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 その日は朝から思い出したように冷たい小雨が降る、どんよりと曇った日だった。
 「嫌だなあ、じめじめする!」
窓の外を眺めているエデルは顰めっつらだ。「早く止めばいいのに」
 「心配しなくても止まない雨なんて無いだろ。それより、ここんとこ教えてくれよ」
 「どこ?」
イヴァンの手元にはノートが広げられている。授業はもう終わっているが、間もなく試験だというので、教室の中には同じようにノートを広げて写しあったり、分からないところを出来る生徒に教わったりしている幾つかのグループが出来ている。
 「…で、…税収の上乗せをすると…」
 「あー、やっぱ無理だ」
ノートを投げ出して、イヴァンは唸った。向かいでエデルが苦笑したとき、後ろから声がした。
 「せっかく、参考書を探してきてやったってのに」
振り返ると、アステルが呆れたような顔で立っている。
 「やる気ないなら帰るぞ」
 「あー待って。やる気はある、ちょっとだけ休ませてくれ…」
 「イヴァン、ほんとに苦手なんだね」
試験のための勉強をしようと言い出したのは、このままでは落第だと危機感を覚えていたイヴァンだった。エデルがそれに応じ、丁度目に留まったアステルを強引に仲間に引っ張り込んだのだ。
 手にしていた何冊かの本を机の端に置いて、アステルはイヴァンの隣に腰を下ろした。
 「どこが分からないんだ」
 「税収の管理のとこだよ。違いがわからん」
 「……。」
彼は、呆れたような顔になった。
 「お前それ…領地持ちの家の出にあるまじき…」
 「あー分かってるわかってる! 分かってるから、今から覚えるから説明頼む」
 「はぁ」
溜息をつきつつ、彼ももう慣れっこになっている。
 「いいか? まず前提から簡単に説明するぞ。アストゥールの土地には基本的に、王家の直轄地、貴族が持っている領地、自治領の三種類がある。王家の直轄地は指名された役人が任期に応じて治め、領地はそこの領主が、自治領はその内部で長老や族長のようなものを決めて代表としている」
 「ああ、そこまでは分かるよ。」
 「この三種でも特に大きく異なるのが税金の取り方だ。王家直轄地と貴族もちの土地の間で物を売買する場合と、これら二つが自治領との間で物を売買する場合では、税率が大きく異なる。いずれの土地も国庫に収める税金の徴収が必要で、すべての売買には一定の税率がかけられているが、自治領とやり取りする場合は、その上に売買先による追加税がかかるんだ」
 「…うーん」
イヴァンは右の指先でノートをなぞりながら、左手で頭をかく。
 「そのへんから分からないんだよな。つまり、自治領は他の土地にものを売らないほうがいいってことか…?」
 「正確にはも売れるけどあまり儲からないってことだ。売値から人件費、輸送費、原価なんかの経費と税金を引いたものが利益商売の基本だろ。自治領が王家直轄地と貴族もちの土地と同じ利益を出すには、質のいいものをより高く売るか、大量生産したものを安く大量に売りさばくしかない」
 「俺、商売苦手なんだよ…」
ノートを捲って、彼はさっきまでエデルに教えてもらっていた数学のページを睨みつけた。簡単な計算なら問題ないが、税金やら輸送費やらの話になってるくるとお手上げなのだ。だいたい、「人件費」などというものは、この学校に来てから知った概念だ。
 「で、税金の種類ってのは大きく分けて二種類。住んでいる場所に応じて領主に収めるものと国に収めるもの。前者は領主が決めてるから領地ごとに違う。」
 「それは知ってる。つーかそこまでは分かる」
 「後者は国が一律で設定してるんだ。自治領の場合は領主がいないぶん、国に収める税金が高くなってる。」
 「それも分かる」
 「さっき言った、領地間のモノのやりとりで発生する税金は、国に収める税金の一種だ。」
 「…う、うーん…そこからわからねえ…」
ひとつ溜息をついて、アステルは手にしていたペンをくるりと回した。
 「まあ、お前はどこかに勤めに入るわけじゃないから…必要ないのかもな。苦手なら人を雇ってやらせればいいだろうし、財政担当の副官を持つって手もあるから。」
 「…副官ならもういるけどさ。」
口を尖らせて、イヴァンはノートをにらみつけた。「何も分からなくて、全部他人任せなんて嫌なんだよ。」
 「なら少しずつやるしかないな。」
アステルは、側に積んだ本を叩いた。「むかしオレが使ってたやつだ。付箋とか挟んであるから、見てくれ。試験までは貸しておく」
 「悪いな…」
 「試験、頑張ろうね。それが終わったらお祭りもあるし」
二人が去って行ったあと、イヴァンは、教科書を取り上げてさっきアステルに教わった箇所をもう一度読み返してみた。分からない。だが、分からないのが一体何なのかもよく分からない。漠然とした国土の地図は頭の中にあり、自治領にも行ったことはある。市で商売が行われているのも見たことはある。ただ、そのやりとりの中で計算されている金額の内容に、想像つかないだけなのだ。
 (よそより税金が高いから儲からない…? それは当たり前だろう。でも値段を上げたら売れなくなるよなぁ? うーん…)
そんな問いかけに対する答えは、どこにも書かれていない。彼は、一声唸って頭を抱えると、思い切って止めることにした。考えるほど混乱してきて巧く行かない。本をすべて片付けると、それを小脇に抱えて部屋に戻ろうと食堂を出た。
 試験までは、あと一週間ほどだ。



 廊下に出ると、涼しい風が夏の気配とともに駆け抜けていく。ノートを抱えた生徒が、入れ違いに教室へと駆け込んでいく。
 宿舎棟へ続く渡り廊下を通りかかった時、金属音に気づいてイヴァンは足を止めた。運動場のほうだ。薄暗がりの中、廊下から漏れる光の中で、まだ剣術の稽古をしている生徒がいる。
 (あれは…マルティン?)
最近見ないと思っていたマルティンと取り巻きの少年たちだった。剣を打ち合わせるたびに汗が飛び散り、土煙が上がる。お遊びではなく本気のようだ。意外なものを見たような気がして、彼はしばらく足を止めたまま眺めていた。
 「君は訓練には加わらないんですか?」
顔を上げると、いつのまにか、ハーミスが廊下の端に立っていた。いつもの黒いパリっとした服に、いつもの柔和そうな笑みを浮かべ、腰の後ろで手を組んでいる。
 「俺はいいや。今はこっちの勉強しないと」
 「ほう、経済ですか。またまた君の珍しいところを見つけてしまいました」
初老の男は、朗らかに笑う。「君は、学校に入ってから授業以外では全く訓練しないのですねえ」
イヴァンは、ちょっと肩をすくめた。
 「たまにアステルに相手してもらってますよ。でも剣術なら何時でもやれるし。俺、それ以外のほうが全然ダメだから」
 「"それ以外"ですか。――ところで君は、何のために剣術を学びました?」
 「強くなきゃ、誰も守れない。腕っ節があれば、少なくとも足手まといにはならない。けど、剣振り回すだけじゃただの乱暴者と変わらないのは分かってます。」
 「ふむ」
納得したのかしていないのか、ハーミスは返事をして、剣術の訓練に明け暮れる少年たちのほうに視線をやった。
 「知っていましたか? 彼らが今、ああして訓練しているのは、お祭りの行列に加わるためなんですよ。」
 「…お祭り?」
そういえば、試験が終わったら祭りがあると、エデルも言っていた。
 「建国祭ですよ。毎年学校から何人か、剣術で成績優秀だった生徒が行列に加わることを許されるんです。その中でも上位であれば、旗手にも選ばれます。名誉な仕事ですよ。騎士団にも顔が売れますしね」
ハーミスは、ほとんど無表情に言って校庭のほうに視線を向けている。
 「この学校では剣術を教えていますが、それはここが、将来騎士団に所属する仕官候補者を育成するために作られた学校だからです。生徒たちが訓練に励むのは将来の就職のため。"剣術"は学校の授業項目の一つに過ぎません」
 「それも立派な理由だろ」
 「そうですね。ところで君は彼らが必死で求めているものをどう思いますか?」
 「……?」
横をすり抜けようと歩き出していたイヴァンは、足を止めてハーミスを見た。小柄な男の顔には、うっすらと浮かんでいる笑み。
 「職、報酬、名誉、家名。君はそれらに何一つ興味が無い。違いますか」
 「あの、意味がよくわから―― 」
 「騎士団など、今や名ばかりだ。出世を争い、名誉欲にかられて足を引っ張り合うような連中ばかり。そんなものに何故入りたがるのかと、私は時々疑問に思うんです」
何と返していいのか分からず、足を止めたまま立ち尽くしているイヴァンを見て、ハーミスはいつものように人の良さそうな笑みを浮かべた。
 「余計なことを言い過ぎましたね。忘れて下さい。要は、君は彼らとは違うということですよ。」
廊下の向こうへと去って行く男の後姿を、イヴァンは、立ち尽くしたまましばらくの間、眺めていた。
 なぜか心の奥がざわついた。
 さっき一瞬だけ見せたあの笑みは、あれは―― "諦め"とか"嫌悪"とか呼ばれるべき表情だったような気がする。でも、だとしたらハーミスは一体、何をそんな風に思ったのだろう?



 それからしばらく経った、試験の終わった頃のことだった。
 授業終了の鐘が鳴り、教室を出ようと席を立ったイヴァンは、授業の教師と入れ替わりに入ってきたハーミスに呼ばれた。
 「イヴァン、アステル、こっちへ来なさい」
 「はい?」
教室の反対側にいて、廊下に出かかっていたアステルも足を止める。何の用だろう。
 ハーミスは二人を手招きすると、教室の隅に連れて行った。
 「君たち、来月行われる建国祭の話は知ってますね?」
 「ええ、もちろん」
と、アステル。妙に緊張した顔をしている。
 「後で正式な通達が出ますいが、今年の旗手は、君たちに任せたいと思っています」
 「旗手?」
 「行列の先頭で旗を掲げて、先導する役のこと。」
 「それは知ってますけど…それが何なんですか?」
 「…お前、やる気あんの」
 「え? 俺がやるの?!」
 「そうですよ。」ハーミスは苦笑している。「剣術で成績優秀だった生徒を推薦することになっていますからね。君を外すわけにはいかないでしょう」
 「……。」
イヴァンはまだよく飲み込めていないという顔だ。
 「名誉な役割なんだぞ。パレードには王族の方々も、近衛騎士も出る。抜擢されたくて放課後に猛練習してる連中もいるってのに」
言いながら、アステルは、額に手を当てている。
 「というか――旗手って、オレもなんですか」
 「ええ。意外ですか?」
 「いや…、オレでいいんですか、その」
彼は、なぜか気まずそうに周囲に視線をやって誰かを探している。
 「もちろんですよ。私が君にやって欲しいのです。嫌ですか?」
 「い、いえ」
気をつけをして、アステルは硬い声で答えた。「頑張ります」
 「ではよろしく頼みましたよ。もうじき予行演習が始まりますが、君たちは他の生徒たちとは別組です。しっかり勤めて来るように」
 「はい!」
 「まあ、そういうことなら。」
ハーミスが去って行ったあと、イヴァンは、隣で感慨にふけっている様子のアステルのほうにそっと視線をやった。
 「…そんなに感動するほどの役なのか?」
 「当たり前だろ。騎士団の人たちの覚えてもらえれば、卒業のときに入団の推薦が取りやすくなるし、それに…」
言いかけて、はっとして彼は口をつぐんだ。知らず知らず口調に熱が篭っていたことに気づいたからだ。
 「ふーん、なるほど。面白そうだな」
 「面白そうって、お前」
 「だってさ。そういうの、ここじゃなきゃ体験できないことだろ? うちの田舎はパレードなんて無いからな。牛の行列ならあるけど」
 「なんだそれ…」
話しながら、二人は、並んで教室を出る。
 と、その時だ。
 「アステル!」
廊下の向こうから刺々しい敵意に満ちた声が飛んできた。振り返ると、マルティンと数人の取り巻きたちが立っている。怒鳴り声が、廊下いっぱいに響き渡った。
 「鞍替えかよ、この薄情者が。子爵より伯爵様がいいってわけだ、えっ?」
 「…そんなんじゃねぇよ」
アステルが視線をそらすと、マルティンは忌々しそうに足を踏み鳴らし、二人の側をこれみよがしに肩をいからせて通り過ぎていく。
 「いつまでも調子に乗ってられると思うなよ、肩書きだけの新興貴族が。 ふん!」
それは、アステルにというより、イヴァンに向けられた言葉のようにも思われた。
 「…何なんだ、あいつ。」
 「お前に旗手の役を取られたから不機嫌なんだろ」
そう言って、アステルはさっさと別の方向へ歩き出す。「――あいつ、去年までは毎年、旗手に選ばれてたから」
 成る程、さっきアステルが躊躇していたのは、そのせいなのか。イヴァンは歩調を早め、アステルに追いついた。
 「アイツに何かされたら、早く言えよ」
 「そういうのはしないだろ。校長先生に直接言われた話なんだ。アイツだって、嫌がらせで何とかなる話じゃないことくらい分かってるはずさ」
生徒たちが笑いながら廊下を駆け過ぎてゆく。だが、このまま何もなく終わるとは思えなかった。そのくらい、マルティンの表情は敵意に満ちていた。
 (それに、あいつも放課後に練習とかしてたもんな)
日が暮れかかる運動場での剣術訓練を、イヴァンは思い出した。彼は彼なりに、努力はしていたのかもしれない、と。



 その日イヴァンは、図書室で借りてきた本を開いて、建国祭について調べてみた。ベッドに寝そべってページを捲る。

 "建国祭"
 およそ七百年前、初代王イェルムンレクがリーデンハイデルを王都と定める宣誓をしたとされる日を祝って始められた祭り。発案者は、後に"融和王"として即位することになるアルウィン・フォン・クローナである。この王は王国史の編纂者としても知られ、初の一般向け王国通史である"パクス・クロニカ"を作成し、建国日を祝日として制定した――

 「あー。やっぱ無理だ」
三行目で挫折して、イヴァンは胸の上に開いたままの本を置いた。天井を見上げて、どうして理解出来ないのだろうかとぼんやり考える。観光案内書はそれなりに面白かったし、頭に入ったのに、文字しかない「歴史書」だの「王国史概要」だのになると、全くついていけないのだ。試験でも、半分くらいしか答えを埋められなかった。
 たぶん、実際に体験したとか、見たとかでなければ頭に入らないのだろう。ベッドに寝そべって天井を見上げたまま、彼はぼんやりと、最近見かけていない少年とその連れの女剣士のことを思った。窓の外では、雨粒の滴る音が聞こえている。天気のせいで、ここのところ放課後に公園に出かけることもしていない。彼らは、まだこの町にいるのだろうか。



 それから間もなくして、建国祭のことが校内に通達された。
 午後の授業がまるごと祭りの予行演習になると知って、生徒たちは大喜びだ。
 「いいか、これは遊びじゃないんだぞ。授業であり、訓練の一環だ。祭りの日には国中から人が集まる。お前たちはその誘導をするんだ。具体的に言うと、行列の邪魔になりそうなところにいる人にどいてもらうとか、道に迷ってる人を目的地へ連れていくとかだ。分かるな?」
一人の生徒がさっと手を挙げる。
 「先生! アルバイト代は出ますか?」
 「出るか、ばかもん」
どっ、と笑いが起きる。「…だが、単位は出るぞ。サボった奴は問答無用で落第だ!」
 「えーっ」
 「イヴァン」
横からエデルがつつく。「イヴァンは旗手だよね」
 「ん、ああ。確か、そう」
 「大役だね。頑張ってね」
 「おう。ま、トチらない程度には」
旗手役として選ばれたのは、イヴァンとアステルのほかに三人。マルティンと、その取り巻きたちは一人も選ばれていない。それがハーミスの意図したことなのかどうか、彼には分からなかった。
 (でもま、あいつらがいないなら少しは気が楽だな)
行列になって歩く訓練をさせられている生徒たちを横目に見ながら、イヴァンは、思ったより楽な仕事を割り当てられたような気がしてきていた。
 だが、旗手組の訓練は、意外に厳しかった。まずは旗を模した長い棹を長時間抱え続ける練習。これがなかなかにコツのいる仕事で、腕の力に頼るだけでは駄目だと気づくまでしばらくかかった。それが出来るようになったら、棹を傾けないで一定の高さに掲げたまま歩く練習。
 「いいか、行列は町を一周するからな。二時間くらいだ。立ち止まってる間は膝で支えてもいいが、それ以外は基本的に棹を上げっぱなしだからな!」
イヴァンを含め、初参加の生徒たちは青ざめた顔をしている。
 「そんな顔するな。そのために剣術の授業で成績上位の者を選抜してるんだぞ。剣の素振り訓練と思って棹を掲げる練習をしろ! 国じゅうから観客がくるんだぞ。へばってるところを見られたいか?!」
 (うちの田舎から来る奴なんかいるのかな…)
重たい棹をずっと掲げ持っていたせいで痛む腕をさすりながら、イヴァンは、ぼんやりそんなことを考えた。
 「イヴァン、どうした。しゃんとせんか、お前は一番旗手だぞ。国王陛下のまん前だ。そんな調子じゃ困るぞ」
 「あーはい…」
 (そういや、国王ってどんな人だっけな。歴史の本には出てこなかったな…)
上の空のまま棹を掲げなおすイヴァンを見て、隣で、二番旗手のアステルが呆れ顔をしている。だが、彼は何も言わなかった。イヴァンは"そういうもの"だと、彼も既に分かってきているのだ。
 「よーし今日はこれまで!」
訓練が終わる。皆、やれやれという顔でその場にへたりこんだり、腕をさすったりしている。
 「明日は棹上げの訓練は無しだ。町に出て、実際にパレードの通る道順を確認する。出発は裏門。広場を一周したら王宮の正門から入って、王宮前の広場で整列だ。道が分からない者はいないと思うが、各自、明日までに地図を確認しておくように。では解散!」
一般の生徒たちのほうも、今日の訓練を終えたところのようだ。
 「汗流したらメシ行くか。」
イヴァンは、アステルに声をかけた。
 「そうだな。」
 「おーい、イヴァン」
向こうからエデルが手を振りながら走ってくる。
 いつしか、学内ではこの三人で動くことが多くなっていた。マルティンたちの姿を学内で見かけることは、ほとんど無くなっていた。



 久し振りに出た町は、以前とはすっかり様変わりしていた。
 季節が変わり、広場を囲む街路樹はほどよく色づいている。そしてあちこちに祭りの準備のために張られた縄や屋台があり、王国の紋章入りの旗やお祝いの吹流しなどが町を飾っている。祭りを見に来た観光客のためか、町にはいつも以上に人が溢れていた。
 その日、イヴァンたちは、教師に先導されて王宮の裏口前に来ていた。門の前には、以前アルヴィスたちと来たときに見たのと同じように、警備兵が直立不動の姿勢で立っている。
 「当日は、ここで集合する。パレードの開始は門の中からだが、お前たちは中には入れない。ここでタイミングを見て、行列に入っていくんだ。イヴァン! お前は先頭だから最初に行列に入ることになるぞ。集合時間の連絡は後ほどあるだろうが、言うまでもなく遅刻は厳禁!」
 「はい」
 「最後尾まで来るのは少し時間がかかる。それから――」
細々とした説明を聞きながら、一行はぞろぞろと歩き出す。イヴァンは、ちらりと"学者の小路"のほうに視線をやった。アルヴィスはどうしているだろう。
 「この広場を一周する。ここが一番の見せ場だ。途中、何度か立ち止まるところがあるから列の動きをよく見ているんだぞ。一周したあと、王宮の正門前へ向かうが――」
と、丁度その時、傍らを大きな軍馬に乗った一団が颯爽と駆け抜けていくのが見えた。金の縁取りのされた白いマントがひらめく。
 「お。近衛騎士の皆さんだ」
教師は足を止め、通り過ぎようとする一団に向かって敬礼した。慌てて後ろにいた生徒たちも真似をしようとする。馬上の人物は、こちらに視線をやると、一瞬、にやりと笑ったような気がした。
 「あれ、ベオルフ・レスロンドだよな」
誰かが言う。驚いて、イヴァンはそちらを振り返る。
 「知ってんのか?」
 「知らない人なんかいないよ。今の近衛騎士の中でも最強って言われてる有名人じゃないか」
 「へぇ…」
イヴァンは、馬の去って行った方向に目を向けた。確かに強かったが、そんなに有名だったとは。同世代の少年たちの興奮したような様子が、少し意外だった。
 サーレ領で出会った時は、旅人風にくたびれた格好をして、気さくに口を利いていたからあんなに近く思えたのだろうか。今日は背の高い馬の上にいたからか、ぴしっとした格好をしていたせいか、以前見たよりも、ずっと遠く、大きく見えた。
 (…いつか、あんな風になれるのかな)
イヴァンは、王宮の正門のほうに消えていく馬を眺めやった。ベオルフに勧められたとおり騎士学校に入り、この町に来てから、故郷では学べなかったことを色々体験した。ほんの半年前ではあるが、あの頃よりも見識は格段に広がった。けれど、分からないことは次々と溢れてきて、どこから手をつけていいのか、どうすればいいのかも分からなくて、――気がつけば、ただ流されているだけのような不安もあった。
 「よーし、では王宮前のほうに移動するぞ。」
思考を遮るように、引率の教師の声が響く。
 「行列の締めくくりはここからだ。門の前についたら、今度は出発とは逆に順次、列を抜けていくんだ。列を抜けたら門の脇に並んで、行列が門の中に入りきるまで待つ! 待っている間は旗を降ろしていてよろしい。ただし真っ直ぐ持っていることだ。行列がすべて門に入りきったら…」
事細かな説明は続き、同じ道を二周して、その日の午後は終わった。



 訓練の終わった後、イヴァンは、なんとなくあの公園に来ていた。
 町の人ごみを歩き回って少し疲れたせいもあったし、このところ雨の日ばかりで町に出るのが久し振りというのもあった。緑一面だった草の斜面には、いつしか秋の花が咲き、木々も、広場と同じように色とりどりに鮮やかに染まっていた。
 像の前まで来て振り返ると、澄んだ秋の空が町の向こうに広がっている。しばらく眺めていると、後ろから声がかかった。
 「…イヴァン?」
 「お」
草むらから、アルヴィスが顔を出している。
 「またここに来てたのか。久し振りだな」
 「うん、久し振り。」
しゃがみこんでいたのか、膝について土を払いながら、アルヴィスは木陰から光の中へ出てくる。
 「お前、またあのナントカの花見てたのか? 好きなんだなぁ、あの花」
 「僕が好きなのは、この場所だよ。」
微笑んで、少年はイヴァンのすぐ後ろにある像を見上げた。「花を見てたのは、そのついで。」
 「俺もちょっとは詳しくなったぜ、案内書読んだからな。これも二百年前の王様だろ?」
 「――そう。アルウィン王、僕の一番好きな王様だ」
アルヴィスの、濃いこげ茶色の瞳が、ふと光に照らされて別の色に染まる。
 「迷ったときはいつもここに来るんだ。どうすればいいか教えてくれる気がして」
 「あ」
微笑む像の表情と、見上げる少年の顔。並んだ顔が重なった。思わずイヴァンは声を上げた。
 「分かった。お前、この人に似てるんだ!」
 「え?」
 「いや、なんかずーっと、どっかで見たなー誰かに似てるなって思ってたんだよ。なぁんだ、この像に似てたのか。すっきりした」
 「…それは光栄だな。」
アルヴィスが嬉しそうに笑ってちょうどそのとき、木陰の奥から、いつものごとく不機嫌そうな顔のティアーナが姿を現した。
 「話し声がすると思ったら、またあなたですか」
 「げ。やっぱ居たのか」
 「何が『げ』ですか。私だって、あなたには二度と会いたくなかったのに」
腰に手を当てながら、彼女は、じろりとイヴァンを睨みつけ、それから、一つ溜息をついた。
 「…まぁ、今日はいいでしょう。お祭りの旗手への選抜おめでとうございます」
 「へ? 何で、そんなこと知ってるんだよ」
 「知ってますよそりゃ。…っていうか、まだ気がついてないんですか?」
 「気がつくって?」
 「これは相当骨が折れるね。ティア」
何故かアルヴィスまで苦笑している。
 「イヴァン、僕らも祭りは見に行くんだ。君の晴れ姿、楽しみにしてるからね」
 「あー、…まぁ、トチらないようになんとか頑張ってみる」
 「大恥かかなきゃいいですけど。」
つんとそっぽを向いて、ティアーナは暮れてゆこうとしている西日に背を向けた。「戻りましょう、アル。そろそろ行かないと、間に合いませんよ」
 「ああ、そうだね。――じゃあまたね、イヴァン」
 「おう。またな!」
手を振って別れてしばらく経ってから、彼ははたと気づいた。
 「しまった。いつまで町にいるのか聞くの忘れた…。」
だが、「またね」と言ったからには、祭りが終わってすぐ帰ってしまうわけでもないのだろう。
 (ま、いっか。どうせまた会えるだろ)
梢の向こうからちらちらと降り注ぐ光を浴びながら、彼はのんびりと、そう思った。(それにしても、"骨が折れる"って、一体何のことだ?)


 そして、日は過ぎていった。

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