6_動乱



 前触れもない帰宅は、大騒ぎによって迎えられた。
 「イヴァン様…これは一体」
知らせを受けて駆けつけたレオンまで、ぽかんとした顔をしている。
 「何だよ、その顔は。急ぎで親父に用があるんだ、執務室か?」
 「え、ええ…」
後ろにいる二人に気づいて、彼はあわてて表情を取り繕う。「ご案内します。こちらへ」
 厩番のラスをはじめ、台所から飛び出してきた料理番に召使いたち、小間使いの少女たち、巡廻の兵士たち、館にいるありとあらゆる人々が駆けつけて突然現われた一行を見ていた。声をかけるのを我慢しているのは、イヴァンがはっきりと切迫した表情をしているからだろう。
 それにしても変わらないな、と彼は思った。半年以上離れていたとはいえ、――この館の雰囲気は、以前と何一つ変わっていない。
 二階への階段を上がり、先に立つレオンが執務室の扉を叩く。
 「失礼します、旦那様。イヴァン様がお戻りに」
 「入れ。」
扉を押し開くと、領主クラヴィスは既に立ち上がって、窓辺に立っていた。「下の騒ぎは聞こえていた。――よく戻った」
 「ただいま。」
いかめしい眉をぴくりと跳ね上げて、館の主は上から下までイヴァンの姿を確かめる。
 「無事なのは結構だが、ひどい格好だな。どこを回ってきた」」
 「あーまぁ。国境の西側を」
 「西?」
 「リンドガルトです」
後ろからアルヴィスが口を出す。「初めまして、サーレ伯。僕は――」
 「存じ上げております、アルヴィス殿下」
言ってから、クラヴィスは小さく咳払いをする。「失礼しました、何かお急ぎのご様子でしたので。」
 「ええ、堅苦しい挨拶は抜きにしましょう。それから、僕はもうクローナ家の人間ですから、殿下は止めにして下さい」
 「承知しました。」
 「こちらの都合で、ご子息をお借りして申し訳ありませんでした。今回の任務、内容はご存知でしたか?」
 「――ある程度は」ちらりとイヴァンのほうに視線をやる。「以前ここへ来られた近衛騎士の方から聞いた話と、ハーミス校長の書簡で察しました。愚息の連絡は要領を得ませんでしたが」
 「何だよ、ぼかしてだけど、いちおうちゃんと書いただろ?! その…旅に出るって」
 「そうだな。どこへ、とも、何のために、とも書いていなかったがな。」
 「実家に何も連絡してなかったんですか」
後ろでティアーナが呆れたように呟く。
 「詳しく書けねーだろ、一般書簡でさ。まあ、そんなのはどーでもいいんだよ。クロン鉱石の出所を突き止めた」
 「ほう」
クラヴィスの口元のひげが僅かに動いた。アルヴィスが続ける。
 「関わっていた有力貴族の確証も取れました。証拠品も確保した。あとは国王陛下に報告して判断を仰ぐだけなのですが…」
彼は言葉を切った。
 「…関わっている有力貴族は、一家だけではなさそうです。場合によっては、サーレにも影響が及ぶ」
 「察するに、隣のマイレ領も入っている、ということでしょう」
イヴァンは思わず父親の顔を見る。
 「親父、知ってたのかよ」
 「知ってはいない。ただ、察してはいた。十年前、あの事件が起きた後にそれとなく調べさせたのだ。森に怪しい荷物を持ちこんだ商人はマイレから来ていた――だが誰かに命じられたともはっきりせず、疑惑のまま確証を掴むには至らなかった。」
言いながら、領主は窓のほうを振り返る。「マイレの港には沢山の船が着く。西側とのやりとりも盛んだが、税収はさほどでもない。税収官吏たちが疑いを抱いては探りを入れていたが、今まで巧くいかなかったと聞く」
 「よくご存知ですね」
 「なぁに、年寄りの噂好きです。近隣の領地の噂ですよ」
再び部屋の中に視線を戻して、彼はアルヴィスのほうに視線を向けた。
 「それでは、これから一掃に入るということですね」
 「ええ。ただ、おそらくもう時間はあまりありません。彼らは既に、こちらの動きを察しています。僕のことも、ご子息のことも、出発前にはマイレの騎士たちに知られていましたから。」
 「乗り込まれる前に何らかの行動を起こす可能性がある、ということですな。では西方騎士団に急いで知らせを送るとしましょう。本来は中央からの通達がなければ動かないが、今の団長は私の昔の仲間だ。レオン」
 「はっ」
 「お客人の滞在の準備を。それから馬を用意させておけ。後ほど、書簡を届けてもらう」
 「分かりました。」
腰を折り、礼をしてレオンは素早く部屋を出て行く。視線を戻し、クラヴィスはアルヴィスのほうに向き直った。
 「サーレ領として出来ることは、国境の警備とマイレ領の監視くらいです。動かせる兵の数には限りますので――」
 「それで十分です」
と、アルヴィス。
 「明日、馬を貸していただけますか。街道沿いに王都を目指します」 
 「かしこまりました。それも手配いたしましょう」
慇懃に言って、クラヴィスも腰を折った。そんな父の姿を見るのは、イヴァンには初めてだった。というよりも、領主としての仕事を見たことが無かったのかもしれない。
 会見は、ごく僅かな時間で終わった。
 執務室を出た途端、イヴァンたちは廊下で待ち受けていた人々に取り囲まれた。
 「イヴァン様、お帰りなさい! いつまでいるんですか?」
 「すごい格好ですね。しばらくお風呂入ってないんですか?! あ、いまお湯沸かしてますから…」
 「お友達の方? 学校の? あ、でも男子校なんですよね。女の人もいるし…」
 「こら、皆」
慌ててレオンが駆けて来る。「後にして下さい。明日まではこちらに滞在されるので」
 「えー、明日までなんですか」
あからさまに不満の声が上がる。
 「今はまだ用事の最中で、お忙しいんだ。あとで旦那様からも大事なお話がある。さあ、持ち場に戻って」
人々を散らしてひとつ溜息をついてから、レオンは、三人のほうに向き直った。
 「申し訳ございません、田舎の館なものですから…」
 「いえ、気にしないで下さい。賑やかでいいですね」
 「うちはそれだけが取り得だから。」
イヴァンはにやりと笑う。「アルん家とは正反対だな。」
 「そうだね。うちは、どっちかっていうと静か過ぎるから。」
召使いが一人、ぱたぱたとかけて来てレオンに何か囁く。頷いて、彼は向き直った。
 「湯の用意出来たようです。まずは身支度を整えていただきましょうか。」
一瞬もティアーナの表情が明るくなったのをイヴァンは見逃さなかった。森の中で野宿しつつの行軍もようやく終わり、彼女にとっては、苦いなものだらけの生活からようやく解放されるのだ。たとえ辺境の館でも、深い森の中よりはずっと好ましいに違いなかった。



 ゆっくりと浴場で汚れを落とし、着替えを終えて出てきてみると、どこかから女性たちの騒がしい声が響いてくる。
 「ほんとにー?! いいなあ、王都って行ったことないのー。行ってみたいなぁ」
 「あ、でもいいことばっかりじゃないのよ。人は多いし…」
ティアーナの声だ。それに屋敷の小間使いの少女たち。そっと廊下の奥の客間をのぞいてみると、ティアーナを囲んで少女たちがはしゃいでいた。
 「ね、うちの若様とはどういう関係なの?」
 「うーん、強いて言えば友達…なのかしら。」
 「ほんとに? …そっかー、せっかく綺麗な人と一緒にいるのに、だめねぇ」
 「何がだよ」
 「きゃあっ」
突然柱の影から現われたイヴァンに、少女たちは口元を抑え、あるいは悲鳴を上げて飛び上がり、それと同時に笑い出す。全く忙しない。苦笑しながら、彼は部屋の中に入って行った。
 「見た目で騙されるなよ、こいつめちゃくちゃ強いんだからな。俺なんていっつもボコボコにされてんだ」
 「えーっ、ほんとですかぁ」
 「イヴァン様、女の子に負けちゃったの? やだあ」
 「うっせえ! これから強くなるんだよ! お喋りしてると、またレオンに怒られるぞ。後にしろ」
 「はーい」
きゃっきゃっとかまびすしく笑いながら、少女たちは駆け去っていく。
 「ったく、あいつら…。って、何だその格好」
 「仕方ないでしょう、貸してくれたのがこれなんです」
ぶっきらぼうに言って、ティアーナはスカートの裾をつまんだ。「こんな服、…家でも着ないです」
 「ふーん。でもまぁ、似合ってるんじゃねえか。その格好なら、あんまりおっかない感じはしないしな。」
 「どういう意味ですか」
 「怒るなよ。」
にやにやしながら、イヴァンは部屋の隅をぐるりと回って反対側まで歩いていった。距離を取っているのは、ティアーナに殴りかかられないように、だ。
 「アルは?」
 「サーレ伯のところです。送り出す書簡の内容について相談に」
 「はー、成る程。」
それなら、二人きりで相談させたほうがよさそうだ。――確信の持てた内容をどこまで書くのか、それは、アルヴィスが決めることだ。
 「どこへ行くんです?」
彼が反対側の扉から出ていこうとしているのに気づいて、ティアーナが声をかける。
 「ああ、ちょっと館を見て回ってくる、会いたい奴もいるし。お前も適当に見て回ってていいぜ、うちは適当だから。」
 「適当、って――」
廊下に出て、裏庭へと続く石段を駆け下りる。
 「あ、イヴァン様」
桶を抱えた下働きの少年とすれ違う。
 「ルナールは?」
 「厩のほうだと思います。さっき見かけました」
 「そっか。行ってみる」
戻ってきてから、ルナールの姿は一度も見ていない。久し振りに会って、話がしたかった。
 厩に行ってみると、ちょうど厩番のラスとルナールが、何か話しながら馬の手入れをしているところだった。イヴァンが近づいていくと、二人はすぐに気づいて振り返った。
 「イヴァン様!」
 「様子を見に来たんだ。…二人で何してるんだ?」
そう聞いたのは、こんな時間だというのに馬具をつけてこれから引き出されるのを待つばかりの馬が用意されていたからだ。
 「レオン兄さんが用事で出かけるらしくて、その準備」
 「ああ、…あの件か」
西方騎士団の団長に報せを送る、という話だった。
 「イヴァンたちも、明日発つって、本当?」
 「本当だ。今は、詳しい話は出来ないんだけどさ。」
 「そう」
ルナールは、少し表情を曇らせた。「何か、大事な用事があるんだね」
 「心配すんなって。学校が休みになるときには一度帰るつもりだし、また手紙は書くよ」
 「そうだ、あの葉書」
厩番のラスが、明るい声を上げた。「レオンさんに見せてもらったんです! 雪の積もってる…」
 「おー、あれ、ちゃんと届いたんだ」
 「ええ。北のほうに行かれたんですね? あんな沢山の雪なんて見たこと無いから、みんな大喜びで。」
 「クローナから送ったんだ。北の果ての都。友達の住んでるとこだ」
 「……。」
何かいいかけて、ルナールは止めた。ややあって、再び口を開く。
 「イヴァン、おれ、正式に森番に就くことになった。これから家を建てるんだ」
 「家――森に?」
 「元の村のあったとこからちょっと手前かな。旦那様にはもう許可を貰った。だから、次に戻ってくる時には森のほうに住んでると思う。ここじゃなく」
少し驚いたものの、イヴァンは、すぐに頬を緩めた。ルナールの考えていることが判ったからだ。
 「――そっか。森に帰るんだな」
 「うん。イヴァンが帰ってくるときまで森を守る。だから、…」
 「分かってるよ」
ぽんと少年の肩を叩いて、イヴァンは笑った。「必ず戻ってくるから。お前はずっと、俺の親友だ」
 ルナールは何も言わず、顔を伏せた。
 以前なら、お互いのことは何でも知っていたし、何でも忌憚なく話せた。けれど今は、それが出来ない。
 お互いに分かっていた。何も知らず、何も負う物のなかった子供時代は過ぎ去りつつあり、もはや歩を並べて歩くことは叶わなくなったのだということが。



 中庭の訓練場には誰もおらず、がらんとしていたが、ついさっきまで兵士たちが訓練していたような熱気の残り香がある。
 近くのベンチに上着を置くと、イヴァンは大きく伸びをしてから剣を抜いた。建物の間を差し込んでくる光に、右手の剣だけが輝く。左手の、フィーに貰った漆黒の剣は、金属のはずなのに不思議と光を反射せず、まるで煤で塗りつぶしたようだ。
 普通の鋼よりも軽く、それでいて鋼よりも硬い。
 構えを取り、彼は、ゆっくりとした動作で両手の剣を架空の敵の攻撃を受け流すようにひらめかせる。ティアーナはいつも、先回りして鋭い攻撃を次から次へと叩き込んでくる。一本しかない剣で、二本の剣をいとも簡単にあしらう。彼女の強さは機転と、正確な突きにあった。まともに突きを受け流していては攻撃に移ることが出来ない。かといって、避けるにはあまりにも強烈過ぎる。
 (多分、受け流しながら攻撃に移ればいいんだよな)
体に染み付いた攻撃を思いなぞりながら左手を動かす。
 (左手はいつも受け流すばっかりだから…役割は分けないほうがいいのかな?)
背後に気配を感じて、イヴァンはふと顔を上げた。そして、意外な人物の姿をそこに見つけた。
 「…親父」
 「戻って来たばかりだというのに訓練か。熱心なことだな」
そう言って、ぽかんとしているイヴァンの顔を見た。「どうした。何を鳩が豆鉄砲食らったような顔をしている」
 「あー、いや…親父がここに来るなんて、珍しいなって」
ここで父の姿を見るのは十年ぶりくらい――物心ついてすぐの頃いらいか。森の事件があって以降、訓練場にいるところを見たためしはない。兵士たちの訓練でさえ、レオンや他の誰かに任せていたはずなのに。
 「少し相手をしてみたくてな」
驚いたことに、クラヴィスは自分の剣を提げていた。「どうだ」
 「いいけど…」
イヴァンは、父が着ているガウンを脱いで剣を抜くのを信じられない気持ちで眺めていた。
 「いくぞ」
互いの剣の先を軽くあわせて、一呼吸。十年もの空白を感じさせない鋭い一閃が繰り出される。打ち合わされる鋼の音が心地よい。クラヴィスの眼は、真剣に打ち返してくるイヴァンのほうをじっと見据えている。互いに一言も発しなかった。その必要も、また、その隙もなかった。刃の鳴る音が全てを物語っていた。
 どのくらい、そうしていただろう。
 ふいにクラヴィスは剣を引いた。玉のような汗が額を流れ落ちている。
 「強くなったな」
イヴァンのほうも同じだ。汗を拭い、彼は答える。
 「まだまだだよ。――つか、親父に相手してもらったのって初めてだな」
 「そうだったか?」
 「俺が剣持つようになった頃は、もう親父ここに来てなかった。剣術の練習なんてしなくていいって、いつも言ってたし」
 「ああ…そうか。」
クラヴィスは、自分の手元に視線を落とし、それから、再びイヴァンのほうを見た。
 「イヴァン」
 「ん?」
上着を拾いに行こうとしていた彼の目の前に、剣が鞘ごと投げて寄越される。彼は危うく取り落としそうになりながら、すんでのところでそれを受け止めた。
 「わっ、と。何だよ、これ」
 「持って行け。」
それだけ言って、背を向けかける。イヴァンは慌てた。
 「いや待て、持ってけって、これ親父の…」
 「その昔、先代王に賜ったものでな、わしが若い頃に使っていた」
 「は?! それ、大事なもんなんじゃ」
 「大事だとも。だから絶対に無くすんじゃない」
至極真面目な顔で言ってから、クラヴィスは少し表情を緩めた。
 「…今のお前なら、そいつを使っても遜色あるまい」
引き出してみると、それは白銀色の刃を持つ、美しい刀身の真っ直ぐな剣だった。通常の剣にしては少し短く、だが刃の厚さはさほどでもない。柄に近い刃の表面には、サーレ伯領の紋章がうっすらと刻み込まれている。長いこと使われていなかったわりには良く手入れされていて、錆も刃毀れも一切ない。 
 「右手用か。」
軽く振って、握りごこちを確かめる。かなりの業物のようだ。今まで使っていたものとは雰囲気が全然違う。
 顔を上げた時には、クラヴィスはもう、ガウンを拾い上げて去っていこうとしているところだった。姿が見えなくなるまで、イヴァンはずっと、その背中を見つめていた。



 部屋のある塔へと続く渡り廊下に差し掛かったところで、イヴァンは、窓から食い入るように外の景色を眺めているアルヴィスに気づいた。
 「何か見えるのか?」
 「あ、イヴァン。…今日、僕らが辿ってきた道を見ていたんだ」
窓の外には、草原の向こうに切り立った険しい山脈が見えている。
 「山の切れ間だから、あのへんだな。通ってきたのは。――ずっと見てたのに、あっち側には全然行ったこと無かった」
 「こうしてみると意外と近くだよね。歩いてくるのは、あんなに苦労したのに」
小さく笑って、彼は西からの光に目を細めた。
 「親父とは何を話してたんだ」
 「これからのこと。それと、君がどうしてたか何度も聞かれたよ。役に立ってたのか、とか」
 「…へえ」
それで、なのか。わざわざ訓練場までやって来たのは。
 「スヴェイン王子のことは、まだ?」
 「言わなかった。でも、疑惑のかかっている旧貴族たちの名前は全て教えた。西方騎士団の守備範囲内に三家、北方に二家、東方に二家。残りは全て中央だ。…王都周辺には旧家が多い。領地も狭いけどね」
彼は、無意識になのか、服の上から胸の辺りで何かを掴んでいる。首の辺りに細い鎖が見えた。何か、首にかけたものに触れているのだ。今すぐにも馬を走らせたいもどかしさが、その表情には表れている。
 イヴァンは、そっとその場を離れた。今は、一人にしておこう。
 歩き去ろうとした窓の外を、馬に乗ったレオンが駆けていくのが見えた。東の方角へ。主に託された書簡を持って、これから夜を継ぐ伝令の旅に出るのだ。


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