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 足元には月光石が積み上げられた墓標が青白く輝き、崩落した天井の穴からは星々が見えている。
 目覚めたとき、リゼルが目にしたのは、そういう光景だった。
 「気がついたか」
かすかな北方訛りのある声、覗き込んでいる灰色の髪の男に気づいて、リゼルは自分の身に起きたことを思い出した。
 起き上がろうとして、両手が縛られていることに気がついた。足は縛られていないが、両脇に剣を帯びた黒いマントの男たちがいる。下手な真似は出来ない。
 「その紋章を使って、王の使者に成りすましたのか。」
灰色の髪の男のマントには、まごう事無き、黄金の樹の紋章。ハザル人の宴の真っ最中、リゼルの手から奪われたものだ。「王から奪ったものを、よくも堂々と使えるものだ。」
 「奪った? おかしなことを言う。”英雄王”シドレクの身につけている持ち物を奪うなど、この国の誰ひとり不可能だ。」
 「ま、そうだな…。」
リゼルが尚も口を開こうとするのを見て、傍らにいた男が冷たい刃をその喉に押し当てた。顔は隠しているが、雰囲気は目の前にいるつば広の帽子の男に似ている。身内か、同じ部族の人間か。
 リゼルは、視界の端にロアと、同じ獣人の男たちが立っているのに気づいた。彼らの力は強い。ワンダですら、呑気そうに見えて以前セノラの谷で襲撃されたときに見せた動きは、熟練戦士のそれに匹敵した。彼らに、騙されていることを何とかして判らせることが出来れば。
 「おれは、裏切り者じゃない」
刃がさらに強く押し当てられるのを感じた。「――確かにクローナは、父の代、アストゥールに反旗を翻した。だがそれは過去だ。おれは、過去を踏襲しない」
 喉に刃の切っ先がめり込み、赤いものが滴り落ちる。痛みを感じたが、リゼルはやめない。
 「殺すつもりなら、そうすればいい。だが、王の勅命を受けた使者を殺せば、そう簡単には逃げられないぞ。」
灰色の男が、せせら笑った。
 「ずいぶんと強気な発言だな。ローレンスがどうなったか、既に知っているはずなのに?」
 「…何故、そのことを」
殺されたのち、二年も”行方不明”のままだった、もう一人の”リゼル”。その身に何が起きたのかを知っているのは、手を下した者と、リゼルたちだけ。――まさか。
 「まさか…お前たちが」
灰色の髪の男は、答えずにゆっくりと奥へ向かって歩き出す。その先には、昼間見た、あの壁画がある。男は胸からブローチを外した。成程、獣人たちを騙すためだけではない。この場所で、それを使うため。
 紋章の中心に埋め込まれた宝玉が、壁画の穴の部分に差し込まれる。あつらえたように、それはすっぽりと穴に収まる。ハザル人の祭壇と同じだ。そして、振動―― 壁が崩れていく。
 「おお、やはり…」
男は、感嘆の声を漏らした。「やはり、ここにあったか」
 崩れ落ちた壁の裏側には、鏡のように艶やかな一枚の石版。それを覆い隠していた、レリーフの刻まれた岩とは材質が違う。リゼルは、その表面に刻まれている何かに目を凝らした。
 (…神聖文字? 何て書いてある、あれは)
 「ふむ」
しばし、全体に視線を走らせていた男は、懐から取り出した手帳に何か書き付けると、リゼルのほうに向かって来た。少年を見下ろし、冷たく笑う。「ここで何が起きていたのか、お前は何も判らないだろうな。」
 「……。」
リゼルの喉元には、刃が押し当てられたままだ。
 「殺すのは簡単だが、もしもお前が故郷のために働くというのなら、助けてやってもよい」
 「何…?」
 「かつてのクローナと同じ道を」
リゼルは、奥歯を噛み締めた。
 「――王と敵対しろと?」
 「真に王国のために働くのだ。クローナの王家を、独立させたいとは思わんのか? 火種は無いほうがよい。アストゥールの議会が認めないのなら、”エサルの導き手”が手を貸してやろう。クローナが独立すれば、もはやこの王国の中で二つの王家が対立することはない」
獣人たちが、ざわついた。二人の会話の意味はよく分かっていなくても、彼らの意図しない内容だったことは間違いない。裏切り者と王の使者だと思っていた双方の様子が、何処かおかしいことに気づいたのだ。
 リゼルは、深く息を吸い、男を見据えてはっきりと言った。
 「断る。おれは王に仕える身。たとえ故郷の人々の意思に反しても」
冷たい空気が流れる。はっきりとした殺気が向けられる。言葉はなくとも、男の視線が手下に役立たずの死を命じたことを感じ取った。リゼルは両足に力を込めた。
 勢いを付けるため、刃が喉を離れる。一撃で喉を切りたくため。今だ。
 彼は、渾身の力を込めて地面を蹴り、前に飛び出した。不意打ちの体当たりを食らった男の手から、金色の輝きが放物線を描く。
 「騙されるな、誇り高きアジェンロゥの民よ。真の王の敵は、そいつらだ!」
地面に転がりながら、リゼルは叫んだ。
 「古き盟約を忘れるな。王国の守り手たちよ――”ヴィーザ・アストゥーリア”!」
獣人たちの表情が変わった。先頭にいたロアが、太い吠え声えで応える。「ヴィーザ・アストゥーリア!」
 ウィラーフとワンダがなだれ込んできたのは、丁度その間だった。
 「アルウィン様!」
叫ぶ声は、洞窟を揺るがすほどの獣人たちの大音声の中にかき消された。
 「あ! あそこ!」
ワンダは、両手を縛られたままのリゼルを発見し四つん這いで突進していく。その後に続くウィラーフの手には、取り返したばかりの騎士団の剣がある。
 「貴様ら…、ただで済むと思うなよ!」
彼は獣人たちに負けず劣らず、吠え猛りながら走っていた。
 獣人たちが次々と黒マントの男たちに襲いかかる。たとえ達人級の手だれでも、この人数を相手には逃げ切れない。
 つば広の帽子の男は、文字の刻まれた壁のあたりまで後退している。
 「リゼル、いま助けるよ!」
ようやくワンダがリゼルのもとにたどり着いた。腕を縛っていた縄を食いちぎる。
 「ありがとう、ワンダ」
獣人の一人に組み付かれて、黒マントの男が倒れてくる。それを避けながら、リゼルは、立ち上がってさっき落ちたはずの紋章を探した。それは、すぐ近くにあった。真ん中の赤い宝玉も無事だ。
 「アルウィン様、ご無事ですか」
 「おれは平気だ。そっちのほうが、酷い怪我――」
言いかけた時、背後で爆発音が響き渡った。
 大地が揺れ、洞窟の天井がばらばらと大粒の石を落とす。ウィラーフは咄嗟にリゼルを自分の体の下に押し込んだ。白い煙が墓地を満たしていく。
 「一体、何が…」
土煙の中、咳き込む声ばかりで何も見えない。
 ややあって、ようやく視界が晴れてきたとき、何が起きたのかをリゼルはすぐさま理解した。 
 背後の壁、宝玉によってあらわになっていたはずの神聖文字の刻まれた壁面が、砕けて、きれいに無くなっていた。そして―― 灰色の髪の男も、黒いマントの男たちも、みな魔法のように姿を消していたのである。


 山の中腹にあるワンダの家まで戻ってきたとき、そこにはシェラと、ワンダの母サウラが待っていた。
 「無事だったのね! みんな」
 「なんとかね。」
 「…ただ、奴らは逃がしてしまったようです」
ウィラーフは、明るみはじめた湾の方に目をやった。そこにあったはずの浅底の船の姿は見当たらない。短時間で出航していったということは、戦闘に参加していた以外にも船を動かせるだけの人員が船側に残っていたということか。となると、敵は少なくとも二十人以上は居ることになる。
 「あ、それ!」
シェラは、リゼルが持っている黄金の樹の紋章を見つけた。
 「取り戻したのね。良かった」
 「これで、一つはシドレク様への申し開きが出来そうだ。調べてこい、と言われた当の人物につけられていた点については、言い訳のしようもないけど…。」
 「リゼル、リゼル」
くいくい、とワンダが服の裾を引っ張った。「とうちゃんが」
 「ん?」
振り返ると、ワンダの父ロアを筆頭に、獣人の男たちがずらりと勢揃いしていた。
 何事か、と息を飲むリゼルたちの目の前で。
 「…ごめんなさいでした!」
彼らは全員そろって地面に土下座した。
 「不覚ッ… 偽物の使者に騙されて真実を見失うとは、なんたる失態! このロアガルウィン、なんとお詫びすればよいか」
 「え、いや」
 「本当に、すいませんでしたーっ」
 「ゆるしてください!」
 「王様に言いつけないで!」
さっきまで一騎当千の動きを見せていた獣人たちが、まるで子供のように本気でおいおい泣いている。リゼルは頬をかいた。
 「シドレク様は、そんなことで怒ったりしないと思う。それより、こちらこそ済まなかった。あなたがたの大事な墓所を、荒らすことになってしまって」
 「…え」
 「明日…もう、今日か。とにかく、出発までには元通りにしておく。出来る限り」
 「……。」
ロアは鼻を啜り上げ、リゼルの手を砕けそうなくらいがっしりと握りしめた。
 「その気持ちだけで十分。あれは、我らで直しておきます。お客人は、こんどこそゆっくりお休みください。ヴィーザ・アストゥーリア!」
獣人たちは、まだ動き足りないというように意気揚々と山のほうへ消えていく。確かに体力の限界だった。今からもう一度、山の上の洞窟に行く元気は、リゼルたちには無い。
 シェラが尋ねた。
 「さっきのヴィーザなんとかって、何?」
 「<王国に栄光あれ>。”統一戦争”の時に使われた全軍共通の合言葉だ。当時は今以上に色んな言葉を話す部族がいて、掛け声一つでも何十もあって分かりづらかったらしい。今でも騎士団の入隊式なんかでは使うから、ふと思い出して――」
 「ふーん。ここの人たちは、ずっと覚えていたのね。そのこと」
長い夜は、ようやく終わろうとしている。



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