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 エギルと名乗った青年を連れて元の川べりに戻ったとき、真っ先に食って掛かってきたのはティアーナだった。
 「戻りが遅いから、探しに行こうかと思ってたんです。」
言いながら、ちらりとエギルのほうを見る。「あまり遠くへ行かないでって言ったのに」
 「いや? 遠くには行ってないと思うぞ。」
 「ティアは心配してたんだよ。無事でよかった」
心なしか、アルヴィスのほうもほっとした表情になっている。「それで――その人がリンドなの?」
 「ああ。エギルっていうらしい。もう一人ちっさいのがいたけど、そっちはどっか行っちまった」
 「妹、エルルだ」
ぶっきらぼうな口調で、獣人は答える。「先に村に帰らせた」
 「村? この近くに村があるんですか」
 「お前たちには教えない」
むっとした口調で言う。
 「おれはお前たちを森から帰らせるために来た。よそ者にウロつかれたくない」
 「つれないな。ま、こっちも目的が果たせれば帰れるんだ」
イヴァンは、エギルの警戒した態度を気にした様子もなく、そこらの木の葉を集めて積み上げている。
 「…何してる」
 「いや、火を起こそうかと。村には連れてってくれなさそうだし、今夜はここで野宿かなって」
 「……。」
エギルは、何か言いたげな顔をして見下ろしている。
 「話、続けててくれていいぜ。アル、俺らが探してるもののこと説明してやってくれよ」
 「ああ、そうだね。…エギル、僕らはクロン鉱石というものを探してる。黄色い色をしていて、水をかけると溶ける。火をつけると燃えて、少し嫌な臭いがする。そういうものを掘り出してる人間を見たことは? 僕らと同じような姿の人間が、こっちに来ているはずなんだ」
 「見たことは、ある」
男は、言ってアルヴィスとティアーナを見比べた。
 「お前たちは、そいつらの敵だという話だ。見つけてどうする? 数は多い。捕まえられると思えない」
 「もちろん私たちだけで捕まえるわけではありません」
と、ティアーナ。
 「彼らがこちらでどのくらい入り込んでいるのか、どこで活動しているのかを知りたいんです。それを王国に知らせます」
 「敵情視察、か」
 「そういうことです。」
案内役の男は納得したように頷いた。「あいつらを連れて帰ってもらえるならうれしい」
 「何か問題が?」 
 「森を荒らす。"燃える石"の出るところでは木は枯れる。取引している村もあるが、おれたちのところは拒否している」
 「リンドの村は幾つもあるのか」
 「この辺りだけでも四つ。そのうちの一つは、完全に"堕落"してしまった」
そう言って、エギルは小さく首を振った。「酒のために森を売った。あそこの森はもうだめだ」
 「……。」
 「よし、火が起きたぞ」
唐突に聞こえた明るい声に、三人は振り返った。イヴァンは地面に腹ばいになって、枯葉の間に息を吹き込んでいる。
 「相変わらず、器用ですね…あなた。どこで覚えたんですか、こんなこと」
 「森の村によく遊びに行ってたから、そこでさ。そこの木の枝取って。そう、それ。」
もくもくと煙が立ち上っている。大きくなった火を前に、イヴァンは荷物の中から鍋と器を取り出す。
 「エギル、あんたも飯食っていくよな?」
 「いや、自分の食料はある…」
 「それは取っとけって。一緒に食ってけよ。その代わり、道案内頼む」
半ば強引に約束させて、彼は石で作った即席のかまどで鍋を火にかける。アルヴィスやティアーナはただ見ているだけだ。ほとんど手を出す暇が無い。アルヴィスは、困惑している様子のエギルを見上げた。
 「こっちへ来て座って。リンドのことを聞かせてほしい。アストゥールの言葉を話せるのは、君だけ?」
 「うちの村ではそうだ。ほかも、少しは話せるかもしれないが。」
口調はぶっきらぼうだが、最初の頃の警戒は解けている。「言葉は、港で覚えた」
 「港?」
 「海の辺りにある。お前たち、よその人間が作っている港。少しの間そこで働いていたことがある」
エギルは、手元に視線を落とした。
 「最初は分からなかった。ただの迷い込んできたよそ者だと思っていた。あいつらが、山を掘り起こし始めるまでは…」
 「山? そこで鉱石を掘ってるのか」
 「やめさせようとした。でも、あいつらのほうが数が多かった。いつの間にか…人数が増えて」
アルヴィスとティアーナは顔を見合わせる。
 「今、どのくらいいるんです?」
 「百人くらいはいる。山のあたりに柵を作って囲んでいる。武器もある。森に入ってくることは滅多にないが…」
 「それで見回りをしてたのか」
鍋の中身をかき回しながらイヴァンが言う。「それに、あの罠も。入り込んできた奴は片っ端から叩き返してるのか」
 「殺せば、…戦争になる」
低い声で言って、エギルは居心地が悪そうに少し体をずらした。「奴らは森に火をつけようとしたこともある。」
 「そんなことになってたのか」
どうやら西側での状況は、考えていたよりずっと深刻なようだった。



 翌日は、日が昇るのと同時に動き始めた。先頭を歩くのはエギル。ティアーナとアルヴィスが続き、最後尾がイヴァンだ。木々が鬱蒼しているせいで空は見えないが、いい天気のようだ。
 「"燃える石"が掘り出されてる山は、ここから遠い?」 
 「遠くは無い。今日中には着く」
先を行く、リンドの青年の長い尾が揺れている。「見たければ、見える場所はある」
 「見える場所?」
 「こっちだ」
岩を乗り越えたところで足を止め、エギルは、方向を変えた。眩しい光が木立の間から差し込んでいる。目の前には切り立った崖があり、向こう側には深く切れ込んだ渓谷がある。上り坂の道だと思っていたが、いつのまにか、こんなに高いところまで登って来ていたのだ。
 「こっちが、リンドの森。――あっちが、お前たちと同じ人間のいる場所だ」
そう言って、彼は渓谷の向こう側に広がる赤茶けた大地に指を向けた。ひと目見ただけで分かるくらい風景が二分されている。渓谷を境にして、全く異なる風景が広がっている。こちら側は豊かな緑に覆われているのに、エギルの指した方角は、ほとんど草木の生えていないむき出しの大地なのだ。それも、昔からではなさそうだ。最近になって木々が枯れ果てたように見え、渓谷の水は黄色く濁っている。
 アルヴィスは表情を曇らせた。
 「…水が汚染されている」
手を翳したイヴァンは、鼻をひくつかせる。
 「それに、この臭い」
忘れるはずもない。それは、二度の体験で記憶の中に染み付いた、クロン鉱石の忌まわしい臭いだ。
 そこから先の道は下り坂になった。渓谷に向かって降りていこうとしているのが、水音の近づく気配で分かる。先頭を行くエギルの足取りはそれまでよりも 慎重になり、歩みは遅くなっている。彼は何も言わないが、漂う緊張が、これまでに聞いた内容を裏付けていた。
 「…臭いが近づいて来る」
最後尾のイヴァンが呟く。
 「ああ。僕にも分かる」
渓谷の岩壁は黄色く変色し、水が黄土色に濁っているのが分かる。混じっているのは、ただの土砂ではない。水辺の草木が立ち枯れ、苔すらも生えていないのがその証拠だ。
 「…クロン鉱石の汚染。記録でしか見たことが無いけど、予想以上だ。」
 「パレアル渓谷の水は、こんな色じゃない。この川と国境の谷は、途中で繋がってるわけじゃなさそうだな」
 「もしくは、汚染源より上流で分岐しているかだね。」
アルヴィスは、足を滑らせないよう慎重に周囲の枝などを掴みながら、谷底の水に視線を向けている。
 「ここの下流はずっとこんな状態なんだろうか。だとしたら、汚染による森の壊死の範囲は――」
半ば独り言のように呟きながら歩いていた彼は、はっとして足を止めた。
 「エギル、あれは?」
 「ん」
指差す方向に視線を向けた森の民の青年は、ああ、と、言った。アルヴィスが見ている先には、白い花の咲く広場が見えている。
 「あれはエクルだ。この辺りにはよく咲く花だが」
 「エクルの花―― それって、アルが王都で植えていた?」
 「うん、クローナの温室にも沢山咲いてる。先生の好きな花だ」
近づいてみると、それは確かに、見覚えのある花だった。一つの株に白いつぼみが幾つもついて、いい匂いを漂わせている。周囲の木々に元気がないのに比べ、この花だけは普段と変わり無い顔をして咲いている。
 「荒地に強い花なんでしょうか」
 「というより、クロン鉱石の汚染に…かな。ほかの木はみんな弱ってるのに」
花をひっくり返し、葉を調べる。「でも、間違いない。僕の知ってるエクルの花と一緒だ。先生は、ここまで来ていたんだ…」それは小さな発見であると同時に、奇妙な符合でもあった。
 再び歩き出すと、一行は渓谷の底に辿り着いていた。強烈な臭いが谷全体にわだかまっている。死の水辺には生き物の気配はなく、石は変色して黄色い糟のよ うなものが隙間にこびりついている。
 「ここを渡る。渡れる場所はここしかない」
そう言って、エギルは身軽に石の上に足をかけた。アルヴィスは、ちらりと水の中に視線をやる。足を滑らせて水の中に落ちたら、死にはしないだろうが、ひどい臭いがつきそうだ。
 苦労して川を渡り終えた頃には、もう日は傾き始めていた。しかしエギルは、そのほうがいいのだと言い張った。
 「こちら側は隠れるところ少ない。暗いほうがいい。お前たちは夜目がきかない」
 「見つかりたくない、ってことか」
 「この先の村の奴ら、リンドを見ると攻撃してくる。――良くない連中だ」
そう言ってエギルは弓を取る。いつでも撃てるように、ということだ。木も草もない、荒れ果てた土の上を、四人はそろそろと人影に気を使いながら歩いていく。やがて行く手に、仮ごしらえのような木の柵が見えてきた。薪を燃やすための台が作られ、見張り台のようなものもある。その向こうには、テントのようなものが張られた集落が出来ている。
 「あれが、クロン鉱石の採掘場かな」
 「だと思う。…にしても酷い臭いだな。よくこんなところで働ける」
臭いは、石のせいだけとは思えなかった。生ゴミや、排泄物のような臭い。集落の中がどのような状況になっているかは、この臭いだけで想像がつく。あまり近づきたくない場所だ。
 「ここの石は、どうやって港まで運ばれているんだろう」
 「担いで運んでいるのを見たことがある」
と、エギル。彼も口元を押さえている。
 「港の場所は?」
 「分かる。」
 「そっちを調べたほうが良さそうだな。――案内してもらえないかな?」
アルヴィスが言うと、エギルは少し戸惑ったような顔になった。 
 「…駄目なのか」
 「いや、…出来なくは無い、が」
彼は、なぜか今更のように、興味深そうな顔でアルヴィスのほうを見やる。「お前たちは、あの港から来たのではないのか」
 「船には乗ってきたけど、別の場所で降りた。その港にいる人たちとも、たぶん、敵同士だから。」
 「そう、ここに来る途中で襲われたりもしたんだぜ。」
 「なるほど…」
妙に納得した様子で呟き、エギルは弓を肩にかけた。「…港のあたりは、隣村の領地。長に会わなければならない。挨拶行く。いいな」
 「そちらに任せるよ」
リンドの青年は頷いて、腰を低くしたまま元来たのとは別の方角に向けて歩き出した。イヴァンたちも後を追う。目的地があまり遠くないといいのだが、と思いながら。



 エギルに連れて行かれたのは、再び森の中に入った奥にある小さな村だった。どこをどう辿ったのかは分からない。思ったより近かったような気もしたが、それはエギルが最短距離をとったお陰だろう。馴れていなければ、同じ道は辿れまい。
 村に入っていくと、入り口いた大人たちが警戒した視線を向けていた。興味津々の子供たちが近づこうとするのを手で押さえ、何かひそひそと話し合っている。無理も無い。彼らの村のすぐ先で、鉱石の採掘のために山が荒らされているのだから。
 村の周囲は森の中で見たのと同じような精巧な石積みの壁に囲まれており、家々の合間には見張り台らしきものがあった。無人ではなく、その上には人の影がある。村の反対側に ある見張り台も同じだ。それに、家々の入り口には弓が――大型の獣でも追うような弓がかけられており、いつでも取り外せるよう、矢筒も短剣も側にかけてある
 「ずいぶんな警戒ぶりね」
見上げたティアーナが呟く。
 「こうなったのは、この十年くらいのことだ」
先頭をゆくエギルが言う。「村どうしの小競り合いは昔からあったが、夜中に攻めてくるようなことはなかった」
 「…ごめんね」
 「お前たちが謝ることではない」
口調はぶっきらぼうだが、最初の頃の警戒は既に薄まっているようだった。「ここの村の長のところに行く。こっちだ」
 ついていくと、村の中心に掘られた井戸のすぐ側に、村の中では珍しい二階建ての建物があった。家も、土台の部分だけは石で作られ、屋根には大きな木 の葉を何枚もかぶせてある。小さな簡素な家だが、入り口には鮮やかな色の織物がかけられており、屋根もきちんと手入れされている。エギルは入り口に立っていた人物と言葉を交わすと、二階へ上がるよう客人たちを促した。
 建物の中は、太い木の柱と梁で支えられていた。部屋と部屋の間は布で仕切られ、花とも果物ともつかない香りが漂っている。主らしき人物は、窓 辺に置いた椅子の上に座っていた。長い尾には重たそうな木彫りの輪がいくつもつけられ、丸い大きな耳の先にも鈴のような飾りが垂れ下がっている。
 エギルは椅子の前に立つと、何か言って腰を曲げた。見よう見真似に、イヴァンたちも同じことをする。
 老人は、ちらりと三人のほうを見、それからエギルと何か話し始めた。彼ら本来の言葉なのだろう。イヴァンたちには何を言っているのかはさっぱり分からない。
 ややあって、エギルが振り返った。
 「港へ行ってどうするのか、と聞かれてる」
 「船がどこから来ているのか調べたいんです」
と、アルヴィス。「僕らの国のどこから来ているのか。ここから運び出されたクロン鉱石――"燃える石"が、確かにその船に乗せられていることを確認したい。そうすれば、国に帰った時に、船の到着する先で待ち構えて捕まえられる」
 「捕まえて、どうする」
 「裁判にかけることになる。石の持ちこみは、国では禁じられている。領地の没収、最悪なら監禁刑になると思う。」
 「……。」
エギルは再び、老人に何か説明を始めた。老人は小さく何度も頷いて、ちらりちらりとこちらを見ている。
 しばらくして、話し合いが終わった。
 「長は、お前たちを信用してもいいと言っている。明日、港まで案内する。」
 「助かるよ」
ほっとした顔になって、アルヴィスは長に向かってお辞儀した。「ありがとうございます」
 「今夜は泊めてもらえるそうだ。この家に泊まれ」
 「じゃあ、今夜は野宿しなくてすむんですね」
テイアーナは嬉しそうだ。「久し振りに屋根のあるところで休めます」
 「うん。良かった」
もう、日は暮れてずいぶん時間が経っている。さっきまで外で騒いでいた子供たちの姿はいつのまにか消え、村に見える明かりは、家々から漏れる僅かな光と、見張り台に燃えている篝火だけだ。
 「寝床はこっちだが――」 
 「俺は少し外を見てみたい。」
と、イヴァン。
 「構わないが、歩き回るのは村人が嫌がる」
 「遠くに行きたいわけじゃない。ちょっとな、空でも見上げたいだけだ。何なら一緒に来いよ」
怪訝そうな顔をしたものの、エギルは黙ってイヴァンの後に続いた。家の外に出ると、イヴァンは階段の踊り場で大きく体を伸ばした。
 「いい風だ。やっぱ海より森のほうがいいなぁ」
 「お前は、森育ちなのか」
 「まぁそんなとこだな。あっちの二人は大きな町で暮らしてたみたいだから、こういうとこは苦手なんだろう」
笑って、彼はエギルのほうを振り返った。
 「あんた、俺たちのことを結構あっさり信用してくれたんだな。しかも交渉まで協力してくれてさ。何でだ?」
 「お前たちが、あいつらの敵だと言っていたからだ。利用できるものはする」
 「成る程ね。ま、お互い利害が一致してるなら巧くやれるさ。でも、リンドの村の中には、あっちの連中に味方してるのもいるんだろう?」
そう言うと、エギルの表情は僅かに暗くなった。
 「…堕落した村のことは言いたくない。あいつらは森を売った。森に生きる者でありながら」
 「どうしてなんだ? 酒ったって、酒なんか森でも造れるだろう」
 「よほど美味い…酒らしい。そこの村長がハマッた。男たちはみな酒に手を出した。今削られている、あの山のあたりは、もとはその村の領地だった」
彼は暗い森の、今日歩いてきた方角に視線をやる。「燃える石のことを教えたのも、あいつらだ」
 「武器や果物を売っているのも、そうなのか?」
 「ああ。村はずっと上流のほうに移動した。石を掘り出すために川が汚された。だから、それより上流に」
エギルの口調は憎しみに満ちて、どうしても許せないという深い怒りが感じられた。その気持ちは、イヴァンにも良く良かった。
 「…何とかするよ」
彼は呟いた。
 「俺の森も、昔、あの石のせいで燃やされたんだ。必ず犯人を突き止めてやる。」
 「……。」
何も言わず、エギルは部屋の中に戻っていく。イヴァンは、澄んだ夜空を見上げた。木々に隠されてここ何日か見えていなかった星空が、村の上に、見たことの無い星座を描いて広がっていた。

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