旗がないな。降ろしてるのか?」
 「話はそれだけか?」
アレクシスの大音声が響いてくる。
 「貴殿らの意志はあいわかった。これは明白な王国への反逆であり、秩序への挑戦である。力には力をもって対抗するのみ。さしたる後、この件は改めて臨時の王国議会で話し合うこととしよう。貴殿らの要求と、罪状の数々を併せて議論しようではないか。」
アルヴィスは、無事に王都側の陣に戻れたのか。父か兄に敵の企みを伝えられただろうか。
 「ティア、もう時間が無い!」
近くの篝火に近づくと、イヴァンはその中から乱暴に火のついたままの薪を一本、引っ張り出した。見咎めた水色の紋章の兵士が近づいてくる
 「おい、お前、アジズの…? こんなところで何を」
答えずに、イヴァンは幌馬車に向かって突進していく。はっとしてティアーナが剣を抜く。
 「こら! そっちは… その中身は」
兵士が慌てて周囲に怒鳴る。「そいつを止めろ! 火がついたら、すべておじゃんだ!」
 「――アストゥールの名において、全軍に告ぐ!」
アレクシスの声がすべてをかき消す。同時に、ヴェニエルも怒鳴った。
 「まことの王の証において、全軍に告ぐ!」
剣が鞘より抜き放たれる。
 「すべての逆賊を制圧せよ!」
 「王都を制圧せよ!」
それが合図となった。騎士たちの上げる雄たけびが空にこだまし、下の町の側からは戦闘開始の合図であるラッパの音が響き渡る。火の手が上がったのは、まさにその時だった。雷鳴にも似た激しい閃光と爆音、そして爆風。
 「な、何だ」
慌てたヴェニエルが振り返る。
 「例の新型爆弾の予備に、火が引火したようです! 薪が…」
 「ばかな。取り扱いには気をつけろとあれ程…ええい、かまうな。予定の仕掛けのほうは問題ないのだろうな?!」
 「ご心配なく」
傍らにいた騎士が声を張り上げる。「第一陣は、既に配置済みです」
 やぐら台の上から振り返ったヴェニエルは、にやりと笑って、突進してくる中央騎士団の馬列に目をやった。
 「ならば良い」
彼らの背後では、嫌な臭いを漂わせながら黄色く濁った煙が立ち上っている。爆風でどれだけの被害が出たかなど、男の意識の中には存在しなかったのだ。



 少しの間、気を失っていたらしい。ひとつ溜息をついて、イヴァンは体を起こした。やけに手元がぬるぬるすると思ったら、体の下でイモの袋がつぶれている。
 「ちっ、イモまみれとか…洒落になってねぇよ」
目の前では、引火した馬車が盛大な炎を上げて燃え続けている。兵士たちが大あわてで水を持って走り回っているが、クロン鉱石の起こした火はそう簡単に消えないはずだ。周囲には、同じように爆発で吹き飛ばされた兵士たちが転がっている。
 「ティア? どこだ」
 「ここです…」
小麦粉の中で小さな声がした。真っ白になり、小さくくしゃみをしながら這い出して来る。「最悪だわ。」
 「けど、一応目的は達成できたぜ。どうも数が少なすぎるが…。あとはスヴェイン王子を探さないと」
 「ほう、目的はそこか」
はっとして、二人は声のしたほうを振り返った。
 「あんた、確かマイレの騎士…」
 「ボルドーだ。また奇遇なところで出くわすものだな」
男は、馬上で剣を抜いた。イヴァンも借り物のマントを放り投げて剣を抜く。
 「ティア、行け。ここは俺が」
 「分かったわ」
頷いて、ティアーナは髪の粉を振り払う。「この私が仕込んだんです。絶対に、負けたら承知しませんよ!」
 駆けてゆく足音を背後に聞きながら、イヴァンは小さく笑った。
 「というわけだ。どうする? 今ならまだ、見逃してやれるけど」
 「大した自信だな、サーレの跡取り殿。私も、主君の前で無様な姿は見せられないのでね」
ちらりと男の視線のほうを見やると、マイレの紋章を掲げた馬列が動いていくのが見えた。槍を掲げている。ということは、スヴェインがいるのはあの中なのだろうか。ティアーナ一人で切り込むのは厳しいかもしれない。――だが、今は援護に回れる状態にはない。
 「おっと!」
頭上から繰り出された剣閃を、イヴァンはすんでのところで避けた。髪が幾筋か切り取られ、宙を舞う。
 「余所見をしている暇はないぞ」
 「ちぇ。しょーがねぇ、やるしか」
素早くあたりを見回したイヴァンは、近くを駆け抜けようとした馬の前に飛び出した。
 「うわあっ?!」
 「悪いな、ちょっと借りるぜ!」
地面に放り出された兵士をよそに、彼は馬に飛び乗った。
 「うし、これで高さは合う。頼むぞ」
馬の首をぽんぽんと叩いて、彼は鞍を腿でしっかりと締め上げた。突撃だ。
 「すばしっこいものだ。だが――」
馬と馬とがすれ違う。すれ違いざまに剣が打ち合わされ、硬い音が響いた。
 (重いな)
船の上でみまえた、あの時と同じだ。このボルドーという騎士は、見かけとは裏腹に確かな腕の持ち主だ。
 「あんたほどの騎士が、なんだってマイレなんかに仕えてるんだよ」
 「さあな? 就職先としては悪くないと思うが」
 「にしてもさぁ」
ぶつかり合う刃と刃。馬を廻らせながら、二人は何度も剣を打ち合わせる。
 「サーレの若君、実戦はこれが初めてか?」
 「どうだろうな。喋ってていいのか?」
左手の剣が騎士の剣をひらりと受け流し、その流れのまま相手の腕に切りつける。防具の隙間かに鮮血が飛び散り、男は微かに眉を歪めて馬を下げた。
 「随分と迷いが無い。」
 「俺は小さい頃から森で狩りをしてきた。イノシシだって狩った」
剣についた雫を払い、イヴァンも馬を回して距離を取る。「獲物と狩人、どっちも本気だ。気を抜いたほうがやられる。生きるためには相手を殺さなきゃならない。――俺は生きて帰らなきゃならない。あんたが向かって来るというのなら、そういうことだ」
 「成る程。」
ボルドーは小さく笑って、血の滴るまま剣を構えた。
 「貴君が領主になったら、仕える部下たちは大変だろうな」
 「付き合ってくれる奴らはいるからな、心配してねぇよ」
馬を前に出したのは、二人ほぼ同時。打ち合うことなど考えず、イヴァンは全力で馬を走らせながら腰を浮かせた。そして、すれ違う瞬間、彼は鞍の上からボルドーめがけて飛び掛った。
 「おらああっ」
 「な」
剣が手から飛び、二人はもつれあうようにして地面に激突する。先に起き上がったのはイヴァンのほうだ。自分の剣を拾い上げ、仰向けに大の字になっている男の様子を伺う。気絶しているが、とりあえず息はしているようだ。
 「うし」
戻って来た馬の手綱を取りながら、イヴァンは男のほうに向かって言った。
 「悪いな、俺も時間ねーんだ。まともな勝負はこんど時間がある時にしようぜ」
蹄の音が遠ざかっていく。騎士は、うっすらと目を開けてそちらに視線をやったあと、再び目を閉じた。怒号のような足音が地面を通じて伝わってくる。パン、パンと乾いた音。重たい何かが崩れ落ちる音…。
 戦闘は、すでに王都と下の町の間の全域に広がっているようだった。土ぼこりがあちこちで舞い上がり、空は茶色く掻き曇っている。剣戟の音はすぐそこまで迫っていた。戦線が移動しているのだ。



 「盾を前へ! 奴らは筒状の兵器を使ってくる。ただし接近しない限りは威力は低いぞ!」
 「弓兵!」
盾の奥で王国軍が弓を構える。弧を描いて、無数とも呼べる矢が雨あられと降り注ぐ。矢をかいくぐらねば"火筒"の射程距離には入れないのだ。ヴェニエル侯爵ら貴族陣営の軍の前線にいた兵が、次々と矢に当たって倒れていく。乗り手を失って逃げ惑う馬。ちりぢりに四散していく寄せ集めの軍。
 「ええい、どうした! なぜ爆弾を使わない」
やぐら台の上からヴェニエルが怒鳴る。
 「それが…使う前に敵味方が混戦してしまったんです」
下にいる騎士たちもうろたえている。
 「突っ込んできたところに投下する予定だっただろうが!」
 「ええ…突っ込んではきたのですが、射程距離に入る直前で引き返されました。誘導です。最前線にいた兵が釣られて飛び出してしまいまして、それで…。」
 「役立たずめ!」
怒鳴って、男は傍らに騎士を呼び寄せた。
 「仕方が無い、奥の手だ。人質を使う」
 「は…スヴェイン王子を、ですか?」
 「そうだ。アレクシスによく見えるように吊るしてやれ。そうすれば奴も手を止めるだろう。時間が稼げればよい」
 「分かりました」
騎士が駆けてゆく。男は、傍らを通り過ぎた矢にも眉ひとつ動かさず、忌まわしそうに戦場を見下ろしていた。矢がどちらの陣営のものかはもはや分からない。逃げ惑う兵を追いかける軍。戦術も戦略もない。離反貴族たちの軍の統制が全くとれていないせいで、既に戦場は混乱の極みにある。豪華な天幕は踏みにじられ、立派な旗は泥にまみれて地面の上に転がっている。
 「やはり烏合の衆は烏合の衆か」
吐き捨てるように言って、どこかへ去って行く。誰にも聞こえるはずのなかったその言葉を、すぐ足の下で聞いていた者がいたことには気づかないまま。
 はあ、と大きく息をついて、ティアーナは傍らのスヴェインのほうをじろりと睨んだ。
 「だそうですよ。私が来なければ吊るされるところでした」
 「…ま、そんな気はしてたんだけどな。」
 「わふん。殿下、落ち込まないで」
三人が身を寄せ合って隠れているのは、やぐら台の真下だった。灯台元暗しではないが、ここしか安全に隠れられる場所が見つからなかったのだ。仮ごしらえの台の板の隙間からは、入り乱れて戦う両陣営の兵士たちの姿が見えている。
 「凄いな、中央騎士団はもうここまで戦線を押し上げて来てる」
 「ええ。前線は、シグルズ様が指揮をとられているはずです。アレクシス様は大将ですから、王都前の陣にいらっしゃるはず」
 「…シグルズか」
スヴェインの表情が微かに曇る。「あいつ、余計なこと言って父さんを怒らせてないよな? ちゃんと、ぼく一人のせいだって言ってくれたかな」
 「こんな時に何を気にしてるんです。心配なのは、あなたの身のほうでしょう?」
 「ぼくはいいんだ。最初から、どうなってもいいと思ってた」彼は小さく呟く。「縛り首でも斬首でもいい。ただ、牢に監禁されて一生を終えるのだけは嫌だって、言っておいたんだ」
 「スヴェイン様…!」
 「怒らないでよ。他にどうすれば、この国を守ることが出来た? 父さんはああいう人だ。話し合いで解決なんて無理だ」 
ワンデルが、側からぽんぽんとスヴェインの肩を叩く。まるで犬が主人をなぐさめているようにしか見えない滑稽な状況だが、今のこの状況では、それすらもちょっとした心の慰めだった。ティアーナは、詰問するような口調を和らげながら、視線をそらした。
 「最初から、もっと色んな人に協力を仰げばよかったんです。アルだって…私だって、言ってくだされば手伝えました。もっといい方法かを思いつけたかもしれないのに」
 「うん…でも」
 「"でも"は無しです! 言い訳なら、あとでいくらでも聞いてあげますから。今はここから帰る方法を――きゃっ」
どすん、と近くで重たい音がした。やぐら台が揺れて、ぱらぱらと砂が落ちて来る。板の隙間から覗くと、すぐ近くで火の手が上がるのが見えた。
 くん、とワンデルが鼻をひくつかせる。
 「嫌なニオイ。すごく…嫌な感じ」
 「クロン鉱石です、多分。あれが爆弾」
見ている前で、宙を弓なりに飛んでいく黒っぽい塊が見えた。それが地面に着弾したとたん、火の手が上がり、人が吹き飛ばされていく。
 「あれが?…」
スヴェインは絶句している。「味方もいるのに! どうしてこんなところで使うんだ」
 「敵も味方も関係ないんですよ。劣勢を覆すためです」
ティアーナは腰の剣に手をやる。「なんて卑劣な」
 「シグルズ!」
板の隙間から外を食い入るように眺めていたスヴェインが、突然叫んだ。
 「あれ、そうだよね。あそこの茶色い馬」
 「わふん!」
 「えっ?!」
ティアーナも慌ててそちらに視線をやる。自軍の兵たちに向かって何か叫びながら、馬をめぐらせている若い男の姿。間違いない。シグルズ王子だ。
 「まずい、この距離じゃ…的にしてくれって言ってるようなものだ!」
 「あっ、スヴェイン様!」
やぐら台の下の隙間から這い出すスヴェインを、ティアーナは止めることが出来ない。ワンデルの吼える声が外で聞こえたかと思うと、兵士たちの悲鳴が上がった。
 「もぉ! どうしてこうなるの…」
苦労して這い出してみると、目の前でスヴェインが騎士と組み合っているところだった。武器は持っていなかったはずなのに、今は剣を手にしている。おそらく、足元に伸びている兵士が元の持ち主だろう。
 「ティアーナ、投擲器を!」
 「分かってますっ」
ワンデルがしっかりとスヴェインの側にくっついているのを確かめて、彼女はやぐら台の上で火のついた爆弾を射出しようとしていた投擲手に襲い掛かった。
 「どきなさい!」
爆弾が転がり落ちようとする。彼女はあわててそれを掴むと、力いっぱい、シグルズのいるのとは逆の方向に向かって放り投げた。空中で爆発が起きて、派手な爆風が撒き散らされる。足元には、箱詰めされた同じような爆弾が多数。それと、火のついたランプと、爆弾を投げるための投擲器。
 やぐら台の上から、彼女は叫んだ。
 「スヴェイン様! 今からまとめて火をつけます」
 「分か…え?」
 「死にたくなかったら、全力でアストゥール側に走ってください、いいですね!」
 「ちょっと待…おい!」
慌てて目の前の騎士を引き離すと、彼は言われたとおり走り出す。「冗談じゃないよ、味方が一番怖い…」
 「何か言いましたか?!」
ティアーナも追いついてくる。「火を仕掛けてきました。そろそろ…」
 背後で、凄まじい爆発音が響いた。吹っ飛ばされるのは、ティアーナにとっては今日だけでも二度目だ。
 「きゃうんっ」
小柄なワンデルが転がっていきかけるのを、すんでのところでスヴェインの手が掴む。地面に投げ出され、三人は同じ方向に転がった。
 「…これは、なかなか強烈だな」
 「でしょう? だから、過小評価しないほうがいいって」
 「うん。認識を改める」
砂を振り払いながら起き上がってみると、さっきまで隠れていたやぐら台のあたりには大穴が開き、地面がこげて、嫌なにおいのする煙がくすぶっていた。ふいを突かれて吹き飛ばされたらしい兵士たちが、そこかしこに散乱している。
 「…スヴェイン」
見晴らしのよくなった戦場に、馬に乗ったシグルズが驚きを隠せない顔で進み出てくる。
 「やあ、シグルズ」
埃まみれのまま精一杯の威厳をとりつくろい、スヴェインはぎこちなく笑って見せる。「ぼくの参戦する席は、まだ空いてるかな?」
 「構わんが、多分もうやることはあまり残っていないと思うぞ」
 「それは残念。」
振り返って、シグルズは側にいた騎士に告げる。
 「誰か馬を。ティアーナにも」
 「――アルはそっちに戻れたのか?」
 「シンディが連れ帰ってくれた。開戦の寸前だったが、お陰で最初の被害は防ぐことが出来た」
 「なら良かった。」
シグルズは、辺りを見回す。「…彼は?」
 「あっ」
ティアーナは口元に手をやった。「そうだ、イヴァン…、私を逃がすために一騎打ちを」
 「一騎打ち?」
 「マイレ伯の騎士です。でも…」
負けるはずが無い。そう思っていたのに、なぜか胸騒ぎがした。敵陣の真っ只中にたった一人だったことに、今更のように気づいてしまったのだ。
 と、その時、どこかから、わっと声が上がった。
 「援軍だ! 援軍が到着したぞ」
下の町のすぐ脇、街道沿いのあたりに、赤い旗がひらめくのが見えた。西方騎士団の旗。それに――
 「見てください、白と青もです!」
同時に、王都の北と東のほうにもそれぞれの色の旗が立った。
 「間に合ったか」
一瞬ほっとした顔になってから、シグルズはすぐに表情を引き締めた。
 「よし、残党を追撃する。無抵抗の者は傷つけるな。抵抗する者は全て捕縛せよ!」
指示が飛び、兵士たちが気勢を上げる。エーリッヒに差し出された馬の手綱を取って、スヴェインとティアーナも馬上の人となった。馬に乗れないワンデルは徒歩だが、四つんばいになれば馬と速度は大して変わらないはずだ。
 王国の、黄金の樹を染め抜いた旗が中央騎士団の白い旗の奥に新たに掲げられる。これが最後の突撃になるはずだと誰もが分かっていた。そして、戦局がどちらに傾いているのかも。
 土ぼこりの止んだ空にはいつしか薄雲がかかり、日は翳り始めている。やがて集まった雲は一つになり、分厚く、青空を埋め尽くしていった。



 ぽつりと雨粒が額に当たり、イヴァンは目を覚ました。
 「…つっ、どこだここ」
振り返ると、見覚えのある噴水が見えた。水は止まっているが、水盤には過去に流れ落ちた透明な水が溜まったまま、冷たく揺れている。
 (そうだ。喉が渇いてここへ…)
ここは、下の町の中心部にある広場のはずだった。かつては乗合馬車が到着し、人々が賑やかに行き交っていた。だが今は、周囲の家々に人の気配はなく、辺りは死んだように静まり返っていた。
 頭がくらくらする。一日中、戦場を駆け巡っていたせいだ。
 体中に血の張り付いている感触があるが、そのほとんどは自分のものではない。
 (俺…何人やったのかな)
ぼんやりと歩きながら、彼はそんなことを考えていた。手加減なら出来た。だが、そうしなかったのは自分の意思だ。悪意があったか無かったかは関係ない。命を狙われれば、相応の覚悟を持って応えるしかない。敵か味方か、ただそれだけ。そして戦場とは、そういうものなのだ。
 道端には、うちすてられた軍事品や傷ついたまま動けない兵士、折れた剣、どこかの領主の旗印やひしゃげた兜など、ありとあらゆるものが転がっている。戦況は一体どうなったのだろう。物音ひとつ聞こえない。それに、辺りは真っ暗だ。
 雨が降り始めた。
 角を曲がったところで、はっとしてイヴァンは足を止めた。傷ついた男を馬に乗せ、こちらに向かってこようとする騎士に気づいたのだ。イヴァンを見るなり、騎士は剣を抜いた。
 「何だよ、俺はもう帰るとこなのに…」
だが、騎士は引く気はなさそうだった。剣を抜き、ぎらぎらした目で見つめてくる。
 「めんどくせぇな」
イヴァンは、仕方なく剣を抜いた。
 「どこの家臣だか知らんが、俺ももう疲れてる。加減できる自信はねぇが、それでいいならかかって来い」
地鳴りと咆哮。イヴァンはその場に立ちふさがり、ただひたすらに向かってくる者を再現なく切り伏せた。そうしなければ、――生きて帰れない。父をはじめとする故郷の人々。リーデンハイゼルで出会った人々。アルヴィス、ティアーナ、…信じてくれた仲間たち。
 (俺は死ねねぇからな)
足元に騎士のからだが崩れ落ちる。どす黒い血が降り始めた雨の中に滲んで流れ、うめき声が虚無の町に響き渡る。はあ、と一つ溜息をついて、イヴァンは、馬の上でぴくりとも動かない身なりのよい男を見やった。顔は蒼白で、血の気はない。見覚えの無い顔だが、身なりからすると、いずれかの領主なのかもしれない。
 再び歩き出した彼は、記憶にある一画で足を止めた。
 「…あれ」
樹が生えている。だが、そこにあるべき輝きが無い。
 ここは、以前アルヴィスたちと来た、黄金色に輝く樹の場所のはずだ。石畳も、柵も、記憶にあるまま。なのに、そこにあの木の葉の黄金の輝きだけが欠け落ちている。
 ひらりと葉が一枚、足元に落ちてきた。
 黄金ではなく、ただの茶白く変色した枯葉のようだ。ひらり、ひらりと舞い落ちて、地面を埋め尽くす、病変した枯れた葉――
 「…イヴァン!」
はっと我に返った時、彼の目の前には駆け寄ってくるベオルフとエーリッヒの姿があった。
 「こんなところにいたのか! 大丈夫か?!」
 「ああ、俺はなんともないんだけど」
彼が見上げた視線の先に気づいて、二人はかすかに息を呑む。だが、すぐにイヴァンに視線を戻した。 
 「今はお前のほうが先だ。お前はよくやってくれた。もう十分だ、戻るぞ」
ベオルフは自分のマントを脱いで、それをイヴァンの頭から被せた。雨の音が遠くなる。
 「戦いは? 皆は無事なのか」 
 「誰も欠けていませんよ。敵軍は壊滅しました。一部は逃げおおせたかもしれませんが、追撃が出ていますからほどなく捕らえられるはずです」
エーリッヒは自分の乗ってきた馬の手綱を差出し、イヴァンに乗るよう促した。
 「とりあえず戻りましょう。リーデンハイゼルへ」
その時になってようやく、イヴァンは体に寒さを感じた。辺りには、怪我人や戦死者を運ぶ人々が暗くなる前に仕事を終えようと駆け回っている。灰色の雨雲がすべてを覆い隠し、くすぶっていた残り火を消していく。



 戦は終わった。アストゥールでは二百年ぶりとなる、死者を伴う戦が。
 ただしそれは物語や歴史の中にあるような、誇りや威厳を持って行われる戦とは、あまりにも違っていたのだが。

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