5



 それから泥のように眠り続け、目が覚めたのは丸一日も経ったあとのことだった。
 眠り薬が効き過ぎたせいと、疲労が重なったのだろう。たっぷり睡眠をとったお陰でウィラーフの船酔いも、すっかり良くなったようだ。ただし無茶をしすぎた両腕には、しばらく傷が残るだろう。
 その日リゼルは、シェラとともに再び墓所の奥の壊された壁の前に来ていた。火薬か何かを仕掛けて爆発させたのだろう、その場所には、粉々になった石の断片が散らばっているばかり。
 「神聖文字が読めていればなあ」
と、リゼルは心底座残念そうに溜息をつく。
 「奴らが何を知りたがっていたのか、それも判らないなんて」
 「うーん、読めそうな破片はほとんどないわね」
と、シェラ。
 「判るのは… イル…ネス、かしら。イルネスの中つ大地…。何のことか、全然わからないわね。」
戦いで散らばった積み石は、元通りに積み上げられている。ロアたちが直したのだ。幸い、天井は穴が広がっただけで崩れてはいない。これからも、ここは、大昔の戦いの記憶を語り継ぐ場所として使われ続けるだろう。
 「そういえば、ウィラーフのあの腕の傷。本人に聞いても言わないんだけど、何があった?」
 「縄で縛られて、抜けだそうとしてね。ちょっと無茶したみたいよ」
あの暗がりの中で聞いたウィラーフの言葉は、今となっては夢でも見ていたのかと思うくらいだ。今朝見たウィラーフは、相変わらず無愛想でシェラが話しかけても、ろくな返事は返って来なかったし、弱音を吐くようには全然見えなかった。あれは、死を覚悟する中でほんの一瞬だけ垣間見せた、押し隠された本心だったのかもしれない。
 「ねえ、リゼルって剣術とか全然だめなの?」
 「え?」
 「何となく。ウィラーフがいつも心配してるの、あなたが弱そうだからなのかなーって」
リゼルは、苦笑して自分の手に目をやった。
 「乗馬術と一緒に、ひと通りは習ったよ。これでも並の相手なら負けないつもりなんだけどな。」
 「ああ… 周りが鬼みたいに強すぎるせいで、いまいちに見えちゃうってやつね…」
嘘か本当か巨人退治やドラゴン征伐の伝説まである”英雄王”シドレクや、騎士団の中でも凄腕ぞろいの近衛騎士団員と並べれば、誰だって赤子同然だ。肩を並べるには到底及ばず、常人以上の腕でも頼りなく見えてしまうだろう。
 「もう一つ聞いていい?」
 「ん」
 「あなたがシドレク王に仕えているのは、…故郷のため?」
リゼルは一瞬目を瞬かせ、それから、突然笑った。
 「それもあるけど、おれは、あの方のことが好きだから。」
あっけらかんとした、単純すぎる理由。しかしその口調には、ほんの僅かな迷いすら無い。疑いようのない正直な気持ち。
 「でも…あなたは」
 「恨みなんて無いんだ。戦争で人が死ぬのは当たり前だし、避けられない戦いだってある。生きるために誰かを殺めるか、自分が殺されるか選ばなくてはならない時に、自分が生き残りたいと思って悪いわけがない。おれは、誰も責めたりしない。ウィラーフも、シドレク王も、父上も… 大切なのは過去じゃない、”今”だ」
誰もが簡単に抱くはずの気持ちを忘れようとして忘れてしまえる者は、多分そう多くはない。理解出来る人は少ないだろう。ウィラーフでさえ、それが言葉の上だけのものなのか疑っている。
 だがシェラには、彼の言う「恨みはない」という言葉は、真実なのだと思った。多くの過ちや諍いの元になってきた思いから、彼だけは、自由でいられるのだ。
 「あ、いたいた。おーい、リゼルぅー」
入り口のほうから、ワンダがぱたぱたと駆けてくる。「とうちゃんが話あるっていってるぞー。」
 「分かった、すぐ戻る」
シェラは、歩き出す少年のほっそりした後ろ姿を見ていた。今まで見てきた若い騎士たちとは、比べられないほど貧弱だ。
 ただ、何故なのだろう。自ら剣をふるうことは無いはずなのに、時々、騎士たちよりも勇敢に見えることがある。


 ワンダの家の丸テーブルを囲んでいたのは、リゼルとシェラ、ウィラーフ、それにワンダと父親のロアだった。ロアは難しい顔で腕組みしている。あの晩いらい、こうして話をするのは初めてだ。
 「まずは、アルウィン殿。先日の非礼に改ためてお詫び申し上げる。」
 「それはもういいんです。王から預かったあれを奪われたのは、こちらの不注意ですし。それより、奴らがこの島へ来たのは、いつなんです? あなた方は、あの墓所の奥に隠された文字について、どこまで知ってたんですか。」
 「着いたのは前日です。間もなく裏切り者…あ、いや。アルウィン殿たちが到着すると、教えてくれたのです。あの紋章を見て、我々はあっさり騙されてしまい…。文字については、あんなものがあることは全く知りませんでした」
 「ワンダが知らなかったのは、しょうがなかったのね。」
シェラがぽそっと呟く。
 「しかし、――その。こう聞いては失礼ですが、クローナの領主家の跡取りが、リーゼンハイデルの王家に仕える、というのは…。」
 「おれは、自分の家系が王家だと思ったことはないですよ。」
リゼルは、さらりと言う。
 「五百年前に別れたというけれど、ろくに記録も残っていないし、そんな昔じゃもう別物でしょう。今のクローナは街道の交わる商業都市というだけで、大した特産物もない貧しい地域です。誇りだけでは食べていけませんし。」
 「五年前の、”白銀戦争”のことは――」
少年の表情が翳る。
 「……まだ子供だったおれには、止めることは出来なかったんです。今も、止められる自信はありませんが」
 「あれは王国議会からの要望が高すぎたのもあったんです」
と、ウィラーフ。
 「納税義務のため、クローナで取引される商品の関税率を上げること。当時クローナの領主が持っていた私設騎士団を解散し、一切の武力を持たないこと。クローナの当主は、自治領を持つものの義務である議会に必ず出席すること。もしくは、出席を拒否するなら自治権を返還すること。求められたのは、その三つでした。そのため領内で激しい反発が起き、王国からの独立を求めて戦いに」
 「戦いを終わらせるため、呑める条件は呑みました」
リゼルは続けた。
 「第一の条件だけは勘弁してもらって、騎士団の解散と、自治権の返還を。――自治権については、いまだ領内で独立のための徹底抗戦を望む声もありますが、領主家が動かない限り、大きな動きにはならないでしょう。クローナは王を裏切りません。もし裏切るとしても、おれは…王の側に、つきますから。」


 ワンダのこわもての父親との話は、長引きはしなかった。
 しばらくゆっくりしていってほしい、とは言われたものの、あの謎の黒マントの集団のこともある。そうのんびりと構えてはいられないだろう。
 「目的地、サウディードだっけ。ここからどのくらい?」
 「遠くはない。一度、陸にわたって、馬車で一日と半くらい――」
ロアのたっての願い、というより本人の希望もあり、ワンダは一行についてくることになった。せめてもの罪滅ぼしに息子をコキ使って下さい! と熱心に頼み込まれ、困っていた時のリゼルの顔が思い出される。そのリゼルは、ワンダを連れて帰路の船を探しに行っているはずだ。島の住民が大陸に渡るのに同行出来れば、言うことはない。
 「さっき、条件を呑んだとアルウィン様は言っただろう」
 「え? うん」
唐突だった。
 「実際は、続きがある。納税額を据え置きにする代わり、領主家の財産のほぼ全てを王国に譲渡すること。王国に逆らいうる武力を持たない保証として、領主家の人間が人質になること。…一度王国に逆らった後では、そうでなければ、議会が認めようとしなかったからな」
荷造りをしているウィラーフは、振り返らない。
 「簡単な話ではなかったはずなのに、過去の痛みは忘れたふりをする。…そういう人だ。」
 「でも、人質って」
 「サウディードは…」荷造りを終え、立ち上がる。「人質時代に、アルウィン様が軟禁されていた都市だ。」
 「……。」
シェラは、ウィラーフが去ってだいぶ経ってから、ようやく振り返ることが出来た。そこにウィラーフはもういないが、いたとしても、どう言葉をかけていいのか、判らなかっただろう。


 はしごを伝って階下ら降りていくと、ワンダの妹たちが、ころころ転がりながらじゃれあっていた。面倒を見ているのは、今日はワンダの母サウラではない。別の、今までに会っていない年寄った女性だ。毛はほとんど白、目の周りが垂れている。たぶんこれが、ワンダの祖母なのだろう。
 「こんにちは、ワンダのおばあさん?」
 「はい、こんにちは。はじめましてだね。」
年老いた獣人は、優しい目でシェラを見上げた。ほっとする雰囲気だ。
 「あんたたち、もう行ってしまうんだってね。残念だね」
 「急ぎの用事があるんです。これ以上ここにいて、またご迷惑をかけないとも限りませんし」
 「迷惑なんて。迷惑をかけたのは、こちらのほうだろう。うちの息子、ロアが早とちりして。ワンダの言うことも全然聞かないで。まったくもう」
母親にとって、息子はいつまでも手のかかる息子のままなのだ。シェラは思わず微笑んだ。
 「ね、おばあさん。”エリュシオン”って、何のことか知ってます?」
彼女は、服の下から青いターコイズをぶら下げた、金の鎖を引っ張り出した。
 「あたし、その言語の意味を探してるの。でも判らないことだらけ。”その樹”とか、”イルネスの中つ大地”とか…」
 「イルネス? イルネスなら知っているよ」
 「え」
ワンダの祖母は、手で膝をたたきながら、抑揚をつけた声で歌い出した。

 その樹は健やかに育まれ
 抉る雨も射す光も
 広げた枝葉に受け止めるだろう

 百に砕けた大地のかけら
 千に砕けた人の心
 強き根が結びつけ
 混沌の海に沈まぬように
 忘却の空に散らぬように

 黄金の樹は剣となり
 白銀の樹は盾となり
 
 礎となり
 罪を背負い

 同じく大地より生まれし子らは
 壁の向こうに隔てられ

 イルネスの中つ大地にて
 ともに出会うその日まで



 「それ… リーデンハイゼルの詩と…!」
シェラは、思わず身を乗り出した。前半は、シドレク王が言っていた王都の中庭にあるという建国詩。後半は、今までに聞いたことのない内容の詩だった。
 「どうして、それを。どこで?」
 「昔っから、この島に伝わっとるよ。今じゃ覚えてる者はほとんどおらんが…」
シェラの持つターコイズに刻まれた詩と、王都の詩が繋がるだけではなく、獣人の詩も繋がっているとしたら。
 「エリシュシオンって、他にもどこかにあるのかしら。全部の詩を集めたら意味が判る…とか…?」
全部で、一体いくつの節に別れているのだろう。この詩の意味するところは、一体何なのだろう。



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