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 ぱちぱちと木がはねて、火が揺らめく。
 森に入って何日目か。追撃者たちは途中から姿が見えなくなり、この数日は姿を見かけることもない。完全に諦めたのか、先回りするつもりなのかは分からない。いずれにせよ、明日には国境となっている渓谷の近くに出るはずだとエギルは言う。
 「灰色の谷、そう呼んでいる。鳥にしか越えられない谷だ。」
 「吊り橋があるらしいが、それは知らないのか」
エギルは首を振った。「一度だけだ。ずっと昔に行ったことはある」
 「渓谷沿いに行けば、おそらく見つかるとは思いますが…」
ティアーナは不安げだ。「まさか、橋が落とされていたりはしないでしょうね」
 「流石にそれはしねーだろ。あいつらだって困るだろうし。てか、ほんとに広いなこの森は」
森に馴れているイヴァンでもそう思うほどだ。彼は、ブーツを脱いで足の豆を確かめている。「森と山の国、っつーのは確かだな。」
 「お前たちの国は違うのか」
 「森も山もあるけど、ほとんどは平原。そこに人の住む町があって、街道で繋がってる。落ち着いたら、招待したいな。こっち側の問題が片付いたらだけどね」
 「鉱山と港の面倒くさい連中を片付けたらな。」
言って、イヴァンはにやりと笑う。火をかき回していたティアーナが手を止めて、ふとリンドの青年の顔を見る。
 「そういえば、あなた、ずいぶん私たちに良くしてくれたわね。どうしてなの? 私たちの言葉も流暢だし…」
 「同じように森の外から来た人間を案内したことがある。その人間に少し似ていた」
そう言って、彼は少し口元を緩めた。「ずっと昔の話だ。」
 それから、するりと立ち上がった。
 「周りを確認してくる。」
長い尻尾を揺らし、彼は暗がりの落ちる森の中へ迷わずに消えていく。夜目が効くというのは、こんな時は便利だ。
 視線を戻すと、アルヴィスは手帳を開いていた。
 「日が暮れる前に山が見えた。先生の地図に書かれてる目印の山だとすると、ここから真っ直ぐ東へ向かえば吊り橋のはずだよ」
 「では、エギルの言うとおり明日にはアストゥール側へ渡れますね」
 「そのはずだ。」
 「…サーレか」
吊り橋を渡れば、すぐそこが国境の辺境伯領。イヴァンの慣れ親しんだ領域になる。何だか、かえって実感が沸かなかった。
 「追っ手は、来ませんでしたね。もっとしつこいかと思っていたのですが」
 「それなんだけど、少し考えていたんだ。」
アルヴィスは、荷物の中から、港を偵察に行ったときに回収してきた火筒を取り出す。
 「この武器の使い方と特性。――数日前、雨が降っただろ?」
 「ええ」
 「おそらく、この武器は雨が降ると使えなくなる」
 「へ? どういうことだ」
 「少し調べてみたんだ。この筒みたいな武器は、クロン鉱石に熱を加えて爆発的な力を生み出し、その圧力で金属弾を打ち出すものだ」
そう言って、彼は筒を誰もいない方向に向かって構えて見せる。
 「いわば吹き矢の強力版、ってとこかな。ここの隙間から粉末にした鉱石片を入れて、ここで火をつける。射出用の弾はここに仕込んである。分かるよね? 使うためには、いちいちここを空けて鉱石片を追加しないといけないんだ。雨が降っていれば隙間から水が入って、クロン鉱石が液状化してしまう。雨の日には使えない」
 「おー、成る程…」
 「そういう仕組みだったんですね。さすがです、アル」
 「しかもこれ、連射できないんだよ。毎回、弾と燃料を補充しないといけないから。射程距離もおそらくそんなに長くはない。精度もね。実用という意味なら熟練した射手を越えられるものにはなっていない」
筒を下ろした彼の表情は、しかし、語る言葉とは裏腹に厳しい。「――ただ、近接武器としての威力は圧倒的だ。王都で見た、イヴァンの砕かれた剣」
 「ああ。…そうだな、剣を一撃で砕くなんてのは、矢じゃムリだ」
 「この武器は、むしろ近くで使われることが厄介なものかもしれない」
手元を見つめたまま、アルヴィスは低い声で言った。
 「量産できるなら、これらは熟練の騎士でも確実に殺せる武器になりうる。連射できない以上は一撃必殺の武器でしかないけどね。それに、投擲する爆弾のような武器もあった。あれは危険なものだ。たぶん…このまま行けば、戦争のあり方が一変する」
 「一変する? それは」
 「いずれ、"騎士"や"剣士"が役に立たない時代が来ると言うこと。熟練した兵士も必要ない、そんな時代」
 「――……。」
イヴァンも、ティアーナも絶句していた。アルヴィスの言いたいことの全てが分かっているとは思えない。ただ、『"騎士"や"剣士"が役に立たない時代が来る』という言葉は、ずしりと心の中に重たくのしかかった。
 「で、でも、アストゥールに戻って兵を送って、こちらのクロン鉱石の鉱山を閉鎖させれば、もうこの武器は作られなくなるはずですよね」
慌ててティアーナが言う。「本来、取引は禁止されているんです。私たちの使命が果たされればもう、心配は無くなるはずでしょう?」
 「当面はね」
曖昧に言って、アルヴィスは口を閉ざす。火が揺れる。
 エギルが戻って来た。
 「周囲に怪しいところは無かった。――お前たち、どうかしたか?」
 「いや。何でもないよ」
元の場所に座って火をかき回し始めた獣人の青年の横顔に、濃い陰影が現われる。掘りの深い顔立ちと鋭い瞳は、どこかヤマネコを思わせる。色鮮やかな、房飾りのついた帽子の下から伸びるごわごわした髪の毛や大きな耳もそう思わせる一因だろう。
 「エギル。あんたとも、明日で一度お別れだな。寂しくなる」
エギルは、ちょっと肩をすくめた。
 「また会える。『オーヴェルル』、――風がそう導けば」
 「それはリンドの言葉?」
 「そう。緑の友、風が運ぶ。花の種を運ぶように。お前たちがあのよそ者たちをお前たちの国へ連れ戻してくれるのを待っている」
 「必ずそうする。クロン鉱石の採掘は止めさせる。ただ、森はすぐには元に戻らないかもしれないけど…」
 「問題ない」
彼はそっけなく言った。「時間はかかっても、森は必ず元に戻る。火事があっても、土砂崩れがあっても。十年は森の一眠りの間。百年は一週間」
 「……。」
 「明日には、お別れだ。」
火がはねて、暗い夜が迫ってくる。枯れた落ち葉の上で、木々の根元に眠るのもこれが最後。
 イヴァンは、木の葉の間から見える星空を見上げた。
 いつしか、そこから見える星座は、彼の良く知るものに変わっていた。



 最初に見えたのは灰色の岩壁。それから間もなくして、どこからともなく轟くような水の流れる音が耳に届いた。先を歩いていたエギルが振り返って指さす。
 「あれが、灰色の谷。お前たちの国はあっち側だろう?」
 「そう。パレアル渓谷だ」
イヴァンは頷いて、辺りを見回した。「うちの館から見えてた山脈もある。たぶん、そう遠くない。ここからなら道は分かる」
 「では、案内はここまでだな」
言って、エギルはもと来た道のほうへ歩き出す。
 「エギル! ありがとう」
 「本当にありがとう。約束は守るわ」
 「……ああ」
長い尾をゆらりゆらりとくねらせながら去っていく背は、あっというまに森の中へと消えた。
 「さて。ここからか。イヴァン?」
 「ああ。もう少し、川下のほうかな。橋はたぶん、関所のあたりのはずだし――おっ」
目を凝らしていた彼は、小さく声を上げて崖沿いに駆け出した。
 「多分あれだ! ほら」
 「本当だ」
ほんの目と鼻の先のあたりに、切り立った崖の上に張り渡された、ほとんど糸のようにしか見えない橋らしきものが見えている。大きくたわんで、今にも落ちてしまいそうだ。
 「あんなところに…。随分、近かったんだ」
 「でも、あれを渡るんですか? 渡れるんでしょうか…」
 「馬は無理だろうな」
と、イヴァンは苦笑する。遠目に見ても、とても馬のような繊細な生き物が渡れる橋ではない。それどころか、体格のいい人間が渡るだけでもひどく揺れそうだ。
 (けど、…そうか。国境…、サーレはエギルたちの森と繋がってるんだ)
子供のころから当たり前のように、ずっと眺めていた国境の渓谷と山脈。それが何を意味していたのか、彼は今更のように思い知った。
 国境があるということは、そこを越えれば別の国だということ。
 知らない世界へ続く道は、すぐそこに、常に目の前にあった――ただ、誰もそこを敢えて越えてみようとはしていなかった。まるで世界の果てのように思ってた。
 それが間違いだったことを、今は知っている。


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