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 シーザとは王宮前で別れ、そこから先はティアーナが案内役となった。彼女が向かったのは、いつもの裏口でも正面玄関でもない、王宮の脇から中へと入っていく初めての道だった。幾つもの門があり、見張り小屋のようなものがあり、ニワトリ小屋や洗濯物干し場があり、物々しい雰囲気の中に、妙に家庭的な雰囲気とが入り混じっている。
 「こちらは、王宮内部の居住区に直接つながる道で、…王室に直接仕えている使用人しか出入りしていません」
と、ティアーナ。「いわば、王宮の中でも特に"国王一家の自宅"部分の裏口に当たります。本当は、私もここは通れないんですけど」
 行く手の硬く閉ざされた門の前で馬を下りると、彼女は、門の脇を固める塔を見上げた。
 「陛下はいらっしゃる? 火急の用件なんです。」
中で気配があって、塔の下から衛兵が出てくる。
 「陛下ならいらっしゃるが、あんたは確か…」
 「私ではなくこちらの方をお通ししたいの。急いで」
ティアーナの後ろにいるアルヴィスに気づいて、衛兵は無言のうちに理解した。すぐさま引っ込んでいったかと思うと、どこかで金属の軋む音がして、扉がゆっくりと開き始めた。巻き上げ機が扉をひっぱる鎖を巻き取っていく。
 「アル、どうぞ」
門の奥には、緑の芝生があり、植え込みの向こうに池が見えている。白い壁をもつ小さな家。緑に囲まれた閑静な高級住宅といった雰囲気だ。王宮の他の場所とはずいぶん違っている。
 門から先は、アルヴィスが先頭に立った。イヴァンとティアーナは、足早に建物のほうへと歩いていく彼の後ろに従う。玄関をくぐり、長い廊下に入ると、廊下まで聞こえる怒鳴り声が響いてきた。聞き覚えのある声。アレクシスだ。国王が何処にいるのかは、尋ねるまでもないようだった。、
 声の聞こえる部屋の前に来ると、アルヴィスは、扉をノックすることもせずそのまま中に踏み込んでいった。
 「失礼します」
声がぴたりとやみ、向き合っていた二人の人物が振り返る。一人は、国王アレクシス。そしてもう一人は――、ひとめで親子だとはっきり分かる、アレクシスによく似た金髪と顔立ち。直接会ったことはないが、王子たちの一人だとイヴァンは思った。そして、第二王子スヴェインが下の町にいるというのだから、ここにいるのは第一王子、シグルズであるはずだった。
 「お話中に失礼します。お伝えしたいことがあって…」
 「アルヴィス! 無事に戻ったのか」
大股に近づいてくるなり、アレクシスは言葉を遮ってアルヴィスの肩を抱き寄せた。
 「怪我はないか? あのあと、やはりお前を行かせるべきではなかったと随分後悔したんだぞ」
 「大丈夫ですよ。」
父の腕から逃れようと、アルヴィスは身をよじった。「それより、西方でクロン鉱石の採掘場を見つけたんです。マイレ領を経由して持ち込まれています。――鉱石を利用した武器も作られているようでした。」
 「何、やはりそうなのか」
 「……。」
横で聞いていたシグルズの表情が翳る。
 「街道沿いの鳩の拠点が落とされています。それで急いで戻ってきたら、町が囲まれていて…。本当にスヴェインなんですか? 何か連絡は?」
 「連絡はあったさ」
アルヴィスから腕を離すと、アレクシスは苦々しい表情が呟いた。「私に、王位を退けと言ってきた。」
 「…!」
ティアーナが口元に手をやる。
 「やっぱり。」
アルヴィスは、予期していたようだった。「それで、返答の期限は何時までなんです」
 「明日だ。それを越えて返事が無ければ、支持者の領主たちが"実力を行使する"と言ってきた」
国王は、室内用の長い上着の裾を翻し、荒っぽい足音をたてて部屋の中を歩き出した。「ふん、愚かなことを。小領地の領主どもの私兵をいくらかき集めたところで、騎士団と正面からやりあう戦力にはならん」
 「ですが、例のクロン鉱石を利用した武器があります」
と、アルヴィス。
 「どのくらい持ち込まれているか分かりませんが、使い方によっては危険です。それに西方騎士団は、今は街道沿いの事件に手一杯で、動けるとは限りません」
 「東方騎士団と北方騎士団には、既に伝令を出してある」
アレクシスは答える。「それに、火遊びの武器など恐るるに足らん」
 「父さん――」
 「こんなくだらぬ茶番にまともに付き合えるものか。たとえ息子といえど、おふざけが過ぎるなら仕置きも必要だろうな」
不機嫌な口調で言って、庭を見下ろす窓の前で足を止めた。怒りに燃える瞳に外の光が反射する
 「案ずることはない。明日中には、すべて終わっているはずだ。お前たちは見ていればいい。下がりなさい」
頑なな意思を感じさせる強い言葉。これ以上の話は無理なのだと、イヴァンにも分かった。アレクシスはもう、戦うことを決めているのだ。相手が国王の退位を求めている以上、それは仕方のないことでもある。――話し合う余地などない。
 部屋を追い出され、アルヴィスは、隣で無言のまま項垂れているシグルズのほうを見上げた。
 「シグルズ兄さん、…知ってたんだよね? スヴェイン兄さんがしようとしてたこと」
 「……。」
シグルズは、何も言わずにただ視線を伏せる。
 「父さんがどうするかってことも…分かってたんだよね?」
 「止めても、あいつは聞かなかったさ。成人した一人前の男が自分で決めたことを、どうやって思いとどまらせられる?」
父親そっくりでありながら、父親とは違う色をたたえた瞳で、年長の王子は静かに言った。「ぼくはただ、自分の役割を果たすだけだ。」
 「わかりません。スヴェイン様は、十年前の事件では被害者だったはずです。なのにどうして、加害者側についたりしたんです? 自分たちの命を狙った相手だとわかっていて与したのですか?!」
ティアーナの声は、半ば悲鳴のようだ。
 「知ってたよ。当時はヴェニエルとマイレが中心だった。あの別荘はマイレの領地内だったし、すぐに見当はついた」
 「では、なぜ…!」
 「同時に、狙われた理由も知ったからだ。王と貴族の権力の均衡、父と一部の旧貴族たちとの確執もね」
シグルズは悲しげに微笑む。
 「望まれざる王権。もちろん全ての民に愛される王など、伝説の"融和王"でもなければ在り得ないだろうが、父のそれは――あまりにも不安定だった。王権を決める権限を持つ貴族たち、その三分の一が離反しようとしている。それをあいつは知った。」
 「だから、陛下や、シグルズ殿下を裏切ったのだと?」
彼は、首を振った。
 「裏切ってはいないのさ。これが、あいつなりの"やり方"だ。」
それだけ言って、ゆっくりと廊下の向こうへ歩き出す。
 「兄さん、待って」
 「もう行かないと。騎士団の編成を任されてる。お前は家から出るな」
磨き上げられた廊下に外套の端を翻し、シグルズは足早に去って行く、どこからともなく現われた一人の騎士が、振り返って小さく頷くと、その後ろについてゆく。近衛騎士のエーリッヒだ。外で待機していたらしい。
 「…一体、どうすれば」
その時イヴァンは、廊下の反対側でひらひらと揺れているものがあること気が付いた。
 「アル、アル」
 「え?」
肩をつつかれて、彼は顔を上げた。
 「あれ」
 「…あ」
斜め向かいの部屋の前で、笑顔を浮かべて手招きしている女性がいる。
 「母さん」
アルヴィスは慌てて駆け寄っていく。「いらっしゃったんですか。でも――」
 「中に入って。」
すれ違うとき、ふわりと上品な香りが漂った。花の匂い。香水だろうか。アルヴィスに良く似た顔立ち。不思議な穏やかな雰囲気。
 そこは、さっきの部屋とは違い、優しげな雰囲気のある明るい部屋だった。落ち着いた色合いの絨毯や天井、レースのカーテン。古い調度品はすべて丁寧に磨き上げられている。
 「テーブルに座って頂戴。お話は、お茶を飲みながらよ。」
部屋の主はそう宣言して、部屋の隅にある小さな暖炉の上に湯かしを乗せた。部屋の奥には小さな台所が見える。さしづめ、この部屋は家族の居間といったところだろうか。お茶のカップを並べている女性は、アルヴィスの母親ということはアストゥールの王妃のはずだが、どう見ても貴族の奥方くらいにしか見えなかった。ただし、質素な格好をしてはいても、上品な威厳に満ちている。
 「あなた、アルヴィスのお友達よね。確か…イヴァン君?」 
 「あ、はい」
ぼんやりと後姿を眺めていたイヴァンは、名を呼ばれて慌てて返事する。
 「お砂糖は入れる? ミルクは?」
 「えっと…ミルクだけでいいです」
 「そう。アルは砂糖、ティアは両方だったかしら? お菓子もあるのよ。少し待っていてね」
 「……。」
アルヴィスもティアーナも、黙って席についている。焦るだけ無駄だと知っている表情だ。部屋の外には門をくぐった時に見えた池と、それを取り囲む花壇とが見えた。
 「お待たせしました。」
盆を手に、部屋の主がテーブルに近づいてきた。慌ててティアーナが椅子から腰を浮かしかける。
 「すみません、エカチェリーテ様。手伝います」 
 「大丈夫よ、座ってて頂戴。ここでは、あなたたちはお客様なのだから。」
ひとりずつの前に、クッキーの載った皿がひとつずつ。それに、淹れたてのお茶の良い香りが漂う。
 「どうぞ、召し上がれ。気持ちが落ち着いていなければ良い案は浮かびませんものね」
スカートの裾をつまみながら、王妃は優雅に椅子に腰を下ろした。イヴァンは、クッキーをひとつ詰まんで口に放りこむ。
 「どう?」
 「美味しいです。町で買ったんですか」
 「いいえ。わたくしが作ったのよ」
エカチェリーテは、くすくすと笑う。笑顔が、――アルヴィスと重なる。「うちは、家族の食事は大抵わたくしが作っているのよ。」
 「え、王妃様が?」
 「そうよ。いつもいつも政務ばかりしているわけじゃないもの。それに、どんな仕事をしていたって、自分の家族の食事くらいは自分で作ってあげたいでしょう」
そういうものなのかどうなのか、イヴァンには分からなかった。お茶を一口飲んだあと、アルヴィスは、カップを下に下ろした。
 「母さん、…父さんは本当に、スヴェイン兄さんたちと戦う気なの?」
 「ああいう人ですからね」
エカチェリーテは、困ったような微笑みを浮かべる。
 「それに、あの子たちもアレクシスに似て頑固者だから。間違っていると分かっていても、引くと言うことが考えられない。誰かに助けを求めることも出来ない。我が身を傷つけてでも無理に前へ進もうとする。そういう子たちだわ」
 「でも、このままでは…無関係な人まで傷つけてしまうかもしれない」
 「ええそうね。それも分かっていて、罪を背負うつもりなんでしょう。」
お茶をすすり、彼女は溜息をついた。「わたくしに出来ることといったら、せめてあの子たちが無茶をしないよう見張りをつけることくらい。」
 「見張り?」
 「近衛騎士よ。」
ふいにカーテンの端が揺れて、ティアーナは思わず声を上げそうになった。音も無くぬっと姿を現したのは、黒髪の大柄な女性だ。逞しい腕の側には、金色の房飾りの揺れる短剣がある。
 「――本当は、もっと早くにシンディに行ってもらおうと思っていたの。彼女なら、隙さえ見つけられればスヴェインを連れ出せると思って。でも、止めにしたわ」
 「止めた?」
 「スヴェインが決めて、自分でしていることなのよ。邪魔をしてはいけないと思って。それに、あの子を攫い出したところで、町を包囲している貴族たちは止まらないでしょうからね」
軽く頭を下げ、女性は低い声で端的に言った。
 「スヴェイン様は赤い天幕にいた。ワンデルも一緒」
 「ワンデル? ワンデルも、まだスヴェイン様と一緒に?」
 「いる」
ちらとティアーナのほうを見て、シンディと呼ばれた女性はそれだけ答えた。余計なことは一切言わない。表情も動かない。なまじ美人なだけに、まるで巌のような雰囲気を持つ女性だ。
 「ワンデルがいるなら、たとえ混戦になってもあの子の身は守られると思うわ。シグルズにはエーリッヒをつけた。あとは、あなたね」
白い手が伸びて、アルヴィスの頬を優しく撫でる。「その顔、じっとしてるつもりはないんでしょう?」
 「…僕は、スヴェイン兄さんと話したい」
 「"下の町"へ行くつもりかしら。でも、明日にはもう戦いになってしまうわよ。夜に紛れて近づくなんて、シンディでもなければ出来ない芸当」
 「そうです、アル。もし見つかったら、あなたまで人質扱いにされてしまう」
アルヴィスは、小さく首を振った。
 「でも、話さないと。このままじゃ、スヴェイン兄さんは反逆者にされてしまう」
傍らで話を聞きながら、イヴァンは、奇妙なことにアルヴィスも王妃もスヴェインを「敵」だと語っていないことに気が付いていた。国王の退位を求める貴族たちを率いて王都に戻って来たという時点で"反逆者"と呼んでも差し支えないはずだった。少なくとも、国王やシグルズ王子はそのように扱おうとしていたようだった。
 それなのに、何故――。
 「それでは、仕方ありませんね。」
王妃エカチェリーテは溜息をついて、傍らの近衛騎士のほうを向いた。
 「シンディ、明日までアルヴィスを家に閉じ込めておいて。絶対逃がさないこと」
 「…母さん!」
 「あなたまで巻き込まれにいくことは許しません。これ以上、危険な目に遭わせたくないの」
断固とした口調で言って、彼女はティーカップを取り上げた。傍らでは、黒髪の近衛騎士が油断なく目を光らせている。
 このままでは八方塞だ。一体どうすれば、騎士団と貴族たちの衝突を止めることが出来るのだろう。



 時間はただ刻々と過ぎていく。
 アルヴィスが行くところは、影のようにどこまでもシンディが着いてくる。
 「…シンディ、勘弁してよ」
 「エカチェリーテ様に言われた。家から出ていけない」
微動だにせずにそれだけ言って、直立不動のまま後ろに立っている。彼は溜息をついて、目の前にある城門を眺めた。出て行こうとすれば、シンディは力づくで止めにくるだろう。そして今のところ、エカチェリーテの命令を取り消させることの出来る人物は、他にはいなかった。
 イヴァンは、それとなくティアーナに近づいて囁く。
 「なあ、あの人、お前でどうにかならないのか」
 「はあ? 無理ですよ。私とあなた、二人がかりでも歯が立ちません。それに此処をどこだと思ってるんですか。近衛騎士とやりあったりしようものなら、ものの数秒で警備がかけつけて、私たち放り出されますよ」
 「…そっか。まぁそうだよなぁ。はぁ」
イヴァンは、高い城壁を見上げて溜息をついた。せっかく王都へ戻ってきたというのに、致命的な衝突は避けられそうにない。何もかも遅すぎたのだろうか。
 「なんとかして、私たちだけでも"下の町"の陣に忍び込めればいいんですけれど」
と、ティアーナ。
 「せめてアルの伝言だけでもスヴェイン様に伝えられれば…」
 「それで気を変えてくれるようなもんなのか」
 「分かりませんよ、そんなの。でも…」
彼女は、表情を曇らせた。「このまま、家族が敵味方に分かれて戦うなんて、悲しすぎます」
 「…まぁ、な。」
誰もそんなことを望むはずはない。ただ、この国の中でこじれた反感と権力の糸が、今日のこの状況を引き寄せ、王家の人々をそこにからめとってしまっただけだ。
 「そういや、下の町に来てるのってどこの軍なんだ? マイレの旗が見えたのは分かったけど、他は」
 「アジズ子爵。それと、ハシム男爵、クラウゼ男爵、カルルマン準男爵、エマーゼル子爵、オランド子爵…」
聞きつけたシンディが、澱みなく答える。
 「…アジズ?」
 「王都周辺の有力貴族たちだね」
と、アルヴィス。「灰色の旗がそうだ。まとめ役のマイレ以外は、王都周辺の貴族たちが集まったという感じだ。いずれ遠方の貴族たちの私兵も集結するつもりなんだろう。その待ち合わせが、明日なのかもしれない」
 「或いは、援軍として要請された騎士団の足止めをしているかもしれませんね」
言って、ティアーナは溜息をついた。「この国の三分の一…。確かにそう。でも数の上では三分の一でも、財力では半分を上回る。抱えている私兵の数が、規定上限どおりならいいのですけれど。」
 「…王様も、分かってるんだよな」
 「ええ、ご存知です。すべてご存知の上で、さっきはあんなに強がって見せたんですよ。そういう方ですから。」
 「はあ」
イヴァンは額に手を当てた。なるほど、今まで怪しい相手が分かっていても手を出せなかった理由は理解したが、そのまま敵に回すのはあまりにも無謀だ。
 「つーか、アジズってことはマルティン家も来てるってことなんだよな。何やってんだか、あいつ…」
 「マルティン?」
 「ああ、学校の上級生。退学して実家に帰ったって聞いてたけど…」
言いかけたイヴァンの脳裏に、何かが天啓ように閃いた。「…待てよ、もしかして」さっき町の入り口で土嚢を積んでいた、騎士学校の生徒たちの姿を思い出したのだ。うまくすれば、誰にも警戒されずに下の町に侵入できるかもしれない。
 「ティア、ちょっと」
 「え?」
腕を掴んで、物陰に引っ張り込む。シンディはアルヴィスに集中していて、こちらにはあまり気を回していない。
 「何ですか、急に」
 「俺、今から町に行って来る。学校戻って友達連れてくっから、またここ通してくれねぇかな」
 「友達? 何言ってるんですか。何のために――」
 「理由は何でも良い! アルをこっから連れ出せるかもしれねぇんだ。頼む」
 「……。」
ティアーナは、ちらりと門のほうを見やり、しばらく逡巡した後、ひとつ溜息をついた。
 「…わかりました。日が暮れるまでには戻ってきてくださいね」
 「ああ! そんな時間かからねぇよ」
果たして今考えている案が本当に巧くいくのか、そんなことまで考えている余裕はなかった。今は少しでも可能性に賭けるしかない。たとえ、ティアーナが詳細を知れば無謀だと呆れてしまうような内容だったとしても。


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