3



 目覚めた時、一瞬どこだか判らなかった。
 「あ、あいたたた…」
シェラは、背中をさすりながらゆっくり体を起こす。岩の上に直接放置されていたせいか、体のあちこちが痛い。視界は真っ暗。どこかで水滴の落ちる音。自分の声が反響しているところからして、洞窟のような所に放り込まれたらしい。
 「どうなってるの? 誰かいない?」
 「…お前だけだ、ここには」
 「ウィラーフ!」
声がした方を振り返ると、白っぽい、シャツ姿の青年がうずくまっているのが見えた。うつ伏せのまま荒い息をついている。
 ようやく状況を思い出してきた。ワンダの家での夕食に、眠り薬か何かが入れられていたのだ。指示したのは、ハザル人の集落を襲撃し、リゼルから紋章を奪っていった、あの男。
 「追っているつもりが、追われてたってことだ。くそっ…!」
ウィラーフは力を振り絞り、体を反らせながら起き上がろうとする。血の匂い。シェラは、ウィラーフが腕にひどい傷を負っているのに気がついた。
 「ちょっと! どうしたの、その怪我。」
 「縄を…」
側に、ちぎれた縄が落ちている。石にこすりつけて無理やりほどいたのだろう。そのために、腕をひどく傷つけた。足はまだ縛られたままのようだ。シェラは慌てて駆け寄った。
 「待って。あたしが縄、切ってあげるから」
束ねた髪をたくし上げ、いつも隠している短剣を取り出す。幸い、武器は取り上げられていなかった。ウィラーフは徹底的に身体検査されたようだが、シェラのほうは見逃して貰えたらしい。
 近づいてみると、ウィラーフのシャツは腕の傷から滴る血のせいでどす黒く染まっていた。まずは手当したほうがいい。シェラはナイフでスカートの裾を切り取った。
 「手、出して。とにかく止血だけはしなきゃ」
 「いい、時間が…」
 「失血で動けなくなったらまずいでしょ」
無理やりに腕をとり、片方ずつ丁寧に傷口を縛っていく。
 「どうして、こんな無茶したのよ。逃げ出せても剣が握れなかったら意味ないじゃない」
 「……。」
ウィラーフは、搾り出すように呟く。
 「アルウィン様を探さなくては」
レスロンド家は代々クローナの領主家に仕える騎士の家系だった、とリゼルは言っていた。彼がリゼルに「様」とつけて呼ぶのも、ただの”王の家臣”以上に気にかけているのも、だからなのだと漠然と思っていた。でも、それだけではない。それだけなら、これほど必死になるはずがない。一度は宮廷に仕える道を選んだはずの彼が、なぜ王を差し置いてまで、別の誰かのことを思うのか。
 そして…リゼルは、かつて敵として戦ったはずの王に、なぜ親しげに仕えることが出来ているのか。
 「ねえ…聞いてもいい?」
 「何だ」
 「アルウィンは、どうして王様に仕えてるの? あなたたちの故郷は、五年前、王の軍と戦ったんでしょ。――あ、リゼルのことを疑ってるわけじゃないの。ただ、確かに不思議だなって…」
沈黙。静けさの中、シェラがきつく結ばれた結び目をナイフで擦る音だけが響く。
 「クローナを守るためだ」
答えてくれないのかも、と思いはじめるくらいの時が経った後、ウィラーフは重たい口を開いた。
 「五年前の戦いの中…王国の世継ぎの王子が亡くなり、他にも多くの犠牲が出た。騎士たちの中には強行派も多く、クローナは攻め滅ぼされてもおかしくない状況だった。――そんな時、アルウィン様は自分の命をかけて、たった一人で王に会いに来た。そして、自分から王の前に膝を折って降伏した」
まるでその時の状況を見ていたようだ、とシェラは思った。おそらく実際に見ていたのだろう。宮廷騎士として王国の側に立って戦っていたウィラーフは、その時は、クローナにとっての敵陣にいたはずなのだから。
 「殺されても構わない、と、あの人は言った。自分一人が死ぬことで気が済むのなら、それが王国のためになるのなら惜しくはないと。――だが、もし当主を殺せば、残っているクローナの人々は皆殺しになるまで弔い合戦を止めないかもしれない。それよりは、誰も仇をとりたいと思わないような裏切り者として死なせてくれと… そう言って、王に恭順の誓いを。アルウィン様も、父上を亡くされていたのに」
 「……。」
父を亡くした者が降伏し、息子を亡くした者はそれを受け入れた。
 「王に忠誠を誓ったことで、アルウィン様はクローナから裏切り者扱いされたというのに。それなのに――どいつも、こいつも」
ぶつりと音をたてて、縄が切れた。足が自由になるや、ウィラーフは立ち上がろうとする。そして、よろめいた。
 「気をつけて。暗いし、足元もよくないから」
 「…ああ」
彼はまだ、本調子ではなさそうだった。船酔いに加えて、薬入りの強い酒をしこたま飲まされたせいだ。頭を押さえて蹲る。
 「無理しないで。しばらく休んでて、あたしが出口探してくる」
 「そんなわけにはいかないだろう」
言いながら、ウィラーフは足元の冷たい水たまりの水を掬いとって自分に降りかける。水は真水。ということは、海沿いのどこかではなく、陸地の中なのだろう。鍾乳洞の一部かもしれない。コウモリなどの生き物の気配はなく、完全に閉ざされている。
 光も見えない暗がりの中、シェラは手探りで壁を触りながら抜け道を探す。一筋の明かりも、僅かな風もない完全な暗闇。せめて、この場所に一人ではないことを運命に感謝するべきだろうか。長くじっとしていると、不安で押しつぶされそうになる。
 「…駄目ね。こっちは全部行き止まりだわ」
シェラは途方に暮れてごつごつした岩肌を見上げた。これでは、リゼルを助けに行くどころか自分たちもここで飢え死にか凍え死にだ。
 「ワンダ、助けに来てくれたりしないわよね…」
 「あの父親を押し切って、か? 無理だろうな」
 「そうよね…。」
 「私も、父親は苦手だった。」
暗がりの奥から、ウィラーフの声が聞こえてくる。いつもの半分も元気がない。
 「クローナ領の当主は代々、自分たちも王家だという意識が強かった。その領主家に仕える騎士の家系だ。格式張った家…父は、何一つ逆らえない絶対の権力だった。息苦しかった。それが嫌で、中央の―― 宮廷騎士団に志願した」
 「お父様は?」
 「死んだ。あの戦いで、アルウィン様の父上と一緒に。今のクローナには…家族は誰も残っていない」
天井から一筋の水滴が滑り落ち、シェラの足元の水たまりに水紋を広げる。
 「先に故郷を裏切ったのは私だ。私こそ裏切り者と呼ばれるべきだった。せめて償いをしなければ」
 「償い?」
 「…昔の話だ。馬鹿だったんだな、私は。騎士は誰かを守るものだと思っていた…実際は、剣を振り回しても人を殺すしか出来ないというのに。」
深い溜息が聞こえた。空気が揺れる。
 「昔、アルウィン様に酷い無礼を働いたことかある。剣は今ひとつ、クローナの家を継ぐのも嫌がっている本ばかり読んでいる意気地なし…。こんな奴が当主になったらクローナはおしまいだ、なんて…。それを、あの人は全て忘れたと言う。私は――どうやって償えばいいのか」
 「……。」
シェラは、歩き出した。諦めるにはまだ早い。こんなところで、死にたくない。いや、――死なせたくない。


 ふと、風が頬に触れた。
 「あ!」
どこかから風が流れこんでくる。シェラは、水を蹴立てながらその方向を目指して走る。「あった、出口!」外から岩で塞がれているようだ。体重をかけて押しても、びくともしない。
 「ウィラーフ、力貸して! ここ、想いっきり押して」
二人がかりで、力をあわせてようやく僅かに動くくらい。だが、諦めるわけにはいかない。
 「せーのっ」
汗が吹き出してくる。ごりごりと音を立て、岩がずれた。
 「もう一息っ」
全体重をかけ、渾身の力をこめて押し上げたとき、岩はゆっくりと向こう側に向かって倒れ落ちた。通路は開かれた。腰を下かめれば、ようやく通り抜けられるくらいの穴。その向こうには、さらなる暗がりが続いている。
 「出口、通そうね。」
呼吸を整えながら、シェラが言う。
 「無いよりはマシだ。」
ウィラーフの口調は、さっきよりはいくばくか元気になっている。「風の来る方を目指せばいい。どっちだ」
 「こっちかしら。見張りは、いなさそうね」
人の手の入った形跡はない。天然の洞窟だ。二人の歩く速度は次第に早くなり、やがて、小走りになる。空気の流れが強くなってくるのが感じられる。外が近い。
 と、その時、すぐ側から何かの声が聞こえた。
 「うう…」
思わず足をとめた。
 「もう、やめ… て」
 「その声、ワンダ?!」
 「あ… シェラ、うぃ…らー…」
駆け寄って、シェラは倒れているワンダを抱き起こした。額に大きなコブが出来ている。
 「ひどい、どうしたの、これ」
 「とうちゃんに殴られたー…痛いー…」
はっとして、ウィラーフが口を開いた。
 「アルウィン様は」
 「連れてかれちゃったよぅ。嫌な匂いする奴らと一緒だったよ。止めようとしたけど、駄目だったー…」
 「いいの、あなたは十分頑張ったわ。それで、連れていかれたって何処に?」
 「お墓」
 「お墓?!」
 「山の上…」
不思議な浮き彫りのあった、あの場所か。だとすれば、まだ、島は出ていない。
 「急ぎましょ。ワンダ、案内して。リゼル助けなきゃ」
頭のくらくらしているワンダを引きずるように、三人は洞窟の出口を目指した。そこは山の中腹あたり。驚いたことに、ワンダの家のすぐ裏だ。外は、まだ夜のまま。お陰で眼が慣れるのを待つ必要はない。
 「あそこに放りこまれてから、どのくらいだ? まだ朝になってないということは… 半日も経ってないのか」
 「ウィラーフ、あれ!」
シェラが港を指さした。そこには、喫水の浅い、底の平たい船が一雙、いつでも出航できる準備を整えている。どう見ても漁船には見えないし、こんな夜に帆を張っているのは不自然だ。 
 「あいつらの船か。あれで逃げるつもりなんだな。手回しの良い…」
 「みんなの武器、こっち。まだ家にあるからー」
ワンダは、ふらふらしながら自分の壺のような形の家にむかって突進していく。シェラたちも、後に続いた。


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