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 外に出てみると、ティアーナが上着を脱いで玄関脇の生垣にかけようとしているところだった。きっとした目でイヴァンを見、腰の剣に手をやる。
 「抜きなさい。」
 「え、…え? 何だよ急に」
 「あなたがいかに未熟者か、分からせてあげると言っているんです。だいたい前から気に入らなかったんですよ。あなたみたいな田舎者が、どうして何かの役に立つんです? 兄もアルも、過大評価のしすぎなんですよ」
饒舌にまくしたてるティアーナの姿に、イヴァンはただただ、唖然としているばかりだ。
 「いや、そんなこと言われてもさぁ、それ俺が悪いんじゃ…」
 「黙ってさっさと抜きなさい! 来ないなら、こっちから行きますよ」
言うなり、彼女は本当に剣を抜いた。流れるような所作だ。王都でも一度見てはいるが、無駄のない洗練された動作。それだけでも相手の力量は分かる。そして、この殺気。
 冗談などではない。あの時も、そして今も、ティアーナは一分の冗談も持ち合わせていないのだ。
 「ちっ、何だかわかんねーけどやるしかねぇってことか」
 「ちょっと、二人とも…」
アルヴィスの声も途中で途切れてしまう。剣を抜きかけた瞬間に、ティアーナが打ち込んできたからだ。
 「うぁっと、あっぶねぇ」
数歩跳んで避けたものの、戦っている場所は狭い前庭だ。すぐに背後に壁が迫る。手加減などしようものなら、腕の一本や二本は折られかねない。そのくらいの気合だ。
 両手の剣を構えなおすと、イヴァンは、相手の武器の間合いを計った。武器自体はとりたてて変わったところはない。騎士団でよく使われている、ありふれたサイズだ。それを確かめると、彼は自分から打って出た。右手で攻めると見せかけて、左手から。だが、そんな小手先の技はあっさりと見切られてしまう。流れるようにイヴァンの剣を受け流したティアーナは、返す刀で彼の右手の武器を狙う。
 「おっと」
慌てて後ろへ跳んだ。身長はそう変わらないが、武器がわずかに長いぶん届く範囲は相手のほうが広い。間髪置かず、今度はティアーナのほうから打ってかかる。作法どおりに左手で受けた一撃は、予想以上に重い。
 (こいつ…マジで強い)
内心、舌を巻いた。見た目は華奢なのに、この体の一体何処にこれほどの力があるのだろう。続けざまに繰り出される攻撃に、イヴァンは一歩も前に出ることが出来ず、押されっぱなしだ。
 「くそっ」
ならば、と攻撃を受けるふりをしてかわし、相手が武器を振り切ったところを狙って上段から――
 だが。
 「甘いわね」
 「?!」
何かが足を地面から切り離し、世界がぐるりと回転した。しまった、と思った瞬間にはもう、体は宙を舞っている。
 (これは、ベオルフと同じ技…)
どっ、と背中を打ち付けて、イヴァンは大きく息を吐き出した。一瞬、気が遠くなりかけるが、なんとかもちこたえる。大の字に横たわっていると、目の前の空からアルヴィスの顔が覗きこんだ。
 「だ、大丈夫?」 
 「…ああ、なんとか」
足元のほうを見ると、蔑むような表情のティアーナが立っている。
 「どう? 少しは自分の未熟さが分かったかしら」
 「ふっざけやがって。今のはちょっと――油断しただけ…」
跳ね起きたイヴァンは、剣を手に再びかかっていく。だが、どう足掻いても無駄だった。打ち合うことすら出来ず、即座に追い詰められてしまう。喉元に剣を突きつけられて、降参するしかなかった。
 「ティア、もうそのくらいに」
 「そうですね。肩慣らしにもならない。この程度で本当にアルの護衛が勤まるとでも思ったのかしら」
剣を収めながら、彼女は小さく鼻を鳴らした。「やはり私が行くしかないようですね。」
 「え? ティア――」
 「決めました。しばらく休暇を取ることにします。こんなの一人に任せておけませんから」
 「何だよそれ。つーか、それ言うだけなのに俺を殴る必要あったのかよ!」
 「訓練みたいなものですよ。」
つんとしながら、彼女は言い添えた。「私に相手してもらえて光栄でしょ?」
 「な、…」
だが、成すすべもなく一方的にやられたのは紛れもない事実だ。イヴァンは、ふてくされた顔で黙り込んだ。一方で、アルヴィスのほうはさっきまでの暗い表情が見違えるように明るくなっている。
 「本当に一緒に来てくれるの、ティア」
 「ええ。
 (何だ。結局は、そこなのか)
イヴァンは尻を払いながら立ち上がった。
 さっきはあんなに強がっていたけれど、多分本当は、アルヴィスも不安だったのだ。ティアーナの腕前を信頼していたからこそだろうが。
 (…俺も、もーちょっと強くならないと駄目、か。)
剣を拾い上げながら、彼は手元に視線をやった。考えてみれば、ここのところ学校の勉強のほうばかり必死で、剣術の練習はあまりしていなかった。それなりに使えるほうだとは思っていたが、上には上がいる。
 「じゃ決まりだな。三人で行こうぜ、その西の方とかさ。」
言いがらイヴァンは、ティアーナの表情からも今朝の迷いが消えているのに気づいた。考えて、彼女は結論を出したのだ。
 自分の心に忠実な道を採ろう、と。



 メネリクに呼び出されたのは、その日の午後のことだった。
 招かれたのは、研究室ではなく執務室のほうだ。流石に室内ではすり切れた泥だらけの服ではなく、普段着らしいガウンを羽織っている。椅子に座るのではなく、しゃんと背を伸ばしていると、それだけで不思議と大貴族の家の当主らしい威厳に満ちて見えるから不思議だ。
 「はぁ、全く。やることは山ほどあるというのに、厄介ごとをもちこみおってからに」
ぶつくさ言いながら、引き出しの奥をごそごそかき回している。既に机の上は取り出されたものでいっぱいだ。それだけではない。本棚からは手当たり次第に本が取り出され、部屋の隅のカウチも開けられて、中身が床に零れている。
 「…何をしてるんですか、先生。」
 「見てわからんか、探し物じゃ…おっ。」
茶色く変色した手帳を見つけて、メネリクはやや乱暴にそれを引っ張り出した。手で軽く埃を払い、ページを開いて中身を確かめる。
 「これだこれだ。ほれ、持っていけ」
 差し出されたものを、アルヴィスが受け取る。
 「これは…」
手帳の中には、几帳面な文字でびっしりと図やメモが書き付けられている。
 「わしが若い頃に西の方へ行ったときの調査記録じゃ。」
驚いて、アルヴィスは手帳から顔を上げた。
 「先生、西に行ってたことがあるんですか?」
 「もう三十年も前の話だがな。西だけじゃない。南も東も、大陸中色んなところを冒険したもんだ。」
そう言って、妙に得意げな顔になる。「見たことの無い植物を探してな。新しく名づけた草木は数多成り。」
 「知りませんでした」
ティアーナも初耳のようだ。
 「メネリク様は、てっきり、国内だけだと…でも、何十年も前の話でしょう? 当時は、西側の情報なんて何も無かったはず…」
 「まぁ、な」
老人は、頬をかいた。
 「――ま、じゃから、お前のやろうとしとることを止めやせんわ。ただな、何も考えずに行くだけ行ったところで時間を無駄にするだけだ。大昔の話だが、何もないよりはマシだろう」
 「先生…」
 「ま、余計な説明はするまいよ。お前なら何とかなるだろう。問題は、うまくコトが運んだ後だ。」
メネリクは片手で真っ白な口ひげをひねる。「アルヴィス。お前、クロン鉱石を持ち込んでいる相手を見つけたらどうするつもりだ」
 「もちろん、告発して止めさせるしかないです」
 「それがどんな相手でも、か?」
アルヴィスの表情が、瞬時に硬くなる。
 「…この国において、国王の権限より強いものは無いはずです。」
 「そうだな。アレクシスに報告を上げれば何とでもなる話だ。そしてお前には、それが出来る。だが、一つだけ抜け道がある」
老人は、三人に背を向けて窓のほうに向き直った。「王権の交替だ。万一、国王に何かあれば、代行者が立つ。通常なら二人の王子のいずれかだろう。おそらくは長男のほうだろうが…」
ティアーナが色めき経った。
 「そのために建国祭で陛下が狙われたと?」
 「そこまでは言っとらんよ。ただ、あくまで"可能性"じゃ。今のあやつには、敵が多いからのぅ」
 「税率の引き下げ法案の件…ですか」
と、アルヴィス。
 「税率?」 
 「うん。自治領の税率を変更するための法案さ。イヴァン、自治領って知ってるよね?」
 「当たり前だろ」イヴァンは慌てた。確か、前回の試験で出たはずだ。「領主が"王の家臣"として領地を治める土地と違って、村長とか族長とかが国王みたいになって治めてるとこで、独自の法律とかがあるところ…だろ?」
 「そう。法廷は自分たちで持てるけど、一定以上の規模の軍隊は持てない。輸出入には王国内のほかの場所よりも高い関税がかかる。また、三年に一度王都で開かれる総議会には、必ず代表を送る義務を課せられる」
 「しかしアレクシスは十年前、自治領の税率の引き下げを議会に提案した」
すかさず言葉を挟み、メネリクはそのまま話を続ける。
 「――元々はわしの発案でもあったのだ。この国の貴族たちは、強くなりすぎた。その権勢を削ぐための一歩。税率の違いは自治領の長年の不満の種じゃったし、経済振興に不利だ。わざわざ自治領だけ税率を高く設定する必要も今の時代には無いはずだからな。ところが、領地持ちの貴族たちは猛反発した。自治領にかかる税率が下がると、自領の品が売れなくなるというのだ。交易を収入源とする領主たちは、収入が減ることを恐れたのだ。十年前、暗殺未遂の事件が起きたのは、その議論のための議会が開かれる半年前だった。結果、調査やら何やらで論陣を張る根回しが間に合わず、その件はいったん廃案になった。」
一呼吸ほどの沈黙。
 「アレクシスは何かと貴族どもとぶつかりやすい性格でな。いかんせん真っ直ぐすぎる奴で、根回しというやつが不得意なのだ。貴族党からすれば自治領優遇政策を強引に進める独裁者、自治領側からすれば口約束だけで何もしてくれない無能な為政者、と評価されて、損な役回りになってしまっておる。」
 「……。」
アルヴィスの表情が、わずかに翳った。彼は知っていたのだ。実の父が、他の貴族たちにどのような評価を受けているのかを。
 「でもそれって、王様のせいじゃないだろ?」
 「そうです。陛下は常に国民のことを考えておられます」
 「ま、わしらは身内じゃから、そう思えるがな。ともかく、アレクシスは前回の議会で再びこの話を俎上に載せた。今回は息子二人も味方に回って動いとる。このままいけば、おそらく可決する。」
 「だから――それを邪魔しようと?」
 「その可能性もある、ということだ。だがもし、この推測が当たっているのならば、…"敵"は一人ではないぞ」
 「分かってます」
アルヴィスは、きっぱりと言って顔を上げた。
 「"旧貴族"。その中でもかなりの有力者が関わっているのは確かだと思います。」
 「だから、その者を選んだのか?」
メネリクは、興味深そうな視線をイヴァンに向けた。「イヴァン・サーレ。西の辺境伯の息子じゃったな」
 「え、まぁ…そうですけど」
 「サーレなら、旧貴族と通じることはまず無い。」
 「……。」
イヴァンは、何を言われているのか分からず、一人きょとんしている。
 「それが理由というわけではありません。僕は、個人的に彼を信用しました」
 「そうか。ま、この先に待ち構えとるリスクを承知で行くというのなら、敢えて何も言うまい。ただし」こちらに向き直って、メネリクは、厳しい表情を見せた。「お前がクローナの後継者であることは決して忘れてはならん。どんなことがあっても、その使命を捨てることは許されん。白銀紋章にかけて誓えるか」
 「…誓います」
アルヴィスは答えた。「クローナの名と、"白銀の樹"にかけて」
 「よし。」
厳しかったメネリクの表情が、ゆるりとほどけてゆく。「なら行け。そして無事、ここへ戻って来い。」
 「――ありがとうございます。」
少年は、深々と頭を下げた。それはまるで、別れの儀式のようでもあるとイヴァンは思った。会話の内容は半分ほども理解できなかった。だが、アルヴィスやメネリクが、事件の真相を追うことに命懸けの決意を必要としていることは何となく分かった。彼が突き止めようとしている真実は、一つ間違えばここにいる全員を破滅に追いやるかもしれないほど危険なものなのだ、と。
 執務室を出たところで、アルヴィスが口を開いた。
 「あのさ、…ティアーナ」
一歩先にいたティアーナが振り返る。
 「なんです?」 
 「本当にいいの? 一緒に来るって。ベオルフや、ご両親には…、」
彼女は、ちょっと肩をすくめる。
 「兄に手紙を出しました。アルが危険な任務を続けるみたいだから、しばらくついていきます、って。戻ったら叱られるかもしれませんが、その時はその時です。あなたは私の弟みたいなものなんです。放っておけるわけないでしょう?」
 「随分と怖ぇーお姉ちゃんだな」
すかさず横から余計な口を挟んだイヴァンのほうをじろりと睨むと、ティアーナは手を腰に当てながらきっぱりと言った。
 「イヴァン、いいですか。今のあなたの腕ではこの先の役目に不十分です。しっかり鍛えて上げますから、覚悟してくださいね」
 「お、おう…」
さっさと廊下の向こうに消えていくティアーナの背中を眺めながら、イヴァンは呟いた。
 「なんか、堅苦しさが無くなった気がするな」
 「そうかもね」
くすっと笑って、アルヴィスも歩き出す。「行こう、旅に出る準備しないと。」
 「あーそうだ。なあ、西へ行くのって、船って言ってたっけ? どっから船に乗るんだ」
 「予定では、マイレ領。父さんが手配してくれるはずなんだ。連絡を受け取る場所はもう決まってるから」
 「マイレ…」
それは、サーレ領の隣にある裕福な伯爵領の名だった。大きな港町をいくつも持っている。
 「…なあ、さっき言ってた"旧貴族"って何のことだ?」
 「旧貴族というのは、百年以上前から爵位を持っている家系のことだよ。」
アルヴィスは、相変わらず本でも読んでいるようにすらすらと説明する。「三代前の国王が、目に余る貴族たちの特権階級意識を薄めたくて爵位の大解放を行ったんだ。その結果、多数の新興貴族が生まれた。それ以前から爵位を持っている貴族の中には、旧家であることに誇りを持ちすぎて、新しい貴族は本当の貴族じゃない、って思ってるような派閥があるんだよ」
 「あー…」
イヴァンは、騎士学校でマルティンに「新興貴族め」と言われたことを思い出していた。あの時は意味が分からなかったが、そういうことなのか。
 「一般に、旧貴族は爵位に誇りを持つ反面、新興貴族はあまり爵位に拘らない、という傾向がある。イヴァンのところなんて、まさにそうなんじゃないかな」
 「そうかも。ま、うちなんて今でも開拓民みたいなもんだからな。格だのなんだのこだわったってしょーがないし」言ってから、はたと彼は気づいた。「…っていうか、旧貴族の誰かが関わってるって、どっかの領主が王様の暗殺とか企てたってことか?!」
 「おそらくは」
アルヴイスは声を低めて、廊下の前後に誰もいないことを確かめる。「でも、それは今はまだ誰にも言わないでほしい。誰が敵で誰が味方なのか、今はまだ確証が持てない」
 「ああ…」
アルヴィスと分かれて、自分の部屋のほうに向かって歩き出しながら、イヴァンは、今さらのように大変なことに関わったことを実感し始めていた。

 貴族たちと不仲な国王。
 都合の悪い法案が成立する前に、国王の暗殺を目論む有力貴族の誰か。
 取引の禁じられた鉱石と、それを使った未知の武器。

 (これ、…下手すると内乱になるってことじゃねーか)
ぞっとして、彼は思わず拳を握り締めた。窓の外には、クローナの旧市街を取り囲む高い城壁が見えている。そんなものを必要とした、領主同士が敵対した時代がかつてあった。この国は、その時代へと時計の針を戻そうとしているのか。
 だが自分たちが真相を突き止めて先回りできれば、その流れはきっと止められる。今ならまだ、間に合うはずだ。――そう思いたかった。


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