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 出発の時は、島中の獣人たちが見送りに来てくれた。桟橋いっぱいに、黒、白、茶色の毛深い人々が両手を振っているさまは、なかなかに壮観だった。
 「なんだか色々あったけど、いい人たちだったわね。」
 「そうだな」
ワンダは、身を乗り出して母親と妹たちに大きく手を振っている。調子にのって乗り出しすぎて転げ落ちかけ、あわててリゼルとウィラーフが足を掴まなくてはならなかったほど。父親のロアは真っ黒なうえに大柄で、中でも一際目立つ。敵になれば恐ろしいが、味方につければ、これほど頼もしい味方はそういない。単純だが情に厚く、勇敢。五百年前にアストゥールの王と結んだ友情を、今でも大事に思っているために。
 小舟は浅瀬の岩礁の間を進み、小島の間を抜けていく。とがった山も、特徴的な家々も、すぐに他の島々の向こうに見えなくなってしまった。
 ここからは、しばらく海だけが続く。リゼルは、ちら、とウィラーフのほうを見た。「今度は、そんなに長い距離じゃないから…」
 「…失礼な。そんな、乗ってすぐ気分悪くなったりしませんよ。」
ウィラーフは憮然として言い、拗ねたように背を向けてしまった。「もう慣れましたし」
 「それなら、いいんだけどね」
リゼルは、船縁にもたれかかって空を眺めている。船は、近くの漁村に買出しにいくためのものだ。一番近い村に下ろしてもらって、そこから街道までは、徒歩。途中で乗合馬車を捕まえるか、馬を借りてサウディードに向かう。
 「”エサルの導き手”…」
ぽつりと、リゼルが呟いた。さっきから、ずっと考え事をしていたらしい。
 「多分それが、あいつらの名前だ。”オウミ”、”サラース”… それに、おれのことも知っていた。判らないな… 一体、何をしようとしているんだ」
 「”エリシュオン”のことも気になるわよね。あいつらが現れたのって、詩に関係ある場所ばかりみたいだもの。」
 「レトラの詩も、詩の一部なのかもしれませんね」
 「そうだな。」
リゼルは、唇の端を噛む。
 「――ローレンスを殺したのがあいつらだとしたら、持っていた資料の内容も、あいつらに知られているんだよな。アジェンロゥの隠していた詩はつい最近知ったばかりとしても、おれたちのほうは、残りの詩がどこにあるか、どのくらいあるのかすら見当もつかない」
その先に何があるかすら。今のところ、すべて後手後手に回っている。紋章は取り戻し、レトラの古老から託された書き物も守りきったというのに、敗北感だけが蟠っている。
 「サウディードには、連絡網があります。王に指示を仰いでみるのがいいかと」
 「そうだな。どのみち、報告は送らないと。”書庫”で何か見つかっているといいけど」
 「……。」
ふいに、ウィラーフが船縁に額をつけた。
 「ど、どうした?」
 「…すいません。」
頬が青ざめている。
 「……。」
 「……。」
リゼルとシェラは、顔を見合わせ、無言に視線を交し合った。
 「えーと、じゃおれたち船尾のほうにいるから。」
 「うん、見てないから。着いたら教えるわね。」
客船でなくても、船全般が駄目なのかもしれなかった。


 リゼルは、懐に隠していた”黄金の樹”の紋章を取り出してみた。
 台座の部分は少し傷ついていたが、宝玉は無事。どこも変わったところはなく、シドレク王に預かったときのままだ。他にもこれが必要になる場所があると知っていたら、あの謎めいた”エサルの導き手”たちは、これほどやすやすと手放したりはしなかったかもしれない。
 使うべき場所は、セノラの谷と獣人の島クニャルコニャルだけなのか。
 それとも、他に使うべき場所があることを、彼らはまだ知らないのか。
 獣人たちに伝えられていた詩の一部は、シェラから聞いた。壁に刻まれていたものと、おそらく同じなのだろう。文字としてだけでなく、歌として口伝でも伝えられていることを、灰色の髪の男と仲間たちは知らなかった。

 黄金の樹は剣となり
 白銀の樹は盾となり
 
 礎となり
 罪を背負い

 同じく大地より生まれし子らは
 壁の向こうに隔てられ

 イルネスの中つ大地にて
 ともに出会うその日まで



小さな声で口に出してみた。
――手の中にあるものは、”黄金の樹”。このアストゥールの王家を象徴する紋章。
銀は――。


 黄金の樹は剣となり
 白銀の樹は盾となり



 ずっと、クローナが「銀の王家」を名乗るのは本来の王家に対抗しての見栄のようなものだと思ってきた。かつてクローナにあった騎士団の紋章にも当主の紋章にも銀の樹は使われていたが、誰もその謂われを知らず、本当に五百年前からあるものなのかすら判然としていなかった。それが、建国詩と同じ五百年前に作られたと思われる詩の中に出てくるということは…。
 「クローナの、銀の紋章…。」
前クローナ当主である父の顔。最後の朝に手渡された形見と、彼の言葉。リゼル――アルウィンは、今もはっきりと思い出せた。
 あの時は、ただの戯言としか思わなかった。つまらない意地だと、戦力差からして勝ち目のない戦いの前に、自らを奮い立たせるための思い込みだと。冷めた目をして、ただ、聞き流していた。忘れようとさえしていた。
 何故、今になって。


 まだ子供だった彼の手に置かれたものは、今、手にしている”黄金の樹”とは形の違う、樹と呼ぶには奇妙な形をした紋章。その真ん中には、赤い宝玉のかわりに、小さな銀盤が埋めこまれていたのだった。



―第四章へ続く

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