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 午後の授業も終わり、自由時間となった。
 一日の勤めから解放された生徒たちは我先にと教室を飛び出していく。イヴァンも、一度自室に戻って勉強道具を放り出すと、とりあえず玄関へと向かう。
 (とはいえ、…この町のことは、まだよく知らないんだよなあ)
 「門限って何時だっけ」
今日も受付に座っている黒い上着の女性に向かって、彼は尋ねる。女性は、顔を上げてイヴァンを見る。
 「十時です。でも、あまり遅くなりすぎないように。街灯もありますし騎士団が循環しているので治安もいいですが、慣れないうちは暗くなると道が分からなくなります。」
 「ああ、今日は様子見だし、早めに戻るよ」
話している間にも、イヴァンの脇を、町に繰り出す少年たちが次々と通り過ぎていく。他の生徒たちに混じって、イヴァンは玄関を出た。生徒たちが向かうのは、馬車の来たほう――大通りの方向のようだ。
 「どうする? 今日もあそこにする?」
 「そろそろ本が届くはずなんだ。入荷してるといいんだけど」
 「あの店のパイ、美味しいよな」
会話の断片が耳に届く。観光、買い物、食事。だが、彼はどれもあまり興味が無い。
 左右の通りを見比べた彼は、思い切って仲間たちとは逆の方向へと歩き出した。細い路地の続く方向だ。今、見たいものが何かと思い浮かべたとき、真っ先に、この町を見た時の最初の印象が過ぎったのだ。
 "緑の塊"。
 そう、遠くから見たこの町は、緑に覆われているように見えたのだ。だが実際には、町には街路樹くらいしかなく、学校の敷地内にも申し訳程度の植え込みがあるくらいだった。道は敷石に覆われているし、どこもかしこも建物と人だらけだ。
 緑があるのは、たぶん町の縁だけなのだ。大通りとは逆の方向へ、町のはずれへと向かえば、きっと緑があるに違いない。
 曲がりくねった路地を抜けて歩いていると、やがて、建物の合間からそれらしき木々が見えてきた。最後の細い通りを横切ったとたん、目の前がさっと開けて明るい日差しが西のほうから押し寄せてくる。草の匂いだ。目の前に、木立に囲まれた緑の斜面が広がっている。
 思わず彼は駆け出していた。毎日レンガづくりの建物の壁ばかり見てうんざりしていたのだ。実家の部屋から見ていた牧草地に比べれば狭いが、広々とした草地というだけで懐かしかった。人でごみごみした町中と違い、ここにはほとんど人の姿がない。町外れの公園、といったところだろうか。斜面の先は、どうやら崖になっているようだった。申し訳程度の古い石壁が続き、その切れ目から大街道の端がちらりと見える。
 イヴァンは、どこかのんびりできる場所はないかと視線を巡らせた。この公園はあまり人が来ないのか、手入れはされているもののベンチも何もない。良さそうな木陰を見つけて近づいていくと、そこには先客がいた。もう長いことそこに腰掛けているらしい、灰色の大理石で出来た先客だ。
 (…像?)
それは、石の台座に腰掛け、膝の上に読みかけの本を広げてちょっと首をかしげた、身なりのいい男の像だった。読書中に誰かに話しかけられた、とでもいった風で、気さくそうな微笑をこちらに向けている。足元の銅版に名前が刻まれているようだったが、草に埋もれていてはっきりとは読めない。
 (たぶん有名な人なんだろうな)
町の入り口にも、大きくて立派な騎馬の騎士像があった。歴史に詳しくないから誰なのかさっぱり分からないが、何しろ長い歴史を誇る国の首都なのだ。有名人の像くらい、そのへんにあってもおかしくない。
 しかし、いくら相手が像とはいえ、台座に一緒に腰掛けるわけにもいかない。他にもっといい場所はないかと像の後ろへ回り込み、きょろきょろしながら歩いていたとき、――イヴァンは、何かに思い切りけつまずいた。
 「うわっ」
同時に声を上げる。すんでのところで踏みとどまりながら、彼は視線を足元に向けた。
 それは一人の少年だった。草むらに埋もれるようにして、しゃがみこんでいたのだ。
 「何やってんだよお前、危ないだろ」
 「ああ…ごめん」
そう言って少年は、膝についた泥を払いながら立ち上がる。癖のある灰色っぽい髪に、ほとんど黒に見える濃い茶色の瞳。見たところ、同い年くらいだろうか。町の住人にしては身なりが良い。上等の上着を身につけていて、その袖口は僅かに土に汚れている。見れば、少年の足元には白いつぼみを沢山つけた植物があった。周りの土は掘られてまだ時間があまり経っていない。元からそこに生えていた、というよりは、たった今そこに植えられたような…。
 イヴァンの視線に気づいて、少年はかすかに微笑んだ。
 「エクルの花だよ。西のほうに自生する花だって。この辺りの気候だと冬は越せないらしいんだけど、この株は品種改良して寒さに強くなってるから」
 「お前が植えたのか?」
少年が草むらにしゃがみこんでいた理由を知ると同時に、イヴァンは呆れ顔になった。
 「公園に花植えるやつなんて初めて見たぞ。花壇にするなら普通、自分ちの庭とかだろ」
 「そうだけど、この町には住んでないから、勝手に植えられる場所が他に無くて…」
 「…??」
イヴァンは頭をひねった。「この町にわざわざ花を持って旅行に来たのか? 変わってんなぁ」
 「まあ、ね。依頼主はこの町には来られなくて…。ところで君は――」
少年が尋ねようとした時、後ろから高らかな足音が近づいて来た。
 「アル! 声が聞こえましたが、何か…」
木立の向こうから姿を現した少女は、イヴァンの姿を見てぴたりと足を止めた。すらりとした体躯に、腰に下げた剣。珍しい銀色の髪は後頭部でひっつめにしている。まだ二十歳手前くらいだろうか、誰もがはっとするような美人だ。手には、水の入った器を持っている。
 その美少女が、彼に向かって敵意に満ちた鋭い視線を投げかけてきた。水の入った器を片手に持ったまま、もう片方の手を腰に下げた剣にかけている。まごうことなき殺気。
 「…何者です、あなた」
 「何者って…通りすがりの」
 「騎士学校の制服着てるんだから学校の生徒さんだよ。」
隣にいた少年が代わりに答える。「…だよね?」
 「ああ、そう。ちょっと町の探検してたとこだ。」
 「探検ってことは、この町に来て間もないの? じゃあ、僕と一緒だね」
 「アル――」
少女が何か言いかけるのを先回りして、少年はイヴァンのほうに向き直って片手を差し出した。
 「僕はアルヴィス。アルって呼んでくれればいいよ。君は?」
 「イヴァンだ」
 「そうか。よろしくイヴァン。ちなみにこっちは…」
 「ティアーナです。」
まだ警戒を解いていないといった表情で、彼女はぶっきらぼうに答えた。折角の美人なのだが、愛想はよくない。だが、拗ねたような顔をしていても美しいのだから、それはそれでお徳かもしれない。
 「アルの案内を兼ねて同行しています」
 「護衛もすんのか?」
ちらりと腰の剣に目をやると、ティアーナはまた敵意のある視線を向けてきた。
 「そうですよ。何です?」
 「いや、女が剣ってのは、珍しいと思ってさ。」
 「王都には女性剣士も多くいます。近衛騎士の中にだって」
 「へー、そうなのか」
イヴァンに軽く流されて、少女はますます不機嫌そうだ。「…嘘だと思ってます?」
 「彼女はほんとに強いんだよ」
アルヴィスが笑う。
 「近衛騎士に入ってもいいくらいにね」
 「また冗談を。――それよりアル、そちらの用事は終わったんですか」
 「うん。水をありがとう」
少年は器を受け取りながら、何か思うところのあるような視線をイヴァンのほうに向けた。
 「君、"下の町"って行ったことある?」
 「下の町?」
 「街道から王都に上がる手前にある宿場町だよ」
そういえば、王都にくるとき、丘のふもとに町があったのを見たような気がする。だが、あの時は、目の前に聳え立つ緑の塊にばかり目を奪われて、ほとんど注意を払っていなかった。
 「この町に来るとき通過したっきりだ」
 「そうか。じゃあ、明日一緒に行ってみないかい?」
 「アル!」
ティアーナが声を上げる。
 「いいじゃない、人数が多いほうが絶対楽しいよ。明日は学校、休みだろ? またここへ来られるかな」
 「休み…あー、今日が金曜日か」
言われてからようやく、イヴァンは思い出した。「そういや授業は月曜から金曜って言われてたな」
 「あなた、…もしかして、今週この町に来たばっかりなんですか?」
呆れたような声。
 「ああ。なもんで、町のことは良く知らん」
 「それでこの公園に来るなんて。最初はもっと観光地を…」
 「順番は俺が決める。今日は緑が見たかったんだ」
二人のやりとりを聞きながら、アルヴィスがくすくす笑っている。
 「なんだか君を連れていくのは正解のような気がしてきた。じゃあ明日、ここで待ってるからね。きっと面白いものが見せられると思う」
 「ああ」
少年は、植えた花に水をやり終えるとティアーナと連れ立ってどこかへ去って行く。変わった二人組みだな、とイヴァンは思った。親しそうではあるが、親戚というわけでもなさそうだ。どちらかというと、そう、…どこか自分とレオンの関係に似ているような。
 (あいつ、もしかしたらどっか金持ちの家の子なのかな)
木陰に腰を下ろしながら、イヴァンは思った。わざわざ公園に来て花を植えていた品の良さそうな少年に、腕利きだという美人な女剣士。都会には、変わった人々がいるものだ。
 (ま、休日の予定が出来たのはいいことだな。一人でぶらついても面白くない)
木にもたれかかって心地よいそよ風を受けながら、彼は目を閉じた。人がいないお陰で、ゆっくりしていられる。適当に辿り着いたにしては悪くない。この公園は、これからも気に入りの場所になりそうだった。



 休日の学校は、いつもとは随分違った雰囲気だった。廊下ですれ違う生徒たちは少なく、朝食の時間になっても食堂には空席が目立ち、生徒たちの姿はほとんどない。
 「寝坊してるんだよ」
いつもの時間に食堂にいた数少ない生徒の一人、エデルは、そう言って肩をすくめた。いつもどおりの時間に几帳面に食堂に来ている人数は、イヴァンを入れても十人くらいだ。
 「今日は授業が無いから。朝食の時間に間に合わなくてもあとで町に出て何か買えばいいし、朝食抜きの人もいる。昼も、外で食べる人が多いよ。町のほうが美味しくてお洒落な店が多いんだ」
 「ふーん。お前は、そうしないのか」
 「だって高いんだもの」そう言って、彼は肩をすくめた。「ここで食べれば学費に含まれてるんだからさ。実家の仕送りはあるけど、無駄遣いせずに溜めておきたいんだ」
 「堅実だな…。ま、俺は食えればなんでもいいんだけど」
いつものように自分の分の朝食を早々にぺろりと平らげてしまったイヴァンは、向かいのエデルが食べ終わるのを待っている。
 「今日はどうするの? 行くところとか決まってる?」
 「ああ。下の町に行ってみようかと思ってる。」
アルヴィスたちのことは言わずに、目的地だけを告げた。
 「下の町か。あそこはいいよね、物価も上よりは安いし」パンをちぎって飲み込みながら言う。「おれは仕事」
 「仕事?」
 「臨時雇いの仕事。アルバイトは禁止されてないから。卒業したあとにどんな仕事に就けるか、今から考えなくちゃ。」
 「お前、ほんと堅実だなぁ…」
イヴァンは呆れて、赤毛の少年を眺めた。なぜ騎士学校に来たのか、と言いたくなるほどだ。
 「どこで働いてるんだ?」
 「大通りの大きな本屋さんさ。外に螺旋階段がついてて、赤い看板がかかってるから、すぐ分かるよ。今日と明日はずっとそこにいる。興味あったら覗きに来て」
 「ああ、時間が余ったらな」
食事が済んで食堂を出た後、二人は玄関前で別れた。エデルは大通りのほうへ、イヴァンは町外れの公園のほうへ。いつもなら授業の始まるくらいの時間だが、鐘の音がしないのが奇妙な感じだ。
 良く晴れて、建物の向こうに見えている空が青い。草の香りを胸いっぱいに吸い込みながら昨日と同じ像の前に行ってみると、アルヴィスとティアーナは既に到着していた。
 「やあ、早かったね。」
 「そっちよりは遅いけどな」
ティアーナは何故か今日もむすっとしている。昨日よりも機嫌が悪そうにさえ見えた。だが、アルヴィスは気にした様子もない。
 「今から向かうけど、準備はいい?」
 「ああ。けっこう歩くんだよな?」
 「歩いて行ってもいいけど、普通は乗合馬車で行くんだよ」と、アルヴィス。「広場のほうから定期便が出てる。下の前と上の町を繋ぐ便がね」
 「……。」
イヴァンは、自分が今歩いてきた道のほうをちらりと振り返った。「だったら、広場で待ち合わせしたほうが良かったんじゃないのか」
 「でも君、停車場知らないよね?」
 「…まぁ」
 「それなら、ここでいいじゃないか。」アルヴィスは屈託なく笑っている。「広場は人が多くて落ち着かないし。」
それもそうだな、とイヴァンは思った。何故だろう、昨日初めて会ったばかりだというのに、この少年とかなんだか気が合いそうな予感がする。
 はあ、とティアーナが大げさにひとつ溜息をついた。
 「では、行きましょうか。」
三人は、連れ立って広場を目指した。先頭は、この町をよく知っているらしいティアーナだ。歩きながら、イヴァンは初めて見る通りをきょろきょろと見回していた。両脇はずっと、三階建ての古びた石造りの建物が隙間なく続いている。
 「よくも一箇所に集まって住んでられるもんだ。うちの町はこんなに人いねーな」
 「イヴァン、西のほうから来たんだよね?」 
驚いて、イヴァンはアルヴィスのほうを見やった。
 「何で分かった」
 「言葉に少し西方訛りがあるから。サーレ辺境伯領じゃない?」
 「ああ、そうだ。良く分かったな」
 「サーレは今から百年ほど前に森を切り開いて作られた新しい領地だから人が少ない。国土を広げた労を讃える、として、その時の開拓者のリーダーに爵位が与えられた」
 「…凄いな、そんなのも知ってるのか。」
 「まあね。父がそういうのに詳しくて…。アストゥールの地理ならだいたい分かるよ」
学者の家か何かなのかな、とイヴァンは思った。それにしても、ティアーナはどうして怒っているのだろう。黙っているが、背中越しに不機嫌さの度合いが増していく気配がある。
 「そう言うお前は、どっから?」
 「クローナ公領だよ。北の果てだね。国境の目の前って意味では一緒」
 「へー、クローナか。聞いたことあるな。この国で二番目に大きな商業都市だっけ」
 「そう。小さい頃はこの町に住んでた時期もあるんだけど、町のことはあんまり良く覚えてなくて――」
こほん、とティアーナが咳払いした。
 「アル、そろそろ着きますよ」
目の前に、大通りへの出口が広がっていた。
 通りへ出たとたん、雑踏と喧騒とが一緒になってわっと押し寄せてくる。ここで待ち合わせしなくて良かった、とイヴァンは心底思った。人、人の海で、この中から特定の誰かを見つけ出すなど出来そうも無い。おまけに、こちらの歩く方向にお構いなく目の前を横切ろうとする人波が絶えずあって、真っ直ぐ歩くことすら出来ない。先を歩くティアーナからはぐれないようついていくのが精一杯だ。
 行く手の通りの一角に、色の塗られた金属製の棒が目立つように立っていた。その前に列が出来ている。
 「ここが乗合馬車の待ち合わせ場所です」
と、ティアーナ。「下の町と往復しているんです。この時間は、下から上の町に働きに上ってくる人が多いですね」
 「ふーん」
傍らの広場には、馬車や人が溢れている。着いたばかりの時に見た騎馬の像もあって、相変わらず天に向かって剣を振り上げている。
 「なあ、あれって有名な人なのかな」
 「は?」
イヴァンが像を指差すと、ティアーナが苛立ったような声を上げた。「あなた、"英雄王"シドレクも知らずにこの町へ来たんですか?」
 「シドレク? …あーなんか、歴史の授業で習った気がする。確かえっと、昔の王様」
 「二百年ほど前のね」
アルヴィスも苦笑している。「人気の王様の一人だ。」
 「…何した人だっけ」
 「白銀戦争と西方の乱を戦い抜いた王。双樹王家の創設者」
すかさずティアーナが答える。「もっとも、彼一人の力ではなく、次代の"融和王"の力も大きかったと言われてますが」
 「彼の時代以降、この国では大きな戦は起きていない」
と、アルヴィス。「…最後の悲しい戦いのあった時代だ」
 その声は、どこか遠くに向けられているようにも気がした。だがイヴァンには、それは単なる歴史への感傷のように思われた。歴史の授業をほとんど覚えていないイヴァンは、黙っているしかなかった。間もなく馬車がやって来たので、その話はそこまでとなった。
 馬車は乗客を降ろし、また次の客を詰めこんで、来た道を逆に、つづら折りの道をゆっくりと降りていく。一日に何往復もするのだろう。見ていると、徒歩で王都まで登っていく人は稀で、ほとんどが馬車か馬に乗っている。見上げると、かなりの高低差があることも分かった。
 「町の説明を聞く?」
 「ああ、聞かせてくれるなら」
 「この都が出来たのはおよそ七百年前。初代王イェルムンレクが首都に定め丘に城を築いたのが始まりだ。"下の町"はおよそ百三十年前くらいから出来始めた。元々は三年に一度、王国中の自治領の首長たちが王都の議会に出るために集う時に天幕を張る仮宿場だったのが、いつしかそこに定住する人が現れたのが始まりだと言われてる。」
アルヴィスは、まるで教科書でも読み上げるかのようにすらすらと語る。
 「詳しいんだなあ。で、今日はその"下の町"に行って何するんだ?」
 「そこにしか生えてない木があるんだよ」
少年はいかにも嬉しそうな顔をしている。「今の時期なら、きっと綺麗だろうな。楽しみだ」
 つづら折りの道を降り切った馬車は、軽快に町の中へと入っていく。敷石の上で車輪がリズミカルにはねる。下の町は、王都とは違って、庶民的な雰囲気だ。新しい建物が多い。
 馬車は広場で止まり、そこの停車場でイヴァンたちを降ろして、待っていた次の客の積み込みにかかった。広場といってもこぢんまりしたもので、真ん中に小さな噴水がある以外、とりたてて目を引くものはない。通りの人ごみも、上の町ほどではなかった。
 「こっちだよ」
と、アルヴィスが言う。広場から放射状に延びている通りの一つへ入っていくようだ。
 「…あ」
 「あれだ」
イヴァンとアルヴィスは、同時に声を上げた。行く手に、黄金色に沸き立つような茂みが見えてきたのだ。周りに人が集まっている。
 それは、通りの一角を柵で囲って切り取るようにして作られた広々とした植え込みの中に生えている一群の木々だった。ふわふわとした、それでいて妙に安定感のある姿。見たこともない形の葉は、日差しを受けて金色に輝いて見える。ユラニアの森にある、どんな木とも似ていない。こんな木は生まれてはじめてだ。
 「…すげえ、これ黄色じゃなくて金だよな」
 「そうだね」
目を大きく見開いて見上げているイヴァンとは裏腹に、アルヴィスは足元に集中して、散った木の葉を丁寧に拾い集めていた。イヴァンも、足元にひらりと落ちてきたばかりの葉を一枚、取り上げた。光に翳すと、これは確かに金色のように見える。だが、つくりものでないことは明らかだ。見ると、周りの観光客らしき人々も、記念にするためか、同じように舞い落ちてくる葉を拾い上げていた。
 「"黄金の樹"――王家の象徴でもある木です。王宮にあるオリジナルの大樹から実生で増やされたもの。」と、ティアーナ。「ただ、実生のはずなのにこちらは、何故か親樹とは異なる性質を持っています。実をつけるのは親樹だけなんです」
 「その謎を知りたがってる人が、クローナにいてね」
と、アルヴィス。「王都に行くならついでに調べて来いって言われてたんだ。」
 「ふーん…。」
イヴァンは、固まって生えている四、五本の木々を眺め回して、ふと、一点の視線を留めた。
 「この木、本当に実が生らないのか?」
 「ええ。植えられてから百年以上の間、一度も――」
 「んじゃ、あれ何? ほら、隣の木との枝の間になんか丸いのあるけど」
彼が指差した場所を見上げたアルヴィスの目が、大きく見開かれた。
 「…まさか」
 「ええ?」
 「ちょっと待って。図鑑を調べてみるから。王宮の木のほうで、実をつけたときの記録が確か」
アルヴィスは大慌てで荷物の中を探っている。「あ、場所、覚えててね! 落ちないか見ててよ」
 「あぁ、落ちないと思うし、落ちても無くなるわけじゃないと思うけど――」
アルヴィスは聞いていないようだ。ようやく探し当てた本の付箋を挟んだページを開いて、食い入るように覗き込んでいる。隣で、ティアーナのほうは真剣な表情で、さっきイヴァンの指差した場所を食い入るように見つめている。
 しばらくの間。やがて、アルヴィスは結論を出した。
 「形状は同じだ。調べよう」
 「わかりました」
ティアーナが頷く。
 「調べるって、どうやって…」
 「そこのあなた」
柵の脇を歩いていた騎士風の白いマントの男に近づいていって、ティアーナが何か話しかけている。男は、ちらりとこちらを見て、はっとした表情になる。間もなく、ティアーナは、何事もなかったような顔をして戻って来た。
 「騎士団の了解は得ました。はしごを借りられるそうです」
 「へ、騎士団?」
 「上の町も下の町も、管轄は中央騎士団だから。」とアルヴィス。「この木は王家の所有物ってことになってて、誰かが勝手に痛めたりしないように中央騎士団が警護してるんだよ。」
 「何でそれを調べるのにあっさり許可が降りるんだよ。」
 「それは内緒。」
意味ありげに口に人差し指を当て、アルヴィスは、金色に輝いている木を見上げた。やがて、通りの向こうからさっきの白いマントの男が、はしごを抱えた仲間たちを連れて戻って来た。
 「お待たせしました!」
そう言って、男はアルヴィスとティアーナに敬礼する。
 「ありがと。少しの間借りますね」
 「はっ」
ティアーナとアルヴィスは騎士たちから借りたはしごを持って柵を乗り越えていく。「何してるんです? あなたも来なさい。はしごを支えるのに一人じゃ足りないでしょう」
 「…はぁ」
木の幹にはしごをかけると、イヴァンは、アルヴィスが登っていく間、下を押さえた。ティアーナのほうは、アルヴィスが足を滑らせて落ちてこないかと心配そうに見上げている。
 「いかがですか?」
 「うん、…実物は標本でした見たことは無いけど、質感が同じだ。もう熟してるみたいで」
アルヴィスは、両手でそろそろと実らしき丸いものに触れる。
 「あ、とれた」
 「え?」
 「押さえてて、いま降りるから」
少年は、木の枝にひっかからないようそろそろとはしごを降りてくる。片手には、大事そうに実を握り締めている。
 「それ、ほんとに実なのか?」
 「間違いないと思うよ」
広げた手の平の上には、葉と同じように金色に色づいた、くるみほどの大きさの実がひとつ載っている。アルヴィスはそれを、ポケットから取り出したハンカチにくるみ、大事にしまいこんだ。
 「実は、これだけなのかなぁ」
 「んー見たところ、それっぽいのはもうないな」
 「あなた、よく見つけられましたね」
ティアーナの口調は、呆れているのか関心しているのかよく分からない。
 「まぁな。こういうの慣れてるんだ。食える実のなる木は森でよく探してたし、熟す季節がきたらとっとと取りに行かないと他の動物にとられちまうからな」
 「…野生児ですか?」
 「森で生きる術だね」
アルヴィスが笑う。「とにかく、これ一つでも大発見だよ。急いで戻って報告しなくちゃ。君も一緒に来て」
 「俺?」
 「発見者だからね」
 「まぁ、そりゃいいけど」
 「アル…!」
ティアーナが突然、反応した。「まさか、この男を、あそこへ連れて行くつもりなんですか?!」
 「彼が見つけてくれたのは事実なんだから。それに、僕が一緒に来て欲しいんだ」
 「…、…分かりました。」
納得はしていない様子だったが、ティアーナはそれ以上何も言わず、待っている騎士たちのほうへはしごを返しに行く。揃いの白いマントは彼らの制服なのだろうか。やけに目立つ。
 (そういやあ、シーザは中央騎士団って言ってたな)
ふとイヴァンは、ベオルフとともに実家の館を訪れた騎士のことを思い出していた。きっと今頃、あれと同じ白いマントをつけて、どこかで勤務しているのだ。町を出歩いていれば、そのうち再会することもあるかもしれない。
 「では行きましょうか」
戻ってきたティアーナが二人を促す。
 「で? 報告って、どこ行くんだこれから」
 「王宮だよ」
 「ふーん、王宮……って、王宮?!」
 「正確には、王宮の裏口から入ったとこにある研究室かな。あ、心配要らないよ。裏口側は王宮で働く人たちが沢山住んでるところで、警備も緩いし部外者でも入れるから。」
 「お前そんなとこで働いてるのか」
 「働いているのは、クローナから一緒に来た人」
アルヴィスは苦笑する。
 「…昨日植えてた花も、ほんとはその人が植えに行くはずだったんだけど、旅で腰を痛めちゃって。」
それ以上喋らせたくないのか、ティアーナがわざとらしく咳払いした。
 「戻りの馬車が着いてますよ。少し急ぎましょう」
見ると、広場の端に来た時と同じ馬車が止まっている。なんとも忙しないが、ゆっくり観光するのは、また今度だ。それよりも、王宮に入れるということのほうが、イヴァンの興味を引いた。
 上の町へ戻ると、広場からは徒歩だった。王宮は、大通りを真っ直ぐに行った正面だという。言われてみると確かに、いかにも城といった尖塔や門が通りの向こうに見えている。だが、アルヴィスたちはその道は通らないという。
 「裏口から入るからね。そっちは、あんまり観光客はいないんだよ」
実を入れたかばんが潰されないよう、胸の辺りに大事に抱きかかえながらアルヴィスが言う。「ついてきて。」
 イヴァンは、周囲に視線をやった。下の町と同じように、この町も広場を中心として放射状に通りが走っているようだった。ただ、歴史が長いせいか、ところどころ規則から外れた小道のようなものが入り組んでいる。人ごみに馴れてくるにつれて、彼にも、下の町と同じ白いマントの騎士の姿が所々にあるのを見分けられるようになってきた。
 「騎士団の連中、どこにでもいるなぁ」
 「王都周辺の警備が主な任務だからね。この町は特に多いよ」
なるほど、だからなのか。途中にある由緒正しそうな建物や像の近くには、必ず一人か二人は騎士の姿があった。これなら治安も良いはずだ。
 「うちの親父も昔、短期間だけど騎士団にいたらしいんだ。警備やってたなんて、全然イメージ湧かないけど」
 「そうなんだ。ふふ、もしイヴァンみたいな人だったら、確かにイメージ湧かないね」
 「…どういう意味だよ」
 「だって」アルヴィスは、振り返って笑った。「イヴァンは、人に指示されてそのとおり動くなんて嫌でしょ?」
 「……。」
先頭をゆくティアーナには、聞こえているのかいないのか。彼女は振り返らずにどんどん先へ歩いていく。大通りから細い路地へ。古びた家々の間を通り過ぎ、やがて、行く手に立派な城壁と、硬く閉ざされた鉄格子の門とが見えてきた。左右に衛兵が立っている。
 「まさか、あそこ入るのか」
 「うん。でも大丈夫、門はあるけどお客さんの出入りは自由だから」
アルヴィスは、平然とした顔で門の前に立った。
 驚いたことに、衛兵たちは無表情なまま敬礼を返し、何も言わずに門を開いた。
 「ね?」
 「いや、ねって言われても…」イヴァンは、視線をあさっての方向に向けて彫像のようになっている衛兵たちをちらちらと見やる。
 「ここを通る人間は限られてますから、顔は覚えてますよ。」
ティアーナが言い、イヴァンを追い越してさっさとアルヴィスについていく。イヴァンもあわてて後を追った。背後で、鉄格子の閉まる軋むような音がする。裏口とはいえ、さすがは王宮――だろうか。妙な緊張感があった。
 裏口から入った中庭のような場所には、厩のほか幾つかの施設があり、奥のほうにはさらに別の門が見えた。そちらは、衛兵だけでなく見張り塔まであり、門も重たそうな鎧戸になっている。"王宮"の本体は、そこから始まっているのだうろう。中がどうなっているのかは分からないが、故郷の館とは違った物々しい雰囲気だ。
 アルヴィスは、奥の門の手前の小路を曲がって奥の門から続く塀を迂回するように歩いてゆく。視線を行く手に向けていると、やがて、塀の向こうに予想もしていなかった色鮮やかな町並みが見えてきた。すべてが同じ造りの、連続して作られた二階建ての建物の群れ。それらを見分けるためなのか、建物は一棟ずつ、青や黄色や萌黄色といった、鮮やかな色に塗り分けられている。やけにかわいらしく、今まで見てきた風景とは馴染まない。
 「ここも王宮…なのか?」
 「一応ね。ただ、王宮の敷地内だけど直接は繋がっていないんだ。ほら」
指差した先には、隣には高く聳え立つ立派な岩壁がある。そのはるか上のほうに、王宮の建物の壁らしきものが見えている。
 「ここは"学者の小路"って呼ばれてる。"融和王"の時代に作られた町で、学術都市サウディードの学者たちを定期的に招くために宿舎を築いたのが始まりだとか。」
家々の間には、崖に沿って通りが一本、まっすぐに奥まで続いていて、両脇に色とりどりの家がひしめくようにして建っている。
 「私の家も、ここにあるんです」
ずっと黙っていたティアーナは、ここに来てようやく口を開いた。
 「彼女の家は、家族全員が王宮づとめだからね」
そんなことを言いながら、アルヴィスは近くの青い壁の建物に近づいていって、扉を叩いた
 「ルディ、いる?」
イヴァンは、ちらとティアーナのほうに視線をやってからその後に続いた。ティアーナの視線は相変わらず敵意に満ちて、――しかも時を追うごとに、なぜかそれは強まっていく――うっかり何かしようものなら背後から斬りかかられそうな凄みがある。
 足を踏み入れた途端、つんとするインクの匂いが押し寄せてきた。
 家の中は、外壁の鮮やかすぎる青い色とは裏腹に落ち着いた白い上品な壁紙で整えられていて、大きな書き物机が窓際を占めている。そして壁の大半は書架になっていて、なにやら難しそうな本がびっしりと並んでいる。その前に立っていた人物が、椅子にもたれかかりながらこちらを見ていた。老人と言ってもいいくらいの年齢で、まるで枯れ木のように痩せた、風に吹き飛ばされそうなくらい華奢な男だ。
 「おかえりなさい、アルヴィスさん。それにティアーナさんと…」
間延びした、どこか浮世離れした声で言って、男はめがねを指で押し上げた。
 「その子は、新しいお友達?」
 「ええ。」
 「あ、えーと。イヴァンです」
 「イヴァンさんか。私はルディ。クローナの植物研究室で研究員をしているんだ」
眼鏡の奥に一瞬、思いのほか聡明そうな眼差しが見えた。なるほど、学者と言われれば雰囲気には納得できるものがある。
 「ルディ、見せたいものがあるんだ」
かばんを開いて、アルヴィスは、ハンカチに包んだものを取り出した。
 「おお、これは…!」
身を乗り出しかけたルディは、ふいに表情を歪めて腰に手をやった。机に寄りかかり、へなへなと崩れ落ちそうになるのを慌ててアルヴィスが支える。
 「大丈夫? まだ横になってたほうがいいんじゃないかな」
 「こ、これしき…はあ、情けない。馬車に揺られたくらいで腰をやられるとは…あ、あたた」
 「楽に座れる椅子を手配中ですから、それまでご辛抱ください先生」
ティアーナも支えるのを手伝って、二人がかりでルディを奥の部屋へ連れて行く。奥は寝室になっているようだ。
 しばらくして、二人が戻って来た。
 「やっぱり、しばらくじっとしててもらわないとだめだね」
 「ええ。いっそ本棚の側に寝台を動かしてもらいましょうか。それなら目を離しても大丈夫かと」
 「…なんか大変そうだな」
 「うん、ごめんね。折角来てもらったのに、こんな状態で。」
 「話だけなら出来ますよぉ」
奥から、間延びしたルディの声が響いて来る。「黄金の実…そ、それをどうやって見つけたのか…、あ、あたた、き、聞かせてくだ…」
 「待ってて、すぐ戻るから」
慌ててアルヴィスはハンカチごと木の実を取り上げる。「イヴァン来て。一緒に話を」
 「あ、ああ…」
学者というのは付き合うのが大変なものなのだな、などと思いながら、イヴァンは後ろに続いた。 
 ベッドに横になって呻いているルディに木の実を見つけた時の話をひととおり報告し終わって青い家を後にしたとき、日はもうすっかり傾いて、夕方になろうとしていた。
 「ごめんね、なんだか時間を取らせてしまって。」
アルヴィスは、心のそこから申し訳無さそうな顔をしている。
 「いや、まぁ。喜んでもらえたみたいだ良かった。こんな変わったとこ見せて貰えたし、あの人の話は面白かったよ」
 「ここで見たもののことは、他所で言いふらさないでくださいね」
すかさず、ティアーナが釘を刺す。「アルのこともです。…人に言ってませんよね?」
 「言ってないよ。なんだよ? あんた、ずっと俺にそんな調子だな」
 「あなたは部外者ですから」
彼女は、つん、とした表情でそっぽを向く。
 「だいたい、ここへ連れて来ることだって私は反対だったんです。ここでは公にされていない王命での研究も行われていますし、学会の要人だっているんですよ」
イヴァンは頭をかいた。
 「んー…まぁ、雰囲気的に、俺なんかが来る場所じゃないなってのは分かったけどさ」
 「気にしないで。ティアーナはいつもこんなだから」
笑いながら、アルヴィスは言った。「感謝してる。イヴァンがいてくれなかったら、僕らだけじゃあの実を見つけられたか分からないから」
 「おう。まぁ、また何か面白そうなことがあったら誘ってくれよな。」
笑い返してから、彼は空を見上げた。
 「あー、もう日が暮れるな。帰り道分かっかな…」
空は夕焼けに染まり始めている。もうじき、街灯が灯り始める時間のはずだ。
 「そうか。まだ町に不慣れなんだったよね。ティア、送ってあげて」
 「…私が、ですか?」
 「僕のほうは大丈夫だから。」
僅かな沈黙。少女は、不承不承といった様子で頷いた。
 「…分かりました、アルがそう言うのなら。」ちらりとイヴァンのほうを見る。「行きましょう」
 「ああ、…じゃ、またな」
 「うん」
外に出ると、夕方の風が町を駆け抜けていく。通りには普通の町と変わらないような夕餉の匂いが漂い、子供が数人、井戸の周りで談笑している母親たちの周りで遊んでいる。
 来た道を逆に辿りながら、ティアーナはずっと無言のままだった。大通りを渡りきり、学校へ続く小道へ入ったところで、しびれを切らしたイヴァンは、自分から話ししかけた。
 「なあ、あんた、あいつとの付き合いは長いのか?」
 「……。」
返事は無い。
 「あいつって、護衛つけなきゃならないほど重要人物なのか? それとも、あんたが過保護なだけ?」
 「あいつとか言わないで下さい。私はアルが望むから呼び捨てにしてるだけですよ」
 「ふーん。ま、なんか偉い奴なんだな。で、あんたは従者ってとこか」
ふいに、先を行くティアーナの足が止まった。振り返ったと思ったら、いきなり剣を抜いてイヴァンの喉元に突きつけた。避ける間もない早業だ。
 「…おいおい、なんのつもりだよ」
冗談などではない。深い藍色をした瞳が、殺意にも似た光を宿してイヴァンの顔の間近にある。
 「詮索は止めてください。不愉快です」
 「だからって武器抜くか? こんなとこ、人に見つかったら」
 「騎士団の巡回経路は覚えています。」
余計にタチが悪いな、とイヴァンは視線を泳がせた。誰か、近くに通行人でもいないかと思ったのだ。だが、こんな時に限って誰もいない。
 「あんたさ、ちょっと過剰反応すぎるんじゃねぇか? 俺が何するっていうんだよ」
 「何もしなければいいというものではないんです。あなたの存在そのものが目障りなんですよ」
 「…はぁ?」
剣を引くと、ティアーナは、ふいと踵を返した。「そこを真っ直ぐに行けば学校の正門前に出ます。」それだけ言って、さっさと元の道を戻っていく。イヴァンは、ぽかんとして彼女の後姿を見送った。そして歩き出そうとした時、自分の体が緊張で硬直していたことに気づいた。
 (あの女――)
冷たい汗が流れ落ちる。ティアーナの剣の腕は近衛騎士に入れるほどだ、とアルヴィスは言っていた。もしかしたらそれは、誇張ではなかったのかもしれない。

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