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 学校に戻ったとき、校舎はしんと静まり返り、生徒たちの気配はなかった。時間からして午後の授業中のはずだから、みな教室で授業を受けているのだろう。昨日の事件のあとだというのに、もう学校は再開されているのだ。
 イヴァンは、アルヴィスとともに校長室に通された。しばらく待っていると、部屋の主であるハーミスが入ってくる。
 「お待たせしました。どうぞお座り下さい」
柔和な笑みを浮かべながら、男は生徒たちに対するのとは異なる口調で言った。そして、二人が腰を下ろしても、自分は立ったままだ。
 「ハーミス、座って。」
 「いえ、殿下の前でそのようなことは」
アルヴィスは苦笑する。
 「あなたはもう近衛騎士じゃなくてこの学校の責任者なんだし、僕はもう王位継承権の保有者ではないから」
言われて、ハーミスは渋々といった様子で向かいの椅子に腰を下ろす。普段とは全く違う雰囲気だ。イヴァンは、二人を見比べた。そういえば、ハーミスは昔は近衛騎士だったのだ。――アルヴィスとも顔見知りなのは当然だった。
 「今日ここへ来たのは、イヴァンを少しの間借りる許可を貰おうと思ったからなんだ。彼の力が必要でね。構わないかな?」
 「勿論です。我が校の生徒がお役に立てるのであれば」
即座に言い、ハーミスは視線をイヴァンのほうに動かした。「しかし、その前に聞いておかなくてはならないことがあります。祭りの日のことですが」
 「ああ…それは、えっと」
イヴァンは、事の次第をハーミスに説明した。誰かに地下室へ呼び出されたこと、閉じ込められて力づくで脱出したこと。
 「なるほど、そういうことでしたか」
聞き終えたハーミスは、渋い顔になった。
 「あの地下室は元は懲罰房なんです。昔はこの学校も血気盛んな生徒が多くて、校内で決闘を始めるようなことも多かったですから。ただ、今はもう使うことも無くなって倉庫になっていた場所なんですよ。頑丈なつくりなのはそのためですが、…それを悪用した者がいたようですね。」
 「マルティンは?」
 「最初は何やかんやと言い訳していましたが、問い詰めるとあっさり認めました。どうしても旗手をやりたくて君の衣装を奪ったとね。ただ、誘い出して閉じ込めたことまでは言いませんでした。…君から話を聞くまではと思って謹慎処分にしてあったのですが、公の場にまで迷惑をかけたのでは退学処分にせざるを得ないでしょう。」
 「……。」
少し可愛そうな気もしたが、処分の軽減を願い出るほどマルティンに同情は抱かなかった。どちらにせよ、自分の撒いた種だ。
 ハーミスのもとを辞して玄関まで戻って来た時、ちょうど終業の鐘が鳴った。午後の授業が終わったようだ。
 「イヴァン、僕は、準備が整ったら一度クローナへ戻ろうと思う。君も一緒に来て欲しい」
 「ああ。校長先生の許可も取ったし、そん時は呼んでくれ」
玄関先にはティアーナが待っている。扉のあたりで振り返って、アルヴィスは微笑んだ。
 「じゃあ、またね」
二人が去っていくのとほぼ同時に、背後から生徒たちの賑やかな足音が響いて来る。
 「あ、イヴァン!」
エデルとアステルだ。人の流れを押しのけるようにして駆け寄ってくる。
 「お前、どうしてたんだよ昨日は」
 「なんでマルティンが?! それに、その怪我…」
 「あーまあ、話せば長いんだけどさあ。――」
賑やかな声に囲まれながら、イヴァンは、無事に学校に戻ってこられたことにほっとしていた。いつの間にか、学校での生活は彼の一部になっていたのだ。ただ、あと何日かすれば、またここを出て行くことになる。
 (こいつらには、本当のことは言えねぇな…)
嘘をつかなくてはならないことに、かすかな罪悪感も覚える。けれど、この件には、他の誰も巻き込むわけにいかなかった。



 向かった先は下の町だった。そこなら人目につきにくい。広場で乗り合い馬車を降り、指定された場所に行ってみると、アルヴィスとティアーナ、それに近衛騎士のエーリッヒが待っていた。
 「待たせたな。」
 「そっちは問題なく?」
と、ティアーナ。
 「ああ、休校届けは出してきた。友達には、急な用事でしばらく家に戻るって言ってある」
 「そう。」
エデルもアステルも、表向きは疑っている様子はなかった。校長のハーミスも口添えしてくれたお陰だ。
 「そっちの準備も問題ないのか?」
 「うん。元々王都に来ていた用事は済んだしね」
 「馬はこれをお使いください。」
そう言って、エーリッヒが携えていた馬の手綱を差し出す。以前ベオルフたちがサーレ領に来た時に乗っていたのと同じ、大柄な軍用馬だ。
 「うちの領地名産の俊足馬です。お役に立てるといいのですが」
 「ありがとう。王都のことは、引き続きよろしく頼むよ」
 「はい」
若い騎士は右手を胸にあて、頭を深々と垂れた。それから、ティアーナとイヴァンのほうを見る。
 「君たちも、くれぐれも気をつけて。アルヴィス様のことは頼む」
 「ええ」
 「言われなくても。」
それぞれ鞍にまたがると、三人は、エーリッヒに見送られて下の町を出発した。向かう先は北方の都クローナ。王国の第二首都であり、アルヴィスの現在の住まいのある町。
 「クローナへは、何をしに?」
 「僕の義父にあたる人、今のクローナ公メネリクに今回の王都訪問の報告をしないといけないんだ。それにあの人は、王国のことなら何でも知ってる。知恵を貸してくれると思う」
馬の背に揺られながら、アルヴィスは初夏の空を見上げた。「天気もいいし、数日あれば着くと思うよ」
 北へ向かう大街道は、どこまでも真っ直ぐに、地平線の彼方へと続いている。行ったことのない地方へと向かうのだ。それも、誰も供をつけずに。イヴァンの胸は微かに躍った。
 (ここから始まるんだ)
馬上に揺られながら、イヴァンははやる胸を押さえた。ほんの何ヶ月か前には思いもしなかった道程が、始まろうとしていた。


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