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 厳重な警戒のされた重厚な建物を出ると、明るい日差しとともに外の喧騒が戻ってくる。表通りの雑踏まで戻って来たところで、緊張していたらしいティアーナは、ほっと息をついて肩の力を抜いた。
 「マリッド商会の商会長…油断ならない人です。」
 「ん? そうか?」
彼女はじろりとイヴァンを睨んだ。
 「あなた、良くあんなにずけずけと話が出来ますね」
 「天然だからね、イヴァンは」
笑いながら、アルヴィスのほうも一息ついている。そういえばアルヴィスは、マリッド商会を出てからというもの、ずっと何か考え込んでいる様子で口を閉ざしていた。
 「アル、あの人の言ったことは確かでしょうか」
 「うん。隠していることはあるかもしれないけど、少なくとも口にした言葉は嘘ではないと思う。マリッド商会にあれが持ち込まれたことがあるというのも事実だろう」
 「存在は知っている、と言っていましたしね。」
言ってから、ティアーナははっとした表情になった。「…そういえば、素直に認めていましたね」
 「そこがイヴァンの凄いところさ。こちらからは何も与えることなく、彼から重要な情報を引き出した。」
 「うちとは長い付き合いだからだろ。聞けば教えてくれるさ」
本人は、さも当然だというような顔をしている。
 立ち止まって話している場所は、マジャール商会から何本か通りを進んだところにある長閑な住宅街の中だった。目の前には川があり、子供たちが川べりで賑やかに声を上げて遊んでいた。向かいには民家が見えている。
 「彼が最後にマジャール語で言ったことが気にかかるな」
 「ああ。」
 「私にはマジャール語は分からないんです。二人とも分かったんですか」ティアーナは不満げな顔だ。「イヴァンにも分かるなんて」
 「俺、西方の出身だから、一応少しは…つーかミグリア語とかも多少は分かるんだぞ」
 「意外です」
 「ごめん、僕もちょっと意外だった」
 「お前らなぁー!」
 「ふふ」
笑いあっている様子は、遠くから見ればただの仲の良い少年少女にしか見えないところだ。アルヴィスは、川べりのほうに視線をやりながら顎に手を当てた。
 「マリッド商会が西方と取引していることは確かだ。はっきりとは言わなかったが、海路なのも間違いない。サーレの国境を通った記録の中に武器を持ち込んだ商人はいなかった」
 「マイレのことを言っていた。…マイレ領の港かもしれないな」
 「そうだね。西方で大きな港を持つのはマイレ伯爵領くらいだ。東方ならクラウゼ領…。マジャール人は昔から陸路での交易が得意だ。彼らがほとんど進出していない海路なら、関わりが薄いというのも頷ける」
 「つまり海沿いの領主たちが関わってるってことか?」
 「海沿いは、"旧貴族"が多いからね。」
言ってから、アルヴィスは僅かに表情を曇らせた。
 「――今までクロン鉱石が押収された領地は、ほぼ全て旧貴族の領地だ。そして捜査に非協力的なのも旧貴族領。彼らが関わっていることはおそらく間違いない」
 「なんだそれ。そこまで分かってて、手が出せないのかよ。何でだ?」
 「国王は独裁者ではない。その権威は、貴族たちの承認あってこそだ。確実な証拠もなしに踏み込むことなど出来ない。そして、疑惑を持たれている領地は十数にも及ぶ」
 「十…」
イヴァンは絶句する。「…そりゃ、いっぺんに捜査は出来ない…な」
 「そうだ。もし仮にそのうちの幾つかに強制捜査に入ったとしても、協力している他の領主が証拠隠滅に手を貸すだろう。確実な証拠を掴めないまま特定の領地に騎士団を攻め入らせたとなれば、貴族たちの反感を招き、離反させることになる」アルヴィスは、顔を上げて空に視線をやった。「だから僕らは、確実な証拠を見つけなくてはならない。確実で、絶対に逃げられない証拠を。そして中心人物を捕まえるしかない」
 「……。」

 『それがどんな相手でも、か?』

メネリクの言っていた言葉が蘇ってくる。
 国王の"貴族との不仲"は、単に仲が悪いということ以上の意味を持つのかもしれなかった。



 その日三人は、町外れのそう高くはない宿に部屋をとっていた。扉が叩かれたのは、もう日も暮れようという頃。
 「はい?」
出て行くと、廊下に立っていたのは宿の主人だった。
 「下にお客さんが来てますよ。」
 「お客さん? 誰だ。」
 「はあ…なんでも、マリッド商会からのお使いだとかで」
意外ではなかった。なにしろ相手は、大陸中に情報網を持つ武器商人マジャール人の頭領だ。この町に宿をとるからには、マリッド商会の眼から逃れることなど出来るわけがない。
 「すぐ行くよ。」
振り返ってアルヴィスのほうに頷いて見せてから、イヴァンは部屋を出た。出て行くと、来ていたのは、あのキツネ目の男だった。
 「ここを教えたつもりも、約束した覚えもねーけど」
 「恐れ入ります」
慇懃に頭を下げ、男は意味深な顔をして近づいて来ると、黒い外套の下から小箱を取り出した。
 「我が主人よりこちらをお贈りするように、とのことでした」
差し出されたのは、ビロウド貼りの小箱だ。
 「何だこれ?」
 「お納め下さい。大したものではございません」
そう言いながら、男はわずかに箱の蓋を開く。中に何かきらりと輝くものが見えたのは一瞬。すぐに蓋を閉じて、男はそれを半ば強制的にイヴァンの手に押し付けた。
 「では、私はこれにて」
優雅にお辞儀をして去って行く。わけもわからず、イヴァンは、受け取った箱をそのまま部屋へと持って帰って来た。ちょうどティアーナがアルヴィスの部屋をノックしているところだった。
 「イヴァン、…来客があったようなので様子を見に来たのですが。それは?」
 「なんか、マリッドの使いって言って渡された。中身はよくわからん」
部屋に入って、彼は、寝台の横のテーブルの上で箱を開けてみた。中にはクッションが詰まっていて、その上に豪華な装身具がひとそろい載っている。
 「わ、…首飾りと耳飾り」
 「サレア人の扱ってるやつだな」
と、イヴァン。無造作に手を出しかけて、ティアーナに怒られる。
 「触っちゃダメですよ。これ賄賂じゃないですか」
 「え、…そうなのか」
彼は慌てて手を引っ込めた。「それじゃ返さないと」
 「大丈夫だよ」
アルヴィスは箱の中から宝石に見える一つものを摘み上げ、窓から差し込む光に翳した。「これは贋物だ。」
 「贋物?」
 「箱が誰かに奪われたり、中身を見られた場合を見越してだろうね。何も知らなければ、よくある賄賂だと思うはずだ。たぶん、本命は別にある」
彼は宝石を乗せたクッションの様子を確かめ、指でつまんで引き抜いた。その下から、丸めた紙が転がり出てくる。
 「やっぱり」
 「うおお、これは気がつかねー。巧いこと隠すもんだな」
 「何が書いてあるんですか?」
テイアーナが身を乗り出す。紙に書かれた言葉はどう見ても文字の羅列で、意味を成しているようには見えない。
 「…暗号文だね」
しばらく考え込んでいたアルヴィスは、文章を指でなぞると、すぐに回答を導き出した。「端を読めばいいんだな。ええと…」
言葉が止まり、表情が強張った。
 「ん、どうした」
 「…なんでもない」
彼はとっさに暗号文を握りつぶした。その表情が青ざめている。イヴァンとティアーナは顔を見合わせた。マリッドが伝えてきたことは何だったのか、――それきり、その手紙の話題が出ることはなく、内容も分からずじまいとなった。

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