3_北方の都クローナ



 王都リーデンハイゼルより北へ続く、ローデシア街道。
 大街道のうち南北を貫く一本であり、その道は、かつて使われていた「旧街道」と、新しく作られた真っ直ぐな「大街道」とがほぼ併走するような形で、王都と、第二首都であるクローナとを繋いでいる。王都周辺ほどではないものの、ここも交通量が多い道だ。そのローデシア街道は、やがて行く手で西から続くもう一本の街道と繋がる。西の国境近くからクローナを終点として続く古い街道、アミリシアだ。
 だが、王国の北の果てまで向かう旅人は、それほど多くは無い。アミリシア街道との交差点を過ぎると、交通量は急激に減っていった。
 北に向かうにつれて気温は少しずつ下がってゆき、旅を始めて何日目かには、道の向こうに白い雪を頂いた山脈が見えるようになってきた。ふもとに大きな町が見えてきたのは、更に何日か走った後のことだ。
 「お? あれが、そうか?」
イヴァンは手を顔の前に翳し、馬の背の上から町を眺めやった。
 「なんか思ってたより新しい感じだな。」
話では、クローナの街はリーデンハイゼルと同じく、七百年前の建国時からある古い街ということだったのだが。
 「あれは門前町。クローナの一部だけど、新しく出来た町なんだ。リーデンハイゼルの"下の町"みたいなものだよ」
隣で馬を走らせるアルヴィスが説明する。もう少しで目的地に到着するからなのか、心なしか少年の顔は少しほっとしているようにも見える
 新しく作られたという門前町は、活気のあるごく普通の市場町といった雰囲気だった。通り沿いに店や屋台がわんさと並び、威勢のいい掛け声が飛び交っている。そしてリーデンハイゼル以上に、見た目や格好のまちまちな人々が行き交う。
 「賑やかなとこだなぁ」
 「クローナは昔からの交易都市なんだ。北の国境の向こうの国からも人が来てるよ」
 「へえ。」
イヴァンは、威勢よく売り子が声を張り上げている近くの毛皮売りの店に視線をやった。トナカイの皮やツノがところ狭しと並べられ、狩人の装束に身を包んだ若い女が訛りのある中央語で盛んに買い手を呼んでいる。その隣では、見慣れない真っ赤な野菜を売りさばく商人がいる。さすがは、アストゥール王国第二の都と言われるだけの活気はある。
 人ごみにもまれて、馬はほとんど歩く速度に変わっていた。ゆっくりと大通りを抜けると、目の前が急に開けた。広場の向こうには、きらきらと輝く水面が広がっている。
 湖だ。
 透明な水を湛えた大きな湖の真ん中に、城壁が囲む街が見える。
 「着いたよ、あそこがクローナの旧市街。僕の家は、あそこにあるんだ」
アルヴィスは、古びた石造りの城砦の向こうを指差した。城壁に向かって二本の石橋が延びていて、時計の三時の角度で交わっている。それぞれの橋は、新市街の大通りと真っ直ぐに繋がっていた。
 「二本の橋はアミリシア街道と、東のほうから来るレミリア街道に繋がっていて、町の中の広場が終着点なんだよ。昔は、そこで市が開かれていたらしい」
 「今は?」
 「今は、旧市街はただの観光地。何しろ狭い町だから。市は新市街で開かれるようになっている。」
そう言って、アルヴィスは橋の手前に設けられた検問の前で馬を下りた。検問前には左右に二つの行列が出来ていて、揃いの白いスカーフを巻いた係が、それぞれの列をさばいていた。武器を帯びてはいるが、騎士のようには見えない。
 「これは、何をしているんですか?」
二つの列を見比べて、ティアーナは不思議そうな顔をしている。
 「身分証や観光許可書の確認さ。クローナの旧市街は、今は一日に入れる観光客の数を制限してるんだ。狭いし、あんまり人が来ても、身動きとれなくなっちうからね」
見ていると、片方の列はほとんど顔パスで、列がすぐにはけていき、もう片方は身分証や手荷物などが念入りに検査されている。どうやら、片方は町の住人用の列らしい。
 「観光客って、そんなに沢山来るのか」
 「不思議とね。何しろ古い町だし、見所はあるんじゃないかな。ちなみに、あそこにいる白いスカーフを巻いてる人たちは、この町の自警団なんだ。町のあちこちにいるよ」
馬を引きながら、アルヴィスは二つの検問の間を素通りしていく。検問所の前にいた白いスカーフを巻いた係も、何も言わず敬礼だけして彼を通す。住民たちも何も言わない。
 検問から続くまっすぐな石の橋は、鏡のような湖の真ん中を通っている。
 「……。」
ティアーナは、驚いたような顔で城壁を見上げていた。石造りの城壁は昔ながらの本格的な作りになっていて、町の建物よりはるかに高いところまで延びている。そのせいで壁際の建物には光が当たらないくらいだ。城壁のところどころに見張り塔があり、橋の部分は頑丈な格子戸が二重につけられている。それらには太い鎖が繋がれており、門の上で巻き上げて開閉する作りになっているようだ。
 「すごい城壁ですね…、リーデンハイゼルのものより分厚いくらい」
 「戦争が多かった時代に作られたものらしいからね。ほら、あのへんなんかは二百年前の"白銀戦争"頃に壊された跡が残ってる」
指差して説明しながら、アルヴィスは馴れた足取りで門を潜り、その先の複雑に分かれた道の一本へと入っていく。
 「こっちだよ。」
町の人々がすれ違うとき彼に向かって軽く頭を下げてゆく。
 狭く曲がりくねった道をしばらく歩いたところで、彼は足を止めた。目の前には、他の建物と大して違わない見た目の、低い生垣に囲まれた屋敷がこぢんまりと建っている。
 「ここがお前の家? 意外と小さいんだな」
 「だから言ったろ、狭い町だって。」
笑って、アルヴィスは入り口の引き戸を自分であけた。入ったところは狭い庭になっていて、正面が屋敷の玄関、右手の奥のほうに厩舎がある。使用人がいるようにも見えず、誰かが手綱を受け取りに来るわけでもない。イヴァンの家に比べでも、ずいぶんと静かだ。
 「馬はそこに入れて。あとで誰かに水と飼い葉を持ってきてもらうよ。」
 「厩番はいないんですか?」
ティアーナは戸惑った様子だ。「クローナ公のご自宅だっていうのに…」
 「お客さんなんて滅多に来ないし、専任の人はいないよ。下働きの人も、この時間は買い物に出てるか、台所のほうかも。今日の夕食に間に合うといいんだけど」
言いながら、玄関を入っていく。玄関の中にも出迎えなどはおらず、整えられてはいるものの、民家のようなつくりだ。
 辺りを見回しているイヴァンとティアーナを玄関に残して、アルヴィスは奥の扉に手を伸ばした。と、その扉が中から開いた。ちょうど、恰幅のいい女性が外に出てこようとしていたところだ。女性は驚いて、おもわず顎をのけぞらせた。
 「アルヴィス様…! 帰ってらしたんですか?!」
 「今着いたところ。これから先生のところに行かなくちゃならないんだけど、馬の世話をお願いしてもいい?」
 「それはもちろん。でも、呼び鈴を鳴らしてくださればお出迎えしましたのに。――」女性は、ちらりと後ろの二人に視線をやる。「お客人はお泊りですか? 夕食はこちらで?」
 「そうしてもらえると助かるな」
女性は、小さく頷いた。
 「かしこまりました。支度いたします」
 「よろしく」
アルヴィスが言うと、女性はスカートをたくし上げて、いそいそとドアの奥へと戻っていく。
 「今のがライラ、うちの使用人たちの取りまとめ役。何かあったら彼女に聞いて。部屋の準備が出来るまで、僕らは先に先生のところに行こう」
 「先生って?」
 「メネリク・フォン・クローナ、現在のクローナ公。僕の義父」
裏口から屋敷の中へと足を踏み入れる。
 「でも、肩書きで呼ばれるのは大嫌いなんだ。自分は生涯一学者だ、って。だから皆、"先生"って呼ぶ」
 「ふうん、変わり者なんだな。」
 「失礼ですよ」
ティアーナが傍らからたしなめた。
 「クローナ公は、王位継承権こそ無いものの国王に継ぐ権威の持ち主。しかもメネリク様は、先代の国王様の弟君なんです」
 「イヴァンにそんな脅し効かないよ」
アルヴィスは笑っている。「国王の前だっていつもどおりな人なんだし」
 「…そうでしたね」
溜息をついて、ティアーナは額に手をやった。ただ、それは呆れているというよりは、もはや諦めたという雰囲気の溜息だった。
 歩いていると、やがて行く手に手の込んだ彫刻で飾られた木扉が見えてきた。「研究室」という、謎めいた看板がかけられている。
 アルヴィスは、その扉を、ノックもせずに押し開いた。
 ――とたんに、異国風の香りのする、暖かな風が、ふわりと流れ出してくる。
 「あ…」
思わず声を上げて、ティアーナが口元に手をやった。
 そこは部屋であって、部屋ではなかった。
 扉の向こうに広がっていたのは一面ガラス張りの大きな空間。そして空間の中には、大小様々な草木が生い茂っていた。ふんわりと暖かい空気が流れ出してくる。地面の上には、どこかで見たような白い花があちこちに咲き誇り、いい匂いを漂わせている。
 「何だ、ここ。温室…?」
 「そう。国中から集められた珍しい植物で一杯だよ。先生の趣味なんだ。」
 「クローナ公は高名な植物学者でもあるんです」
辺りに人影はないが、目指す人物がどこにいるのかアルヴィスには分かっているらしい。敷石で作られた小道を辿って茂みの奥へと進み、ほとんど温室の天井につきそうに育った大きなヤシの向こうに向かって呼びかけた。
 「先生、いらっしゃいますか?」
ややの間があって、金属の軋むような音がした。机に向かって腰を屈めていた人物が、回転椅子をまわして振り返ったのだ。
 東屋のような場所に机を持ち込んで座っていたのは、髭をたくわえたいかめしい顔つきの老人だ。もう七十は越えているだろうか。髪も髭も真っ白だが、目だけは黒々とした光を宿している。服装はといえば、よれよれの接ぎあてだらけの上着を着て、膝には泥がこびりついているひどいものだ。この格好のまま町中を歩いていたら、浮浪者か何かと間違われそうだ。
 「戻ったか、我が弟子よ。首尾はどうだったか聞く前に、まずは客人を紹介してもらおうか?」
 「はい、こちらがイヴァン。こちらが、王都での護衛を受け持ってくれたティアーナです」
 「ふむ。報告書にあった名前だな」
老人は、机の端に積まれている手紙の束に目をやった。
 「ときに、お前のほうは何も無かったのか? 建国祭のことだ。アレクシスが狙われたと聞くが…」
 「ええ。」
アルヴィスは頷く。「事件のあった時は、広場を見下ろせる建物の中にいたので。馬が驚いて暴れたくらいで、皆無事です。」
 「それは幸い。しかし、十年前と同じか。この時期に再びとはな」
メネリクは、額に指を当てた。
 「そうなると、やはり…国内の貴族どもを疑わねばならんのだろうのぅ」
 「そうですね。それに王宮内にも、おそらく――」
 「おおっと。その話はそこまでじゃ」
ふいに話を止めて、メネリクは至極真面目な顔をして机の上の書類の束から何かを抜き取った。
 「まずは、この話が聞きたい」
 「へ?」
分厚い紙の束の表紙には、報告書という文字が躍っている。
 「黄金の実だ! 下の町にある第二世代が王宮にある親の黄金の樹と同じ実をつけることがあるなんぞ、今までの定説に反するのだ。これは是非とも研究せねばならん。いや、研究するのだ。見つけたのは、お前たちだったのだろう? これは本当に下の町の並木から取ったのか? どうやって生ってたかね? 匂いはしたか?」
 「あ、あの…」
すさまじい勢いで喰らいついてくるメネリクに、イヴァンとティアーナはただただうろたえている。アルヴィスだけは、馴れた様子で微笑んでいる。
 あの時のルディと同じ反応だな、とイヴァンと思った。学者というのは、皆こういうものなのだろうか。



 細かなことまで根掘り葉掘り聞かれ、ぐったりしながら"研究室"を出たのは、それから何時間も経った後のことだった。廊下に出たとたん、ティアーナは大きく息をついて手を額にやった。
 「…予想以上でしたね」
 「っていうか、もう日が暮れるぞ。よくあんなに喋り続けられれるな」
 「研究してる内容の話になると、いつもああなんだ」
くすっと笑ったアルヴィスは、すぐに真面目な表情になる。
 「…でも、本当にすごい人なんだ。僕は尊敬している。クローナに引っ込んでしまう前は、あの人を国王に、という声もあったという」
 「逆に、それが嫌で自ら継承権を放棄してクローナに引っ込んでしまったという噂ですけれどね。変人の"ふり"をしていると聞いていたのですが…あれは、"ふり"というよりも…。」
言葉が途切れた。ティアーナは反応に困っているようだ。
 「たぶん、学者として生きたかったのは本当なんだよ」
笑って、アルヴィスは廊下の向こうに視線をやった。ちょうど、ライラが向こうから歩いてくるところだ。
 「客間の用意が整っておりますよ。ご案内します、どうぞこちらへ」
 「ありがとう。じゃあ、行こうか」
廊下は少し薄暗くなり、ライラとは別の召使いがランプに火を入れて回っている。到着したのは昼過ぎくらいだったはずなのに、ずいぶん長いこと話し込んでいたようだ。
 それとも、この町が暗くなるのが少し早いのかもしれない。
 窓の外に僅かに見える背の高い城壁を見上げて、イヴァンは思った。町全体が、ぐるりと城壁に囲まれているのだ。町中のどこから見上げても、城壁や見張り台は見えるに違いない。崖という天然の城砦に囲まれたリーデンハイゼルとは別の意味で、まさに"要塞"だ。
 この二百年、アストゥール国内では大きな戦争は起きていない。これほどの守りを必要としたかつての戦争とは、一体どんなものだったのだろう。


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